第七十四話 さようなら薬草園 8
「白色……?何だっけ、それ?」
「卵をたくさん産んでくれるニワトリさんです。」
やっぱニワトリじゃねーか!それはさておき、
「もしかして、リリアンさん?」
リカルドは体を起こし、リリアンの前に跪く格好になった。
リリアンはこくん、と頷いた。
「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。私の為に、こんなに遠くまで探しに来て下さって。」
リカルドの目からまた涙が溢れそうになったので、思わず顔を背けてしまう。
「い、いや。あの、そう、イーラーが心配してたから……。」
もしもう一度リリアンに会えることができたなら、今度こそしっかりと抱きしめるんだ、思いを伝えるんだ、とついさっきまで考えていたのに、実際にこうして目の前に立たれると、やはり何もできない。
「泣いて下さったんですか?私のために……。」
リカルドは慌てて手の甲で顔を拭った。
「あ、いや、ちょっと転んで、痛かったもんだから……。」
我ながらなんと残念な言い訳!情けなくてまた泣けてくる。
しかしリリアンは
「ほんとだ。擦りむいてる。」
リカルドの頬にそっと触れた。
「…………!!」
リリアンのひんやりした細い指を頬に感じ、体中の血液が顔に集中して無数にある顔の傷から今にも血が吹き出しそうだ。
「まだ痛みますか?」
「いや、全然、何でもないよ。」
リリアンはリカルドの頬の擦り傷や、赤黒く腫れた瞼、涙とハナミズでガビガビの顔がたまらなく愛しく、思わずリカルドを抱きしめた。
「リリア……。」
跪くリカルドのちょうど顔のところにリリアンの胸元が押し付けられた。
リリアンはいつもよりかなり厚着しているものの、控えめだが柔らかな優しい感触を顔一面に感じる。
これが平時のリカルドならば、思い違いが暴走して正気を失いこのままリリアンを抱きかかえて宿場町の手頃な宿に駆け込んでいたことだろう。
しかし、今朝ののっぺらぼうのリリアン人形が相当な心的外傷になっており、それがかえってこの状況を冷静に判断することができた。
きっと、友人同士の親愛の情を表す非言語コミュニケーションのひとつに違いない、リリアンはスレッジ・ハマー号や名犬サーブにもよく抱きついているではないか。俺はやっと騾馬や犬と同等になれたのだ。
リカルドはそう解釈するに留めておいた。
「一人でずいぶん来たね。」
「一人じゃなかったみたいです。わんちゃんも着いて来てくれていたみたい。」
「え?」
ずぼっ、と、名犬サーブが二人の間に割り込んで来て、リカルドの鼻をぺろっと舐めた。
リリアンはふふっ、と笑って、リカルドに巻きつけていた腕を離した。
「ああ、そう。」
名犬サーブはいつも邪魔をする!
まあ、リリアンの護衛をしてくれていたなら許してやるか。
そう言えばいなくなったことも忘れていた。
「帰ろうか。」
「はい。」
翼を広げた名犬サーブの背中に乗せてもらい、二人は夕暮れ時の空を飛んでいた。
一日がかりの険しい行程も、空を行くならひとまたぎだ。
「あのう、この白色レグホーンのぬいぐるみ、おろしたてなので何だかごわごわしていて。少し外しても良いですか?」
「ファっ!?」
リカルドはサーブの背中から落ちそうになった。
「大丈夫ですか?リカルド様。」
「い、いや、大丈夫だ!あ、ああ、リリアンさんが良ければはずしてよ。前を向いていたら俺には見えないし、見たりしないよ。」
「ありがとうございます。リカルド様が私の顔の傷を見て、他の人がするように変に態度を変えたりしないのは分かっているんですけど、ずっと顔を見せないで暮らして来たから、恥ずかしくて。」
「ああ、わかるよ。」
「ほら、ちょうど、ミス・フランシスみたいなお胸やお肌をたくさん出すドレス、素敵だけど、自分じゃ着られないのと同じで。」
「わかるよ。俺だって、カルロス隊長が着ているような絹のブラウスは、着ても良いと言われても恥ずかしくて着られないから。」
ミス・フランシスって誰だ?お胸やお肌をたくさん出す服?いやいや遠慮しないでぜひ着てみてよ、と思いつつリカルドは言った。
「でも。」
ひと呼吸おいて、リカルドは続けた。
「リリアンさんはとっても、か、かわいい子だって、ヤンセンが言っていたよ。」
「ひにゃっ!!」
今度はリリアンが落っこちそうになる。
「ヤ、ヤンセンお嬢さんは、お優しいから……。」
そうして、リリアンはぬいぐるみを外した。
リリアン……!
リカルドは息を飲む。
濃い栗色の髪の毛がつやつやと光りながら風になびいた。
好きだ、大好きだ。
絶対に失う訳にはいかない。
また、俺の目の前から消えるなんて耐えられない。
俺だけのものにならなくてもいいんだ。
側にいてさえくれれば。
「お腹空いてない?今日の夕飯はイーラーのリクエストでイノシシの叉焼入りの炒飯だよ。」
「わあ、リカルド様の炒飯大好き。叉焼も。」
「本当?リリアンさんが良ければ、毎日でも作ってあげるよ。」
「ひにゃっ。」
例のキーワードにリリアンはまたサーブの背中から落っこちそうになる。
「いや、毎日はさすがにやりすぎか。」
「いえ、毎日でもいただきたいです……ずーっと、ずーっと……。」
帰ったら早速ミス・フランシスへお手紙を書こうとリリアンは思った。
『読者の作るコーナー』欄の、『ミス・フランシスの恋のお悩み相談室』へ、「片想いのカレにこう言われたんだけど、これってプロポーズですか?」って……。
そんなに毎日食べたら体が脂でギトギトになっちゃうよ、とは思ったものの、俺の作った炒飯を毎日食べたいとリリアンに言われるなんて、こんな幸せなことはない、前世でどれほど良いことをしたのだろう。
サーブの背中でリリアンをしっかりと支え、時折風に舞う彼女の髪が顔をくすぐる感覚をうっとりと楽しみながら、リカルドはそんなことを考えていた。




