第七十五話 さようなら薬草園 エピローグ
ここ、グイユェン市長の屋敷では、ヤンセンとマルセルの婚礼を目前に、上へ下への大騒ぎである。
活気づく屋敷の中で、ひとりおもしろくない顔をしている男がいた。
この物語の冒頭、リカルドにリリアンのレースを託した市長の下男だ。
名をジョゼフという。
入隊して半年もたたずに戦争で足をやられ、カルロス隊長の紹介でここの下男の口にありつけた時は、俺も上手くやったと思ったものだ。
俺は足だけで済んだが、上官だったフリオ伍長はおっ死んじまった。
これが他所の部隊なら、雀の涙ほどの傷病手当と一緒に放り出されるだけで、こんなふうに仕事の口なんて紹介してもらえるわけがないのだ。
当時の隊長が面倒見が良く、方々に顔の利くカルロスで俺はツイていた。
そりゃあ、ここで働いていたからといってこの先これ以上偉くなれる訳でもないが、少なくとも命や食べ物の心配はない。
出自もはっきりしない、自分の名前もろくに書けない俺にしたら大した出世じゃないか。
しかし、そんなふうに考えていられたのも、マルセルがフリオ伍長の息子だと知るまでの間だ。
まさか、あの小僧がフリオの息子だったとは。
俺とマルセルは歳はいくらも離れていないのに、戦争で足を怪我した俺は下男、かたや、マルセルはちょっとばかり学問ができるからって、市長の娘婿とは。
面白くもない、というわけだ。
ジョゼフは、厩でぶつぶつと文句を言いながら、桶の水に糸瓜のたわしを浸す。
冬も近づき、水はもう冷たくなりつつある。
寒くなればまたぞろ古傷がしくしくと痛んでくる。
まったく、面白くもねえ、と、ぼやきながら足を引きずり引きずり馬の世話をしていると
「よう。」
声をかけられたので、顔をあげると、リカルドが立っていた。
出掛けにイーラーに止められたので、例の麻のシャツに腹巻きは止めて、いつもの黒い甲冑にマントをつけている。
「よお、曹長じゃないか。こないだはいきなり現れたかと思ったら馬を持っていっちまって、何かと思ったぜ。馬は勝手に戻ってきたよ。家の馬は優秀だからな。」
「ああ、世話になったな。」
「あんたも薬草園で下働きしてるんだって?」
「まあな。」
「けど、闇の戦士は廃業した訳じゃなさそうだな。こないだも、人喰い人狼を一人でやったって聞いたぜ。」
「まあな。」
「で、俺に何の用だ?」
「ひにゃ。」
リカルドの背後から猫のぬいぐるみを被ったリリアンがひょこっと顔を出した。
「ああ、どうも。」
リカルドの他は誰もいないと思っていたジョゼフは面食らって頭を下げた。
そう言えば、薬草園のこの女はヤンセンの友達だっけな。
「にゃっ。」
リリアンは毛糸の手袋をジョゼフの前に差し出した。
「いる?」
あんぐりと口を開けて手袋を見つめているジョゼフにリカルドが尋ねた。
「こ、これ、薬草園の手袋か?あんたが編んだ?毛糸なのに水を通さないって聞いたことあるけど、すげえな、こんな高いもの、何だって俺に?」
手袋とリリアンを見比べながら、うろんな目でジョゼフは言う。
「いらないなら持って帰るよ。
俺には小さいから、フリオの息子にでもやるさ。」
「も、貰うよ。悪いな、わざわざ。」
ジョゼフはリリアンの手からひったくるように手袋を取った。
「それと、これも。寒くなると痛むだろうから。」
そう言って今度はリカルドが湿布薬を差し出した。
イーラーの湿布薬は、他所より割高ではあるものの、ジョゼフにも手の届かないほどではない。
けれど、わざわざ城外へ出てイーラー先生の薬を買うなんて、まるで治るのを期待しているようで、使うほど惨めになるような気がして、つい酒代に回してしまっていた。
「良いのか?」
「まあな。最近、どうだ?」
「まあまあかな。鳥の糞がよく落ちてくるけど、とっさのところでかわしてるよ。」
「…………そうか。こないだ借りた馬、とてもよく手入れされていて良い馬だったよ。じゃあな。さ、行こうか。」
「にゃっ。」
ジョゼフは手を繋いで仲睦まじく去っていく二人の後ろ姿を見送った。
熊のようにでかい図体の黒ずくめの男に、猫のぬいぐるみのちんちくりんの女。
実に妙な組み合わせだ。収穫祭に呼ばれた大道芸人と言われても文句は言えないだろう。
しかし、なぜだろう、心の中に湧き上がる、「羨ましいな」という気持ちを否定する気にもなれなかった。
「ふん、よく言うよ。馬なんか普段乗る機会もないくせに。」
ジョゼフはぼやきつつ、先程貰った手袋を手にはめようとしたが、思い直してポケットにしまった。
先月入ったばかりの新しいメイドが、水仕事に指を真っ赤にしていたのを思い出したのだ。
垢抜けしない田舎臭い女だが、何かとジョゼフの足を気遣ってくれたり、字の読めないジョゼフを馬鹿にしたりしないで本を読んでくれたりしてくれる。
そいつにやった方が役に立つに違いない。
俺はこうやって馬を撫でていたら、水の冷たさはさほど気にならないのだから。
「さあさあ、きれいにしなきゃな。お嬢さんの婚礼の馬車を引くんだもの。」
ジョゼフは馬の首を優しく叩いた。
「にゃ、にゃ、にゃーん。」
リカルドにしっかりと握られた手をぶんぶんと振り回しながら弾むように歩くリリアンは、リカルドに伴われ仲良く屋敷の門の外へ出て行った。
「おじさんたら、あのリリアン人形がよっぽど気に入ったみたいね。わざわざ取り返しに来るくらいだもの。」
自室の窓からそれを見ていたヤンセンが呟いた。
次章から新しいお話が始まります。
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