191.
真っ直ぐに佐助を見ながら名を呼んだ源次郎。強い視線に佐助は目を伏せる。
「才蔵が適任と長として申しておるならば受けよう。だがそうではあるまい」
真っ直ぐ射貫く様な視線を感じつつ、佐助は小さく息を吐く。
「怪我で動けねぇ忍なんざ役に立たねぇだろ?って事」
「何故そう思うた」
こういう時の我が主の目は怖い。俺にはない強く揺るがないもんを持ってる御武家様の瞳に忍風情が勝てるわけもない。
「元々、屋敷に部屋なんざ分不相応だったんでそこに文句は無いんです」
自分は不要と言う佐助に何故かと問えば私物が片付けられていたと話す。文句はない、そう話す佐助に悲愴感は無かった。
「佐助は俺の忍。勝手に居を移す事まかりならぬ」
佐助の部屋が無くなっていたことを知った源次郎は顰めた顔のまま告げると、佐助はチラと源次郎を見る。
「まだアンタの忍で居ていーの?」
壊れた物を捨てずに置くのかと問えば、源次郎は当たり前だと笑う。
「なれば佐助には新たな部屋を、月の姫を御守りするため与えられませ」
海野の提案に源次郎は、白雲斎の家に一緒に居たのであれば燐も警戒が薄まるだろうと頷いた。
「姫君には紅葉の間りをと思うておったが如何だ?」
綺麗な紅葉の木が見える為そう呼んでいる部屋は、位置的にも屋敷の奥になるため出入りも少ない。
「先より狭い部屋にはなるが、良いか?佐助」
元の持ち主が茶会の際に使う道具を保管する物置として作られた四畳半程の続き間。佐助は十分だと頷いた。
「良き采配に御座いましたな。早速、室礼を」
「あー、それなんだけどさ?」
燐の部屋が決まったと調度品を誂えると言う海野に佐助は燐の世の道具を使いたい旨を話す。
「なれば部屋付きは最小限、口の固き者を探さねばなりますまい」
白雲斎の家で燐の身の回り品を見ていた海野は顔を曇らせ、興味本位で持ち出したり話を広められてはと呟く。
「部屋付きは不要と申されておられた」
「あー、うん。身の回りの事は自分で出来るからって」
才蔵がぽそりと告げれば、佐助も同意し海野と源次郎を見る。
「師匠の家で暮らしてたってのもあるけど、あんまり人に触られたくないみたい」
四六時中他人が居れば気疲れするだろうと意見が一致していた2人は、燐にはある程度部屋では自由にさせ自分達が補うと告げた。
「それで月の姫が良しとするのであらば良い、のか?」
源次郎は燐が不自由しないのであればそれも良いのだろうと思うも、他人の目にはどうなのかと海野を見る。
「月より来た客人とお預かりするのであれば、誰も付けぬと言うのは如何なものかと」
「ふむ…確かに軽んじて見られるやもしれぬな」
海野の懸念に同意した源次郎は同じく頷く才蔵と佐助を見る。
「そう言うことならさ、こういうのは?」
佐助は立ち上がり、軽く地面を蹴ると膝を抱えくるりと宙で回り着地した。
「月の姫のお女中って、何人くらい必要なの?」
女の姿になった佐助の言葉に、源次郎の屋敷の規模で必要な人数はと海野は他の屋敷を思い浮かべる。
「乳母は不要とて雑仕や小侍女は必須なれば屋敷、お立場を考えても最低三人」
佐助は両目を瞑るとゆらりと揺れ、2人に別れた。
「こんで…後は才蔵ので頭数は揃うだろ?」
自分達の分身で燐の世話係を賄うのかと、才蔵は佐助の視線に女の成りをした分身を一人佐助の横に立たせる。
「宿でも家でも着替えや湯浴みなんかは一人でって言う位だから俺等で十分じゃねぇ?」
若い忍の行動に眉を寄せる海野の胸の内に佐助は女性が必要な事は特に無いと答えた。
「暫し過ごし、不都合が出らば都度調整をする。では如何か」
「任せる」
才蔵の提案に源次郎は海野を見る。海野が頷くと源次郎はそれで進めるようにと佐助に告げた。
「こっちの部屋の方が色々便利かも」
紅葉の間に移動した佐助は、その奥の襖を開け自室に入り、更に奥の襖を開け庭に降りた。
「へぇ…気付かなかった」
あまり屋敷を忍姿が彷徨くのはと屋敷内は海野に任せていた佐助は、紅葉の古木の奥に忍庵を見付け呟く。
「そういやあれも昔は茶室だったんだっけ」
皮肉を込めて草屋敷と呼ばれていた自分達の小屋も改良前は風流な場所だったと佐助は、古木に触れた。
「燐ちゃんが来る前に少し手入れが必要かも」
佐助は燐の怯えようを思い出すと、苦内を手に木の周りの草を刈り木の後ろに纏めて行く。
「燐ちゃんが師匠んとこで見たのに似てんだよね、この草」
佐助は立ち上がると腰を伸ばす。夕闇の中、草を刈る佐助の行動の意味が分かった才蔵は静かに姿を現した。
「なれば」
才蔵は短く告げると縁側の側に屈み、両手を付き出した。ビュッと短く風の音がする。強風に目を細めた佐助は瞬時に紅葉の後ろまで剥き出しになった地面に小さく口笛を鳴らす。
「凄ぇなー、それ」
「風魔程には扱えぬ」
風を使える事を羨むような佐助の言葉に才蔵は出来てこの程度と短く告げた。
「結構動揺しててさ、燐ちゃん」
「屋敷の内外に結界があらば魔物は入らぬだろうが」
ぽそりと呟く佐助に、念の為と才蔵は紅葉の間の床下に潜り魔除けを施した。