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第三十六話 リリアンのぼうけん 運命の人 1

 ヤンセンとマルセルを居間に残し、リリアンはお茶を淹れるために、リカルドはスレッジ・ハマー号の世話のために裏口へ出た。


 ぬいぐるみをはずしたヤンセンは陶器の人形のようで、人は好さそうだが、小太りで身なりも冴えないマルセルが並ぶと、いかにも不釣り合いに見えた。


 マルセルとカルロス隊長では、当然ながらマルセルの方が見劣りする。


 ヤンセンがカルロスを追ってここへ来たのも無理はないと、リカルドは思った。


 外へ出たリリアンとリカルドは、裏口の扉に耳をぴったりつけていた。


「リリアンさん、お茶を淹れるんじゃないの?」


「だって、急須を居間に忘れてきちゃったから支度ができなくて。リカルド様こそ、お馬さんのお世話しなくて良いの?」


「スレッジ・ハマー号のお気に入りのたわしが居間に置きっぱなしなんだよ。しぃっ。」


 リカルドが人差し指を口に当てた。


 扉の向こうから、マルセルの気弱な声と、ヤンセンの棘のある声のやり取りが聞こえてきた。


「僕じゃ不足かも知れないけど。」


「あなたこそ、私に対する義務なんでしょ?

でなきゃ、保身のため?」


「そんな。」


「もし、あなた以外の誰かと結婚することになれば、きっとその家の人は魔女に私の身体を調べさせるわ。丈夫な赤ちゃんを産めるかどうか。」


 それは、昔ながらの名家ならどこでもやっていることだった。


 実際には占いじみた当てにならないものだが、結婚前の娘にとって、これほど恐ろしいことはない。


 しかも悪いことに、魔術に明るくない者ほど、こういう迷信を信じてしまうものだ。


 ヤンセンは言う。


「そしたら、あの時のことがわかってしまう。

お父さんが知ったら、相手を探すわ。

あなただということがわかるのも時間の問題よ。

信頼していたあなたに裏切られたと思うでしょうね。

せっかくお父さんに気に入られてたのに。


それがばれるのが嫌だから、先回りして私と結婚することにしたんでしょ?」


「それは違う!」


 マルセルは思わず大きな声をあげた。


「違うよ。

でも、ずっと後悔してた。

僕がもっとちゃんと考えていれば、君を傷つけずに済んだのに。


許してなんてとても言えないけど、でも君と結婚するのは、決して贖罪の気持ちからじゃないよ。


まして、君が言うような理由なんかじゃ。」


 ヤンセンと身寄りの無いマルセルは、兄妹のように育ち、いつからか、互いに抱く愛が兄妹以上のものであることを悟った。


 しかし、若さと情熱に任せ愛を重ねるうちに取り返しのつかない事態になってしまう。


 今から思えば、イーラーに相談するべきだったのだ。


 しかし、若く未熟な二人にはそれが最善とは思えなかった。


 母親の耳に入るのを恐れたから。


 仕方なしに、流しの魔女に頼む。


 法外の金を取られたばかりか、不必要に身体を傷つけられたヤンセンは、自分が二度と子供を授かることがない身体になってしまったことを悟った。


「じゃあどうして、あの後すぐに私の前からいなくなったの?

留学なんかして欲しくなかった。

側にいて欲しかったのに。」


「君に相応しい立派な人間になりたかったんだ。

お父上に認めていただけるような。

手紙を書きたかったけど、その、奥様が君への手紙を先に読むのを知っていたし。」


 マルセルの言葉に嘘はないのはヤンセンにはすぐにわかった。


 もともと、嘘をついたり、誤魔化したりできるような人間ではない。


 マルセルがそんな不誠実な人間ならば、ここまでヤンセンを傷つけることはできなかっただろう。


「でも、でも、留学から戻ってからもずっと避けてたじゃない。

二人っきりになろうともしないし、ろくに目も合わせてくれない。」


「それは。」


 マルセルは真っ赤になって俯いた。


「君があんまりきれいになっていて、二人きりになってしまったら自分を抑えきれなくなって

また同じあやまちを犯してしまうんじゃないか心配で。


僕は本当に、初めて会った時から、今も変わらず、ずっと君の事を愛しているんだ。」


「でも、でも…。」


 長い間、ヤンセンはマルセルに腹を立てていた。


 憎んでいたと言っても良いくらいだ。


 しかし、こうして彼を目の前にした今、腹立ちよりも、再び話ができることを喜んでいる自分に苛立った。


 どんなに辛辣な言葉も今の気持ちを表すのに適当ではない。


 ただただ、寂しかったのだ。


 同じ屋敷内にいても、ずっと距離をおかれていたマルセルがこんなに近くにいる。


 大好きだった優しいお兄さんが、私を愛していると言ってくれた。


 けれども、この数年、どんなに辛かったことか。


 どれほどの孤独な夜を過ごしたか。


 こんなに簡単に赦してしまう訳にはいかない。


 ヤンセンの大きな蒼い瞳から涙がこぼれそうになった時


 ぐおおおおーっ


 と、裏庭から雷音のようなものが轟いた。


「夕立ち?」


 マルセルは椅子を立ち、裏口の戸を開けた。


 轟音の主はリカルドだった。


 涙をゲリラ豪雨の如く流し号泣している。


「わかる、わかるぞ、小僧。

不甲斐ない自分が許せなかったんだよな。

俺には解るぞ。

ヤンセン、あんたが辛い思いをしたのは本当に悲しい事だが、この俺に免じてこいつを許してやってくれないか、この通りだ、頼む!」


「うえーん」


 となりでは熊をぐしょぐしょにしてリリアンも泣いている。


「うぅっ、ぐすっ、ヤンセンさん、私、思うんですけど、運命の相手はもしかしたらやっぱりマルセルさんではないですか?

もう一度よく考えてみて下さい、お願いします!

私、私にできる事は何でもしますから、うっ、うわぁーーん!」


「リリアン。」


 ヤンセンはリリアンに抱きついた。


「リリアン、ごめんね。そうする。」


「うおおーっ」


「わっ!?」


 リカルドもマルセルを抱擁した。


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