「生き残り」
その後世界が変わるのに、そう長くはかからなかった。半年後に計上された下半期の自殺者・行方不明者の数は過去最高で、でもそんなこと言われないでも分かるくらい、明らかに子供の声が聞こえなくなった。景色が心なしか色褪せて、ほんの少し、街が臭くなった。
もちろんこうなるまでに、全くの抵抗がなかったわけではなかった。たとえば例の調査委員会が、「ブルーバードの服用を必ずしも否定するわけでは無い」という見解を度々認めてくれたり、厚生労働大臣が主導のもと、政府が手当たり次第の財政改革に励んだりと、色々な努力が毎日のように尽くされていった。
でもそれでどうにかなるわけではなく、というのも予算不足や人手不足とかいう現実的な理由に留まらない、むしろ空想的とも言える沢山の思惑に足を引っ張られた結果、今日の日常が出来上がってしまった。
「生き残り」なんていう如何にもな言い回しが、メディアやネットで頻繁に用いられるようになったのは、数か月前のことになる。
別に間違えてもいないこの肩書きを、ただ無視さえ出来れば良かったものを、わざわざ流行語に取り上げて、あろうことか“魔女裁判”にまで発展させた最初の人物は、一体どこの誰だったのか。
またほんの少し配慮の足らなかったこの冗談に、「デスゲームじゃないんだから」なんていう悪意の尾ひれをくっつけては、犯人捜しならぬ“裁判員捜し”を盛り上げようとした最初の輩は、一体どこの馬の骨だったのか。
はじめこそ沢山の人が抗って、そんな話をしている暇じゃないと説得にまわろうとしていたけれど、そんな声も時が経つにつれ、だんだんと埋もれていった。
今となっては、「こんな国じゃ当然の選択だった、名誉の自殺だ」とか、「自殺者は高卒・専門卒、とんで院卒エリートに多いらしい」とか、「鉄食器や陶器よりも安全な紙製品を使おう」とか、「死ぬ前に大切な人へ感謝のお手紙を」だとか、「生き残りはサイコパス」だとか、表現の自由を味方に、言いたい放題だ。