火乃森 美月 序章
満月の光に足元を照らされ山路を登る一人の女性がいた
黒髪を一本に結わい華奢な体に巫女の装束に身を包んだ女性は独特な近づき難い雰囲気を醸し出していた、腰には女性には似つかわしくない大太刀を帯刀しており、より一層異様な違和感を覚える、目は真剣に正面を見据えており、気の強さや意志の強さを感じとる事が出来る、がどこか表情は固く、それが彼女の緊張を物語っていた
年の頃は17、8といった所だろうか
彼女の名前は火乃森 美月といい霊峰として名高い神火山を守る
火ノ守神社の18代目神主として、ある事をする為に山頂にある月読の社と呼ばれる場所を目指していた
麓にある神社がだんだんと小さくなり、篝火が遠くに霞む頃には人の全く入らない山は何人の侵入を拒むように木々が生い茂っていた、一応道は畦道程度には舗装されていたが山を登るにつれ険しさを増していく
しかし美月の歩はペースを落とす事はなく快調に山頂を目指していた、幼少の頃から山を遊び場としてきたのだろう、着なれない巫女姿も大した問題ではないようだ
「思ったより早く着きそう」美月がひとり呟く
その言葉には、緊張や恐れよりも何かの決意にも似たものを感じられた
程なくして山の頂、月読の社に到着した
辺りは静寂に包まれ風の音も木々のざわめきも聴こえてはこなかった、在るものは月の明りと古ぼけた社
社の中に入るとギシギシと木の床が歪み埃とカビ臭い空気が建物の老朽化を疑わせる
奥には祭事の際に巫女がひとり入れるだけの六畳ほどの小さな部屋が1つある、天井は吹き抜けになっており部屋の狭さを感じさせないほど開放感がある、夜だというのに灯りを点けなくても空から降る満月の光が十分な照明の役割をし足元を照らしていた、部屋の中心に射し込む月明かりが神秘的に揺らめき、まるで海の中を漂っているかのような錯覚さえ覚える
美月は帯刀していた大太刀を抜き月の光が当たる部屋の中心に立ち刀越しに月を見上げる
月の光に照らされたその剣は俗に言う日本刀とは似ても似つかぬ形をしていた、一言で説明するなら鳥の羽が一番しっくりくるだろう、刀というより鉄扇に近いのだろうか、刀身は異様な程白く放射状に模様が入りそれが幾重にも重なった羽のように見えた、
その刀は半透明に透けていて刀越しに月が見える
ふとどこからか声が聴こえる
?「ふあ~人の姿になるのもずいぶん久しぶりだな~」
間の抜けた声が社の中に響き渡る
月の光に照らされてぼんやりとだが人の形を作っていく
声の感じから男性だと思われるその主は言葉を続けた
?「へぇー意外と似あってるじゃないか、ちゃんと神主の仕事もしてるんだね」
美月「誰かさんと違って寝てばっかりもいられないですから」
美月が冷たくあしらう
二三挨拶を交わし声の主は姿を現した
白髪混じりの男の年齢は30代後半か40代といったところだろうか
美月以外の人が彼の姿を見たなら、その感想は皆一様にして同じ事を口にするであろう「幽霊」と
幽霊「今夜は僕も本気を出さなくちゃならないかな?なんたって10年に一度の大イベントだろ?」
美月「正確には12年に1度です…それに…イベントなんて楽しいもんじゃありませんよ」
幽霊「大丈夫大丈夫!心配しなさんなって、なんといっても名刀もあるし…僕もいるからね!」
美月「…この刀と私だけで大丈夫です」
そんな美月の辛辣な言葉も意に介さず幽霊は飄々とし、まだ起きたばかりだから眠いと言わんばかりに欠伸をしている
幽霊「じゃあ、ボチボチやりましょうかね」
美月「刀をお返ししましょうか?」
幽霊「いや、いいよ、僕の鈍った腕より美月のほうがよっぽど上手く扱えるでしょ」
さて、と一息つくと夜空を見上げ、月の位置を確認する
この社は構造上、季節や時間などから月の満ち欠けを確認することが出来る、いわば天文台の役割を果たしていた
そしてこの日は霊峰としても有名な神火山の12年に1度必ず来る大厄災の日だった
言い伝えによると大厄災とはこの世に未練を残した死者の魂が最も活動的になる日らしく、過去には飢饉や蔓延病、神隠しがあったとされ、その魂の活動には月の満ち欠けが関係をしているらしい、美月の一族は代々この大厄災を収める為に最も霊力の優れた者を神主としこの地を守ってきたのだった
幽霊(美月は確かに優秀な神主になったと思う、がこの大厄災ってのは一筋縄じゃ、いかなそうだな…霊体の僕がまるで実体を持ってるみたいだ)
美月(12年前のようにはならない…誰1人として絶対に山に喰われてなるもんか、私がみんなを護らなくちゃ…!)
社から外に出る
先程とは打って変わり風が強くなる…
幽霊「う~ん、かなりヤバそうな雰囲気だな~」
美月「タイムリミットは日の出まで、それまで大厄災をこの山から出さないようにして下さい、出来そうですか?」
幽霊「無理」
美月「大丈夫そうですね、頑張って下さい」
幽霊「あんまり扱き使うと僕死んじゃうよ?もう死んでるけど…成仏しちゃうよ?」
美月「それはおめでとうございます…」
美月の真剣だった眼差しが刹那冷たさを増し冷酷な程の殺気を放つ
美月「右30メートル左63メートル真後ろ25メートルほぼ同時に隠世への道が開きます…」
幽霊「俺ひだり~」
幽霊は肉体の重みが無い分動きが速い、木々を風のように通り抜け指定した場所にあっという間に待機する
幽霊「はよ、出てこーい、腕慣らしに遊んでやるよ」
美月「この距離なら同時に消せますね」
と、まるで大太刀を団扇のように横に振り風を巻き起こす、突風が森を駆け抜け、木々が大きくしなる
美月が目を閉じ集中する
美月「3ヶ所隠世への道は消えたみたいですよ」
森の中から幽霊が黒い何かを持ってやって来る
幽霊「全然手応えないな~」
その手にはヒトガタの何かが掴まれており、どうやらそれが大厄災の正体らしい
ほい、と黒いヒトガタを地面に投げる
それは全体を黒っぽい灰色のような包帯で巻かれていて目は潰れ、手首から先は親指しかない…そして首が異様な程細かった、とても元人間の魂だとは思えない
幽霊「成仏させてあげてよ」
美月がおもむろにヒトガタに近づき刀を突き立てる
真っ白だった刀身がヒトガタを吸い少し黒くなる
ヒトガタの姿がみるみる小さくなり消えていく
美月「終わったら、ちゃんと弔います、其れまではこれで勘弁を…」
幽霊「まさかこれで終わりじゃない?よね」
美月「まさか、次30秒後13箇所ほぼ同時に開きます」
幽霊「うへー先は長そう…」
何時間戦っただろうか、空が明るみ始める
二人の孤独な戦いも終わりが近くなる
幽霊「ハァハァ…体が無くても息があがるんだね…」
美月「……………」
幽霊の冗談に、もはや相槌を打つ気力すらない
刀は真っ黒に染まり、一体どれだけの魂を吸ってきたのだろう
美月は肩で息をして、限界が近いようだ…それも無理からぬ事だった、気丈に振る舞っていても、まだ、あどけなさの残る少女に違いない…おそらく今夜だけで刀を振った数は2000を超えるだろう…
ましてや、人の形をした化け物相手なら並みの精神力ならとっくに限界である
幽霊「まずいよ…美月…体が消え始めた…そろそろ限界みたい」
幽霊が消え始めたなら大厄災も同じく消え始めるだろう
その一瞬の油断こそが戦いの場において最も危険なのである、勝利を確信した瞬間、終わりが見えた瞬間、そこには全ての人が最も脆くなる罠が潜んでいた
刹那背後に黒い靄が広がる
気がつけば、美月は闇に飲まれていた