第十一話 おっさんの残念な冒険 1
おっさん戦士リカルドは、リリアンからのお願いで蛙の魔物に髪飾りを返しに行くことにしました。
借金のかたに名犬サーブを取られてしまった。
「イーラーのクソババアが!」
夕暮れ時のこんな山路で、誰が聞いている訳でもないが、男はいかんいかんと首を振った。
腹が立つとつい、軍事作戦部隊時代の汚い言葉が出てしまう。
今後はリリアンのような若い娘さんと交流する機会もあるわけだし、怖がらせないように、言葉に気をつけなければならない。
男の名はリカルド・クラークソン。
都市国家連合軍事作戦部隊最上級兵曹長。
もっとも、今は政局も落ち着いているので予備役扱いとなっている。
それに、リカルドはどちらかというと、闇の戦士としての方が有名だ。
攻撃魔法を無効化する、暗黒の剣の使い手。
暗黒の鎧をまとい、
暗黒の犬を従えし男。
しかし、その暗黒の犬を取られてしまった。
イーラーのうんこおばあちゃんが、リカルドの騾馬、スレッジ・ハマー号を巻き上げようとしたが、有事となり、いざ従軍、とでもなった時、騾馬もないのでは恰好がつかない。
何とか頼みこんで質草を名犬サーブと交換してもらった。
獰猛なブラックウルフ種の名犬サーブは忠義に厚く、リカルドの片腕として役に立ったものだか、最近のあいつときたら、モウロクしたのか誰にでもしっぽを振って餌をもらうわ、じゃれつくわで、名犬でも獰猛でもなんでもない、ただの無駄メシぐらいの穀潰しだ。
あんなやついてもいなくても別段困らん。
リカルドはフンと鼻を鳴らす。
「ま、しかし。」
たまにもふもふできないと、ほんのちょっとだけ寂しいから、すぐに請け出してやるけどな。
それにしても。
リカルドはマントのレースの縁飾りに頬ずりをして、うっとりと唇を押し付ける。
「いい買い物をした。」
さくらんぼ模様の刺繍レースとあの人は言っていた。
もちろん、貴族が身につけるような、光沢のある絹だの何だのとは違うが、それがかえって素朴な優しさと暖かみを感じ、リリアンの人柄を思わせる。
こんなものを魔術を用いないで作ることができるなんて、素晴らしいことだ。
娘の結婚を控えた母親が、いずれ産まれるであろう初孫に用いたいと思うのに相応しい。
しかし、見栄っ張りで迷信好きのアホ娘のわがままで返品されてしまった。
まったく、腹立たしい。
その娘のおかげで今こうしてリカルドの手にある訳だが、だからと言ってその娘に感謝したいとは思わない。
本当なら肌身につけていたいところだが、汚してしまったら何だかリリアンを穢すようで申し訳ない。
そこでリカルドは、
『初級レベルでもこんなに使える!
実用まじない72例 日常生活編』
を見ながらまじないをかけ、マントの襟周りと裾周りにこのレースをつけた。
兵役についていた時に見かけた貴族の騎士のマントや制服の裏地には、刺繍やこんなヒラヒラがついていたから、自分がつけていてもおかしなことはあるまい。
初心者がつけたにしてはなかなかのものと、出来栄えにも充分満足している。
しかし
「腹が減ったな。」
今日もリカルドはイーラーの家の夕飯を当てにしていたので、つい食料のそなえを怠ってしまった。
イーラーの変態趣味で、なぜかリリアンがメイド服を着て食事を振る舞ってくれるのだか、
あれを一度見てしまったら、もうメイド姿の彼女を拝まずにあの家を去る事なんてできる訳がない。
しかし、名犬サーブを差し押さえられているのに夕飯を馳走になるわけにはいかない。
サーブに夕飯の勘定も含まれているみたいで後ろめたいではないか。
イーラーが持たせてくれた月餅はとっくに食ってしまった。
その月餅も、中秋のお祝いのために何か月も前から仕込んだシロップで作ったリリアン手作りのものなのだから、もっと有り難がって大切に食うべきだったが、今さら悔やんでも仕方がない。
星あかりの中、銀杏の大木の下に寝そべって、リカルドは先程小川で捕まえたザリガニをかじりながら、愛しい人に想いをはせる。
俺のような汚いオヤジがリリアンのような若い娘に想いを寄せるなんて、不気味な犯罪者としか映らない世界や時代も、もしかしたらどこかに存在するのかも知れないが、騎士というものは、美しい姫君を心の恋人として戦に臨むものなのだ。
ま、俺は騎士ではないが。
顔に刀傷を負い、人前では猫のかぶりものをつけているその娘に、なぜこうも強く惹かれるのだろう。
哀れむ気持ちや庇護欲を恋情と混同しているのだろうと言う人もいるかもしれない。
顔を見せないことに神秘性を感じているだけで、素顔を見たら熱が冷めてしまうだろうと言う人もいるかもしれない。
そう言うものなのだろうか。
一度、転んだ彼女に手を差し伸べ、ほんの一瞬、手が触れ合ったことがあった。
少しでも力を入れたら壊れてしまいそうな、白くて小さな手。
しかも、スカートの中の下着があらわになっていて、何とも艶かしく、次の瞬間、名犬サーブに突き飛ばされていなかったら、骨を相手に自我を失った猛犬のようになったリカルドが、彼女に何をしてしまったか、想像するのも恐ろしい。
茶を出してくれたり、
食事を出してくれたり、
騾馬や犬を可愛がってくれたり、
笑ってくれたり、
名前で呼んでくれたり!!
ああ、あの可愛らしい声で我が名を呼んでくれた時は、天にも昇るという表現は誰が最初に使ったのか、地に足がついているのかいないのかわからないほどに足元がふわふわとしてしまった。
とにかく、ひとつひとつのしぐさが愛らしい。
そう言う想いは、顔を見ることで冷めてしまうものなのだろうか?
リカルドは、猫のかぶりものの下の彼女を知らない。
いつか、見せてくれる日が訪れるだろうか。
まどろみながらそんな事を考える。
第十二話は、少しだけお子様には相応しくない章が表現が出てくるので、苦手な方はご注意下さい。