森の脅威
グギュゥグゴゴ………
魔物の声のような音が森の中響き渡る。
「はらへった……」
思わず呟いた私の声に精霊達がソワソワしだしたから、果実は大丈夫!と宥めながら森を進む。
今日は薬草採取と食料を手に入れるために森へと入った。お肉…魔物狩りは無理でも魚なら……と、森の中にあるという湖に向かっている。
冒険者も討伐依頼で訪れる森。かすかに聞こえてくるのは、遠くのほうからもれ伝わる雑踏の気配で、それが人の声なのかどうかもわからないくらいだ。
あとは何かをあさる野鳥が立てる、ガサガサという音くらいだった。
そんな森を精霊達に導かれながらサクサク歩く。焼魚…久しぶりのタンパク質…と考えながら進んでいると、精霊が慌てふためきだす。
「どうしたの?」
私の声に被さるように、森の奥からギャァァァァッと叫び声が響き渡る。
「何?!」
さっきまで聞こえていた野鳥達の音も聞こえない。精霊達を見なくても異常な気配はわかる。
「これってもしかして、近く大物がいるとか……」
声を潜めて一人呟く。身震いするのをなだめるように腕をさすった。
逃げるか…いや、私の足では間に合わない気がする。身を屈め、岩と草の間から異音がした方を見ていると、私の周りでも精霊達が、まるでそっちにいる大物が視界に入ってるのか視線を一点に集中していて、そこから目を離さなかった。
威圧感が、どんどん近付いてくる。そこまでスピードは速くないんだけど、まだ視認できないっていうのがなんか、おかしい。てっきり大きな魔物かと思ったんだけど、もっと小さくて強い魔物なのかな。
ドゴッ
大きな音をたて樹の間から飛び出してきた魔物は巨大な猪の姿で黒い靄を放ちながら冒険者達を追いかけているようだ。冒険者の一人が投げたナイフが目に刺さり身の毛もよだつ咆哮を上げた。
うわ、鳥肌が立った。何今の声。威圧ともまた違う咆哮。
剣士3人組の冒険者達も顔を険しくしながら剣を構えて一斉に魔物に飛び掛かっていく。
出てきた魔物は、イノシシというよりは小ぶりのマンモスのような、もさっと毛の生えた全身で、口から生えた牙は頭の上まで伸びている。大きさは大人の頭の高さくらいだから、魔物にしてみたらそこまで大きくはないんだろうけれど、全身から立ち上がる黒い靄が、見ているだけで鳥肌が立つような様相を呈していた。それだけだったら、もの◯け姫に出てくる乙◯主のような見た目。違うのはその顔。十字を切るように縦横半分に裂けて、中にびっしり生えた尖った歯が、威嚇するたびにちらりと見えた。うえ、気持ち悪い。顔が4つにわれる魔物とか、初めて見た。
片目を潰された魔物は、より一層黒い靄を吹き出しながら、さらに酷い咆哮を上げた。
途端に身体が硬直する。鳥肌が凄い。ぞわっと背筋を何かが駆け上がっていって、途端に足が重くなった。
う、ヤバい今の咆哮で硬直しちゃったかも。小石が飛んでくるが、何かに弾かれた。ふと視線を動かすと、絶えず周りを飛んでいた精霊達がバリアのようなものを張ってくれてるようだ。
それによる安心と、さっきの咆哮による恐怖が一気に押し寄せ、さらに体が硬直し嫌な汗が首筋を流れる。
咆哮を上げる魔物の赤い瞳が、近くにいる剣士をじろりと見下ろした。
『グオァァァァ!!』
いきなり頭を剣士に目がけて振り下ろし顔じゅうの口が迫まる。
「ひっ!」
あまりの恐怖に目を瞑ることも忘れて、ただ目の前の戦闘を見守る事しかできない。
魔物は顔の一角を切られて、暴れていた。
「悪い、少しの間動けなくなってた。怪我は?」
「大丈夫、どこも怪我してない」
冒険者達も魔物の咆哮で体が固まっていたようだ。硬直から解放された今、連携で攻撃を加えていた。
魔物の咆哮と、剣の音、そして樹の倒れる音があたりに響く。
それに負けないように声を張り上げる冒険者。
「俺が隙を作る!」
「わかった!」
剣を構えて魔物へと切り掛かる。
次の瞬間、またもあの身の毛もよだつ咆哮が耳に突き刺さる。
咄嗟に耳を抑え、怯えるな!怖気付くな!動け、動け!と気合を入れると、ノロ……と体が動いた。
よし、動く!
硬直はすごく短く済んで、私は慌てて魔物の方に目を向けた。
魔物の首が後ろに曲がり、小さく澱んだ瞳が一人の剣士を睨んでいる。
あの剣士、完全に硬直してる!ダメだ、ダメ!
「ダメ!」
私の叫びは、魔物の咆哮にかき消された。
仲間の剣士が飛び出し、魔物の牙を剣で弾いていた。手から剣が飛び、腕がビリビリと痺れているのか顔を顰めている。
その間に魔物に睨まれていた剣士の硬直も治ったらしく、顔を顰めている仲間の横をすり抜けて、魔物を切り上げていた。
瞬間、またも咆哮が放たれる。
顔じゅうの口からは涎がダラダラと垂れ、一本の牙は折られてすでに煙のように消えている。
今回は身の毛もよだつ咆哮じゃなかったせいか、私はちょっと身を竦めたくらいで済み、冒険者達も硬直することなく攻撃を続けていた。
『ゴォォアアアア!』
なんの前振りもなく、魔物が身体の向きを変え、勢いよく身体を捻った。するとさっきまで短かった尻尾が、鞭のようにヒュン、と伸びて、冒険者達を一閃していく。
ビシィっと抉られるような重い音が響き、その尻尾攻撃によって冒険者達が一斉に弾き飛ばされた。
私は離れた岩の影に隠れていたからその尻尾の餌食にはならなかったけれど、攻撃がクリーンヒットした冒険者達の胸当ては、その一撃で壊れたのか、ぼろぼろの胸当ての間から、抉られた胸元が見えた。
間髪入れず魔物の噛み付き攻撃が繰り出されたけれど、剣で撃退。
とどめ!
ぼろぼろの状態で立っている魔物に一撃を加えた瞬間、ようやく魔物は身体を地面に沈めた。
ゆっくりと、身体が煙になっていく。消えていく煙を見ながら、私は静かに息を吐いた。
「やべえぐらい強かったな」
「つうか霊鬼に遭遇するなんて最悪だな。素材もとれないし。この辺は最近、魔物ばかりだったから油断したな」
「あぁ、とりあえず街に帰ろうぜ。ギルドへの報告もしないといけないし、装備もボロボロだ」
そんな会話をしながら去っていく冒険者達。そっと草むらから出てさっきまで戦闘していた場所を見る。
普通、魔物なら遺体がある。解体して素材や肉を得るのだが、さっきの魔物は何も残らなかった。
「魔物とは違うのかな。霊鬼ってたしか言ってたね」
あの黒い靄が魔物との違いなのだろうか。異世界不思議生物発見だな。
「やっぱり……私に討伐は無理だなぁ……」
現実を再認識した。怖かった。まともな戦闘を初めて見た。下手したら私は今頃、あの口の中に……。考えるだけで体が震える。自分で自分の体を抱くように握り、震えを必死に抑える。そんな私の手に、精霊の小さな手がそっと添えられる。
「いつも魔物が来る事教えてくれてありがとう」
精霊達にお礼を言うと、いつも決まって体をくねらせる。これは精霊達の嬉しさを表す踊りなのかな。
よ~し、怖い物も見たし、冒険者以外の生計の立て方も考えていこう。
いまだドキドキしている胸を押さえ、当初の目的である湖へと向かうが、私は忘れていた。釣竿も何もない事を。
当然、手掴みで魚はとれず、項垂れながら帰路についた。