スプリングサンダー
殺人も発生しつつ、校内トラブルシュート回です!
(1)
古風なランタンが1つだけ灯された、夜の廃工場にくぐもった声が響いていた。二人分の悲鳴であった。
ジャコジャコジャコ・・几帳面ともとれる金属音も合わせて響く。
金属音は登山ナイフを研ぐ音だった。水ではなく油を使って研いでいる。
研ぐ者は髪は長く、不織布マスクはしていたが、目元は特に隠していなかった。
側の床に固定された椅子に猿轡を付けられた二人の男女が拘束されており、女の方は既に失禁している。
「・・・」
登山ナイフを研ぐのを止め、目の細かい布でそれを拭き、眺め、砥石の近くのトレイに慎重に置いた。そこには様々なナイフが並べられていた。
ナガサ、ブーツナイフ、タクティカルナイフ、フローリストナイフ、カランビット、ガットナイフ、バックロックナイフ、ブッシュナイフ、シースナイフ、ククリ、スキナーナイフ、ダガー、プッシュダガーナイフ、テーブルナイフ、出刃包丁、ダイビングナイフ、スローイングナイフ、ブッチャーナイフ、クリスナイフ、ブックナイフ、安全剃刀・・・等々。
「んーっ! んーっ!!」
女が一際大きな声でくぐもった声を上げた。
不織布マスクの者はそちらを全く見ずにブッチャーナイフを無駄の無い動きで投げ付けた。
ゴッ! と鈍い音がして、血飛沫が飛び散る。
「んんんんんんっっっっ!!!!!」
呻いて激しく身体を震わす女。保ってきた隣の男も、涙と鼻水を流して失禁した。
不織布マスクの者はまるで構わず、開けていたトランクから今度は十徳ナイフを取り出して拡げ、それを几帳面に1つ1つ油で研ぎ始めた。
マイナスドライバー、プラスドライバー、糸切り鋏、缶切り・・等々。
暗闇の中、それは厳粛な規律を持って実行されていった。
(2)
お風呂で原付の人を呼び出してから3日間。脳ミソを使い過ぎた私は殆んど眠って暮らしていた。
幸い、事故のショックだろうと思われたり、そもそも私は寝込みがちなので世話になってる親類からはさほど不審に思われなかった。
私がダウン中の為にミマタも大人しいもので、寝ている私の布団の上に乗って減らず口を叩いたり、部屋の中をウロついて減らず口を叩いたり、本棚の上に登って見下ろしながら『小さいヤツだよ、お前は』等と言ってくるくらいで、まぁいつも通りだった。
そして4日後の朝、目覚めると私は完全復活した。
起きた私はまず、ミマタに『オイっ、いよいよ頭のネジが跳んだか?』と嫌味を言われながらもたっぷり2時間、汗だくになるまでラジオ体操をした。
それからシャワーを浴びてトースト2枚にあんこの缶詰2缶を全部乗せ、その上に蜂蜜と練乳をたっぷりかけて皿に盛ってココアを飲みながらナイフとフォークで食べ尽くし、エネルギーを脳に蓄えた。
そのまま、のしのしと勢い込んで2階の自室に戻った。
「よしっ!」
『何がよしっ、だ。お前、血糖値って概念知ってるか?』
「すぐ使うからっ」
私は机に勉強道具とタブレットを拡げ、手付かずの通信高校のレポートに猛然と取り掛かり、それを片付けると一気に復習。復習が済むと予習に取り掛かった。
平日の昼間は家に誰もいないので、夕飯の時間までぶっ通しだった。
私がミマタを使わなくても成績がいいのは私がラジオ体操と勉強を同じような感覚で取り組めるからだと思う。
「後は今週分の登校するだけっ」
振り返るとミマタは夕日の差す布団の上で丸くなっていた。透けた黒い玉、って感じ。でもちゃんと布団は凹んでいる。私の脳が補完しているんだと思う。
『お前は研究職か作家にでもなればトラブルなく暮らせるだろうよ』
眠そうにオッドアイを半分開けて言ってくるミマタ。
「ちょっと! 人を八社先生みたいに言わないでっ。井佐原さんの丸パクリだし」
『お前が頭割られず刺されず、俺様が分離しなけりゃ八社鶴子のバージョン違いに仕上がったんじゃねーか?』
「何バージョン違いってっ。人を工業製品みたいに」
『人間が工業製品より高等みたいな口振りじゃあねぇか? おお??』
ミマタは起き上がって伸びをすると、いきなりジャンプして、いくらか距離をテレポートして私の頭の上に着地して座った。
「それ、ビックリするからやめてくんない?」
『距離が遠過ぎると、猫が高速で飛んでくるみたいになって余計怖いぞ?』
「まぁそうだけど・・もうそろそろ晩御飯だから下降りるから、一回消えといてよ?」
親類との夕飯は何年経っても慣れない。ミマタが出現した状態だと会話の揚げ足を取りにくるから余計ややこしい。
『その前に明日の登校日の作戦のおさらいをしておくぞ?』
「作戦? レポートも予習も復習も終わったけど??」
私はサークルもクラブもやってないし、友達もいない。通信だから私みたいな単位だけ取りに来てる子の方が多数派で特に浮いてもない。なんの作戦が必要なんだ?
『明日、お前の学校の同学年で7件から8件、喧嘩が同時多発的連鎖的に発生する。いずれも放課後だ』
私は死角にいてもミマタがどんな様子かわかる。ドヤ顔で言い切っていた。
「・・で? 喧嘩ぐらいあるでしょ? 学校だよ?」
まぁ私が言うのもアレだけど、通信高はデリケートな子が多いからちょっと心配かな? とは思う。
『ふんっ! パワーアップした俺様の予測では』
「あんたパワーアップしたの?」
『お前が無駄にイタコみたいな真似をしたりしたからなっ』
「うっ・・」
意図せず自主トレして感じ?
『とにかくっ! 箭子よっ、これらの喧嘩はお前が俺様の力を借りれば全て軟着陸させることが可能だっ! お前は明日っ、学友どもの喧嘩を全て解決するのだっ』
ドヤ顔2回目。
「・・・え? あんた、ミマタちゃんよ。そんなお節介焼きだっけ??」
『違うっ、バカめっ! 違ーうっ!! ちょっと片手を上げろっ』
「は?」
話の流れからして意味はわからなかったが、拒否るとさらに不機嫌になりそうだったので頭の上のミマタの近くまで右手を上げてみた。
すると、ミマタは蛇のように尻尾を伸ばして私の右手に絡め、さらにその尾をバリッと放電させた。
「あ痛ぁっ?!」
慌てて手を引っ込める私。
「何その技っ?!」
『ふふっ、触れた部分に干渉して誤認識させた。静電気を喰らったみたいだろう? お前以外にも効くことは実証済みだ』
「いつ実証したの?!」
『お前が寝惚けでいる数日の間、お前と同席したり廊下で擦れ違ったお前の親類どもに喰らわしてやったぜっ』
「喰らわすなよっ?!」
何してんの?? というかなんの話だっけ?! なんで私、コイツの必殺技みたいなの喰らわされた??
『俺様はこれくらいパワーアップしているっ! だが、まだ足りないっ。お前が籠りがちなこともあってはっきりとは探知できていないが、この街でヤバいことが起きつつある。あるいは既に起きているっ』
「嘘・・」
なんかニュースあったっけ?
『通常ならばよほど不運でない限り当事者にはならない。だがっ! 俺様達は別だっ。事が顕在化すれば、俺様もお前もっ! おそらく自動的に対処するハメになるっ。八社が探偵がいるから事件が起きる等と言っていたが、事件が起こるから探偵するハメになるっ! とも言えるっ。ということだっ』
「あんた八社先生の例え好きね」
『お前の人間関係が狭過ぎるから俺様の語彙が限られているだけだっ!』
「それは・・しょうがないじゃん」
情報が多いと頭が疲れるんだよ。
『とにかく俺様達には演習が必要だっ!』
演習って。
『この気配はアイツとは別件だが、力を高めねばならんっ。学生の喧嘩の処理くらいちょうどいい肩慣らしだ』
なるほど、そういうことね。事件云々の方は井佐原さん達を絡めた方がいい気はするけど。
「・・わかった。やってみるよ」
『わかればいい。お前は俺様の言う通りにしていればいいのだ』
「はいはい」
コイツ、こればっかり言ってくるな。
『作戦名は既に考えてある。名付けて・・スプリングサンダー作戦だっ!!!』
ドヤ顔3回目。というか、何その作戦名? 微妙にファンシーだし。まぁ私のセンスなんだろうけど・・。
(3)
というワケで放課後。普段は情報が多くて疲れるからミマタは引っ込めてるんだけど、作戦決行中なのでミマタを頭の上に乗せている。
ヤツは集中しているらしく、パリパリと帯電している。今までは見た目だけだったけど、今はその気になれば実害があるので油断できない。
『最初は?』
人前なので心の声で話し掛ける。
『2ーAの佐藤と一條だ。走れっ! 状況が変わるっ』
『佐藤って、どの佐藤だっけなぁ?』
私は心の声でボヤきながら廊下を走り出した。ウチの学校の登校日は通常5限までしかコマが無く、担任制度もクラス制度も無い。
2ーAというのも2年用の普通授業A教室という意味だ。
人の出入りはごちゃついていて、ホームルームなんて無く、締まり無く最後の授業終わりにモタモタと教室から出てきたり、廊下でのんびり喋ったりしている子達が物凄く多いっ!
着用義務の無い上にバリエーションの多い制服の着用率は男子1割、女子3割っ! 自前の制服を着てくる子も少なくなく、統一感は無く、見てるだけで疲れてくるっ。
『いやっ、これっ! 7~8件トラブルシュートなんて無理くないっ?! 時間制限どれくらいよ??』
『いけるっ! 合わせろっ』
ミマタは私の頭から飛び降りると、放電しながら人の波を縫うように駆けだした! ミマタに触られた子達は静電気で弾かれように身を引き、道が開けてゆくっ。
「痛っ?!」
「何っ?!」
「ええっ?!」
私は驚く生徒達の間を身の縮む思いで走り抜けた。
『私っ、どーなっちゃうんだっ?!』
『妖怪静電気娘っ、とでも名乗ったらどうだ?!』
『うっさいっ!』
私達は文字通り稲妻如く廊下を駆け抜け、2ーA教室まで来た。
「話、違くないっ?!」
「違くなくないっ!」
佐藤美嘉と下の名前知らないけど一條さんが言い争ってるっ! キタぁっ。
『慎重に近付き、観察し、会話を聞き取れ。初手でミスるとタイムロスに繋がる』
『タイムロスて・・競技みたいに言うのどうなの?』
私は得意技のスマホをイジるフリをしながら佐藤美嘉と一條さんにどんどん寄っていった。怪しい。我ながら自分が怪し過ぎるっ!
走ってきたから呼吸が荒く、擦れ違う子達をギョッとさせてるし・・。
ミマタは定位置の私の頭の上にテレポートしてまたパリパリさせながら観察に専念しだした。
「私が先にまつのん達と鶏ギャングに行くって約束したじゃんか?!」
説明しよう。鶏ギャングとはこの学校からそこそこ近い所にある安い焼き鳥チェーン店である。
最近大手の焼き鳥チェーンに負けて売り上げが落ちてしまい、店長がヤケクソで酒無し高校生割り引きを始めた結果、連日ウチの学生だらけになっている。
鶏ギャング→駅前のちょっと高い雑貨屋→近くの本屋orギリ徒歩で行ける隣街の映画館or駅裏の老舗のパーラー。
というのがウチの学校の、非スポーツ系女子グループながらアクティブに行動するタイプの女子のトレンドだ。
私はどのグループにも入ってないから遠巻きに観測してるだけだけどっ!
あとは、まつのんというのは確かスマホの販売詐欺でこの間、補導されて退学した子だけど、一條さんはまだ親交がある気配??
「一條より阪下達と先に約束してたし、送信したじゃん先週っ!」
阪下は放課後仲間と段ボールアート作ってるツナギしか着ない女子。朝から段ボールを触ってるから近付くと段ボールの臭いがする。
「してないしっ! 見てないしっ! まつのんが退学してるから嫌なだけだろっ?!」
「違うっ! 違うっ!!」
倫理観を問われてヒートアップっ! ・・これ、無理くない?
『送信はしている。だが一條は読めない』
ミマタはパリパリしつつ淡々と言った。
『どゆこと? どっちも嘘吐いてる感じはしないけど』
『佐藤美嘉は言い争ってる一條カズミではなく、一條カナに誤送信している。カナの方は小学校卒業以来疎遠で意識の外にあり、相手からも既読スルーされたので気付く切っ掛けが無い』
『私、一條さんの下の名前だけじゃなくて、佐藤美嘉が疎遠な小学校時代の友達の下の名前まで知ってたの??』
誤解の理由より、そっちの方がビックリ!
『佐藤美嘉と同じ小学校を卒業した者がこの学校に2人いる。この3者との直接、ないし間接的な会話や話題の中に、一條カナの存在と佐藤美嘉との関係性があった』
・・プライバシーもへったくれもないな、と。
『一條カズミはまつのんの更正に関して義務感を抱き、ナーバスにもなっている。気を付けろ』
『そう言われてもねっ!』
私はわざとらしく、咳払いをした。殺気立った2人の視線が私に向く。恐っ。
「いや、たまたま聞こえたんだけどっ。それ、誤送信してない? 名前似てる人とかリストにいない?」
「・・・見てみる」
佐藤美嘉はスマホを確認した。
「あっ! 一條夏菜に送信、してた・・既読スルーされてる。・・ごめん」
スマホの画面を一條カズミに見せる佐藤美嘉。
「・・うん。わかった。それならしょうがないよ。なんか、強めに言ってゴメン」
「いやっ、こっちこそっ。あ、まつのん達も一緒にどう? 鶏ギャング、席取れなかったらミスドでもさ」
「いいねっ! ちょっとまつのんにも聞いてみるっ」
どうやら解決したようだ。ミマタを頭に乗せた私はスッとその場を去り。佐藤美嘉と一條カズミが気付いた時には2ーAにはいなかった。
(4)
『思ったより時間食ったっ! 次行こ、次っ!』
私はまた放電するミマタに先導をさせ、廊下を走った。
『ブーブー言ってたわりには乗り気だなっ』
『だってさっ! 私っ、人の役に立ってるっ! 嬉しいよっ!!』
『自己評価の低いヤツは簡単だなぁ』
そうして私はミマタの力を借りて、次々と同学年生達の喧嘩を解決していった。
数千円程度の金の貸し借りトラブル。陰口言った言わない。後輩を殴った云々。百合の三角関係。薔薇の四角関係。サークル活動方針の拗れ。
快調に解決していったのだが・・
『あと1件だよね? もうだいぶ人少なくなったし、走らなくてよくない?』
ちょっとしたマラソン大会状態だった。ラジオ体操リハビリをしたとはいえ、3日寝込んだ直後にこれは少々キツい。
『待てっ!』
ミマタが突然、走るの止めたから危うく踏みそうになった。危なっ。他の人は触れないけど、私は普通に踏めるから大変だ。
『ちょっと?!』
全身の毛を逆立ててバリバリ放電して探知に専念するミマタ。
『何してんの? 最後は蓮井君と金木さんの喧嘩でしょ?』
『・・いやっ、それは体位や行為等に関するただの痴話喧嘩の類いで優先順位は低い。だが、終業から小一時間、お前が走り回って本来少なくとも今日中には解決されないはずの対人トラブルを纏めて解決した結果、校内の人の関係性の連鎖と物理的な事象の連鎖に変化が生じた。想定を超えている。ふむ・・やはり高校という単純な社会構造で人が密集した中では運命への干渉行為の影響は大きい。バタフライエフェクトというよりも、これはビリヤードだな』
『言い方っ。で、何をどーしたらいいんだよ? なんかヤバいこと起きた?』
『起こってからでは遅いっ。行くぞっ!』
ミマタは反転して、私の両足の間を通り抜けて後ろに走りだした。
「ちょっとっ?!」
思わず声を出してしまう。
『戻るの?? どこよっ?』
『第2理科室だっ!!』
『あそこいつもしまってない?』
『理科教員の宮野は同僚の社会科教育の水川と別れ、昼、同じ職員室で昼食を食べるのが気まずい』
神経質そうな宮野と意識高い感じの水川の顔をぼんやり思い浮かべる。私とはほぼ関係無く、まともに喋ったことすらない。
『2人が付き合ってること自体知らないんだけど?』
『意識の外にあっただけだっ! エレベーターはすぐ乗れないっ。階段を使えっ!』
「嘘ぉっ」
私は妙に人が溜まってるエレベーター前を走り抜け、階段へ直行した。階段の陰ですんごいキスしてたカップルからギョっとされる。
私は踏み外した軽く死ねそう、と思いながらスピードを緩めないミマタの後を追って階段を降りてゆく。
『宮野の昼食を第2理科室で食べている。ヤツは閉所恐怖症傾向があって、ああいうガランと何もない開けた空間を好む。薬品の臭いも好きらしい』
そんな感じはするけども、そんな観察してやらなくても、とも思ってしまう。
『特に隠してもいないのでしばしば目撃されている。通常鍵は職員室のキーボックスに返しているが、これは俺様達とは無関係に、今日は自分の机に置きっぱなしにする等したようだ』
『そこは大体なんだ』
『細かな点はどうでもいい。なんにせよ生徒がすぐ手に取れる場所にそれは今日、放置された。おそらく放課後、それは速やかにキーボックスに返却されていたはずだ。だが、放課後の人の流れが変わった結果、1年生か? 廊下で理科分野に関し、宮野に質問する生徒が現れ、宮野の放課後の動きに変化が生じた。宮野のその後、1度職員室に戻っているがなんらかの用事ですぐに職員室を出て、8階へ向かいそのまま職員室に戻っていない。鍵は放置されたままであったようだ』
私達の学校はビルの中にある。8階は3年生の教室なんかがある。
『その鍵を放課後、なんらかの用事で職員室を訪れた田中孝太が奪い、第2理科室に中村圭壱と村田真津子を呼び出した。田中、中村、村田の3人は元々トラブルを抱えていたが、今日一気に先鋭化するはずではなかった』
『待って! 3人名前、似てるっ。ポーカーなら勝てそうっ!!』
『うるさい』
『うるさいって言われたっ! 猫にっ』
そうこう言ってる内に第2理科室のあるフロアまで来た。もう完全にマラソンだ。汗だくだっ。水が欲しいっ!
『状況と行為が感情を作るということもある。田中は鍵を奪うタブーを犯し、人気の無い教室に因縁のある2人と対面したことで、この後、間違いを犯すことになる』
「急に刑事ドラマみたいになってきてるじゃんっ?!」
私は人気の無い第2理科室の前まで来ていた。手前の戸が少し開いていて、言い争う声が聴こえる。
『気を付けろっ! 田中は前いた昼間部の学校の部活内イジメで逆襲して、相手を病院送りにしている。ヤツは沸点が低く、暴力の経験があり、何より自分に道義上の優位があれば私刑をしてもよい、という思考を持ってしまった』
『りょうか~い。はぁ、気乗りしないわぁ。警察に通報した方がよくない?』
『理科室で生徒が口喧嘩している、っと通報するのか?』
『・・事件にならないと無理かぁ』
私は諦めて、そっと戸を開け、しゃがんで第2理科室に入り、戸を閉めた。ミマタは私の頭の上にテレポートしてきた。
「村田は俺の彼女だぞっ?!」
「田中とは別れたと聞いたぜっ?!」
「中村は悪くないからっ!!」
『名字で凄い呼び合ってるよっ』
『面白がってる場合か。箭子よ、お前はこれからこの争いに介入し、制圧せねばならないのだ』
『制圧するんだ』
『説得の段階は過ぎた。観察しつつ、田中のやや後方、立ち上がった時に開けている場所へ向かえ。ヤツは机に挟まれ、初手が直線的になる。振り返る際の挙動で隙も観測しやすい』
『殺る気満々に聞こえるけど?』
『モンキーレンチを持ち歩いているお前から分離した猫だからなっ!』
『・・・それは、立場上しょうがないからさぁ』
『さっさと出しとけ』
『仕方ないなぁ』
私はリュックを下ろし、中からスルッとモンキーレンチを取り出した。何度か音を立てないように注意して左の掌を軽く打って感触を確かめた。よしっ。
私がいよいよ立ち上がろうとした時、
「イテっ!」
「きゃあっ」
「ふざけんなっ」
顔を真っ赤にした田中がめっちゃデカいカッターナイフで村田を斬り付けて、中村の右腕から出血させた。
『ちょっとっ! 知らせてよっ』
『短気なヤツの急な感情の爆発は読み難い。それに被害が出ないと介入の口実が無いだろう?』
『嫌な感じっ!』
私は机の陰から出て立ち上がった。
「田中っ! そこまでだよっ?!」
「ああっ?!」
バチギレした顔で振り返ってくる田中。恐っ。中村と村田は身を寄せて震え上がってる。
「なんだお前っ?!」
「私は今国府箭子っ! 武器を捨てなさいっ、田中っ!!」
「お前こそ何持ってんだよっ?! 殺る気かよっ?!」
私のモンキーレンチに関し、指摘してくる田中。
「これは家のリモコンと間違えて持ってきただけ」
「うっっるっせぇええぇっ!!!」
『右、打ち下ろし』
ミマタの言う通り、田中は私から見て右側から打ち下ろす形でカッターナイフを振るってきた。
田中の突進ルートは机が邪魔で1つしか無く、読み易くもあった。
距離感もわかる。私はそれを軽く右に躱し、自分の勢いで体制を崩した田中の左肩に、
「えいっ」
両手持ちのモンキーレンチを打ち下ろした。ボキャっ! 肩にめり込むレンチ。
実は私は、任意で火事場のバカ力ってヤツを出せるので、瞬間的なら現役バリバリの柔道部かレスリング部の男子くらいのパワーが出せる。まぁ、後で眠くなるんだけど。
「うぁああぁーーーっっ?!!」
カッターナイフを取り落とし、肩を押さえて踞る田中。私は床のカッターナイフを蹴って遠くに滑らせた。
『潰れた関節は完全には治らない。だが、これでいい。利き腕に障害に負ったことで実行力が下がり、コイツの過剰な復讐癖は一先ず収まる。後は本人次第だ』
『裁判にならなきゃいいけど』
『ここで言い感じで諭せば軟着陸できる。高卒認定の話と、中村の方に不起訴にしてやるよう言ってやれ。それで完全制圧だ! ニャハハっ!!!』
笑ってるよ。
「田中、あんた退学になるだろうけど成績は悪くはないだろ? 高卒認定取りな。現役と同じ年で受験できる。あとはあんた次第。それから中村」
「ふぇ?」
ふぇ? じゃないよ、寝取り野郎っ!
「起訴はやめてあげなよ。原因、無いワケじゃないよね?」
「うっ・・」
「中村っ! もういいじゃんっ。怪我、ちょっと切っただけでしょ?」
村田もフォローに回った。
「・・わかった。田中。俺も悪かった。起訴とかしないよ」
「ううっ、畜生・・・」
踞ったまま号泣する田中。
「中村。ちなみにその傷結構深いから、早く止血した方がいいし、救急車、呼んだ方がいい」
「えーっ?! いやなんかフラフラしてくる、っとは思ったけど?! あ、ダメだ・・」
貧血でよろめき村田に支えられる中村。
「中村ぁーっ?!」
村田の悲鳴が第2理科室に響く。
『観察してわかった。そもそもの原因は村田が田中と別れたとしらばっくれて中村と浮気したことだ。太い女だっ!』
ミマタがドヤ顔で看破したが、特に知りたい情報でもなかった。
(5)
当然の結果として私は警察署に行かざるを得なかった。ただ私の過剰防衛も起訴云々にはならないようで、停学退学等も免れられそうだった。
担当の真面目そうな女性警察官との話が終わると、入れ替わりにマリさんこと、葛井マリーネ刑事が、私が通されていた取調室でもない、格子の無い窓のある個室に現れた。
手に私のリュックとモンキーレンチを持っている。この人、見る度に小柄だな、と思う。指輪を火山に捨てにゆきそう。
だいぶ力を使ったので私が寝落ちするのを防ぐ為に、今はミマタは引っ込めている。
「ようっ! 撲殺JKっ」
「撲殺してませんけどっ」
マリさんはそんな遠く座る? という程に私から離れた席に座り、自分の手前に私のリュックとモンキーレンチを置いた。
「お前、マジでいい加減にしろよ。そろそろガチンコで、取調室でカツ丼喰わせるからなっ。今国府箭子っ!」
「すいません・・あ、井佐原さんは」
「先輩は忙しいんだよっ。そう簡単に指名できないからなっ!」
ホストみたいな言われようっ。マリさんはジロジロと私の顔を見てきた。
「なんッスか? マリさん」
「どうやってあの場に居合わせた? どうやって簡単に打ちのめせた? 田中孝太は県大会レベルだが元テニスで、現在も土建バイトをして体力があり、過去の経緯から暴力沙汰も不慣れではない。あの肩の怪我は尋常なパワーではなかったぞ?」
「火事場のバカ力です。居合わせたのはたまたまです」
火事場のバカ力はホントだ。たまたまなのは嘘だけど。
「お前はたまたまが多いな」
「えへへ」
何が、えへへ、なのかよくわからないが、取り敢えず笑っておいた。マリさんの視線が絶対零度級の温度に下がる。ヤベっ。
「・・まぁ、いい。最後に一応聞いておくぞ? 何だ、この鈍器は?」
マリさんは私のモンキーレンチを掲げてみせた。
「家のリモコンと間違えて持ってきたんです」
「お前は学校に家のリモコンを持ってゆくのか?」
マリさんは至って冷静に指摘してきた。
・・・何はともあれ警察署から解放されたが、どっと疲れた。眠い。ひたすら眠い。
もう夕方だが、空が曇ってきていた。
『さすがに派手にやり過ぎだ。暫く大人しくしておけ』
私の頭の上にミマタが現れた。
『ミマタがやれ、って言ったんでしょ?』
『俺様はお前だ。分離していなければお前が1人でやってたろうよ』
シレっと言ってくるミマタ。
『まぁ、スプリングサンダー作戦自体は大成功だったがなっ! ニャハハっ!!!』
「最悪っ」
私がうんざりしていると、リュックに振動を感じた。スマホを取り出すと甘根光晴くんからだった。
「あ、甘根くん? そうなんだよぉ。もうびっくりしちゃってさぁ。え? ああ全然全然。だいじょーぶぅっ!」
私は頭にミマタを乗せたまま、甘根くんとスマホで話しながら、曇ってゴロゴロ音を立てだした空の下、バス停まで歩いて行った。
(6)
とある9階建ての廃ビルの上階のカーテンの無い窓から、夕暮れの雲間に雷光が見えた。
細身の、胸が極端に薄い女がそれを見ていた。近くの古めかしい椅子の背に毛皮のコートを掛けている。
「テメェっ! 物谷っ。俺にこんな真似してっ!! タダで済むと思うなっ」
コンクリートの柱に拘束された、いかにも筋者といった風貌の刺青の中年男が喚いている。その近くに大きなクーラーボックスが置かれていた。男はかなり厳しく折檻された痕があった。
「この俺を舐めやがっ」
物谷と呼ばれた細身の女が振り返った。思わず息を飲む男。物谷の造形は神掛かって整っていた。
細身の女は公園を散歩するような仕草で歩み寄り、クーラーボックスの蓋にヒールの左足を掛け、軽く押すように開けた。
中には氷漬けにされた男達の生首が3つ入っていた。
「っ?!」
一気に前身から汗が吹き出す刺青の男。
「君のとこの序列2番目から4番目の人達。あ、勘違いしないでよ? 私、殺し屋じゃないから」
細身の女は刺青の男の前に足を閉じてしゃがんだ。
「君のとこの若手がもう君達いらないって、やってくれたんだよ?」
「何をっ?!」
「君さ、部下にする時も、必ずボロボロになるまで追い込んで泣きを入れさせてから取り立てるでしょう? そういういのがさ、回り回って来たんじゃない? まぁ知らないけど」
「菱生さん」
部屋に2メートルはある大男が部屋に入ってきた。片手持ちながらかなり大きなハンマーを持っている。
「どうだった?」
菱生とも呼ばれた細身の女は立ち上がり、大男の方に歩み寄った。
「今国府箭子は署から解放されてようです。常連ですよ?」
細身の女は苦笑した。
「例によって変わった立ち回りをしていました。校内で静電気騒動も起きていたようです」
「静電気・・わかった。例の件は?」
「カップルの失踪が相次いでいるのは確かです。遺体は上がってないのと、場所が転々としているので警察は後手に回ってます。ただ、やはりこの街に近付いているようですね」
「箭子と同じタイプだったら厄介だ。注意しな」
「はい。あの、アレは?」
大男は柱に縛られた男を示して聞いた。
「ああ、任せる」
細身の女は興味を無くしたようで、椅子の背の毛皮コートを取ると羽織りながら部屋を去っていった。
大男は片手持ちハンマーを手に拘束されて刺青の男に近付いた。
窓の外の雷鳴は益々激しくなりだした。
「おおっ? 待てっ!! お前、薮川だなっ?! 賭け試合やってた頃っ、一回メシ奢ってやったろっ?! ほらっ、焼き肉だったか、炉端焼きだったか・・」
「悪いな。俺は客の顔と名前は覚えないことにしてたんだ。平等だろ?」
「ちょっ」
薮川と呼ばれた大男は、窓の外の雷鳴と共に、片手持ちハンマーで軽々と刺青の男の脳天を叩き割った。