16.朧心
他人に素肌を見せ髪に触れられるなどいつ振りだろう。そんな事を思っていると、困惑したような気配が後ろから伝わって来る。
「あー、洗ってもらえんならお願いしていー?あ、けど土埃凄いだろうからやっぱりいーや」
この女と話していると調子が狂う。軽く返してしまったが、と濡れた髪を一束摘まんだ。
まぁ湯を掛ける程度ならまだしも、忍に直接触れるってのは嫌だろう。ましてや下忍でも無いだろう女が忍の洗髪等、嫌悪しかないだろうし。
何故か、女の口から自分を蔑むような言葉を聞きたくなくて、佐助は女が口を挟む前にと早口で自ら断りの言葉を口にした。だが予想とは逆に女は躊躇なく「洗おう」と言って髪に触れた。
「なんか、髪洗うの初めてだから…一回流すけど、大丈夫?」
そりゃ、忍の髪なんざ触れる事等ないよね。そう思えば女は他意の無い配慮の言葉を掛けて来た。
「ん。平気、ってかさ?嫌じゃないの?」
思わず口から零れた問い掛けに、動揺した。
否定の言葉が続くと思っていた佐助は、平然と言ってのけた女の言葉に驚いた。
女は再び今度は自分の頭に原形の留まらない柔らかな白色を揉み込む様に柔らかな指先が動く。女が触れた場所から体温が移ったかのように熱を帯びると、佐助は自分の内の不可思議な衝動に小さく首を傾げた。
「はー。こりゃ気持ちいーねぇ」
折角だからと女に委ね、されるがままの佐助の口から再び無意識に言葉が零れた。
「そう?じゃお客様ーお痒い所はございませんかー」
対面した時からそうだったが、後ろに居る女は思いを隠しもしないと佐助は胸の内と同じ内容を口に出す女の言葉に思わず吹き出す。流すよと熱い湯を掛けられ目を開けると、白色は跡形も無く消えていた。
「あんがと」
湯を切る様に髪をかき上げた先の顔に礼を述べると、女は不思議そうな目でこちらを見るも直ぐ今度は背に湯をかけて来た。続く女の言葉と困惑した気配に振り返れば、女は声と同じく不安気に自分を見る。
「お湯掛けちゃってさ、傷」
忍等常に傷塗れで当然。忍で無くとも生きていれば傷の一つや二つ、珍しくもないだろう。
だが背中の傷は武士の恥。忍も同じくだ。女が声を曇らせる程の傷。背を見せ逃げる窮地等、最近では無かった筈だが、と背に手を当てた佐助はこれか?と肩下から脇腹に続く傷を擦る。
「あー、これね」
物心ついて自分を見れば、もう忍だった。この傷も治らずただれ、死ねばそれまで。忍は道具。人にあらずって言う位だし当然手当なんてされなかったっけ。
傷からの発熱にフラフラになりながら薬草を摘みに行き、気が狂いそうな痛みに歯を食いしばり、ぐじぐじと痛む傷に塗りたくる。
幼い自分では手が届か無かった背中の部分はそのまま抉れた傷跡になった。ただそれだけの事なのに。
「アンタもそんな顔しないでよ」
「あー、うー…なんかごめん」
親なんざ見たことない。何の気無しに言えば背後から伝わる悲壮感。
忍相手に心を砕く女の顔を見上げ小さく笑った。良く分からない胸の内側がじんわりと熱を帯びる。忍如きに配慮を見せ眉を下げてる女の顔を見ていれば、この女には先程の様に楽し気に笑って欲しいと思いが湧く。
「じゃあさ?もう一回しゃんぷーしてくれる?」
傷を見て声音が変わる程に動揺し、それを隠しながら謝る。居もしない親の心情まで気遣う優しい女。
忍如きに躊躇なく分け与え、配慮を見せ傷一つない綺麗な手で触れる事を厭わない。
「アンタってさ、変わってるって言われない?」
幼い頃より忍と共に居た我が主は忍を人として扱う変わり者。
「え?なにそれ。ほぼ初対面で失礼極まりないな」
この女もそうなのかと問えば女は嫌そうな声で答える。きっと声音と同じ様に眉間に皺を寄せた顔でもしているんだろうと思えば、笑みが零れた。
「普通が人それぞれって、何それ」
普通ってのは人に使う言葉で、人のなりをした忍を隔てるもんだと思ってたのに
女はその隔たりを簡単に取っ払っちまうような言い方で、忍だって事も気に留めていない素振りを続ける。
此処の世の御人方は、何ていうか、皆寛大って事?
「周りと同じだから普通だって思い込んでるだけで普通なのかどうかなんて分かんない」女の言葉を思い出す。ならば自分も対等にこの女と同じ場所に立てるのだろうか?思い浮かんだ疑問に佐助は顔を顰めた。
何故今そんな事を思うのか。忍がどんなものかを知らない、幼い頃なら未だしも今更何故そんな事を思うのだろう。佐助は自分でも良く分からない胸の内に顔を顰めた。




