第八十五話 おっさんとリリアン 後編
暖かいお湯を含んだ柔らかい布で身体を拭いてもらっているような、そんな心地よい刺激を感じながら、リカルドは意識を取り戻した。
目を閉じていても、薄明かりの中の優しい陽の光を感じることができる。
そして、植物の良い香り。
そうか、俺は死ななかったのか。
リカルドはぼんやりと考えた。
何だかとっても気持ちがいい。
目を開いてみたものの、まだ視界がぼやけている。
「ん、ん……。」
リカルドがうめくと、ふだん、滅多に吠えないサーブがけたたましく吠えた。
リカルドの身体を拭いてくれていた手の動きが止まり、ぱたぱたと軽い足音が遠ざかって行ったが、かわりにイーラーが部屋へ飛び込んで来た。
「リッキー!ああ、リッキー!」
イーラーはリカルドの首にしがみついた。
おいおい、そんなに勢いよく飛びかかられたら傷が痛むよ、と言いかけたが、痛みは感じなかった。
サーブがぺろぺろとリカルドの傷だらけの顔を舐めた。
次第に目も慣れて来て、ここが薬草園の客間だとわかった。
そうか、サーブがイーラーを呼んで来てくれたんだな。
やはり、俺を助けてくれたのはイーラーだったのか。
すると、さっき身体を拭いてくれていたのは、イーラーの助手のおばさんか。名前は、ええと、何と言ったっけな、いや、それよりも今は大事な気がかりがある。
「イーラー、ハマーはどこ?」
「裏庭にいるわ。怪我した足はずいぶん良くなったわよ。」
イーラーはリカルドの頬に手を当てて優しく言った。
「俺のせいだ。俺が。あいつら、ハマーを狙ったんだ。流れ弾なんかじゃない、あの雷はハマーを追ってきた。馬は人間に使われているだけで自分の意思で戦っているわけじゃないことくらい魔物だって知っているのに。俺はなんて甘いんだ。なんて馬鹿なんだ。調子に乗って戦闘用に訓練されていないハマーを使うなんて。」
「泣かないで、リッキー。大丈夫よ。ちゃんとわかってる。大丈夫だから。」
イーラーは子供をあやすようにリカルドの胸をさすった。
「たくさん寝たからお腹空いたでしょう?後でスープ持って来てもらうからね。」
「ありがとう。」
「痛みはないと思うけど、薬が効いてるだけだからまだしばらく寝てなきゃだめよ。リッキーが目を覚ましたってハマーに報告してくるね。おいで、サーブ。」
イーラーとサーブは部屋を出て行った。
リカルドは身体を起こしてみた。
イーラーの言うとおり、薬が効いたのか身体に痛みはまるで感じない。
あんな深傷を負っていたのが嘘のようで、腹に新しくできた大きな傷跡がなければ、怪我をしていたことすら忘れてしまいそうだ。
この分なら、スレッジ・ハマー号も心配はいらないな。
リカルドは安堵した。
こつこつ、と、客間の扉を叩く音がしたので、リカルドは
「どうぞ。」
と応えた。
助手のおばさんがスープを持って来てくれたのだろうか。
傷口をタワシで洗うような人だと思っていたが、そんな改まったことをするなんて。
しかし、中へ入って来たのは、猫のぬいぐるみをかぶった女の人だった。
「あ……。えーと……?」
リカルドの自宅のあるリーチュアン市にも、様々な理由で顔を隠して生活している者は大勢いるので、それ自体は珍しくはない。
しかし、以前いたおばちゃんやイーラーや自分よりは遥かに若い人らしいというのはリカルドを大いに慌てさせた。
「わっ、わわわ!」
ふいにリカルドは、自分が衣服を何も身につけていないままベッドに寝ていたことに気がつき、慌てて布団で体を隠した。
「あ、ど、どーも……。」
リカルドがボソっと言うと、女の人は、ベッドの脇にスープを乗せたお盆を置くと、ペコリとおじぎをして、ぱたぱたと軽い足音をさせて部屋を出て行った。
「そっか、リッキーはリリに会ったことなかったっけ?」
リカルドがぬいぐるみの女の人のことを聞くと、イーラーは言った。
「少し前から、家で働いてくれているの。とっても良い子よ。尼僧院が監督している養老院で働いていたから、病人の扱いが上手なの。意識のなかったリッキーのことも良くお世話してくれて。」
「あ、あ、あの人が!俺の!せ、世話……!?」
リカルドは布団の中の何も着ていない自分の体を改めて見て震えあがった。
「もー、いい歳こいて恥ずかしがらなくても大丈夫よ!養老院のじじばばのオムツをさんざん替えてきてるんだから、慣れよ、慣れ!」
イーラーはガサツな下町のおばちゃんのような豪快な笑い声と共に部屋を出て行った。
リリアンという女の子の運んでくれるスープがお粥になり、お粥が蒸し饅頭になり、それとともにリカルドの身体も日に日に回復していった。
客間の窓から庭を覗くと、遠くの方でぬいぐるみを外したリリアンがスレッジ・ハマー号やサーブといるのを何度か目にした。
居間や台所から時折り聞こえてくるリリアンのものと思われる話し声や笑い声は、リカルドの心をくすぐり、落ち着かなくさせる。
まだきちんと話しはしていないけれど、ずいぶんと若い女の子らしい。
あの女の子が俺の体を拭いてくれていたのか…………。
「ああああああああ!!!」
リカルドはそれを考えるたびに、ベッドの中で身悶えした。
きっと、あんな若い娘さんからしたら、俺なんて養老院のおじいちゃんと同じ仲間に分類されているのだろう。
せめて困らせないように大人しくしていよう。
歳を聞いたり、出身を聞いたり、まして、特別な人がいるかどうかを聞いたりするのは言語道断だ。
ただでさえ俺は女の人から怖がられたり、嫌われたりするんだから、あの人だってきっと俺を嫌がっているに違いない。
きっと今ごろ、イーラーにあのオヤジをいつまでここに置いておくつもりなのかと詰め寄っていることだろう。
「おかしいな、胸が痛い。傷は治っているはずなのに……。」
リカルドは窓の外でハマーの鼻を撫でているリリアンを見つめながら呟いた。
次章は最終回です。
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。




