第七十六話 リリアンの推し活 1
新しいお話です。
ちょっとおバカなお話です。
「リリ、大変よ!リリのペチコートが風で飛んでヤギがもぐもぐしてる!」
扉の向こうからイーラーが叫んだ。
薬草園の昼下がりのこと、自室にて貸本屋から借りた小説を読んでいたリリアンは急に現実に引き戻され、慌てて窓から外を見ると、裏庭でリリアンのペチコートをヤギとリカルドが引っ張り合っている。
「ぶにゃっ!」
リリアンは慌てて部屋を飛び出し、裏庭へ飛んで行った。
「ふうう。」
真っ赤になりながら、ヤギとリカルドからペチコートを取り返したリリアンは、自室のベッドにへなへなと崩れた。
リカルドがここ薬草園で暮らすようになり数週間が経つ。
先日のリリアンの勘違いの家出騒動の時のような、少しだけロマンチックな展開が訪れ、淡い期待を抱き始めると、なぜか決まってこういう残念なことばかりが起きてしまう。
それも、貸本屋が持ってくる大人向けのロマンス小説のヒロインが着ているような絹の下着ならまだしも、リリアンの下着はごわごわでツギまで当たっているのだ。
こんな下着を身につけて、おまけに毛糸のパンツを履いていることまでバレている自分を、リカルドのような大人の男が相手にするわけがない。
どうしたらもっとリカルドに異性としての関心を寄せてもらえるのだろうか。
リリアンは深く溜め息をついた。
やっぱり、絹とは言わないまでも、イーラーが着ているみたいな真っ白な綿のペチコートやシュミーズが欲しいなあ。
洗濯も大変だしすぐにかぎ裂きを作ってしまうかも知れないけれど、今の下着だって擦り切れたところはツギを当てているんだから同じことだ。
今年はふくろう柄の腹巻きのおかげでお小遣いもたくさんあるし、たまには自分の為に素敵なレースを刺して、自分の為に使おう。
リリアンはそう思った。
せっかくヤギから大切な下着を守ってあげたのに、まるでこっちが下着ドロボウのような目で見られてしまった。
リカルドは怒って部屋に引っ込んでしまったリリアンを複雑な気持ちで見送っていた。
仕方ない。
乙女心とはそういうものなのだろう。
そんなことよりも、年頃の娘さんが簡単に下着を人目に晒すようなことをしてはいけない。
イーラーはもう少しリリアンにキツく言い聞かせるべきではないか。
何しろ……
「リカルド先生、お待たせして申し訳ありませんでした。」
リカルドがくどくど考えていると、明朗快活な声が裏庭に響いた。
「これはガードナー殿、お出迎えもせずご無礼つかまつりました。」
リカルドは珍しく慇懃な礼をする。
そらきた。
礼をしながらリカルドは腹の中で考えた。
最近はこんなのが薬草園をウロウロしているから、リリアンの下着をヤギが食べているのを見られては大変だ。
魔導士ロイヤル・ガードナー。
代々優秀な魔導士を輩出する名門、ガードナー家の長男である。
リカルドが薬草園で働いているのを聞きつけ、稽古をつけてもらっているのだ。
今日のリカルドは、いつもの腹巻姿ではなく、ガードナー家に敬意を払って黒の甲冑にマントをつけている。
もちろん、マントの胸元にはリリアンとお揃いのユリの留め具が光っている。
「どうぞ、ロイと呼んで下さい。」
ロイ青年は爽やかに笑う。
魔導士とは、超難関なうえ、卒業はさらに難しいとされる魔導学院の学位を習得し、初めて得ることができる称号である。
つまり、エリート中のエリートだ。
カルロスのような変わり種は別にして、本当ならばリカルドのような平民がおいそれと口をきける相手ではない。
魔法の才能に長けているばかりでなく、リカルド相手にも礼を欠かない礼儀正しく眉目秀麗な好青年なのである。
「では、ロイ殿、早速参ろうか。いつでもかかって来られよ。」
「よろしくお願いします。」
間合いを充分にとり、そう言うが早いか、ロイの身体から火炎が起こり、牙を剥いた火龍の如く真っ直ぐにリカルドへ迫るまでに瞬きする間もなかった。
魔導士ともなれば、杖を用いることも詠唱をすることもなく、瞬時に魔法を発動させることができるのだ。
火炎が僅かにリカルドの顔を逸れたので、他の者が見たらロイが狙いを外したのだと思っただろう。
しかしロイは奥歯を噛んだ。
瞬間、ロイの視界が遮られ、貝細工のちゃちなユリが目前に現れたかと思ったら、次の瞬間にはまた視界が開け、リカルドを追尾する火炎が、魔法を放ったロイめがけて襲って来るのを見た。
(しまった!)
しかし、ロイの後ろに回ったリカルドの剣によって繰り出された衝撃波によって炎はロイの目の前で散ってしまった。
全ては枝から離れた葉が土の上に落ちるまでの出来事だった。
ロイは長く息を吐いた。
今頃になって手に汗が滲む。
リカルドの手にある剣がただの鉄剣なのを見て、ロイはさらに落胆した。
「せめて、暗黒の剣で魔法を封じられたのなら、格好もつくのになあ。」
リカルドの腰に差すふたふりの剣のうちひとつは魔法を封じると言われている暗黒の剣だが、リカルドほどの手練ともなれば、一人や二人の魔導士相手にわざわざ抜くほどのことはない。
「ははは、それがしも肝を冷やしましたぞ。すんでのところで髪を焼かずに済み申した。」
焼かれる髪など一本たりとも残ってはいないが、ロイの攻撃を難なくかわしたリカルドは機嫌良くおっさんの自虐ジョークを飛ばす。
しかし、
「しかし、防御の方はまだまだですな。むろん、ロイ殿ほどの強力な魔導士ならば、幾人もの戦士が盾になりましょうから、必要はござらんでしょう。」
ちくりと釘を刺すのも忘れない。
戦場では、実際に無数の名も無き戦士達が魔導士の盾となり散っていった歴史がある。
そしてロイをはじめとした若く才能のある魔導士は、防御魔法よりも攻撃魔法に惹かれる傾向があるのだ。
「お恥ずかしい。精進いたします。」
ロイは顔を真っ赤にして謙虚に答えた。
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