第十七話 蛙を巡るおっさんの残念な冒険 1
いざ、魔物退治へ。
第一話のお話と繋がります。
少し短めです。
「よう、曹長、最近、よくここへ来てるみたいだが、リーチュアン市はよほど景気が悪いと見えるな。」
グイユェン市内の共同浴場を出たところで、顔見知りの男に出くわした。
この男、今はグイユェン市長のところで下働きをしている。
曹長と呼ばれた男の名は、リカルド・クラークソン。
正しくは、都市国家連合軍事作戦部隊最上級兵曹長。
今現在は予備役扱いとなっている。
そして、リカルドはどちらかというと、闇の戦士としての彼の方が有名だ。
しかし、昔の仲間は今も彼を曹長と呼ぶ。
「まあな」
リカルドは曖昧に返事をする。
寝ぐらにしているリーチュアン市から、修道士の護衛でここグイユェン市までやって来た。
修道士どもは、闇の戦士であるリカルドを不浄のものと考えているが、そのくせ、魔法を封じる暗黒の剣を頼ってリカルドをよく使う。
リカルド一人で貴族出身の騎士五人分の働きはしてくれるのに、平民の彼はその腕の割に安く使えるのだ。
それでも、イーラーの薬草園にほど近いこのグイユェン市へ訪れる口実を探しているリカルドは、割りに合わないと知りつつ引き受けている。
「風呂になんか入って、女のところへでも行くのか?」
市長のところの下男がニヤニヤしながら聞く。
いい歳をして、いや、だからこそと言うべきか、リカルドはこの手の話題は苦手だ。
そうだ、と言っても、違う、と言っても、結局は馬鹿にされるのだ。
その点だけは、坊主どもと行動している方がよほど気楽だ。
「女と言えば、女だ。薬草園へ行こうと思って。」
いつものようにぶっきらぼうに答える。
薬草園のイーラーはグイユェンではちょっとした有名人だ。
彼女の薬を使わずに大人になった者はこの街にはいないとまで言われている。
「また、なんで。」
「さっき、ギルドを覗いたら、遍堀の魔物の事を聞いたから、取り掛かる前にちょっと薬を買い足そうと思ってさ。
ずいぶん前からある案件のようだが、ほったらかしにされているみたいだな。」
「あんな寂れた路を使うのは、貧乏人か、やましい家業の奴らばかりだからな。
ちゃんとした奴らは通行税を払って安全な幹線道路を使うさ。」
下男は鼻を鳴らして馬鹿にしたように言う。
主人の共をしているのだから、自分が払った金でもないくせに、金持ちの主人の振る舞いや言動まで真似をする輩はいるものだ。
男が内心、自分のことも馬鹿にしていることを、リカルドは気がついている。
闇の戦士だか何だか知らねえが、そんな風に持ち上げられたところで、その日暮らしのちんぴら戦士には変わりない。
現に今日だって、賞金稼ぎが見向きもしない、安い仕事を引き受けていやがる。
そんなような事を言いたげな目で、ニヤニヤとリカルドを見ている。
元々、いけ好かない奴ではあったが、戦争で足を悪くしてからは、さらに意地が悪くなったようだ。
「あんなお粗末な仕事じゃ、薬代で消えちまうんじゃないのか?イーラー先生の薬は値が張るからな。
まあ、しかし、そりゃ、いい事を聞いた。」
市長の下男は紙袋を取り出してリカルドに差し出した。
「これ、奥さまから頼まれたんだが、ちょっと油を売ってたらこんな時間になっちまってさ。
今から薬草園に行ったんじゃ、帰る頃には城門が閉まっちまうから、どうしようかと思ってたんだ。」
「何だ?」
「間違えて買っちまったから、返したいんだと。こっちの手違いだから、金は返さなくて良いって言えばわかるから。
イーラー先生のところにさ、ちんちくりんの変人の女が住んでいるんだが」
リカルドの目がぎらりと光ったのに、男は気づかずに先を続ける。
「そいつが作った品物を奥さまが買ったんだ。なのにお嬢さんが気に入らねえって言うもんだから。まったく、こっちは大迷惑だぜ。じゃ、頼んだぞ、そのうち、俺んとこにも寄ってくれよ。昔の話でもして盛り上がろうぜ。」
男はリカルドが何も言わないうちに、紙袋を押しつけて足速にその場を去った。
俺が魔法を使えないのは天の思し召しって奴かも知れんな、と雑踏に紛れる男の後ろ姿を見送りながらリカルドは考えた。
俺が魔導士だったら、あいつの頭に雷を落としているところだ。
しかし、いけ好かない男ではあるものの、薬草園へ行く用事を頼まれたのは返って好都合だ。
ちょっとした薬なら、わざわざイーラーのところで買う必要もないから、薬草園へ行く理由としては今いち弱いと考えていたところなのだ。
それに、あんな男がリリアンの周りをうろつくのは気に入らない。
街の共同の厩にもどると、騾馬スレッジ・ハマー号とブラックウルフ種の名犬サーブが待っていた。
共同浴場でできる限り身体を洗ったし、匂い消しのお香もたくさん浴びて来た。シャツも替えた。しかしまだ汚れているような気がする。
薬草園へ寄ったその足で遍堀へ行くというのに、魔物をやる前に身を清めるなど、死を覚悟した特効隊のようでいささか縁起が悪いような気もするが、リリアンに一瞬でも汚いと思われるのはたまらなく嫌だった。
ほかの女がするように、彼女に顔を背けられたり、隣に並んだ時に明らかに嫌な顔をされたところを想像するのは、何か言い知れない痛みを伴う。
リカルドは急に思い出して、ハマーの荷に入っているチョコレートの箱に触れてみた。
リーチュアンの有名な菓子店で買ったもので、王室にも卸しているという。
修道士がかけてくれた氷の魔法が効いているので、箱はまだひんやりとしている。
チョコレートを見て喜んでくれるリリアンを想像して、年甲斐もなく心が弾む。
街の中心地から、仕事終わりの汽笛が聞こえてきた。
この汽笛を合図に、多くの店が店じまいをする。
イーラーの薬店もそろそろ閉まる頃だから、誰にも邪魔されずに二人に会うことができるだろう。
「ゆくぞ、スレッジ・ハマー号、名犬サーブ」
リカルドはグイユェン市の城門を出て、薬草園へ続く道を歩き始めた。