第六十一話 おっさんと騾馬 5
ユーュエ山は古くから山岳信仰の対象となっており、山の中腹には大きな修道院がある。
山裾から修道院へ続く参道は修道士の営む宿坊や、参拝客を相手にした商店が並んでおり、寺の本尊のイヌをあしらった様々な土産を売る店がところ狭しと軒を連ねていた。
イーラーがあらかじめ取っておいた通行手形を掲げると、結界が開き、三人を乗せたスレッジ・ハマー号と名犬サーブは苦もなくユーュエ山に入山することができた。
「イーラーさんのお友達って、どんな方ですか?」
イーラーを乗せて前を飛んでいるサーブが大勢の人で賑わう寺の門前町の上空を通りすぎ、山の裏側へと進んだので、リリアンは少しがっかりしてイーラーに尋ねた。
「養子の斡旋をしてるの。」
「養子?もしかして……。」
リリアンはヤンセンとマルセルの顔を思い浮かべた。
ヤンセンは昔、自身の無知から素人同然の魔女にお腹の赤ん坊の処理を頼み、不妊になってしまったのだった。
「友達のローンは、若い頃のヤンセンみたいな子と、子供が欲しくても授からないカップルの橋渡しをしてるのよ。」
イーラーは言った。
「こういう制度があるってことを、もっと学校でもきちんと教えなきゃいけないのに、グイユェンの教育委員会は保守的なんだから。教師も坊主と尼さんばかりで、性教育もまともきできないときてる。」
イーラーは誰に聞かせるでもない独り言を声を張り上げまくし立てている。
「セーキョーイクって、何ですか?」
リリアンはリカルドに小声で聞いた。
「!?ぅわっ!」
リカルドはバランスを崩し危うくハマー号の背中から滑り落ちるところだった。
「大丈夫ですか?リカルド様。」
「ああ、だ、大丈夫だ……。」
どうやら、ここにも保守的な教育の弊害が出ているらしい。
イーラーよ、他人の批判ばかりしていないでお前こそしっかり教育してやれよ。
リカルドは心の中で叫んだ。
スレッジ・ハマー号と名犬サーブは、山の裏側の石造りの立派な屋敷の前に降りたった。
二頭が各々の翼を折りたたむと、翼は背中の中に消えてしまい、いつものすべすべの背中に戻った。
ハマー号とサーブは屋敷の前の小さな噴水に頭を突っ込んで仲良く水を飲みはじめた。
イーラーが犬をかたどった黄銅の叩き金を叩くと、重そうな扉が開き、イーラーと同じくらいの背の高さの、赤毛をお下げにした女の子が現れた。
「いらっしゃい、イーラー、待っていたわ。」
「お久しぶり、ローン。」
イーラーとローンと呼ばれた女の子は抱き合って再会を喜んだ。
「この子はリリアン。」
イーラーはリリアンの方を向き、ローンに紹介した。
「初めてまして、ローン様。」
リリアンはこの前覚えたばかりの、足を曲げる淑女風の挨拶をした。
「こんにちは。よくいらっしゃったわね。」
ローンはそばかすでいっぱいの可愛らしい顔をくしゃっとさせてリリアンに応えた。
そして、ハマー号やサーブと一緒に噴水のところにいるリカルドの方を見た。
「元気そうね、リカルド。」
「まあな。」
リカルドはローンの方も見ずにぶっきらぼうに答えた。
「リカルド様もローン様とお知り合いなんですか?」
リリアンがリカルドを振り返って聞いた。
「まあな。」
やはりぶっきらぼうに、ハマーのたてがみをいじりながら答えた。
三人が屋敷の客間に通されしばらくすると、十歳くらいの小さな女の子が重たい茶器を乗せたお盆を危なげに揺らしながら持って来てくれた。
この少女は、ローンやイーラーと違い、本当の女の子のようだ。
女の子は緊張しながらカップにお茶を注ぎ、三人の前に並べた。
「どうもありがとう。」
ぎこちなくかわいらしいしぐさにリリアンは顔をほころばせ、礼を言った。
女の子はペコリとお辞儀をした。
「お待たせしてごめんなさいね。」
ローンが卵をたくさん入れた籠を持って現れた。
そして、お茶を出してくれた女の子に
「ありがとう、リーン。遊びに行っていいわよ。お友達が来てるんでしょ?」
と言って、リリアン達の持ってきたカステラをひと切れ渡した。
女の子はカステラを受け取るとペコリとお辞儀をして、小走りで部屋を出て行った。
「さてと。」
ローンは籠の中から選び出した卵をふたつ、イーラーに差し出した。
「双子なの。市長の娘夫婦なら、お金も乳母の心配も無用だから、いっぺんに二人でも平気でしょう?」
「これが赤ちゃん?」
まるまるした赤ちゃんを見られると思っていたリリアンは少しがっかりした。
「そうよ。赤ちゃんの魂が宿っているの。たまに異世界の魂も混じってることがあるのよ。
そういうのは、稀に何かの拍子に前世の記憶や能力が引き継がれることがあるみたい。」
「まさかあ。」
リリアンは笑った。
「わからないわよ。事実は小説より奇なり、ってよく言うでしょう?」
謎めいた口調でローンは言った。
「孵卵器で孵すんですか?」
リリアンは興味津々にローンの手の中の卵を見つめている。
鶏の卵を孵卵器で返すのは、リリアンの隠れた特技なのだ。
「残念でした。」
ローンはリリアンにウインクをした。
「結婚式の晩にこの卵でオムレツを作って…… プリンでも大丈夫だけど、カップルで仲良く食べて、十回目の新月の夜にキャベツ畑に行くと……。」
「ああ、そっか!!」
やっとリリアンにも合点がいったようだ。
子供の歌にもあるではないか。
「いい?よく言っておいてね。二人いるはずだから、忘れて帰らないでねって。それから、式の当日はご馳走を食べすぎないようにねって。消化不良を起こしたら困るから。」
ローンはそっとイーラーの手に卵を乗せた。
「わかったわ。」
イーラーは卵を持参した箱に入れ、割れないように何十にも保護魔法をかけた。
「良かった。やっぱり赤ちゃんはキャベツ畑からやって来るのね。」
リリアンは心からホッとした様子で呟いた。
「何が良かったの?」
リカルドは籠に入っている卵を何気なくもてあそびながら尋ねた。
「キンバリーさんたら、赤ちゃんは女の人のお腹の中から出てくるって言うんだもの。ウソだってわかってたけど、それを聞いた時、怖くて眠れなかったわ。」
「!?わっ。」
リカルドは思わず手に持っていた卵を落としそうになった。
「気をつけてね。」
ローンがきつい声で諌め、リカルドから卵を取り上げた。
「あ、すまん。」
今のはリリアンのジョークか?ジョークなのか!?
おいおい、誰かツッコめ。
リリアンの渾身のジョークをスルーするな。
リカルドが抗議の眼差しでイーラーとローンを見ても、二人はあさっての方を向いて知らん顔をしている。
まるで家族団欒中のお茶の間に突然不適切な映像が映し出された時のような気まずさだ。
急に用事を思い出したようにそそくさと立ち上がるお母さんのように、ローンは持ってきた卵の籠を抱えて席を立とうとした。
「私も欲しいなあ。」
リリアンがぽつりと言う。
リカルドがぎくりとしてリリアンを見た。
「養子縁組の審査は厳しいのよ。家庭環境や経済状況、いろんな審査に合格しなきゃね。それに、うちはいろいろな理由で赤ちゃんが授からないカップルに限定させてもらっているの。きりがないからね。」
優しい中にも、毅然とした口調でローンが言った。
「わかっています。ちょっと言ってみただけです。」
リリアンはしょんぼりと答えた。




