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烏、駆ける

 カッセン将軍の号令で横隊を組んだ騎兵は、夕日を受けて赤く輝く槍の穂先を、ぴたりと前方にそろえて草原を突き進んだ。歩兵ばかりを十数名の部隊ごとに散開して待ち受けていたイ国の軍勢は、突進する鋼をまとった騎馬に、為す術も無く蹴散らされる。しかし、あっさりと敵を屠ったにも関わらず、兜の下にある将軍の顔は晴れない。彼の側らで馬を並べるザシャーリも、いつもの笑顔が心なしか曇っているように見える。さもありなんと烏は唇を引き結び、鞍の前に座るマリコに視線を落とした。目深にフードを被り、そもそも背を向けているから、彼女の表情は読めない。このちっぽけな女の子は、自分が引き起こした戦い――もちろん、彼女に一切の非は無いにせよ――を、どう思って眺めているのだろうか。


 それは、湖畔の砦跡を発ってから数時間後のことだった。東へ偵察に走らせた兵が戻り、カッセン将軍は行軍を止め、鞍上でその報告を受けた。兵士はザシャーリの読み通り、街道を西進する敵部隊の発見を告げるが、その内容を聞いた将軍は、半ば怒鳴るようにして聞き返した。「歩兵が二千だと?」

 兵士は直立不動の姿勢のまま、「はい、閣下」と答えた。

 将軍は熊のようにうなり、しばらく考えてから誰にともなく言った。「数は脅威だが、それだけの規模であれば行軍の速度は我々とどっこいだろう。距離はこちらが半日ほど先行しているようだから、よほど西の始末に手間取らなければ、追い付かれることはないはずだ」

「おそれながら、閣下」兵士は厳しい表情で告げた。「()の隊は兵を走らせております」

 カッセン将軍はぽかんと口を開け、次いでザシャーリに目を向けると、ずいぶん経ってからようやく言葉を口にした。「お前の王は、馬鹿か?」

「馬鹿なのは指揮官ですよ。おそらく、西の部隊より先に私たちを捕らえれば、褒美を出すとでも言われたのでしょう」ザシャーリは言って、しばらく考えてから続けた。「しかし、二千ともなれば、国境の砦からかき集めたと言うわけでも無さそうですね。ここから東で、その規模の兵を常駐している駐屯地となるとトレワンしかありませんが……」

 言葉をにごすザシャーリを見て、烏は首を傾げた。「そうだとして、何か問題でもあるのか?」

「トレワンは王国北部の要衝なのだ」ダヴィードが答えた。「防衛の要であるトレワンから、ありったけの兵を出すなど普通は考えられない。もしこれが、中将閣下の侵入に応じて動いたのだとすれば理解できなくもないが、そうであれば部隊はもっと遠くにいるはずだ。やはり彼らは、我々を捕らえるために送り出されたと見るべきだろう」

「十人足らずの小さなグループを相手に、ずいぶん大げさだな」烏は鼻を鳴らした。

 ダヴィードは首を振った。「現にザシャーリ殿は、どこからともなく三千の兵を調達して見せたのだから、それほどおかしな数字ではない。問題は、その出所なのだ。トレワンを空っぽにすることを厭わないのであれば、西でも同じことをやっている可能性が高い。つまり、中将閣下がおっしゃった西の本隊も、東と同規模だと見るべきだろう。そうなれば、我々は挟撃を受けるだけでなく、数においても劣勢を強いられることになる」

 カッセン将軍は舌打ちした。「足止めに、五百ほど置いて行くか?」

「いえ、それでは大した時間稼ぎになりません」ザシャーリは言って、西に大きく傾いた太陽に目をやった。「走れとまでは言いませんが、こちらも少しばかり急がせてください。日が暮れてからもしばらく行軍を続ければ、ある程度の距離は稼げるでしょう。今夜は月明かりもあるので、支障はないはずです」

「それを言うなら、条件は向こうも同じだろう?」将軍は眉をひそめた。

「そうでもありません」ザシャーリはふふと笑った。「他人に無理を強いる者は、大抵の場合、自身の無理を嫌うものです。夜になれば、あちらの指揮官殿もゆっくり休みたいと考えるでしょう。もし彼が、私の予想に反して勤勉であったとしたら、それはそれで望むところです。今の仕事が給料に見合わないと考えれば、誰だって新しいビジネスを始めようと考えたくなりますからね。我々に追いついた頃には、二千あった兵もずいぶん目減りしていることでしょう」

 厳しい行軍に嫌気がさして、脱走した兵士の話は烏も耳にしたことがある。どうやらザシャーリは、時間を稼げば、それだけこちらが有利になると考えているようだ。

「わかった、それで行こう」

 カッセン将軍は頷き、矢継ぎ早に命令を飛ばして行軍を再開した。そして、遠く西に連なる稜線に太陽が差しかかった頃、前方を偵察していた斥候から、敵発見の報せが届く。

「お前たちが見たように、連中は小隊ごとに分かれて向こう側をうろついているようだ」そう言って将軍が指差した前方には、低い丘の頂があっていた。

「どう処理しますか?」ザシャーリはたずねた。

「騎兵ですり潰す」将軍は即答した。「三百ほど丘を下る勢いを使って突っ込ませ、次いで弓兵を送り、騎兵の後退を助けつつ全軍を押し上げよう」

「教科書通りですね」

「今のところ、こちらが数で圧倒している。小細工は無用だ」

 しかし、弓兵の出番は無かった。敵は騎兵の一度の突撃で大半が潰滅し、わずかに生き残った兵もほうほうの体で散り去ったからだ。丘の頂上に立つカッセン将軍は、見えるはずもない敵を後方に探そうと振り返り、苦り切った顔で小さく首を振ってから部隊に前進を命じた。

 隊列の中ほどにいた烏たちが丘を下りきった頃には、すでに日が落ちていた。月の出までは、まだしばらくの間があり、辺りは薄暮に包まれている。しかし、戦場の跡には壊れた人体が放つ独特の匂いが漂っていたから、マリコの目に触れさせたくない何かがそこらに転がっていることは明らかで、それを隠す闇を烏は歓迎した。

 フ国の軍勢は街道を進み続け、マリコが船をこぎ始めた頃になって、ようやく足を止めた。ただちに天幕が張られ、客分の烏たちの寝床として、それがあてがわれた。烏はマリコを寝かしつけてから、床に置いた蝋燭と地図を囲んで車座になる仲間たちに歩み寄った。すぐにザシャーリとダヴィードが尻をずらして隙間を空け、烏は二人の間に腰を降ろした。

「問題は、西の本隊の動きだ」休息のために武装を解いたカッセン大佐は、腕組みをして言った。「本当に、ただ俺たちを待ち受けてるだけなのか、自信が持てなくなって来た」

「私も同じです」と、ダヴィード。「ザシャーリ殿が言うように、東西の部隊が我々を捕らえようと競い合っているのなら、彼らが座して待つ道理はありません」

「そうなったら、万事休すだね」ジルがつぶやき、ため息を落とした。

「そこまで、ひどいことにはならないでしょう」ザシャーリは言った。「もし閣下やダヴィードが考える通り、西の部隊が動いていたとしても、それを突破するのはさほど難しくはないと思います。何と言っても、彼らの目的は国境を侵したフ国軍を撃退することではなく、私たちを捕らえることにあるからです。従って、その編成は歩兵を中心としたものになるので、騎兵が主体のこちらが有利となります」

「なんで、そんなことがわかるのか、俺にはさっぱりわからないんだが?」烏は首を傾げて言った。

「俺もだ」と、ワン。「戦争の素人にもわかるように教えてくれよ」

「騎兵は貴族の子弟が多いからな」ダヴィードが答えた。「我々を捕らえるために、街道やその周辺を抑えようとするなら、指揮官の命令をよく聞き、仲間と連携が取れる平民出の歩兵の方が向いているのだ」

 なるほど、と烏は頷く。騎兵は軍隊の中でも花形で、しかも軍馬を所有できるのは金持ちだけだ。そうとなれば、騎兵の構成が貴族に偏るのは当然のことだろう。そして大抵の場合、貴族は命令する側にいるから、命令されることになれていない。

「うちの場合は事情が違ってな」カッセン将軍が言った。「イ国に、こてんぱんにやられることが多いせいで、長らく兵員不足に悩まされてきたから、国の事業として兵の育成を行うようになったんだ。軍で重視されるのは階級のみで、出自によって兵種が決まることはない。そんなわけで、騎兵も歩兵に負けないくらい統制の取れた機動が出来る」

「全員が騎兵なら無敵じゃないか」ワンが言う。

「フ国の財政に、それだけの余力はないんだ」将軍は苦笑いを浮かべた。「軍馬は、生産にも維持にも金が掛かるからな」

「ともかく」と、ザシャーリ。「私たちが打てる手の一つは、先ほども言ったような正攻法です。ただし、西との遭遇地点がエランヴィルより遠ければ遠いほど、私たちは長らく追撃に悩まされることになります。この作戦で問題があるとすれば、その一点ですね」

「なんだか、いくつも手がありそうな口ぶりだな?」と、ワン。

「まさか」ザシャーリはふふと笑った。「次の一つで打ち止めですよ」

「もったいぶるな、ザシャーリ」カッセン将軍がせっついた。

 ザシャーリは肩をすくめてから、地図の一点を指差した。「我々がいるこの場所は、以前、ダヴィードが指摘したように国境が南に張り出し、回廊地帯となっています。もう一つの手は北へ向かい、国境を越えてフ国へ亡命することです。ここなら他の場所と違って国境線が近いので、東西の部隊が追いつく前に、陛下が設えた馬防柵を破ることができるでしょう」

「一番ましな手に聞こえるんだけど、ひょっとして何かまずいことがある?」カテリナは用心深くたずねた。

「ジャンヌの霊廟だ」カッセン将軍は言って束の間瞑目してから、再び口を開いた。「百年ほど前、フ国は疫病と王位継承のごたごたに乗じて侵攻してきたイ国に、国土の大半を掌握されていたんだ。まさに亡国の危機にあったフ国を救ったのが、英雄ジャンヌだ」

「女の名前ですね?」烏はたずねた。

 カッセン将軍は頷いた。「ジャンヌは、農民上がりのちっぽけな男爵家の娘だが、優れた将だった。その戦ぶりは、敵も味方も三嘆するほどだったと言う。ジャンヌの死後、イとフ両国から偉大な英雄を称えようと言う声が上がり、彼女の墓がある男爵家の領地を、互いに不可侵とする協定が結ばれたんだ。もちろん、侵攻の拠点となるような砦を周囲に建設することも禁じられている」

「ちょっと」カテリナはぎょっとした様子で言った。「その不可侵の領域に入るって言うの?」

「あなたが指摘したまずいこととは、まさにそれなんです。しかし、その協定が我々を守ってもくれます。イゾーテ陛下が自ら部隊を率いていれば話は別ですが、さもなければ東西の部隊を任されている指揮官が、協定を破ってまで我々を追跡すると言う決断を下せるはずがありませんからね」

「論外だ」将軍は言った。「俺は、このまま西へ進むほうが一番ましに思う。何せ、指揮官と言うのは人気商売だからな。協定云々以前に、多くの者が敬愛する英雄の霊をないがしろにしたとあっては、誰も俺の命令なんか聞いてはくれなくなるだろう。ついでに言えば、ジャンヌの墓を踏み荒らすような輩が亡命してきたとしても、俺の王様が迎え入れてくれるとは思えん」

「仕方がありません」ザシャーリは肩をすくめた。「最高指揮官の決断に従いましょう」

 方針が定まり、会議もお開きになるかと思ったところで、テレンシャが口を開いた。「姉さま、ちょっと提案があるんだけど」

「なあに?」カテリナは首を傾げた。

「あたしが西なり東なりの指揮官を殺せば、あれこれ悩むことも無くなると思う」

「そうね」カテリナは顎に指を当てて考え込んだ。しばらく経って、彼女は言った。「悪くはないと思うけど、難しい仕事になるわよ?」

「わかってる。無理はしない」テレンシャは頷き、車座から立ち上がった。

「俺も行こう。ちょうど、敵は東と西に二つあるからな。二人でやれば、色んな問題がいっぺんに片付く」烏は言って腰を上げ掛けるが、何かにマントを引っ張られ尻もちをついた。見れば、いつの間にか目を覚ましたマリコの、真っ黒な瞳と目が合った。少女は烏のマントの裾を、横になったまま握りしめている。

「また、どこか行く?」マリコはたずねた。烏は頷いた。マリコはマントから手を放し、ふと笑みを浮かべて、その手を小さく振った。「行ってらっしゃい」

 その様子をじっと見ていたダヴィードが、口を開いた。「烏、お前はマリコ様のそばにいて彼女を守れ。テレンシャが思い付いたことを、敵が思い付かないとも限らない」

「だったら、狙われるのは将軍さんだろう。それに、もしマリコが狙われたとしても、あんたも含めて滅法強い連中がそばにいるんだから……」ダヴィードの拳骨が頭に落ちて、烏は言葉を切った。

「お前は何もわかっていない」タヴィードは憤慨した様子で言った。

「いきなり何だよ?」烏は抗議した。殴られた場所をさすると、少しこぶになっていた。

「あたしも、ダヴィードに賛成」テレンシャは言って、カッセン将軍に目を向けた。「どっちを殺す?」

「西だ」将軍は即答した。

 テレンシャは頷き、ザシャーリに目を向けた。「どのくらいの位置にいるか、見当は付く?」

「わかりません」ザシャーリは言って、束の間考えてから口を開いた。「しかし三〇マイルより近ければ、我々にとって不都合な状況になります。もし、それよりも遠いようなら一度引き返してください。あなたがそばにいないのは、ちょっと寂しいですからね」

「へえ?」テレンシャは白い歯を見せ、烏に目を向けた。「少しは、彼を見習った方がいいわ」

 烏は、ただ肩をすくめるしか無かった。


 翌朝、部隊は西へ向けて再び進軍を始めた。鞍の前に座るマリコはどう言うわけか上機嫌で、烏が聞いたことも無い歌を口ずさんでいる。大半は、おそらくヤ国の言葉だが、中には言い訳(plea)だの治療(cure)だの、何やら耳覚えのある単語も混じっていた。

 暗殺に向かったテレンシャが戻って来たのは、昼を少し回った頃だった。彼女は長らく町娘の格好をしていたから、赤錆色の仕事着を着た少女を見るのはひどく久しぶりで、烏は密かにそれを好ましく思った。ずいぶん急いだのか、彼女も馬もひどく汗をかいていた。

「首尾は?」カテリナがたずねると、テレンシャは小さく首を振り、険しい表情をカッセン将軍に向けた。「すぐに行軍を止めて」

 将軍は訝しげに少女を見つめるが、それでも部隊に小休止を命じた。

「何があったんですか?」ザシャーリは鞍にぶら下げた水袋を外し、テレンシャに渡した。テレンシャは水を少し飲んでから水袋を頭上に掲げ、ばちゃばちゃと水を浴びた。それから、ぶるっと頭を振って水気を飛ばし、ようやく口を開いた。「ものすごい大軍がいた。たぶん、将軍さんの兵隊の倍くらい。砦跡で姉さまが言ってた港町の、何マイルか向こう側に居座ってる」

「ギリグの町です」ザシャーリが言った。「ここからなら、一五、六マイルと言ったところでしょうか」

「もちろん」と、カテリナ。「仕事をあきらめたのは、別の理由があるからなんでしょ?」

 テレンシャは頷いた。「あいつらの指揮官は、王様だった」

 その場にいた全員が、はっと息を飲んだ。

「あの化け物を、一人で殺すのは無理」と、テレンシャ。もちろん、彼女の判断に異を唱える者はいなかった。

「しかし、よもや御大自らの出陣とはな」カッセン将軍は、しかめっ面をザシャーリに向けた。「小さな女の子を一人捕らえるために、五千なり六千なりを動員するなど、俺がお前の手駒になっていなかったら、彼は物笑いの種だぞ」

 ふと、マリコが首を捻って烏を見つめてくる。烏は束の間考え、唇の端をにっと吊り上げて見せた。それでマリコはほっとため息をつき、再び前に向き直った。

「ごもっとも。陛下は私と閣下に感謝すべきですね」ザシャーリは呟き、束の間考えてからジルに目を向けた。「ギリグから、ありったけの荷馬車を仕入れて来てください。頑丈で、なるべく足の速いものを?」

「何か、策があるのか?」将軍は言った。

「ええ。数に劣るなら、それを埋め合わせる何かが必要ですから」

 将軍は頷き、ジルに目を向けた。「請求書は全部、俺に回せ。一ペニーだって値切る必要はないぞ。言い値で買って来い」

「閣下は金の使いどころをご存じのようです」ジルはにやりと笑みを浮かべ、ザシャーリに目を向けた。「フツかダヴィードを借りて行ってもいいかい。王様の兵隊が様子を見に来ていたら、私じゃ手も足もでないからね」

「私が行くわ」フツが手を挙げた。

 ザシャーリは頷いた。「お願いします」

 ジルとフツの二騎は出発し、部隊も行軍を再開した。そして日も暮れかけた頃、前方に簡素な丸太の防壁で守られた町の姿が見えてきた。ギリグの町はセバン湖に張り付くようにあり、港町だけあって夕日で赤く輝く湖面に向い長い桟橋が伸びている。そこには大きな船が何隻も係留されており、荷を担いでちょろちょろと動き回る小さな人影も見えた。

 町の門は閉ざされていたが、その前には大量の荷馬車がひしめくように停まっていた。そこから二騎の騎馬が出て、烏たちがいる隊列の中ほどに駆け寄ってきた。

「生憎と御者の手配が付かなかったんだ」と、ジル。「みんな、戦争に巻き込まれるのはごめんだって尻込みしてね」彼は将軍に目を向けた。「悪いんだけど、兵隊さんを五十人ほど貸しちゃもらえませんか?」

 ただちに御者役を命じられた兵が送り込まれ、カッセン将軍の部隊には新たに五十台の荷馬車隊が加わった。将軍は訝しげにそれを眺め、ザシャーリにたずねた。「これを、一体どうするんだ。干し草を乗せて火を放って敵に突っ込ませるのか?」

「まさか」ザシャーリはふふと笑った。「そろそろ日も落ちます。行軍を止めて、全ての歩兵の武装を解いてください」

「なんだって?」将軍は素っ頓狂な声を上げた。「六千の敵が、ほんの数マイル先にいるんだぞ。しかも後ろからは二千が迫っている」

「策があると言ったでしょう。さっさと、言われた通りにしてください。外した装備はきちんと整理して荷馬車へ乗せるように。それと、東西に偵察を送って敵の距離と規模をもう一度、調べていただけますか?」

 将軍はぶつぶつと悪態をこぼしながらも、矢継ぎ早に命令を下し、言われた通りにした。日が落ちると、重たい装備から解放された兵士たちは、どこか不安げな様子で野営の準備を始めた。

 偵察隊は真夜中近くになって戻ってきた。彼らの報告によれば、東の部隊との距離は十二マイルほどで、彼らはもはや駆けてはおらず、その数も千五百ほどにまで目減りしていた。西の部隊については、おおよそテレンシャが見た通りで、今はギリグから八マイルの地点に野営しており、弓兵は無く、騎兵はわずかで、その陣立ては湖岸から街道を横切り、北へ向けて横長に展開しているとのことだった。

「接敵は明日の昼前になりそうですね」テントに集った仲間たちを前に、ザシャーリは呟いた。

「そろそろ、詳しい作戦を教えてくれてもいいんじゃないか?」カッセン将軍が言った。

「それほど、ややこしいものじゃありません」ザシャーリは言って、テントの片隅で寝息を立てるマリコに目を向けた。「彼女を囮にするんです」

「馬鹿な!」ダヴィードが車座から立ち上がった。

「まあ、落ち着け」ワンがなだめた。「軍師さんが、マリコを危険な目に遭わせるはずがないだろう」

「当たり前です」ザシャーリはふふと笑った。「我々がやるべきことは、陛下の部隊を突破し、烏とマリコを敵の後方へ送り出すことです。彼らには、そのままエランヴィルへ全速力で逃げてもらいます」

 ダヴィードはどしんと腰を降ろした。「なるほど。むしろ、我々が彼女を逃がすための囮となるわけか」

「マリコちゃんが安全なら、それに越したことはないけど、私たちはどうするんだい」と、ジル。「そりゃあ、美少女を守って戦場に散るなんて、いかにも英雄っぽくて悪くない話だけどね」

「そう、早合点しないでください」ザシャーリはため息をついて、小さく首を振った。「具体的には二列縦隊の騎兵で敵の隊列をこじ開け、そこに出来た間隙から烏とマリコを逃がします。おそらく陛下は二人を追い掛けようとして、どこかしらの部隊を動かすはずです。私たちは、そこへさらに騎兵を突撃させ、全隊でもって敵を突破、その背後へ抜けます。私たちは敵を置いて前進し、ある程度の距離を取ったところで歩兵隊を再武装させ、反転した敵を迎え撃ちます。都合が良いことに、陛下は部隊を横長に展開していますから、この作戦なら、そのほとんどを遊軍とすることができるでしょう。数の不利は、これで無視できます」

「だが、エランヴィルまでは、まだ三日の距離があるんだぞ。うまく突破したとしても、態勢を立て直した連中から、ずっと追撃を受け続けることにならないか?」カッセン将軍が指摘した。

「その通りです」ザシャーリはあっさりと認めた。「そこで烏とマリコには、エランヴィルに着き次第、彼らに援軍を要請してもらうつもりです」

「エランヴィルには、それほどの兵が揃っているのか?」

「それについては、カテリナの方が詳しいかも知れませんね」

「子供の頃に一年ほど住んでたってだけよ」カテリナは肩をすくめた。「それでも覚えてる限り、村人はみんな弓の訓練を受けてたわ。人口が一万人ちょっとの村だから、戦える人を総動員したら、二千人くらいにはなるんじゃないかしら?」

「どうやら期待できそうだな」将軍は腕組みして頷いた。「俺たちは、その援軍がやって来るまで、なんとか踏ん張ればいいんだ。もちろん、エランヴィルの連中が要請を受け入れてくれれば、だが」

「それは、烏とマリコの頑張りに掛かっています」ザシャーリは言って、烏に目を向けた。「お願いできますね?」

 まるで二人に命を預けるかのような言い草だが、おそらくそれは建前で、ザシャーリの目的はマリコを逃がすこと()()にある。行く先には六千、背後からは千五百。戦力の差は明白で、いかに優れた軍師であろうと、この不利をひっくり返すことは、奇跡でも起きない限り不可能だろう。それでも烏は、その事実に気付かないふりをした。

「わかった」烏は頷いた。「朝になったら、マリコにも説明する」

「はい」ザシャーリは、ただいつものように笑うだけだった。

 夜明け前、烏は目を覚ますなり、町民の服を脱いで赤錆色の仕事着に着替えた。別に、どこかへ忍び込むわけではないが、大仕事を前にして気分を切り替えるには必要な儀式だった。次いで、彼は馬から全ての荷を降ろし、テントの中で一人、未だ寝息を立てているマリコを揺り起こす。少女はごしごしと目をこすり、少しふらつきながらも立ち上がってから、笑顔で「おはよう」と言った。烏は早速、自分たちの「任務」について彼女に説明する。

「わかった」マリコは生真面目な顔で一つ頷いた。

 周囲ではすでに号令が飛び交い、将軍の軍勢はすっかり整列を終えていた。烏がマリコを馬上に押し上げ、自分も鞍に跨がると、フツが馬を寄せて来て、束にして結んだ帯を彼に放って寄越した。「カテリナは、エランヴィルまで山道になるって言ってたでしょ。たぶん、馬を乗り捨てることになるから、背負い紐が必要になると思うの」

 烏は頷き、ありがたくそれを受け取って、前合わせになった襟の奥へそれを押し込んだ。それから、次々と仲間たちがやって来て、烏とマリコにあれこれと声を掛けてくる。それは助言だったり、天気の話だったりと色々だったが、おそらくこれが今生の別れになると、それぞれ勘付いているからだろう。

「約束、覚えてる?」テレンシャが言った。

 烏は首を傾げた。最近、彼女と何かの約束を交わした覚えは無い。すると、赤毛の少女はにやりと笑みを浮かべ、烏の耳を掴んで引っ張り寄せ、小声で言った。「あたしと()()って約束」

 烏は思い出した。

「もう忘れないでよ」テレンシャは烏の頬に音を立ててキスしてから、マリコに向かって両手を広げてみせた。マリコは鞍に立ってから、身を投げるようにしてテレンシャに抱き付いた。テレンシャは少女を抱きしめ言った。「またエランヴィルでね?」

「うん、また……」マリコは言葉を切って、びくりと身じろぎした。「おしりはやめて!」

 見ればテレンシャは、マリコのお尻をわしづかみにしていた。赤毛の少女はくすくす笑って頬にキスをくれてから、マリコを烏の鞍に返し、ザシャーリの馬に自分の馬を寄せ、彼と何やら話し始めた。

「何を話してたの?」入れ替わりにカテリナが馬を寄せてくる。

「あれやこれや、約束をしてたんです」

「へえ?」カテリナは首を傾げるが、深くはたずねなかった。彼女は行く手をしばらく眺めてから、再び烏に目を向けた。「そんなに心配しなくても大丈夫よ。あの旦那さんのことだから、昨日言ったこと以外に、余計な策を二つか三つは用意しているはずだもの」

「でも、俺は小心者なんです」烏は肩をすくめて言った。

「そうね」カテリナはくすりと笑った。「まだマリコの方が、肝が据わってるわ」

「だって、みんな強いもの」マリコは鼻息も荒く言った。「烏も一緒だし、王様がいても平気」

 カテリナはにやにや笑いを烏に向けた。「ですって?」

 号令が飛び、部隊は前進を始めた。すぐにカッセン将軍とザシャーリがやって来て、烏について来るよう言った。彼らは隊列の間を抜け、間もなくその先頭へと出る。

「西は相変わらず動いていない」将軍は言った。

「我々が急に北へ進路を取るか、ギリグへ入り込んでろう城を始めでもしない限りは、彼らも動こうとはしないでしょう。フライパンへ飛び込もうとしている鱒を、わざわざ追い掛ける必要はありませんからね」と、ザシャーリ。

「嫌なたとえだな」将軍はしかめっ面をした。

「鰻の方が良かったですか?」

「いや、俺はにょろにょろしたやつが苦手なんだ」

「フ国の鰻料理は、なかなか絶品だったと思いますが?」

 将軍は鼻を鳴らした。「イ国の料理が不味すぎるんだ。比べるな」

 軽口を叩きながら進み続けていると、いよいよ敵の姿が見えた。陽を浴びて燦然と輝く鎧をまとった兵士たちは、まるで垣根のように行く手の地平を埋め尽くしている。カッセン将軍は口をつぐみ、そのまま一時間ほど行軍を続け、ついに全隊の停止を命令した。敵との距離はせいぜい三分の一マイルほどしかなく、それなのにカッセン将軍は、再び自分の馬を進めた。ザシャーリも後へ続き、烏も二騎を追い掛ける。

 カッセン将軍が手綱を引いたのは、槍を立てて直立する敵方の兵士の顔が、それぞれ見分けがつくほどにまでやって来たところだった。ほどなく、横長に展開する隊列の中央付近から、兵士たちの前を横切り、槍を持った一騎の騎兵がやって来る。

 その騎馬は、騎手も馬も恐ろしく大きく、どちらも金箔や宝石でごてごてと飾り付けられた、趣味の悪い鎧をまとっていた。ただし、騎手は兜を着けていなかった。

「こんなところで何をしている、カッセン?」巨漢の騎手は馬を止めると、太い眉の下にある青い目で将軍をにらみ付け、金色の針金のような髭に覆われた口を開いた。烏は、マリコの身体がふと強ばるのを感じた。

「陛下」と、将軍は馬上で軽く会釈をした。「ちょいと野暮用でな。すまんが道を開けてもらえないか」

「いいとも」イゾーテ王は、にやりと口を歪めた。「だが、払うものは払ってもらおう」

 将軍は鼻を鳴らした。「一国の王が追い剥ぎの真似事か?」

「ここは私の国だ。どこで何しようと勝手だろう」王は肩をすくめた。

「まあ、確かにな」将軍は肩をすくめた。「それで、いくら欲しい?」

 途端に王は飢えたようにぎらぎら光る目を、烏の鞍の前に座る少女に向けた。「マリコだ」

 将軍はため息を吐き、そして言った。「なあ、王よ。彼女は金品の類いじゃあないんだ。寄越せと言われておいそれと……」

「いやよ!」不意にマリコが言って、フードを払いのけた。王は息を飲み、束の間を置いてから緩んだ笑みを浮かべ、猫撫で声で言った。「さあ、マリコ。そろそろ散歩はおしまいにして、王宮へ戻っておいで。お前は、こんなところにいてはいけないんだ」

「いや」少女はきっぱりと言った。「私、絶対に、王様のところには行かない」

 王はぽかんと口を開けたままマリコを束の間見つめていたが、その表情は次第に苛立たしげなものへと変わった。「お前は黙って、私の言うことを聞いていれば良いのだ。さあ、こっちへ来い!」

 しかし、マリコは怯まず言った。「いや!」

「あーあ」と、カッセン将軍は言って、ザシャーリに目を向けた。「女の子に、あの言い草はないだろう」

「おっしゃる通りです」ザシャーリは頷いた。

 イゾーテ王はぎりぎりと歯噛みしてから、不意に背後を向いて叫んだ。「こいつらを捕らえろ!」

「おいおい」カッセン将軍はぎょっとして言うと、慌てて馬首を巡らせた。ザシャーリと烏もそれにならい、馬の腹を蹴って自陣へ向かい駆け出した。マリコは鞍の上で身を捻り、背後へ向かってあかんべえをする。振り返ってみると、王ががなり立てていると言うのに、兵たちはぼんやりと立ち尽くすばかりで、誰一人動こうとしない。しかし、しばらくすると惚けていた前列の兵士が蹴り倒され、その後ろから正気の兵士がばらばらと飛び出し、烏たちを追い掛け始めた。

「お前の王は、戦の作法も知らんのか」軍師と馬の鼻先を並べながら、カッセン将軍は叫んだ。

「ちょっと我を忘れてるだけですよ」ザシャーリは叫び返した。「マリコのこととなると、彼はよくそうなるんです」

「戦争に作法なんてあるのか?」烏はマリコの頭にフードをひっ被せながらたずねた。味方の兵まで、うっとりされてはたまったものではない。

「もちろんです」と、ザシャーリ。「さもないと、どちらかが全滅するまで殺し合うことになります。そんなものは戦争ではありません」

「どうやら、あちらさんはそれをお望みらしい」味方陣にたどり着いたカッセン将軍は、大きく腕を振って命令を叫んだ。「突っ込め!」

 およそ三百の騎兵が、二列縦隊を組んで弾かれた弓のように飛び出し、わずかに雁行しながら追っ手の歩兵を蹴散らして突き進んだ。彼らはたちまち敵本隊に迫るが、右列の行く手にはイゾーテ王がいて、彼は突っ込んで来た騎兵目がけ、手にしていた槍を横様にふるった。槍は大きくしなり、打たれた騎手の身体は宙を舞って、後続の騎兵の真上に落下した。突然、重装備の兵士が頭上から降って来た軍馬は、ひどく驚いて前足を振り上げ足を止めた。そこへ数騎が次々と突っ込み、馬たちは自分の騎手や周囲の歩兵を巻き込んで地面を転がった。その後続の騎兵たちは辛うじて進路を変えるが、もはや右列の騎兵部隊はすっかり乱れ、戦場をてんでに駆け回るばかりになった。

 カッセン将軍が舌打ちした。「化け物め」

「まだ、左列は生きています」ザシャーリは言った。彼の指摘通り、残った騎兵部隊の一列は、作戦通り敵の右翼に切り込んで、彼らを湖の側へと押しやり始めた。一瞬、街道の上がぽかりと無人になるが、溶けたチーズのように兵士たちがなだれ込んで来て、隊列に出来た穴を塞いでしまう。

「ちょっと、どうなってるの?」最前列に出て来たフツが、前線の様子を見て眉をひそめた。そのすぐ後には完全武装のダヴィードもいて、瞼甲に覆われた顔をザシャーリに向けた。

「ダヴィード、フツ。二人を頼みます」

 ザシャーリが言い終えるや否や、ダヴィードは槍を構えて飛び出した。

「烏、ついてらっしゃい」フツは言って騎士に続き、烏もその後を追った。彼らはたちまち混乱する前線にたどり着き、ダヴィードは槍を振り回すイゾーテ王へ向かって真っ直ぐに突きかかった。王は歯をむき出し槍を突き出すが、ダヴィードがそれに絡めるように槍を捻ると、王の手からあっさりと槍が弾け飛んだ。ダヴィードはそのまま王の脇を駆け抜け、街道へ入り込んだ兵士たちをはね飛ばしながら突き進んだ。王は雄叫びを上げて、一瞬ダヴィードの背を見るが、すぐさま正面に向き直り、突っ込んでくるフツと烏を見て剣を引き抜いた。フツは駆けながら抜刀し、刀身を閃かせながら王に斬り掛かった。それは烏の目に一太刀に見え、二つの刃が激しく打ち合わさる音も一度、高らかに響いたから、烏はサムライの一撃が完璧に防がれたのだと思った。しかし次の瞬間、ばっさりと切り取られた王の金色の髭が宙に舞っていた。

 フツはくるりと馬首を巡らせ、間合いを取ってから再び王に向き直り、叫んだ。「さあ、行って!」

 烏は頷くなり、馬の腹を蹴ってその速度を上げた。血走った王の目と目が合った。マリコは振り落とされまいと、馬のたてがみにしがみついている。正面はダヴィードが切り開いた道が、ぽかりと開いていて、烏はたちまちイ国勢の背後へと飛び出した。前方でダヴィードがくるりと馬首を巡らせ、烏に向かって敬礼した。烏は一つ頷き、彼の脇を駆け抜けた。戦場の喧噪を切り裂いて、イゾーテ王の咆哮が聞こえたが、振り向いている余裕などなかった。烏はエランヴィルへ向けて、全速力で馬を走らせた。

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