第六十話 おっさんと騾馬 4
「お待たせしました、リカルド様、お馬さん。」
リリアンはお弁当をたくさん詰めた籠を手に下げ、イーラーが若い頃に着ていた乗馬服をまとって現れた。
かわいい……!
リカルドはぐーーっと拳を握りしめたが、顔にはそんなそぶりひとつ出さず、涼しい顔をして
「やあ、勇ましいね。」
とだけ言った。
「どこへ行こうか。」
そうして、航空地図を広げた。
「地図?」
「結界の地図だよ。」
リカルドは答えた。
「スレッジ・ハマー号だけならどこでも自由に行き来できるけど、城壁都市や個人の所有地の周りは結界が張ってあるから人間は入れないんだ。
空から誰かが攻めて来たら大変だろ?」
「なるほど!」
リリアンは感心して頷いた。
「行くところを決めてないなら、ユーュエ山の友達のところに行きたいんだけど。」
後ろからイーラーの声がしたので、二人が振り返ると、とんがり帽子に黒いドレス、そして、エニシダの枝で作った箒を持ったイーラーが立っていた。
中身はおばちゃんだが、こんな古典的かつ典型的な魔女スタイルのイーラーはやっぱりかわいい。
二人は顔をほころばせた。
それはそれとして。
「もしかして、イーラーも来るの?」
リカルドが尋ねると、
「あ、二人だけで行くつもりだったの?」
と、イーラーが見るからにガッカリした顔をしたので
「ち、ち、違いますよ、三人一緒に行くつもりでしたよ、ね、リカルド様?」
「え?ああ、うん、まあ。」
リリアンとリカルドは慌てて言った。
しかし、イーラーは箒にまたがり空を飛ぼうとするが、なかなか上手くバランスが取れない。
「猫もいつの間にかどっかに行っちゃったし、箒に乗るの久しぶりだから、カンが戻るまでもう少しかかりそう。先に行っててくれていいからね。」
「じゃあお先に行くとしようか。頼むよ、ハマー号。」
リカルドがスレッジ・ハマー号に声をかけると、ハマー号の背中から風がおこり、二翼の大きな翼を広げてみせた。
「わあ、素敵!!」
リリアンは息をのむ。
「手綱を離さないで、しっかりと握ってね。」
「はい!」
リカルドがリリアンをハマー号の背に乗せ、あぶみに足をかけてやりながら声をかける。
続いてリリアンの後ろにリカルドもまたがろうとした時、さっきからじーっと、黒い瞳がこちらを見ているのに気がついた。
「…………。」
名犬サーブが、お座りをして首をかしげ、みんなのやりとりをじーっと眺めている。
「…………名犬サーブもくる?」
仕方なくリカルドが聞くと、すくっと、サーブが立ち上がって尻尾を振った。
「でも、こんなに大勢で乗ったら、お馬さんが潰れちゃうわ。」
リリアンは心配そうに言った。
しかし、名犬サーブが体をぶるぶるっとすると、何と、サーブの背中からも黒い大きな翼が現れたのだ。
「ひにゃー!?」
リリアンがびっくりしてハマー号から落ちそうになったのを慌ててリカルドが抑える。
「わ、わ、わんちゃんもお空を飛べたの!?」
「当たり前でしょう?サーブはブラックウルフ種なんだから。」
呆れ顔でイーラーが言った。
「ひにゃー。知りませんでした……。」
もしかして、リカルド様も飛べるのかしら。もしそうだったとしても、もうあまり驚かないわ。
リリアンは思った。
「ねえ、サーブも行くなら乗っけてってよ。久しぶりすぎて事故っちゃいそうで怖い。」
とうとうイーラーが諦めて箒を放り出した。
「箒の講習ちゃんと受けとけよ。高齢魔女の事故が多発しているらしいからな。」
「うるさいな。まだそこまでじゃないよ。じゃ、サーブ、よろしくお願いします。」
イーラーはぺこりとおじぎをして、名犬サーブにまたがった。
「みんなで空のお出かけなんて、夢みたい。」
リリアンははしゃいでいるが、リリアンと二人だけで空のドライブをできると思っていたリカルドは、思っていたのとは違う方向へいってしまいみんなに気づかれないように溜め息をついた。
けれども、ハマー号に乗って空を飛ぶのは久しぶりだ。
一年ほど前、自分の不注意でハマーに重症を負わせてしまい、それ以来、飛ぶことはおろか、ハマーの背に乗ることもためらっていた。
それなのに、リリアンのおかげでハマーが自ら飛ぼうと言ってくれたのだ。
「よし、じゃあ行こうか。」
リカルドの掛け声で、ハマー号と名犬サーブは翼をはためかせ、ふわりと宙に浮いた。
「わあっ!」
「気をつけて、前をしっかり向いて。」
リリアンが興奮して下を見ようと身を乗り出すのをリカルドが慌てて抑える。
「リカルド様、ほら、薬草園の庭が見えます!すごいわ、何てきれいなのかしら!」
普段ならこんなにリカルドにくっついていたら緊張して話もできないが、さすがに今日はそれどころではない。
リカルドもハマーの小さな背中にぴったりと二人の身体をくっつけて、リリアンを抱くように腕を回して手綱を握ると、リリアンの体温や息遣いがとても近くに感じられたが、落馬させないよう集中しているためにそんな貴重な感覚に酔いしれることもできない。
けれど、空を跳んで軽やかに山をひとまたぎするスレッジ・ハマー号を見て、リカルドの気分も高揚してきた。
大好きなご主人さまが愛する人と二人で自分にまたがり、大空を駆けまわる。
ハマーは、長い間夢見てきたことが現実になったのを喜んでいた。
私はつまらない騾馬だから、名犬サーブみたいに二人の間を取り持つようなことはできない。
私のお母さんがお父さんにしたみたいに、いつの日かリリアンがご主人さまに愛を打ち明けてくれる日を待つことしかできないけれど、ほら見て、二人は私の小さな背中の上でぴったり身体をくっつけて、まるでほんものの恋人同士のようじゃない?
スレッジ・ハマー号は、翼をあおり、自分が起こした風に乗って空を舞った。




