第六十八話 さようなら薬草園 2
「うっ……ぐすっ……ぐすっ……ううっ……」
涙とハナミズで顔もローブもぐしょぐしょになり、そのうちガビガビになってもなお、涙もハナミズも枯れることはない。
月明かりを頼りにリリアンは森の荒れた道を一人とぼとぼと歩いていた。
先日、ヤンセンと二人で同じように夜道を歩いた時からだいぶん秋も深まり、たくさん重ね着をして出てきたものの、身体の芯から冷えてくる。
しかし、凍りつくようなこの心に比べたら身体の寒さなどものの数ではない。
イーラーが、リカルドにプロポーズをしていた。
「もうずっとここにいてよ。これからも私の為に毎日ご飯作って。」
夕食時、リリアンは台所でイーラーとリカルドのやりとりを聞くともなしに聞いてしまったのだった。
イーラーのその言葉にリカルドは笑って応えていた。
リリアンだって、もう夢見る少女ではない。
現実のプロポーズは、物語のように求婚者が跪いて美辞麗句を並べた後に指輪をはめるような回りくどいことはしないということくらいちゃんと知っていた。
『悪役令嬢と七人の貴公子』シリーズのヒロイン、レディ・ジェラルダインだって、貴公子から日常会話の様々なタイミングでプロポーズされている。
キーワードは相手に、もしくは二人で『毎日』『何かをする』ことを申し出たり、要求したりすることだ。
それを発見したリリアンは、リカルドの言葉を一言も聞き逃すまいと日々神経を集中させていたのだが、イーラーからリカルドへ向けた言葉としてそれを聞くことになろうとは夢にも思わなかった。
しかし、あんなにかっこいいリカルドをイーラーが好きにならないのは、いくら薬草魔女は変人が多いとはいえおかしいと思ってはいたのだ。
リカルドだって、陰ではイーラーをおばちゃんなどと言っていたが、それは愛情の裏返しか、照れ隠しだったのだろう。
リカルドの美味しい食事がダメ推しとなり、イーラーの心と胃袋をがっちりと掴んでしまったに違いない。
一方リリアンは、もしここが異世界ならジェンダー関係の方々にこっぴどく怒られそうな表現なのでそっち側の物語でなくて本当に良かったが、"女の子として最低限のたしなみ"として料理もひと通り叩き込まれてはいるものの、自身は料理をそこまで好きでも得意でもない。
イーラーが料理は全くやらないので、文句を言わずに黙って食べているのを良いことに、面倒な時は昨日の残りご飯にスープをかけただけのを平気で出すこともあったが、リカルドが快く料理係を引き受けてくれるのを良いことに、それすらもやらなくなっていた。
そうなのだ。
そもそもリカルドが薬草園で暮らすようになり、料理に洗濯にそれこそ薬草の調合以外の全ての作業を楽々とこなすので、リリアンが薬草園に居る意味も無くなってしまっているのだ。
やっていたことと言えば、イーラーをお風呂に入れていたことくらいだが、二人が結婚すれば、それもリカルドがやってくれるだろう。
二人でお風呂……。
ぶわっ、と、また涙とハナミズが溢れてきた。
「リカルドしゃま……ううっ……イーラーしゃん……」
リリアンのお腹がぐう、と鳴った。
若く健康なリリアンは、失恋していてもお腹が空く。
手に下げていた籠から昨日作っておいたカステラをひと切れ取り出してかじりついた。
料理は面倒だが、お菓子を作るのは割合好きだ。
そういう女子っぽいところも、あざとく映るのかも知れない。
サバサバしてる系がウケるのかも知れない。
ハマー号で二人だけの空のお出かけに勝手について来たり、リカルドと良い雰囲気の時に毛糸のパンツを広げたり、何かとおじゃま虫なことをしてきて、私ってサバサバしてるから!とでも言いたげなイーラーに、いけないと思いつつも少しイラッとしていたリリアンだったが、むしろおじゃま虫は自分だったのだ。
イーラーとリカルドが薬草園で新生活を送る姿を近くで見るのは耐えられないし、二人におじゃま虫だと思われながら、お情けで置いてもらうのも耐えられない。
リリアンはいっぺんに大切な人を二人も失ってしまった。
そして自分の居場所も失ってしまった。
そう考えたリリアンは、薬草園の夜も更けた頃、部屋のクローゼットから泥棒よけのローブと、以前作っておいた影武者の編み人形を引っ張り出したのだった。
冷えを何よりも恐れてるイーラーの言いつけで、スカートの下には例の赤い毛糸のパンツの他にもペチコートやドロワーズを何枚も重ね着しているリリアンだが、晩秋の夜道を行くにはまだ足りないだろう。
冬用のカーディガンを更に重ね、一番上にイーラーからもらった泥棒よけのローブを着た。
ローブの胸元のボタンを留める時、肌身離さずつけているユリのペンダントが目にとまった。
いけないことかも知れないが、リカルドとの思い出にもらっておこう。
編み人形にまじないを唱えると、掌に収まる程の大きさの人形がリリアンと同じくらいの大きさになった。
リリアンは人形に自分の服を着せ、猫のぬいぐるみを被せてベッドに座らせた。
「私の代わりに可愛がってもらってね。捨てられたらごめんね。」
「にゃ?ひにゃー?」
そして簡単な走り書きを机に残すと、音もなく部屋の扉を開け、そっと台所に忍び込んだ。
決死の覚悟でここを離れるのに、お腹が空いて戻ってくることになってしまったらカッコ悪いにもほどがある。
そう思って、カステラだのお菓子だのを籠にありったけ詰めこみ、イーラーに気づかれないように裏口の扉を開け、裏庭へ出た。
裏庭から続く薬草園の先には森がある。
薬草園のはずれにあるリカルドがスレッジ・ハマー号と名犬サーブと寝泊まりしている小屋を横切り、森の入り口まで来たリリアンは足を止めて後ろを振り返った。
「さようなら、イーラーさん、リカルド様。」
こうして、リリアンは薬草園を後にしたのだった。




