後編
家の中は重苦しい空気が流れていた。
リリィ姉さんは部屋に閉じこもって出てこなくなった。
彼女が乱暴されたという事実をケイト姉さんとアリス姉さんは親達に隠していた。
学校で酷いいじめに遭って、それで部屋から出れなくなった、という事になっている。
リリィ姉さんは毎晩の様に悪夢にうなされ飛び起き叫んだ。
何か姉さんを癒す手段は無いかと自分のスキルを探ってみたが心のトラウマを取り除く様な魔法は無かった。
俺は、無力だった。
□
「あの、ホマレ……」
2階のホールで考えごとをしているとリリィ姉さんが姿を見せた。
「姉さん!」
かけ寄りたい衝動に襲われるが話しかけつつも逃げ腰な姉の態度を見て抑え込んだ。
先日、俺の腕を払いのけたことからも姉さんにとって男は恐怖の対象となってしまったのだろう。
それでも、姉さんは俺の前に出て来てくれた。
「どうしたんだい、姉さん?」
「その……この間はあんたの手を払っちゃってごめん。それで、その……これ、お詫びに」
姉さんは小さな小物入れを差しだしてきた。
これは確か5歳の誕生日に母親から貰い、姉さんがずっと愛用していたものだ。
「その、あんた男の子だし何あげたらいいかわからなくて……」
「でも、大切なものだろ?いいのかい?」
「うん……その、大切だから。あんたに持っててもらいたい……」
こうやって話をするだけでも恐怖にさいなまれているのだろう。
長く話をさせるのもかわいそうだ。
「ありがとう。それじゃあ使わせてもらうよ」
「あのさ……ホマレ。あんたが生まれてきた日の事だけど」
意外にも姉さんの方から留まって話を続けてくれた。
「嬉しかったよ。初めて弟が出来て、それまでだって私はお姉ちゃんだったけどあんたのおかげでお姉ちゃんとしての自覚が芽生えて、それでその、楽しかった。あんたは自慢の弟だから……だから、愛してるよ。ホマレ」
その言葉を告げ、リリィ姉さんは部屋へと戻っていった。
「姉さん……」
『愛している』
その言葉に俺は思わず舞い上がってしまっていた。
本当は気づくべきだったのに。
今起きた一連の流れが『ある出来事』の前兆である可能性に。
姉さんがケイト姉さんやアリス姉さんにも何かを渡しているのを見た。
気づくべきだったのに……
□□
夜中。
俺はトイレに目が覚めた。
リリィ姉さんの部屋の前を通った時、小さな胸騒ぎを感じた。
だけど俺は気づかずトイレを終え部屋に戻る。
ベッドに戻るもやはり胸騒ぎが収まらない。
飛び起き、リリィ姉さんの部屋に行く。
「リリィ姉さん……起きてる?」
返事はない。
つばを飲み込みドアノブに手をかけ静かに引いた。
鍵は開いていたが何かが引っかかっている重みがあった。
ああ、ダメだ。これは………頼むから違っていてくれ。
「姉……さん?」
彼女はドアに背を預けぐったりしていた。
まったく、こんな所で寝入ってしまうなんて。
そう言えたらどれほど良かっただろうか。
姉の首に巻き付いているシーツはそのままドアノブに繋がっていた。
世界がぐらっと傾くのを感じた。
「嘘だ!そんな、姉さん!駄目だ駄目だ!こんなの絶対!!」
俺は半狂乱になりながら叫び、姉の首に巻きついているシーツを外す。
叫びを聞きつけ隣の部屋から出て来たケイト姉もその光景を見て悲鳴を上げた。
「リリィ!?お父さん、お母さん!!誰か、誰か来て!!リリィが!!!」
やがて親達が次々と駆け付けて来た。
母さんが無理やり俺を姉さんから引きはがす。
「離して!離してくれよ!姉さんが!!!」
皆が必死に応急処置を施していく。
だけどやがてアンママが項垂れ、メイママが姉さんにすがりつき号泣し、父さんが床を殴りつけた。
「嫌だ……姉さん、嫌だ!!姉さん!!!」
絶叫する俺は気づけば見覚えのある空間に立っていた。
□□□
どこかの神殿を思わせる空間だった。
その奥にある玉座に座る男が居た。
「久しぶりだな」
俺を転生させた神がそこに居た。
「神様……悪いけど後にしてくれ。姉さんの所へ行かないと!!俺の回復魔法を使えば」
「お前の姉は死んだ」
無慈悲な神の言葉に息を呑んだ。
リリィ姉さんが……死んだ?
「お前の願いを聞く代わり、いずれ代償を払ってもらう時が来る。私はそう告げたはずだが?」
「そ、それは……」
『俺の事を愛してくれる家族の元に生まれたい』
ささやかな願いだった。
神はそれを聞き入れる代わり代償を払ってもらう時が来ると確かに言っていた。
まさか、それが今?
「願いの代償。それはお前が最も愛する人の運命だよ」
「まさか姉さんがあんな目に遭ったのって」
「本来なら彼女はこのまま幸せに成長していきギルドに就職しある男性と出会い幸せな結婚をする。そういう運命だったはずだ。だけどお前の願いによりその運命は変わった」
そんなの酷すぎる、
確かに俺は代償がある事を受け入れた。
だけどまさか愛する人が被害を被るなんて。
リリィ姉さんは悪くないのに何でそこまで酷い運命を背負わせるんだよ。
「ダメだ!止めて!止めてくれよ!!姉さんを連れて行かないで!姉さんを助けてくれ!何も悪くないのに!俺の、俺なんかのせいでこんな」
神のもとに駆け寄りその足に縋りついた
「頼む。姉さんがあんな目に遭う必要なんて無いんだ。姉さんを助けてくれ。俺はどうなってもいいから。だからリリィ姉さんを助けてくれ!!」
神は無言だった。
それでも諦める事なんて出来なかった。
ひたすら神に懇願を続ける。
そうしてやがて、神が重い口を開く。
「例えばだが、私がお前に与えたスキル。それを全て返せと言ったらどうする?言語理解とかは必須だから残してやろう。だけどこれまでお前の新しい人生をバラ色にしてきた数々のスキル。それを手放す覚悟はあるか?」
「そうしたら……姉さんを助けてくれるのか?」
「完全には助けられない。彼女が既に受けた心の傷は無かったことには出来ない。それでも、幾つかの事実は変えられなくもない」
「姉さんは、自ら命を断ったりしないのか?」
神は黙って首を縦に振った。
「だがわかっているのか?神童ともてはやされたお前は全てのスキルを返却して凡人となる。そこには当然、『神の愛情』も含まれている。その意味が分かるか?」
「あっ…………」
あのスキルが無くなればどうなるかわからない。
もしかしたら前世の様に惨めな思いをする日々がまたやって来るかも……リリィ姉さんだって俺の事を可愛い弟として扱ってくれなくなるかもしれない。
それでも……
「構わない。全部返すよ。手放す!だから、だから姉さんを返してくれ!俺は姉さんが生きていてくれるなら、スキルなんていらない!!」
「……あいわかった。契約は成立だ。さぁ、戻るがいい」
身体から力が抜けていくのを感じた。
そして気づいた時、俺はベッドの中に居た。
時計は先ほど起きた時と同じ時間を指していた。
□□□□
ベッドから飛び起きてリリィ姉さんの部屋へ向かう。
自分の身体を確かめてみる。
かつて俺の中に溢れていた力は微塵も感じなかった。
鑑定スキルも使えなくなっている。
どうやら本当に、神にスキルを返してしまった様だ。
突然、目の前でガチャリとドアノブが動く。
心臓が掴まれたような感覚に襲われた。
まさか扉の向こうではまた……
「え、ホマレ!?あんた私の部屋の前で何やってんの!?」
不安は外れ、目を丸くしたリリィ姉さんがそこに立っていた。
「ああっ、リリィ姉さん。良かった……」
「は?な、何が?てかだから何でここに居るのよ?まさか私の寝姿を覗きに?いや、流石にそれは引くんだけど……」
「えっっと、いや、ちょっとトイレに……えっと」
「ははーん。あんたさてはトイレに起きたはいいけど怖くなっちゃって途方に暮れてたのね。つまり、お姉ちゃんについて行って欲しいって」
「え?いや?その……あの、リリィ姉さん。俺の事、怖くない?」
リリィ姉さんは首を傾げた。
「何で弟を怖いと思わないといけないのよ?」
「え、でも男の人が怖かったんじゃ」
リリィ姉さんの表情が一瞬曇る。
「ま、まあそうだけど。あんたは大切な弟だし。まあその、触るのはちょっと怖いけどね」
「大切な……弟」
あれ?
おかしいぞ、『神の愛情』は無くなったはずなのに。
不意に、リリィ姉さんが俺の頭に手を伸ばし撫で始めた。
「やっぱり男の子よね。小さかったのにすっかり抜かされちゃったわ。まあ、それでもかわいい弟であることに変わりはないけどね」
俺の頬が熱いものが伝う。
ダメだ、もう感情が抑えきれなかった。
「ええっ!?ホ、ホマレ!?」
大声をあげて泣いていた。
涙が止まらずひたすら溢れ続けた。
「ちょっと、この声ってホマレ!?どうしたのよってリリィ!?」
俺の声を聞きつけたケイト姉さんが部屋を覗き驚きの声を上げる。
更にアリス姉さんもやって来た。
「うぇ!?何これ?リリィ姉ったらホマレを泣かせたの!?ボクの弟を泣かしちゃった!?」
「あんた、やるわね……」
「ち、違うって!ていうかだから『私達の弟』なんだから!そこ重要!!」
「もう……やっぱりホマレもまだまだ子どもなのね」
ケイト姉さんがちり紙で俺の鼻水を拭いてくれた。
「あはは、何か昔を思い出すね。ほらほら、泣かないで」
アリス姉さんも涙をぬぐってくれた。
昔と変わっていない。優しい姉さん達のままだった。
やがて父さん達も起きて来ていつの間にか全員集合して結局深夜のお茶会が開催されることに。
やっぱり家族は何も変わっていない。
この日を境に俺はスキルを失いこれまでちやほやしていた連中も手のひらを返したように俺から離れていった。
これも『神の愛情』を失った影響だ。
俺は幼少期から築き上げて来た名声を一瞬で失くしてしまった。
でも、嬉しい事もあった。
リリィ姉さんは少しずつ部屋から出てくるようになってくれたのだ。
間違いなく俺はスキルを失っている。
だけど家族の俺に対する態度は何一つ変わっていなかった。
変わらず俺を愛してくれる。
そんな家族のままだった。
チートスキルなんて最初から俺の家族には必要なかった。
この世界は、新しい家族は俺を変わらず愛してくれていたのだ。
□□□□□
あれから約10年が経ち……
「私、ユリウスと結婚することになったよ」
リリィ姉さんの報告を聞き、寂しさと喜びが混じり合った感情が溢れて来た。
男性恐怖症はあの後もリリィ姉さんの人生に影を落としていた。
だけどそんな姉さんを闇の中から救い出してくれた男が居た。
「おおっ、そうかぁ。遂に姉貴が結婚かぁ。かーっ、ユリウスの義兄貴も幸せもんだなぁ。おめでとうな、姉さん!」
「ん。ありがとう。ていうか何よ『姉貴』って。昔は『姉さん』だったじゃない」
「いや、何て言うか、ケジメ?」
「意味わかんないわね。まあ、あんたらしいと言えばあんたらしいね」
ごめんな。
俺が神様に願い事なんかしたせいで運命を狂わせてしまった。
でもな、例え思いが絶対に実る事が無いってわかっていてもやっぱり俺はあんたを愛してる。
この想いを胸に、俺はこの先も生きていくよ。
あんたの幸せを願いながら……