第八話
残念なおっさん、帰還する。
ここから遍堀までは、さほど距離があるわけではない。
しかし、険しい山道を騾馬と共に進むので、早くても丸一日はかかるだろう。
それも、ただの移動ではなく、魔物退治に出かけたのだ。
ろくな報奨金もかかっていない魔物にリカルドが手こずるとは考えにくいが、イーラーの言うような気軽な遠足気分という訳にはいくまい。
リカルドが薬草園を訪れた時は、まだうだるような暑さが残っていたのに、ほんの一日、二日過ぎただけで、昼下がりには涼しい風が通り抜けるようになった。
そのせいか実際よりもずいぶん長く時間が経ったような気がする。
気がつけば中秋までひと月足らずだ。
リリアンがたくさん作っておいた月餅は、イーラーがほとんどリカルドにあげてしまったので、他所から月餅をいただいても、お返しにあげる月餅がなくなってしまった。
よそ者のリリアンの作る月餅は、この辺のとは違う珍しい味で、先日、リリアンのレースを突っ返してきた市長の娘までもがレシピを知りたがっている。
薬草園の月餅が食べられないまま中秋を迎えるのを皆が残念がった。
リリアンは薬草園のお気に入りの場所に腰を下ろして咳止めのおまじないのお守り人形を編んでいた。
そこにはしばらく前から、大きくてきれいな蜘蛛が棲みついていて、器用に蜘蛛の巣を編んでいる。
「蜘蛛さんこんにちは。今日も精が出ますね。私も仲間に入れてね。」
いつもの癖でリリアンは蜘蛛に話しかける。
表編み二回で咳どめ、
裏編み二回で喉の腫れ、
表編み三回で息を楽に、
裏編み二回で喉の腫れ、
表編み二回で、、、
慎重に数えながら目を拾い、編んでゆく。
誰にでもできる害のないものだが、ひと目でも落とすと、何の効果も得られないただの人形になってしまう。
おまじないのお守りの編みぐるみは、手先の器用なリリアンに、イーラーが教えたものだ。
素人の作るものなので金は取らないが、小さな子供をもつ母親にやると喜んでくれる。
と、一緒にせっせと巣を編んでいた蜘蛛が、草を揺らしてどこかへ隠れてしまった。
人の気配を感じたのだろう。
リリアンもいつもの猫のかぶりものをつけた。
ほどなく、後ろから、
ちゃ、ちゃ、と、あの金属の擦れる音が、さくさくと草を踏み分ける音と一緒に近づいてきた。
闇の戦士リカルド・クラークソンが、お供の騾馬と黒い大きな犬を従えやってきた。
後ろから懐かしい声がする。
「今、編み物をしながらぶつぶつ言ってたが、まじないをかけていたのか?」
「口に出して数えないと、忘れてしまうから。」
編み目を拾っているので目が離せず、リリアンは手元を見ながら返事をした。
「認知症予防のおばあちゃんみたいなこと言うんだな。」
思わず、ふふっと笑いがこぼれてしまう。
きちんと挨拶をしようと振り返ると
「ひ、、、!」
と、息をのんだ。
先日見送った時と同じように、闇のような深い黒の甲冑で武装して、同じように深い黒のマントをまとったリカルドが立っている。
ただ、そのマントの襟周りと裾周りに、リリアン刺したさくらんぼ模様の刺繍レースが縫いつけてあった。
この男の前では、かぶりものをつけていて助かったと思う事が良くあるのは何故だろう。
「あ、あ、あの、それ、
そのレース。」
思わず声が震えてしまう。
「やあ、なかなか、ちょっとしたもんだろう?」
リカルドは、貴族の近衛兵がするように、マントを片側だけ肩にかけて得意げに裾を持って広げた。
「えっと、えっと、あの、その」
リリアンはどう言ったら良いのか、必死に言葉を探すのだが、何にも思いつかない。
しかし、ふと、恋人のお土産に買ってくれた事を思い出した。
かぶりものをつけているからリカルドは気がつかなかったけれど、かっ、と頬が火照るのを感じた。
それでは、いらないと言われたのだ。
市長のお嬢さんの時のように。
「やっぱり、気に入っていただけなかったんですの?」
リリアンはつとめて何でもない風に言った。
「は?誰に?」
「愛しの誰かさんに。」
「いと、、、!!
いや、ち、違うよ。」
リカルドは先日の晩に見栄を張って口走った事を思い出し、急に恥ずかしくなった。
眉目秀麗な男ならともかく、自分のような醜男が、想いを寄せる女性にそう言う経験が豊富だと思わせる事にどんな利点があると言うのだ。
金で女を買うか、何か弱味につけ込んで無理やり言う事をきかせたと思われるのがオチだ。
実際のところ、それしか方法がないのだから。
しかし、今まで生きてきてどんな女にも相手にされなかったと認めるのも同じくらい辛いことだ。
とても勇気がいる。
敵に挑むのとは、また違った勇気。
「そんな人いないよ。その、初めから。」
しかしリカルドは想い人に誠実でありたかった。
いつも以上にぶっきらぼうで早口になってしまったが。
「え。」
リカルドはたどたどしく続ける。
「ちょっと、俺もこういうのを、身につけてみるのも、いいかなって、思ったんだ。都会で流行してる図案なんだろ?」
「え、えーと、、、。」
リリアンは考えを巡らせる。
リカルドのような、いかつい中年がレースを使うなんて、この辺ではなかなか見かけないが、そう言えば、大都市の高貴な身分の者は、男女問わず煌びやかな装いをしていると聞いた事がある。
でも、女性や子供の下着に使うようなレースを男性が装飾に使う事なんてあるのかしら?
けれども、いろいろな土地をあちこち旅している戦士様の方が流行にも詳しいのかも知れない。
いいえ、誰がどんな装いをしているかなんて、関係ないじゃない。
男だから、とか、女だから、とか、どういう身分だから、とかじゃなく、自分が良いと思う姿で堂々としているリカルドが、リリアンにはいつも素敵で格好良く映るのだ。
それに、レースを贈る相手なんて、初めからいないと言ってくれた。
自分が心を込めて刺したレースを、気に入って、身につけたいと言ってくれたのだ。
「お似合いです。とても。」
リリアンは心から言った。
第九話は、少しだけ、二人の距離が縮まるかもしれません。




