俺と女性とこれからの話
ーーあぁ、これが“死”って奴か。
俺はあの後、壁を壊して意識を失った。
そして視界に広がるのは真っ黒でなにも無い空間。
というか今の自分に目とか鼻とか耳とか腕とか足とか、つまり五体満足のちゃんとした肉体が有るのかが分からない。
ただ闇が見えるだけ。
だけど、見えるという事は視覚があるということで、それを認識出来る目玉と脳は存在している事になる。
なら他はどうだろうか?
腕と足を動かそうとするが動かない。いや、どうやったら動くのかが分からない。
次は肌から何か感じないのかやってみるが、それも同じでどうやったら感じるのかが分からない。
耳、口も同じく分からない。
つまるところ、今の俺は目玉とその光景を認識できる欠落した脳しかないのか。
(これが死んだ後の世界……闇だけが見える……いやそれしか分からない世界か。これは地獄でも天国でもどっちでもとれるな)
人としての感覚も感情も肉体も殆ど失っている。それに段々とそんな事を考えるのも分からなくなってきた。
あぁ、俺が消える。
視界に広がる闇が全てを飲み込んでいるのか、残った視覚さえも曖昧になってきた。
(これは“死”? いや“無”、か)
そのままなすがままに俺という存在は無くなっていったーー
「……う……ん?」
ゆっくりと瞼を開ける。
あれ? なんかさっきまで何か変な夢を見ていたようなそうでないような……いや、待て待て待て! そうだ、俺消えてたじゃん!
「な、何が起きたんだ?」
とりあえず自由になった頭を動かして周りの風景を確認してみる。
まず理解出来たのはそこそこに広い和室。多分十畳ぐらいだろうか。そこに俺は真っ白な布団に寝かされている。
勿論だが、こんな立派な部屋に心当たりは全く無い。
「一体何がどうなってるんだ?」
俺は確かに「僕」に全てを、魂を捧げた。その時に知らない女性の声が聞こえて……うーむ、全く理解出来ない。
そんな風に考えていると外の廊下の障子がスッと開かれて、そこに黒髪ロングの美しい糸目の女性が桶と濡れタオルを持って現れた。全く知らない女性に膠着する俺。そんな俺に女性は優しい笑みを浮かべた。
「ようやく目を覚ましたのですね、今の貴方は……向こうの世界の方ですね。申し訳ありませんがお名前は覚えていますか?」
「あっはい。俺の名前は……あれ? 思い出せない?」
まるで虫食い虫に喰われたように、所々の記憶は曖昧だが覚えているが、自分の名前や家族構成、なんでここにいるのかが分からない。
「あー、やはり少し無茶をしたせいで貴方と彼にも記憶喪失が起きてしまっていますか。申し訳ありません」
女性はそう謝って悔やんだ様子で頭を深く下げた。いや、全く理解出来ていない事が多過ぎて謝られても困るのだが。
「まず、貴方の名前は矢岸隆也。この世界に存在する山名功太の別世界の同一人物です」
「同一人物? ……あ、あぁ、そうだったな。それで、俺がなんとか出来ないかあの壁を……」
「はい。普通の人間であの壁は壊せれませんが、少しばかし私がお力添えをさせて頂きました」
「力添え?」
「少しだけ私の力……“神”の力を貴方、隆也さんにお渡ししたのです」
「へぇ、神様の力を……神様!?」
天井を見上げ思考に更けていた顔を思わず女性に向ける。女性はそのリアクションが可笑しかったのかニッコリと笑みを溢した。
「はい、私は神。この姫龍島で、遠い昔に崇められていた虎姫と申します」
「虎姫……なんか聞いた事があるような……?」
「多分それは貴方と彼との繋がりでの会話にあった邪神の事でしょう」
「あぁ、確かにそんな話をした事があったな、昔に島を荒らした恐ろしい神様がい……た……」
たしかにそんな話をした。そして、代々『僕』いや功太の一族が封印していたという事を教えてくれた。で、その恐ろしい神様が目の前にいる、と。
……ふむ。
「すいません、俺の命は差し出すんでこいつの命は勘弁して頂けないでしょうか!」
即土下座。もう畳に頭をめり込む勢いで土下座。身体中が痛い? いやそれより目の前の神様に許して貰うのが先だろ。いや、涙が出るくらい痛いけど。
「ふふふ、貴方いえ隆也さんはあの人にそっくりですね……本当に襲ってしまいたいくらいに……」
ひいいぃ! 最後! 最後なんか聞こえたらいけないトーンで危ない言葉を発しましたよこの神様!! 怖い! さっきの“無”とはまた違ったベクトルで怖いぃ!
「まぁ、それは冗談として貴方には二つの選択肢があります」
「選択肢?」
「はい、一つはこのまま山名功太の魂の一部となりそのまま時が過ぎて貴方が消える」
「消える……というのはつまりまたあの“無”になるという事でしょうか?」
「そうですね。時間が過ぎるに連れて貴方の魂は山名功太の魂と一体化致します。それにつれて貴方の自我も比例して消えていきます」
淡々とかなりエグい事を説明してくれるな、この神様。まあ神様だから当たり前か。人間とは感性が違うもんな。
「さてもう一つは……貴方が山名功太に成り代わるという事です」
「成り代わる?」
「現在、山名功太の魂は風前の灯火。それを補う形で貴方の魂と私の力でそれを保っている状態です。なので、貴方が望むならその灯火を消して貴方の魂に入れかえる事が出来ます」
「でも、それって……」
「はい、山名功太は消えます。貴女が経験した“無”になります。それでどうしますか、矢岸隆也?」
虎姫様は真剣な眼差しで俺を見つめる。でも、そんなのはあの時、壁を壊した時に決めている事だ。今さらそんな問答はいらない。
「そんなのは決まってますよ。俺は『僕』の為にここに来た。だから、この命はもう決まってます」
その返答に……虎姫様は突然俺の体を抱き締めた。勿論だが、こんな美女に抱き締められる耐性なんて持ち合わせていないので狼狽えてしまう。
「うぇ!? と、虎姫様!?!?」
「……貴方は本当に似ています。その勇気と優しさは……だから少しだけこうさせて下さい……」
どこか懐かしむようでそれでいて悲しそうな声で囁く虎姫様を強引に引き離せる筈もなく、そのまま眠気が襲ってくるまでその夜は更けていった。