第2話【空酔】
連投
後編「空酔」
「酔狂」という言葉がある。
普通ならやらないようなことにつけられる呼び名だ。
だがあえて言おう。
人は酔うくらいでしか狂うことができないと。
仕方がない、何時ものように着たくもない制服に袖を通し鞄を、そして表情を繕って。
好きな人にいい顔していたい。
そのくらいの男ならきっと当然の衝動は俺にもある。
恥ずかしいかな。
いまが青き春の高校生であることにかわりはない。
学生はやっぱり酷な職業だと思う。
常に行住坐臥。一時も気の抜けぬ戦場。嘘。
気なんて緩みっぱなしだ。唯一生きてることを実感する時間。
愛する人が同じ空間にいる感覚。
体躯を猫背に丸めチラチラと必死に彼女を探す。
登校時間なんかとっくにリサーチ済みだ。
「居た」……好きだ。何度でも言える。
なのに面と向かって話すことは出来ない。
出来るわけがない。
もし話しかけられでもしたらキョドりまくって死ぬことだろう。
そうこうしてるうちに正門を2人で、 抜ける。
「おはよう」「おはよー」無視だ無視、挨拶は嫌いだ。
自分を認識してくれという人の我が儘なエゴの塊だからだ。
俺はそれでもそのゴミの投げ合いを掻い潜り孤高に教室へと降り立つ。
「今日は屋上の柵の工事を行うため施錠されていませんから安全のため近付かないように」どうでもいい話だ。
着たくもないひらつく制服で身を固められ
聞きたくもない授業を脳に垂らされる時間。
学生にとっては苦痛だが俺にとっては
いい時間だ。彼女をそっと眺めたり、
花畑な妄想で脳内麻薬を溢れさせたり。
誰にも気にされぬが故に出来ることなのだとしたら、それは
それで得でしかない。
あぁ、そうこうしているうちに昼休みではないか、まったく憂鬱でならない。
この重い気分を現国の文豪のように嘯く。
昼休みこそ俺の敵。間違いない。
まずトイレ。普通に行けばいいだろうだって?そうじゃない。
なんというか、
猛烈に恥ずかしいのだ。そしてどこか
申し訳なさも覚える。難儀いや、呪いだな。
禁断の想いに神がもたらした呪詛。
そうでもなければなんともいえん。
……ん?珍しいな、彼女が野郎と二人で
廊下を歩いているなんて。
…断じて誤解しないで頂きたいが男とは好きな相手が同姓と共に居ると無条件に修羅のごとき嫉妬を身に抱くものなのだ。早口。
だからこうやってこっそりついていくのは致し方ないことなのだ。我ながら女々しいことは自覚している。残念ながらね。
彼女と見覚えのない野郎、男子生徒が入っていったのは鍵のない空き教室。
ぞわり、心臓をなにかが撫でる。
……なんとなく見えてきたな?
いわゆる告白的なパターンだろう。
そのまばゆいまでの若い男女の目映さに
目眩がした。硬直した。
そのまま覗き見を惰性で続けたことを後悔した。
2人はそのまま外を少し見回した。
そして、衣擦れ音が響き始めたのはすぐの事
その眼に写る劣情はあまりにも自分とは
かけはなれた物で辛かった。
嗚呼、雌とはあのように鳴くのかと、
雄とは本来あのような身体で愛しい人を射止めるのかと。
足元が揺らぐ感覚がした。
必死に手首に触れる。生きている。
俺はまだ生きている。
そのとき、どうしても喉があの痛みを欲した。幸いというべきかその横には理科準備室があった。…なんちゃらアルコール、
普段は消毒液として認識しているから正しい名前は知らない。
それでも辛うじて近い液体と実験用の試験管を持って、俺は私は、駆け出した。「なに!?」驚いた生徒の声が聞こえた、気にも止めない。
今はただ、ただこの欲望を、悲しみの代償を、どこかにぶつけたかった。
そして。
屋上に、着いた。
辛かった、苦しかった、痛かった、わからなかった、重かった、感激した、激昂した、絶望した、歓喜した。
冒涜的なほど狂っている体と心のイカれた解離。まざまざと実感したか故に。ここで、せめてこの感情を押さえよう。
押さえて前を向こう。
もう、彼女なんていう「偶像」にすがるのは終わりだ。
自分が男であるという最後の境界線であったこの想い。
ここで捨ててしまおう。今日から
私になるんだ。これは祝い酒だ!
掠れた瓶の液体を試験管に注ぐ。
透明な液体に陽光が透けて綺麗だ。
そう、今日から変わるんだ。
もう俺は、死んだんだ。
そして、試験管を否、杯を呷る。
喉を焼くこの感覚も何処か心地よい。
……なんだか、おかしい。
心地のよいいつもの眩暈と違う。
眼が、霞む。見えない…見えない!?見えない、怖い、怖い怖いこわい!?たすけて!!たすけてたすけてたすけて!!!
……いつもあった地面が消える。
空が「俺を私を」掴んで離さない。落ちていく。見えない、自分すら見えないまま落ちていく。空に、空に、墜ちる。笑った、笑い声が、自然に漏れた。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ……イタイアツイ、サムイ。眠い。
『お昼のニュースをお伝えします。本日午後都内の……学園で生徒が自殺しました。遺書などは残されておらず…』
その少女が死んだ理由は誰にもわからない。そしてその少女が生きていた最後の痕跡。
その紅い血の後がいま、拭き取られた。