12.泥色
※文章の間隔が通常と違うため、読みにくいかもしれません。
これ以上立っていれば震えを隠し切れなくなりそうだと佐助は追跡を諦める事にした。だが、話は終いと思っていたのに女は何故か立ち去らない。
胸の内を探れば、先程まで湯に入りたいとの心模様に自分の事を心配しているような気配が加わっていた。忍の何を気に掛けているんだと不思議に思っていると女は不可思議な色の物を取り出す。
「要らないよ」
刃先の様に光る銀の薄い物を女はピリピリ音を立てて破き、中から出て来た泥色の物体を差し出して来る。鼻先につく甘い匂いに顔を顰めつつ要らないと言えば女は不機嫌そうに眉を寄せた。
いやこっちが何なんだってぇの
やり取りから食べる物らしいと分かるも、見た事もない泥色の物体なんぞ口に入れたくねぇと顔を顰めた。
だが女は容赦なく口にそれを押し付ける。何時もなら軽く振り払える筈が、まともに立って居られない今それは容易でない。
「手に付くからさっさと食べてよ」
女は更に銀の薄い物を全て剥し、手に持った泥色を口に突っ込んで来た。拒否る様に背を逸らすも容赦なく口内に詰め込んで来る。
粗方毒も効かない体だ。仕方なしと佐助は眉を下げ押し込まれたそれを咀嚼した。
「甘ぇ」
口内に、鼻腔に甘さが広がる。固いと思っていたそれは何度か噛むとドロドロと纏わりつく様に口に広がる。飲み込んで甘いと呟けば、それを見届けた女はぺろりと躊躇無く自分の指先の泥色を舐めた。
嘘だろ?この子、忍に与えたもん舐めちまってるけど?!
忍と知って尚助けられたと才蔵の言葉を思い出す。
忍は人に非ず畜生に劣る。そんな扱いの忍相手に手当てを施し、食事を与え、寝床も与える変わり者とは聞いていた。が、まさか同じ物を平然と口にした姿に思考が止まった。
「貸すよ。はい」
興味が湧いた佐助は女について行く事にした。建物に近付くと女はそう言って柔らかな布を差し出す。
貸すのであれば返される事を期待しているのだろうか。忍が触れた物を平然と纏めて洗うから返せという女の言葉に再び困惑した。
佐助は頷く不可思議な女を見ながらどういう事だろうと必死に考えを巡らせる。
「じゃ、私こっちだから」
女の言葉に慌てて顔を上げた。女は建物の壁についている突起を指で押し上げ、光が漏れる建物の中に入って行く。扉が完全に閉まった事を確認した佐助は面妖としか言い表せないと言っていた才蔵の言葉を思い出す。
「…神隠しの先の世ってぇのは戯言と思ってたけど」
案外本当なのかもと奇怪な状況に眉を下げた佐助は静かに息を整え建物を見上げた。簡易な小屋。外側から見ればそれ以外に考えられなかったが女と同じく突起を押し上げ引き戸を開けた佐助は目を見開いた。
「天道?…な訳ないか。って此れって鏡?嘘だろ?!」
真っ暗な夜から急に昼になったように明るい屋内に驚き振り向いた佐助は、体半分が闇に埋もれている事に安堵した。恐る恐る中に入り土間のような造りから室内に上がると、其処には造作なく自分の薄汚れた体をはっきり確認出来る程の大きさの鏡が置かれている。
値打ちの分らないうつけが居るのかと顔を顰め奥に進めば更に今度は肩から上が写せるように鏡が壁に打ち付けてあった。
「入れる位の湯って事は湧き湯か何かな筈なんだけど」
女がおふろと言っていた物は、胸の内と照らし合わせれば湯の筈。佐助は湯を探し奥の仕切りを見て再び顔を顰めた。外の湯気は見えるが温かさが無いと訝し気に近付けば、其処には色のない何かがあった。
「氷か?って、ありゃびーどろ?!」
冬場水に張る氷の様なそれは氷の様な冷たさは無く溶けもしない。更にその仕切りの奥には湯へと続く、びーどろの様な物が敷かれていた。
「ちょいと拝借って訳には行かねぇか」
引き戸を開け、屈めばやはり大名家の宝物庫にでも在りそうなびーどろ。佐助は暫くそれらを眺め手で触触れた。床にしっかりと張り付けられ取り出す事は出来ないと断念する。
「先の世ってのは、御人方も違うもんなのかね」
物の価値が随分と違うであろう此処に顔を顰めつつ梁をめがけて高く跳んだ。高い壁で仕切られた反対側にも同じく鏡がある。
そろそろと女の気配の方へ移動すれば造りは変わらずびーどろの嵌め込まれた床の先にからは、湯に居るのだろう、女の小さな声が漏れ聞こえる。
「…こうなりゃとことん索ってやろうじゃないの」
自分の範疇を超えた奇怪さに眩暈を覚えた佐助はトンと板の間に下り呟いた。折角だから先ずは湯からと透明の壁の向こうに昇る湯気を見つつ衣を脱いだ。




