第七十話 さようなら薬草園 4
遍堀の沼に続く道に立っている庚申塚を目印に、道のちょっとそれたところに野宿に適した洞窟がある。
以前、リカルドからそんな話を聞いていたので、リリアンはそこで一夜を過ごそうと森の中をひたすらに歩いた。
リリアンの足では思いの外時間がかかってしまい、その洞窟へ着く頃にはもうすっかり夜が明けていたが、他に思い当たる休憩場所もないのでリリアンはそっと中へ入った。
しかし、どうやら先客が居たようで、奥の方から
「ううん、ううん。」
と、女の唸る声が響いてきた。
病気か怪我でもして休んでいるのだろうか、ずいぶん苦しんでいるようだ。
リリアンはローブで体を隠し、念のためにぬいぐるみをかぶって様子を伺いながらそろそろと洞窟の奥へ進んだ。
そこでは魔法で灯されたランプが乗った机の上で何かを書きつつ、銀色の髪の女が唸り声の合間にぶつぶつと何かを呟いていた。
「ここで賢者シュレディンガーがウォールワースに剣を授け……いやいや、そうなると騎士ボナパルトの唯一の見せ場が……」
机の周りには無数の紙が散らばっており、その紙にはびっしりと何かが書かれていた。
リリアンはそっと近づきその紙を覗きこむと、書かれているものを見て息を飲んだ。
「剣士ウォールワース!?賢者シュレディンガー!?」
「ひぇ!?だ、誰!?」
机に座って唸っていた女は飛び上がって後ろを振り向いた。
しかし、リリアンは泥棒よけのローブを着ているので女には見えない。
「失礼しました。」
リリアンは慌ててローブを脱いだ。
銀色の髪の女の目の前に、ニワトリのぬいぐるみをかぶった、ひどく厚着した女の子の姿が現れた。
「私は旅のものです。この白色レグホーンのぬいぐるみは気にしないで下さい。あの、これはもしや、『悪役令嬢と七人の貴公子』の生原稿!?あなたはまさか、原作者のミス・フランシス・バーネットですか!?」
「ひいっ。」
銀色の髪の女は小さな叫び声を上げると、散らばっている紙を隠すように集めながら言った。
「ひ、ひ、人違い、いえ、蛙違いでございます。わ、私はご覧のとおりの冬眠中の蛙です。」
「ひにゃ!?ミス・フランシスは蛙さんだったのですか!?」
「いえ、違いますってば。」
「私、『悪七』の大ファンなんです!特に好きなのは騎士ボナパルトです!」
リリアンは両手を胸の前で組んで叫んだ。
「ふ、ファン?原稿を取り立てに来た編集者じゃないの?」
「とんでもない!あっ、ファンと言っても、自宅を突きとめて押しかけたわけではないですよ。たまたま旅の途中にこの洞窟で休憩しようと思ったら、偶然貴女が……素晴らしいわ!そ、それに、とっても魅力的な方!!」
リリアンはミス・フランシスをまじまじと見た。
つやつやと長い銀色の髪に、髪の色と同じ銀色の瞳、豊満な胸とむっちりとした太腿が薄い装束には収まらず、はち切れそうに揺れている。
「あ、そう、そうだったのね。ごめんなさいね、とんだところをお見せしちゃって。」
ミス・フランシスはほっとして言った。
「よろしかったら、ご一緒にお茶でも如何?私もちょっと休憩しようと思っていたの。」
「まあ、よろしいんですか!?」
リリアンは憧れの女史とお茶ができるなんて感に堪えないという面持ちだ。
「ちょうど、カステラとバライチゴのジャムサンドクッキーがあるんです。でも」
リリアンは辺りを見回した。
「火元がありませんわ。どうやってお湯を沸かしたらいいかしら。」
「ご心配にはおよびませんわ。"お臍で茶を沸かす"まじないを唱えますから。」
ミス・フランシスはふふふふふ、と笑った。
「あら、薬草園のお茶ですね。」
リリアンはミス・フランシスの淹れてくれたお茶に懐かしい香りを感じた。
「ええ、先日ファンの方からいただいたの。編集の人も差し入れによく持って来てくれるのよ。」
ミス・フランシスはふふふ、と笑った。
薬草園のお客様に『悪七』の関係者がいたなんて!迂闊だったわ!とリリアンは思った。
「それでは、また新作を執筆中ですのね。夏頃から全然新刊が出なくなっていたでしょう?先月やっと新しいのが出て、みんな先を争って読んでいますよ。私にはまだ順番がまわってこないけど……。」
リリアンは物欲しそうにミス・フランシスの抱えている原稿を覗き込むが、ミス・フランシスはしっかりと原稿を押さえているのでちらっと見ることもできない。
「うふふ。ごめんなさいね、夏は色々あったから、執筆どころじゃなくて。」
「レディ・ジェラルダインは結局、七人の貴公子の誰と結ばれるんですか?イケオジ騎士ボナパルトですか?」
「うふふ。どうなるのかしらね。貴女はどう思う?」
「私?私は……。」
リリアンは遠慮がちに先を続けた。
「騎士ボナパルトはもしかしたら、レディ・ジェラルダインではなくて、名もない平民の女の子と結ばれるんじゃないかと思っています。ボナパルトは元々、堅苦しいのは嫌いだし。」
ミス・フランシスの銀色の目が面白そうに瞬いた。
「まあ、平民の女の子?どんな女の子?」
「ええと……それは……顔はあんまりかわいくないんだけど……性格も普通で、特技もこれと言ってないんだけど……ボナパルトのことが大好きな……誰よりも大好きな女の子と……。それで、ボナパルトは騎士を辞めて小さな街で食堂を始めるの。隣のお店は、女の子の仕立てもの屋があって、二人はいつまでも幸せに暮らすの……それで、赤ちゃんが産まれて……」
リリアンは頭を振った。
「そんなわけないわね。そんなお話ちっとも面白くないもの。」
俯いて黙ってしまったリリアンに、ミス・フランシスは優しく尋ねた。
「あなた、旅をしてるっておっしゃっていたけど、どちらへいらっしゃるの?」
ミス・フランシスの問いにも、リリアンは答えず黙っていた。
無理もない、何も考えずに飛び出しで来てしまったのだ。
ミス・フランシスはリリアンにお茶のお代わりを注いでやった。
「貴女のことをもっと知りたいわ。例えば、なぜ、その……ニワトリ?」
「白色レグホーンです。」
「そうそう、その白色レグホーンのぬいぐるみを着けているのかしら?とかね。ペンギンでも白鳥でもなく、なぜ白色レグホーンなのか、とかね。」
リリアンは顔をあげた。
「私の話なんて、つまらないわ。」
「いえ、本当のことじゃなくてもいいの。こうだったら良いなぁって思うお話しでもいいのよ。ただの好奇心ですけどね。」
ミス・フランシスはふふふふふ、と笑った。
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