十五話 千年日記【8】
先週の土曜日に掲載予定だったお話です。遅くなってしまい申し訳ありません。差別的な表現があります。
「そいつぁ、狢だよ」
八咫烏が棲む里に帰って来た薄暮は里長にルシファーの弟子と珍獣をエルフの島に送り届けたことを報告した。
八咫烏は里では人の形を取り、移動の際等に本来の烏の姿に戻る。薄暮も今は十台位の少年の姿に化けており、里長はしわくちゃで眉が立派な老人の姿で煙管を咥えている。
薄暮は首を傾げる。
「むじなぁ……?」
狢とは穴熊のことで、狐や狸同様化けるのが得意な獣と言われている。実際に化けるところを見たことはないが狐や狸よりも化けるのが上手く、恐ろしい生き物という話は薄暮も幼い頃に聞かされたことがある。
んだ、と里長は頷いた。
「あいつぁ、化ける。殿様────ルシファーのこと────も化けるが、あいつも化ける。化かしなら殿様より上じゃぁな」
里長はプァ、と煙を吹いた。
ルシファーが姿をコロコロ変えるのは王国内では周知のことだ。時に大きな猫に化けたり、鳥にも化け、男前な中年男性に化けたこともあると聞く。噂ではあの小柄な姿も化けた状態であって、本来は鬼のように恐ろしい化け物なのだとか。
(ただでさえ恐ろしい方なのに、更に恐ろしいのか)
薄暮はルシファーが人間と喧嘩をする場面を見かけたことがあるが、その時相手をかなりボコボコにしていたのを思い出した。
里長はプワァ、と先程よりも多めに煙を吹いた。
「儂ら八咫烏は人の姿が精々だが、それ以外にも化けられる奴らは恐ろしい。特にあの狢は人の身からこちら側に来た奴だ。そういう奴は尚のこと恐ろしい」
「里長は何をそんなに恐れているんですか?人間がこちら側になった場合、価値観が百八十度変わるから問題はないのでは?」
人の身から人ならざる者に転じた例はいくつかあり、その共通点は人間時の思想や価値観といったものががらっと変わるというもの。よく取り上げられるのが吸血鬼で、人だった頃は生き血を啜ることに嫌悪を感じるが、いざ吸血鬼に変わると吸血行為に対して抵抗がなくなる。そしていつか、自分が人だった頃の記憶は深層意識の海に沈んでしまうのだ。
薄暮の疑問に里長はゆっくり首を横に振る。
「あの狢は人とそうでない者の狭間にいるのよ。要は半端者ということだ。殿様が後ろ盾になってくれているからこちら側のように見えるが、実際はどっちつかずなんだよ。本人にその自覚があるかは不明だがな」
薄暮は先刻乗せたユルバンのことを思い返した。
頭に硝子片が刺さっていたのに、出血すらせず痛む様子も見せず淡々と抜いていたのを見ると明らかに人間ではないのだが、それでも彼は里長から見れば中途半端な存在のようだ。
薄暮は何となく里長がユルバンのことを警戒する理由がわかった。要は信用ならないのだ。こちら側の振りをして周囲を欺いているのではないか、と。ルシファーを騙しているのではないか……と。
「人は────」
開いた里長の口からプカプカと煙が洩れた。
「人は、心を化かすのが上手いからなぁ」
ユルバンとマギアは夕餉の後、エーアデに連れられて彼の部屋を訪れていた。
流石は長の部屋といった感じで、大理石の壁や柱には細かい模様が彫られており、それは二人が泊まる部屋の装飾よりもよりきめ細やかで豪華だった。
大きな窓の向こうには広いテラスがあり、仄かにフルーティーな香りが風に乗って部屋に流れてきていることから、そこで誰かがお茶をしているようだった。
(誰だろ?)
ユルバンが怪訝そうにテラスの方を見ていると、エーアデが口を開いた。
「それで、この竜銀のことですが────」
エーアデはユルバンが先程夕餉の席で取り出した木箱を机の上に置くと、静かに椅子に座った。
ユルバンはエーアデに向き直り、木箱の中身について答えた。
「師匠からの貰い物だよ。とは言っても、好きに使えと言われたから俺の好きに使わせてもらっただけだけれど」
本当は、とユルバンは竜銀をルシファーから貰った時のことを一人回想し始めた。
「何これ」
手渡された木箱をユルバンが開けると、中身は大きな銀の塊だった。
ルシファーはキィ、と椅子ごと百八十度回った。
「竜銀。死んだ竜の死骸から僅かに採れる超貴重な金属。その量は個体によって異なるが、一番少なくて百グラム、多くて五百グラム。それは五百グラムちょっとの大きめの竜銀だ」
ユルバンは木箱を閉じると怪訝な表情を浮かべる。
「……何でそんな貴重な物を俺に?」
金属は魔法薬の材料にあまり使えない。目眩しの道具や武器、防具を鍛えることはできるかもしれないが、生憎ユルバンは鍛冶屋ではないし補助系の魔法も幾つか知っているので敢えて道具を作る必要もない。
キィ、とルシファーは椅子ごと身体の向きを変え、神妙な面持ちで答える。
「エルフが闇討ちしてきた時はそれを投げつければ助かる確率がめっちゃ高いぞ」
「何でエルフが強盗すること前提で話しているのさ」
ユルバンの回想終わり。
(強盗……て訳ではなかったけれど、場の空気を変えるには丁度よかったかな)
ユルバンはルシファー程聴覚が優れている訳ではないが、テーブルで向かい合った距離程度で相手がテレパシーではなく小声で話しているのならはっきり聞き取ることができる。
最初はユルバンの悪口を言っていたが、次第にルシファーの悪口に変わっていった。自分のことを言われるのならまだしも、師のことをこき下ろされるのは非常に腹立たしい。
銀を様々な物に加工する技術を持ち、それを誇りにしている白銀の種族ならば竜銀という銀の中でも稀少な金属を見逃さない訳がない。そこでユルバンは超貴重だけれど竜と親密な関係にあるルシファー一派は、これだけの権力がありますよ、というのを誇示してみせた。要はマウントを取ったのだ。
ユルバンが密かに優越感に浸っていると、エーアデは木箱の蓋に人差し指を置いた。
「ふむ。ではこれはありがたく頂くとしましょう」
「それよりもよぉ────」
ユルバンの肩の上で大人しくしていたマギアが、話に割って入ってきた。
「例の日記だけれど、あれ編纂は難しいと思うぞ」
マギアの報告にエーアデは首を傾げる。
「何故です?」
「悪口や愚痴ばっかだもん。歴史的な記述もあるけれど、殆どが余所の種族との小競り合いみたいなもんで、しかも全敗。長が思っているような読み物にはならねぇぜ」
「全部読んだんですか?」
エーアデが尋ねるとマギアはフルル、と首を横に振った。
「全部は読んでない。かいつまんで読んだだけだよ。けれど、読めば読む程何というか……その……う〜ん……まぁ……」
言おうか言うまいか悩むマギアの姿に、ユルバンは心底驚いた。
「あのマギアさんが悩んでいる────ぶっ!?」
ユルバンの右頬をマギアはスパァンッ、と引っ叩いた。意外とこの珍獣は力が強いのだ。
痛がるユルバンを尻目にマギアは意を決してはっきり口にする。
「エルフのポンコツ具合が物凄く出てる」
ポンコツ────賢者と讃えられるエルフには似合わない言葉だ。
だがエーアデはそれに対して否定も、怒りもしなかった。ただ静かに机に両肘をついて手を組む。
「仰る通り。外の人々は知りませんが、エルフの七割はポンコツです」
「過半数オーバーしてんじゃねぇか」
マギアのつっこみにエーアデはゆっくりと目を瞑って話を続ける。
「要するに、俗に賢者と呼ばれているエルフは三割しか存在しないのです。ドワーフからはエルフは出し惜しみをしている、とよく言われますがそれは間違いです。ポンコツが多いので結論が出せないのです。ただ、そのポンコツも三人集まれば話がまとまり、良い結論を導き出すことができるのです」
カッ、とエーアデは両目を見開いた。
「三人集まれば文殊の知恵ってやつかな?」
ユルバンの疑問にマギアは、だな、と頷いた。
「それを地でいくような連中ってこった。よく絶滅しなかったなぁ」
マギアの言葉にエーアデは少し眉間に皺を寄せる。
「いえ。数は減少しているんですよ。おそらく、ゆっくり絶滅に向かっているんだと思います」
(そんな生き物達が載ってる図鑑があったな……)
マギアは以前ルシファーの書斎の本棚にあった日本製の図鑑を思い出していた。こんなことで絶滅してしまうのかと読んだ時は嘆いたが、目の前で本人の口から聞かされると残念だ、としか言えなかった。
成る程なぁ、とユルバンは頷いた。
「だから師匠に頼もうとしたんだね?身内があの日記を読んだら卒倒してしまうから」
「卒倒するならまだましですよ。エルフによっては、ショックで死んでしまいます」
エーアデの言葉にユルバンとマギアは絶句する。
(何て脆弱な種族なんだ────!)
けど、とマギアは前脚を組む。
「あの日記にそんなショック死する程のこと、書いてあったかぁ?ポンコツだってのは、お前ら自身がよくわかっているだろうし、今更ポンコツ歴史書を見ても死にやしないだろ」
「ところがどっこい」
マギアの疑問に、エーアデとは別の声が答える。鈴を転がしたような、愛らしい美声。まるで綿菓子のようにふわりふわりとしていて甘い。
ユルバンとマギアが声の方を向くと、テラスからひらりと人影が一人と一匹の前に踊り出た。それはまるで、花びらが風に舞い上がるように。
彼女の外見年齢は十代後半から二十代前半位で、ルシファーよりは上背があるがエーアデよりは小柄な女性のエルフだった。
女性エルフはお淑やかにお辞儀をした。
「あたくしはミルヒシュトラーセ────エーアデの祖母です♡」
ふふっ、と少女のように屈託な笑顔を見せるエルフを、ユルバンとマギアは怪訝な表情で見つめた。
この度は第十五話目を読んでくださり、ありがとうございます。
新しい月に切り替わり、一年もいよいよ半分になってしまった今日この頃。十五話もよく投稿したな、と我ながら驚いてます。
次回もご縁がありましたら、よろしくお願いいたします。




