14.温泉
※文章の間隔が通常と違うため、読みにくいかもしれません。
女がおふろと言っていた湯は、自分の知っている湧き湯と同じ様だった。それでも警戒しながら汚れを流して浸かれば、冷え切っていた体がビリビリする。
「死に損なって、行きついた先は今んとこ極楽みてぇ」
ここに来て漸く自分の知るものと一致した湯に、佐助は小さく息を吐いた。のんびりと湯に浸かる等、随分と久し振りだと湯船の縁ふちに頭を乗せぼんやりと空を見ていた。と、突如女の声が響く。
「ぅわっ」
体の力が抜けていた佐助は突然の声に驚き思わず声を洩らし、起き上がろうとして体勢を崩すと派手な水飛沫を上げた。気配に気付かなかったわけではないが、まさか忍相手に声等掛けることは予想していなかった。
未だ思うように動けない身体に苛立ちながら、ゆっくりと湯の中を移動すると続く声に思わず声を荒げた。
「は?何?投げるって、しゃぼんを?!アンタ正気?!」
しゃぼんなんてそれこそ以前、どこぞの御大名が主に海の向こうから取り寄せたって仰々しく見せてた品だろ?そんな高価な物を事も無げに投げるとか正気か?佐助はこの女と関わると自分の内を掌握できないと顔を顰めた。
「?!なっ」
忌々し気に声のする方の壁を見ていると、今度はギギギと何かが擦れるような音がし突如壁の一部が開いた。
なんなんだってんだよ?!ほんとなんなの?!此処。壁が開くとか草屋敷かよ?!
思わずザバッと水音が響くのも構わず勢いよく立ち上がり身構えると、白む湯気の向こうに先程の女が現れ壁の側に何かを置くと同じ音を立てて壁に戻った。
「ちょっと!何勝手に堂々と入って来ちゃってんの?!」
悪態を止められない佐助は、心のままに言葉を投げる。続く女の言葉に苛立つも、胸のうち一つ掌握出来ないんじゃ忍失格と大きく息を吐くと湯に体を沈めた。
「片手使えないんだからどのみち使えないんだよねぇ残念だけどー」
見れば片手で持てない大きさでも無いが、忍如きが使えるような代物でも無ければ使い方も知らない。
第一そんな用途も分からない物で借りなんぞ作りたくないと佐助は憎々し気な胸の内を封じるように軽く答えた。
「ほらじゃ洗ったげるからさっさと来て座って。んでそこの桶で前隠して」
再び壁が開くと今度はズカズカと近付いてきた女は壁に打ち付けられた鏡の前で止まると、隠せと桶を背越しに湯槽の側へ置く。何度も驚かされているのは癪だと佐助はわざと勢い良く湯から出ると足音を立て近付いた。
「アンタ項も頬も耳も真っ赤だよ?」
近付けば花に似た匂いがする。真っ赤なうなじに苛立つような声音。佐助は今までの鬱憤を晴らすかのように女と距離を詰めた。
「ね、こっち向いてよ」
隠せと座れを繰り返しながら木の床几を指す女のその肩も腕も仄かに色付いていたが傷一つない。真っ赤だと揶揄えば更に色付く肌と匂い立つ花に似た香り。
女の胸の内は羞恥と自分を思うような言葉。汚れているのに洗えないのはという哀れみ。
うはーこりゃ、たのしーかも
忍相手に丸腰で何をする積もりかと警戒を余所に、予想を裏切る女の恥じらいの色に楽しくなった佐助は女の耳元で囁くと、纏うふわふわとした布の感触を確かめる様に頬を付けた。
「いー匂い」
女の纏う萌葱色の肌触りの良い物は、女から匂い立つ花に似た香りがした。嗅いだ事の無い匂い。香の様な物かと思えば忍風情が嗅いだ事が無くともと納得する。
香を焚いた物を纏い、布を巻いた手を配慮してなのか、力加減をしながらも引き剥がそうとしている傷一つない指先を持つこの女はさぞ位が高い家の姫なのだろう。
そもそも大名や姫がこの不可思議な場所に居るのかって事も分かんねぇけど
女が一人、供の気配も他には無くこんな山で何をしているんだろう。山で暮らしているようにも見えない。
まだ幼い下忍だった頃に忍んだ天井裏で聞いた御伽噺では、羽衣を纏った天女や竹から眩いばかりの姫君が出て来ていた。滑らかそうな項の肌に後れ毛が張り付いている。視線を上げれば、仄かに色付いた頬。
竹の姫は、確か誰をも惑わす美しさだったっけ、と朧げな記憶を辿り思いに耽っていると、足先に衝撃が走った。
「うるさいこのチャラ男が!さっさと隠して座れ!」
悲鳴に近い声が漏れた。
こんな口汚く怒号を上げる姫なんて居る?まぁ癇癪持ちで傲慢な姫なんざいくらでも居るけどさ
荒げた声の根っこの理由が忍への配慮だなんて、こんな姫様初めて会ったと戸惑う。ジンジンと足先から痛みに避けられないなんて不甲斐ねぇと眉を下げた。
「これでいー?」
言われた通り座れば女は自分の背後を取る。忍の性で警戒を解く事は難しいが、怪我をした忍の腕に配慮する様な女だ。何かあれば対処出来ると佐助は言われるがまま前屈みに背を丸め頭にかかる湯を受けた。




