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02:オーガニックボーイ

 昼過ぎ。


「おはよ」

「……おはよう」


 ご機嫌な様子の衣織に、美来は絞り出した様な声でそういった。


「……お腹空いた」

「俺も」


 独り言をつぶやいたつもりだったが、反応するあたりがちゃっかりしている。

 美来は気だるい身体をやっとのことで起こして、寝室を出てキッチンに向かった。


 美来はいつもの癖で何かないかとお菓子やらインスタント食品やらを入れている戸棚を開けた。


 目に飛び込んできたのは救世主、カップラーメン様だった。


 しかし、育ち盛りの青年にいい大人がカップラーメンを出すのも気が引けたため、ええー、昼から作るの? だる。と言う心の自分と必死で戦いながら、しぶしぶカップラーメンの隣にあった一つで一人分の鍋の素を三つ手に取った。


「何作ってくれるのー?」


 ソファに座って昨日の水を片手に持ったまま、衣織は少し声を張った。


「鍋」


 カウンターキッチンの向こうから、美来はほんの少し声を張って返事をした。


「やった。何か手伝う事ない?」

「いいよ。座ってて」


 そう言いながら美来は鍋の素を三つ、取り出した大きな土鍋に放り込んだ。

 テキトーに水を入れて、それから冷蔵庫に入っていたテキトーな野菜と肉を入れた後、蓋をして火を付けて以上、終了。


 鍋なんて手伝ってもらう工程はほとんどない。


 それから、昨日キッチンに置いたままにしていたタバコを手に取って火をつけた。

 換気扇をつけ忘れている事に気が付いて、〝強〟のボタンを押した。


「大人の深呼吸だ」


 ソファーに座っていたはずの衣織は、いつの間にかカウンターに腕を預けて美来を見ていた。


「この箱吸い終わったら禁煙再開するの」

「どうせ禁煙するなら、今やめても一緒じゃない?」

「タバコ、高いんだから。20本しか入ってないのに」

「ふーん」


 衣織は興味なさげな様子だが、視線は美来の顔から逸らさない。


「……なに?」

「いや。綺麗な顔だなーって」


 そういう衣織に、美来は煙と一緒に溜息を吐いてぼんやりと換気扇を見つめた。


「……怖っ。ストーカー」


 覇気のない声色でそう呟くが、衣織はやはり大して興味はないようで、美来は視線だけを感じていた。


 吸い終わったタバコを始末した後、美来は鍋の蓋を外した。蒸気が溢れ出して、いいにおいがする。


「うわ、いい匂い。めっちゃ美味しそう」

「絶対美味しいよ」

「大きな土鍋からよそって食べるなんて、店以外でやった事ない。楽しみ。早く食べたいな」


 何気ない口調でそう言った衣織を見れば、彼はニコリと笑顔を作る。

 これを意図してやっているなら、とんでもない子だ。


 自分の作ったものをこんな風に言われて、嬉しくないはずがない。

 これは、かなりの手練れだ。


「そうだね。早く食べよ」


 美来は年下独特の可愛さと昨日の夜の出来事を行ったり来たりしながら、残った少しの理性で平然を装ってそう答えた。


 鍋の素使ってるんだから美味しくない事はありえないが、ここまで期待しているのに美味しくなかったらどうしよう。

 水は目分量で入れてしまったし。そう思って美来はとりあえず味見をしてみたが、やはり心配する事はなかった。いつもの味だ。


 美来が衣織に鍋敷きを渡すと、彼は黙ってそれを受け取ってソファの前に置いてあるローテーブルの上に置いた。


「そこで食べるの? ちょっと狭くない?」

「え? だってこっち、物いっぱいだし」


 衣織はカウンターキッチンすぐ側にある二人掛けのダイニングテーブルを指さした。美来はキッチンの上に手をついて背伸びをした。


 脱ぎ散らかした服や、物で溢れていた。〝ごちゃあ〟という効果音がよく似合う。


 断じていつもこんな調子ではない。いや、人が来る時にはこんな調子じゃない。

 人が来る予定なんてなかったし、一人ならソファを背もたれにしてローテーブルで食事する方が楽だから、どうしてもダイニングテーブルの出番は少なくなる。


「じゃあ、そっちでいいや」


 自分でもなかなか都合のいい脳みそだと思うが、先ほどまで年下の可愛さにやられていたくせに、結婚対象、つまり恋愛対象じゃないという理由だけで、あっさりと物の山を見られた羞恥心を排除した。


 美来はそう言いながらミトンを手に着けて、もう片方の手には食器を拭く為の布巾を手に取り、土鍋を持ってローテーブルまで運んだ。


 箸や取り皿を用意した後、既にソファを背もたれにできる特等席を衣織は陣取っていた。


「そこ私の特等席なんだけど」

「えー。俺もここがいい」


 駄々をこねる様に言う衣織に、まあどうせ今回限りだし、一度くらい我慢してやるか。と思った美来は、黙って向かい側に座った。


「一人暮らしなのに、何でこんな大きい土鍋なの? 元彼が鍋好きだったとか?」


 衣織はそう言いながら、取り皿を手に取って鍋の具材をよそった。


「これだけ大きな鍋で一回作っといたら、次の日も食べられるから」

「頭いい」


 衣織はそう言いながら、美来に具の入った皿を手渡した。


「……ありがとう」


 そんなに気の利く子だと思っていなかった美来は少々驚きながら、鍋の具の入った皿を両手で受け取った。


「ここ譲ってくれたから。俺の大好きな椎茸、二つにサービスしといた」


 完璧過ぎないか。

 自分が取り分けた事を遠慮させない様に、特等席を譲った事を理由に椎茸を渡している事にするなんて。


「早く食べたい。もう食べていい?」


 この子が言うとなんかエロいな、と寝起きでそんな思考に至る自分にちょっと嫌気がさした。


「じゃあ、いただきます」

「いただきまーす」


 美来がそう言うと、衣織も同じ様に言いながら丁寧に手を合わせた。それを見て、美来も何となく手を合わせる。


「うま」


 衣織が今何を食べたのかは知らないが、一口食べて自分の持っている皿をまじまじと見つめた。


「大袈裟だよ」


 悪い気はしない美来はそう言いながら笑って食べ進めるが、衣織は確認するようにスープを一口飲んで、至って真剣な表情をしていた。


「店出せるよ、これ。なんでこんなにうまいの?」

「なんでって……。鍋の素入れただけだよ」

「鍋の素って何?」

「え、知らないの?」


 美来は箸を止めて衣織を見た。

 自分にとっては必ず常備する事にしている生活必需品だが、普段料理をしない人は知らないのか。

 そんなことを考えて美来は箸と皿を置いてキッチンに歩いて、鍋の素がいくつか入った袋を取った。


「ほら、これ」


 美来から差し出された袋を受け取った衣織は、まじまじとその袋を見つめる。


「こんなのあるんだ……。知らなかった。凄いね、初めて食べた」

「私は実家でもこういうの、当たり前に出てきてたけど。……実家で鍋とかしなかったの?」

「昆布とか入れて出汁から取って、いろんな液体入れてたよ。めちゃくちゃ薄味で、一人分の鍋に入って出てくる」


 お母さんごめんなさい。おそらくあなたが相当気遣って育てた大切な息子さんに、鍋の素を食べさせてしまいました。

 ただカップラーメンは回避したので許してほしいし、何ならこの子、多分相当女遊びしてると思うので、もう諸々手遅れだと思います。


 謝罪から始まり、全ての責任を本人に取らせた後、美来は食べ進める衣織を見た。


「衣織くん、一人暮らし?」

「そうだよ」

「普段何してるの?」

「大学通ってる。……あーでも、あんまり家には帰らないよ。人の家に泊まる事の方が多いし」

「じゃあ普段、どんなの食べてるの?」

「みんな手の込んだ料理作ってくれるし、外食も結構あるかな」


 〝みんな〟って。それはつまり、パトロンみたいな立ち位置のお姉さんがたくさんいるという事か。

 それなら確かにと納得する。その色気の原因はお姉様達に鍛えられたからなのか。いろんな意味で。


「家にいるときは親から毎週まとめて冷凍の弁当が送られてくる。この一食に栄養がちゃんとはいってます。みたいなヤツ」

「美味しそうじゃん」

「まずいから食べられないよ。カップ麺の方が美味しい」

「普段食べるの? カップ麺」

「食べるよ。大好き」


 何だ。食べるのか、カップ麺。と思った美来は、なんだか気が楽になって笑顔を作った。


「どうしたの?」

「いや、悩んだんだよね、一瞬。カップ麺と」


 そう言うと衣織は目を見開いてそれから乾いた笑いを漏らした。


「なんか凝った手料理とか、そういうのじゃないの? 女の人の好きなものって。よくわからないカタカナのヤツとか」

「昼間からそんなの作らないし、何なら作った事もない」


 自分は一体今胸を張って何を言ってるんだと思ったが、衣織はなんだか楽しそうにしている。


「そっか……うん。また作ってほしい。鍋が食べたい」

「別にいいけど……」


 自分の発した言葉が脳内を反響して、それから反発した。


「……いい訳ないじゃん。ストーカー」

「でも害はないよ。誰よりも、その顔面が好きなだけ」


 美来はため息を吐き捨てて、鍋を食べ進めた。


「昨日の顔思い出すだけで、二か月くらいなら自己解決できそう」


 それ、別に普通じゃない? と思ったが、もしかすると男女の違いとか年齢の違いとかもあると思うので、深くは聞かない事にした。


「ごちそうさまでした」


 あっと言う間にほとんどの鍋を食べ終えた衣織は、そう言って手を合わせた。美来はさっさと後片付けを済ませて、コーヒーを入れる為にお湯を沸かした。


「帰るね。泊めてくれてありがとう」


 てっきりコーヒーくらい飲んでいくものだと思っていたが、身支度を整えた衣織はキッチンにいる美来の側に立ってそう言った。


「どういたしまして。気を付けてね」

「玄関まで送って」


 少し甘えた衣織の口調には、悔しいがやはりかわいらしさがある。

 美来は無言で衣織の後ろを歩く。歩くと言っても、十歩とない距離だ。


「お邪魔しました」


 衣織はそう言うと、身を屈めて美来に口付けた。


「またね」


 薄く笑って手を振る衣織との間にあるドアは、まもなく閉まる。状況の整理もまともにできないまま、手を振った。

 閉まったドアの音を聞いて、振っていた手をギュッと握った。


 あの子、女をときめかせる天才だな。

 冷静になってそう思った後、拳を開いてさっさとカギをしめた。

 リビングに戻って、コーヒーを入れて、換気扇を回して、タバコに火をつける。


 見た目は劣化する。

 その焦燥感を、18の子どもが知るはずもない。


 それなのに、綺麗だと言われて悪い気もしない。

 だったら、どんな言葉を返すのが正解だったんだろう。

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