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ザシャーリ、策を弄する

 烏の鞍の前におさまったマリコは、唇を尖らせ精一杯の不満を表明していた。彼らの前を行くのは、(くつわ)を並べて進むザシャーリとダヴィードで、マリコの不満はそのダヴィードに向けられたものだ。マリコとしては、おとぎ話に出て来るようなピカピカの鎧をまとった騎士の姿を期待していたのだが、いざ宿場町を出発する段になり、宿から出て来たダヴィードは、ごく当たり前の旅装をしていた。マリコが望めば、騎士らしい格好をすると約束してくれたと言うのに、だ。

 もちろんマリコも、ダヴィードが少女を軽んじて約束を反古にしたわけではないことくらい、ちゃんと承知している。彼女は恐ろしい王様に追われており、立派な騎士の行進を見せびらかして人々に忘れられない記憶を残せば、追跡者に手掛かりを与えてしまいかねないからだ。マリコが不平不満を口に出さず、仏頂面だけにとどめているのは、そのためだった。とは言え、それはマントに付いたフードにすっかり隠されていたから、彼女が機嫌を損ねていることは、誰も気付いていなかった。

 まったく理解しがたいことだが、マリコの仲間たちは、マリコの顔が完全武装の騎士よりも、ずっと目立つと考えていた。しかし、烏が以前にも言ったように、マリコは自分がごく普通の容姿の女の子だと言うことを知っている。人たちの注目を集めるほど、彼女は美しくも醜くもないはずだ。それとも自分が気付かないだけで、ぎょっとするような痣や傷でもあるのだろうか。

 マリコは不安になって、今すぐ鏡を見たい衝動に駆られるが、生憎と手鏡の類いは持ち合わせていない。いずれ機会を見付けて、ザシャーリにねだってみようと心に決め、ひとまず他人の目を頼ることにした。

「烏」マリコは首をひねって、彼女と鞍を分ける少年に声を掛けた。

「なんだ?」烏はマリコに視線を落とした。マリコが彼を好ましく思う理由の一つは、こんな風に彼女の呼び掛けを面倒くさがって無視しないことだ。

「あのね」マリコは束の間迷ってから、フードをずらして顔を出し、思い切ってたずねた。「私の顔、変?」

「いや、普通だろう」烏は即答し、わずかに間を置いて言い直した。「普通に可愛い、と思うぞ」

 やはりマリコの顔は、人並みのようだ。

「なんだって、そんなことを聞くんだ?」烏はいぶかしげにたずねた。マリコは、つい先ほどまで彼女を悩ませていた心配事を、正直に打ち明けた。

「なるほど」烏は納得した様子で頷いた。「まあ、王様がお前を探すために、人相書きなりなんなりを配っていたとしたら、お前が普通の娘だろうが絶世の美女だろうが、人目を引くことに変わりないからな。顔は隠しておいて損は無いさ」

「でも、お昼になったらきっと暑くなるわ」

「そうだな」

「汗をかいて臭くなったら、また水浴びしなきゃ」

 冷たい井戸水を頭からかぶるのは、なんども繰り返したい経験ではない。

 すると烏は親指で背後を指した。「あいつなら、お前のために、お湯の代金くらい平気で支払ってくれるんじゃないか?」

 身を乗り出して後ろを見れば、白馬に跨がるジルの姿があった。縁無しの帽子を小粋に傾げて被るおしゃれな若者は、鹿毛の馬を操るカテリナと並んで歩き、何やら談笑している。ジルはマリコの視線に気付き、笑顔で手を振った。マリコも手を振り返すが、姿勢を元に戻したところで烏が彼女の胸に腕を回し、身体を支えていてくれたことに気付いた。

「ありがとう」

 マリコが礼を言うと、烏は肩をすくめた。「お前を落っことしたりしたら、ザシャーリに細切れにされるからな」

「あたしなら、ずっと抱きしめてるから、そもそも落っことす心配もないけど」烏と馬を並べるテレンシャが言った。

「そんなことをしたら、手綱を使えないだろう」烏は指摘した。

「平気」テレンシャは言い張った。「この馬は、手放しでも操れるから」

「そうか。そいつは軍馬だったな」

 テレンシャは手綱を放し、顔の前に上げた両手の指をうごめかせた。「つまり、マリコを触り放題なの」

「だとさ」烏はテレンシャを指差した。「あっちへ移るか?」

 もちろん、マリコはテレンシャも好きだ。彼女とのおしゃべりは楽しいし、時々仕掛けてくるエッチないたずらも嫌いではない。それでも、マリコは首を振った。

「烏と一緒がいい」

 テレンシャは考え込み、ふと何かを思い付いた様子で顔を上げると、人差し指を立てて提案する。「それじゃあ、三人で乗らない? あたしが後ろで、マリコが前。そうすれば、あなたと烏をいっぺんにいたずらできるもの」

 マリコは名案だと思い、頷いた。

「却下だ」烏はにべもなく言った。「いつ追っ手が来てもおかしくない時に、そんなふざけた真似はしていられないからな」少年はじろりとテレンシャを睨んだ。「お前だって、わかってるはずだ」

「そうね」テレンシャは肩をすくめた。

「なんのこと?」マリコはきょとんとしてたずねた。

「昨日の晩、お前が寝た後で、みんなと今後の旅程について少し話し合ったんだ」烏が答える。「カテリナさんは、俺たちがアチャムと言う町へ向かってると王様に思い込ませようとしたが、どうやらそれは、うまく行かなかったらしい」

「どうして、そんなことがわかるの?」

「ダヴィードが追っ手の兵隊から聞き出した話によると、王様は俺たちを捕まえるために、ディザとキルメリの駐屯地にいる兵隊を自由に使ってもいいと、そいつに言い付けていたからだ」

「ちゅうとんち?」

「基地のことよ。兵隊がたくさん住んでるの」テレンシャが説明した。

 基地ならわかる、とマリコは一つ頷く。

 烏は続けた。「ディザはアチャムから一日ほどしか離れていないから、王様がカテリナさんの言い分を鵜呑みにしているなら、その名前が出ても不思議じゃない。しかしキルメリは、今俺たちが歩いている街道を十日ほど南へたどった先にある」

 マリコは自分たちの進む方角を調べようと、太陽の方向に目を向けた。彼女も今が午前中で、太陽が東から昇ることくらいは知っている。

「私たち、北へ向かってる?」

「そうだ」と、烏。「そして、このまま一週間ほど進み続ければ、そこはディザだ。たぶん王様は、カテリナさんが言ったアチャムとは関係なしに、二つの駐屯地を選んだんだろう。それは俺たちが、街道の南北どちらへ向かっても、捕まえられるようにするためだ」

「もしかして、はさみうち?」マリコはぎょっとして言った。

「ザシャーリの教え子だけあって、お前には軍師の才能があるのかも知れないな」烏はくすりと笑った。「旦那も同じことを考えていたんだ。彼は、王様が両方の駐屯地から部隊を出して、それぞれ南北に進軍させていると予想している。そして俺たちは北へ向かっているから、このまま進めば三、四日でディザの部隊と出くわす計算になる。そいつらを迎え撃つつもりでなければ――」烏はふと言葉を切り、前方からやってきた旅人が通り過ぎるのを待って、話を続けた。「俺たちは、どこかでこっそりと今の街道を外れなきゃならない。王都からの追っ手はダヴィードが殺してくれたが、どうせディザの部隊も斥候くらいは出ているだろうから、彼らに足取りを掴まれれば、この先えんえんと兵隊に追い回されることになる」

「せっこう?」

「部隊の前を走って、先に何があるのか様子を調べる兵隊よ」と、テレンシャ。「斥候隊は、あたしたちを見付けて、それを本隊へ伝えるように命令されているはずなの。烏は、そろそろそいつらに出くわすんじゃないかって心配してるから、ちょっとしたお楽しみも許してくれないってわけ」

「だが、うまく連中をまくことができれば、あとは好きなだけ旅行気分を味わえる。それまでの辛抱だ」

 ああ、そうか――と、マリコは今さらのように、自分が旅路にあるのだと思い至った。彼女はもう、長らく暗い部屋に閉じ込められていたから、こうやって空の下を歩いていることが、夢か何かのように思えてならなかったのだ。しかし、王宮の窓の無い部屋を思い出したおかげで、胸の内に、ふと不安がわき起こる。あの部屋で王は、飢えたような目付きでじっと彼女を見つめていた。王がマリコの持つ何かを、ひどく欲しがっていたことは間違いない。それを彼が、簡単にあきらめたりするだろうか。

「王様が国中の兵隊に、私を捕まえろって命令することはない?」

 マリコがたずねると、烏とテレンシャは顔を見合わせた。

「ザシャーリも同じ心配をしていたな」と、烏。

「でも、国の守りをおろそかにしてまで、マリコ捜しに兵を割くことはないって結論になったわよね?」テレンシャは言う。

「旦那は、フ国が冬を前に、半年前の戦争の仕返しをしてくると読んでいたからな。王様も同じ予想を立てているなら、その通りなんだろうが」烏は言葉を切り、束の間を置いてマリコの頭をくしゃくしゃと撫でた。「心配事が二つ以上ある時は、簡単な方から急いでやっつけろと、俺の師匠は言っていた。今はディザの兵隊を、うまくやり過ごすことだけ考えよう。それは、ただ用心を怠らないだけで片付くことだ」

「それに」と、テレンシャ。「用心が必要だからって、これから先にある楽しいことを考えないのは、もったいないわ」

 マリコはうなずいた。まったく、二人の言う通りだ。彼女は今、生まれて初めて旅と言うものを経験している。こんな冒険は、そうそうあるものではないのだから、ちゃんと楽しまなければきっと後悔するだろう。

「海、見れるかな?」マリコは目を輝かせて、鞍を分ける少年にたずねた。

「道行きはずっと内陸だから、それは無理だろうな」

 マリコはぶうと唇を鳴らして不満を現した。

「その代わりと言ったらなんだが、セバン湖と言う大きい湖の側を通るはずだ」

「泳げる?」マリコは熱心にたずねた。

 烏は短く笑った。「夏場なら飛び込んで遊べたかも知れないが、今は秋だぞ?」

「そっか」どう考えても、秋は水泳に向かない季節だ。「どんなところ?」

「さあな。俺も地図で見た以上のことは知らないんだ」

「それじゃあ、烏も旅は初めてなの?」

 烏はふと考えてから続けた。「旅は何度かしているが、そこまで遠くを訪れるのは初めてだな」

 烏にも初めてがあるのだと知って、マリコは嬉しくなった。この先に待ち受けるであろう新しい発見の喜びを、彼と分かち合うことができるからだ。

「わくわくするよね?」マリコは言った。

「そうだな」烏の手が、マリコの頭をくしゃくしゃと撫でた。彼に触れられるのが、どうにも心地よくて、少女は目を細めにんまりと笑みを浮かべた。

 ふと気付くと、テレンシャがじっと烏を見つめていた。彼女は自分の馬を烏の馬にぴったり寄せてから、マリコとそっくり同じ口調で言った。「わくわくするよね?」

 烏は少女をまじまじと見つめ、苦笑を浮かべてから手を伸ばし、彼女の赤い髪を少しばかり乱暴にかき混ぜた。テレンシャは満足そうな笑みをマリコに向け、マリコもにっこりと笑い返した。

 しかし、烏が心配した斥候は現れず、一行はあっさりと街道を外れ、西へ延びる間道を三日ほど進んでから、別の大きな街道に乗り換えた。旅は拍子抜けするほど順調だったが、まったく問題が無かったわけではない。なにせ逃亡中の身であるから物見遊山とは縁遠く、日中はひたすら街道を進み、町に着けば宿を取って寝るばかり。せめて買い物くらいは連れ出してもらえないかと期待もするが、そう言った幸運にめぐり合うことは、一度もなかった。

 そして、王都を逃げ出してから十日が過ぎたころ、旅行と言うものにすっかり幻滅しかけていたマリコは、街道沿いに生える木立の間で、何かがきらきらと輝いていることに気付いた。道行きが進むにつれ、それが陽光を反射する水面だとわかり、道沿いの木々がすっかり途切れたところで、彼女は眼前に広がるものを海だと確信した。内陸を行くから海は見られないと言ったのは、烏の勘違いなのだろうか。しかし、マリコがそれを指摘すると、少年は短く笑って種明かしをした。

「セバン湖だ」

「でも、向こう岸が見えないわ」

「それだけ、でかい湖だってことさ」烏は額に手をかざし、水面の彼方を見つめて言った。「師匠が言うには地球は真珠のように丸いから、平らに見える地面や水面も、実は裾の広い山のように盛り上がってるそうなんだ。だから、山の向こう側が見えないように、じゅうぶん遠い先は頂に隠されて見えなくなるらしい」

 マリコも烏の真似をして、水平線を眺めた。なるほど、それは淡く弧を描いているように見えた。

「これだけたくさんの水を見ると、なんだか不思議な気分になるわね」テレンシャが言った。「王都でカップ一杯の飲み水を買うと、半ペニーも取られるの。この水を全部売ったら、いくらになるかしら?」

 マリコはぴんと閃いた。「王都まで、ここの水引いたら、大金持ち」

 不意に、前を行くザシャーリが吹き出した。彼は馬の脚をゆるめ、烏の馬に並んでから面白がるような表情をマリコに向けてくる。「実際、そんな計画があったんです。もっとも、王都はセバン湖より半マイルほど高い場所にあるとわかったので、断念することになりましたが」

「風車」マリコは、ずいぶん前に読んだ絵本のことを思い出して言った。詳しい仕組みはわからないが、外国にはそれで水を汲み上げているところがあるらしい。

 ザシャーリは目をぱちくりさせた。「確かに、そう言った揚水設備を使えば、ある程度高い場所へ水を運ぶこともできますね」

「半マイルもか?」烏は疑わしげにたずねた。

「技術的には不可能ではありません。しかし単純な費用面で考えれば、王都をこちらへ遷都する方が、安上がりでしょうけど」

「どうして、そうしなかったの?」と、テレンシャ。

「フ国との国境が近いからです。ほら、あれが見えますか?」

 ザシャーリが指さした先には、灰石の石組みがあった。いくらかの壁も残っており、かつてそれが建物だったことは知れる。地面にならぶ基礎石を見るに、建屋は湖に面して建てられていた様子で、その周囲には直径が三フィートほどもある自然石が、半円を描いて柵のように並んでいる。

「かつての国境線は、ここから一マイルと離れていなかったので、あそこにはこの街道を守るために砦が建てられていました。しかし、五年前の戦争で国境線が書き変わったので、今は取り壊されて、あの通りです」

「なんで壊したりしたの?」せっかく造った建物を壊すなど、マリコにはひどくもったいないことに思えた。

「砦を無人のまま放置していると野盗が住み着いたり、こっそり侵入してきた敵の兵隊が、そこを足掛かりにして周辺を攻撃するかも知れませんからね。しかし、必要の無い砦に兵を置くのは無駄ですし、新しい国境線の近くに建てる砦の材料も必要でしたから、壊してしまう方が都合がよかったと言うわけです」ザシャーリは答え、ふと西に傾いた太陽を細い目で見つめた。「今日は、ここらで野宿した方がよさそうですね。無理をすれば、次の宿場にたどり着けなくはありませんが、あの砦跡には夜風をしのぐのに具合のよい壁もあることですし、使わない手はありません」

 湖畔でキャンプをすると言う素敵なアイディアに、マリコは胸を躍らせた。しかし馬を止め、仲間を集めてザシャーリが自分の提案を告げると、ジルが反対した。

「多少きつい思いをしてでも、ちゃんとした宿に泊まった方が、ずっと休めそうに思うけどね?」

「確かに、快適なベッドの効能は否定しませんが、宿では仲間内の込み入った話はしにくいんです」ザシャーリは肩をすくめて言った。

「何か、緊急に話し合いたい議題でもあるの?」と、カテリナ。

「はい」ザシャーリは頷いた。「たぶん、気付いている人もいると思いますが、我々はすこぶる異常な事態に陥っています」

「追っ手のことね」と、フツ。「イゾーテ陛下が、マリコをすっかりあきらめたんならわかるけど、みんなの話を聞く限りじゃ、彼がそうするとは思えないもの。でも、私たちのこれまでの旅は、ちょっと順調過ぎたわ」

「その通りです」ザシャーリは言って、廃墟を指さした。「他に異論がなければ、野営地へ向かいましょう。宿屋ほどではなくとも、快適に過ごせるよう努力はできるはずです」

 砦跡へとやって来た一行は、馬を降りて、かつては建物の真ん中付近にあった部屋と思しい区画へ入り込んだ。もちろん部屋と言っても、そこは廃墟だ。天井は無く、四方の壁も崩れたか石材を持ち去られたかして、低い場所ではマリコの背丈にも及ばなかった。それでも座るなり横になるなりすれば、じゅうぶんな風よけになるわけで、比較的新しいたき火の跡を見れば、同じくここを野営地にぴったりだと考えた旅人もいたようだ。

「こんな水際に、よく石造りの建物を建てられたな」烏が石壁を叩きながらつぶやいた。

「おそらく、すぐ下に大きな岩盤があるんでしょう」と、ザシャーリ。「さもなければ、相当深くまで基礎を埋めたか」

「あんたが建てたんじゃないのか?」

「いえ、建てたのは大工です」

「そう言うことを聞いてるんじゃない」

 ザシャーリは肩をすくめた。「これが建てられたのは、私が陛下に仕える何年も前のことなので、いずれにしても詳しいことはわかりませんし、建築知識に明るいわけでもないのです」

「私も建築は専門外だが、ここが些か心許ない砦だったと言うことはわかる」ダヴィードが言った。「堀はなく、外柵も岩を並べただけのお粗末なものだ。これでは敵に攻めかかられた時、いくらも保たなかったに違いない」

「私は、そうでもないと思うわ」フツが反論した。「たぶん、湖に面して建てられていたのは、船着き場があったからよ。補給路を船に頼れば、ここは包囲攻撃を受けても何ヶ月だって耐えられるわ」

「ろう城戦は好みではない」ダヴィードはしかめっ面で言った。

「私もよ」フツは同意した。「一度、それでひどい目に遭ったの」

 ザシャーリの細い目が、ふと見開かれた。「詳しく聞かせてもらえますか。サムライの国の戦とは、どのようなものでしょう?」

「おい」と、烏。「他に話し合うことがあるんじゃなかったか?」

「そうでしたね」ザシャーリは無念そうにため息を落とした。「先ほどフツが指摘した、陛下がこれまで我々の旅を邪魔しなかった理由について、みなさんの意見を聞かせてください」

「真っ当に考えれば、イゾーテ陛下が何か企んでるってことになるわね」と、フツ。「ひょっとしたら、私たちの足取りをすっかり見失ってるのかもしれないけど、後者にいくらか賭けてみようって人はいる?」

 フツは一同をぐるりと見渡した。しかし、手を挙げる者は一人もいなかった。

「私が陛下なら、この先へ兵を置き、街道を塞いで我々を待ち受けるが」ダヴィードはつぶやき、こめかみに人差し指をあて考え込んだ。束の間を置いて、彼はふと顔を上げる。「ザシャーリ殿、あなたは地図をお持ちではなかったか」

 ザシャーリは自分の馬へ向かい、積み荷から地図を取り出すと、再び仲間の輪に戻ってそれをダヴィードに差し出した。ダヴィードは地図を見て、ひとつ頷いた。「やはり、そうか」

 ダヴィードはその場に座り込むと、地図を地面に広げた。他の仲間たちも彼にならって車座になり、それに目を落とした。マリコは烏の後ろに立ち、少年の頭越しに覗き込むが、自分たちがどこにいて、どっちを向いているのかもわからなかった。

「我々がいるのは、この辺りだ」ダヴィードは、波のような模様が描かれた楕円の縁を指差した。「街道はセバン湖の北岸沿いに走り、我々はそれを南西に向かって進んでいる。国境線は北に一〇マイルほど離れた場所を街道に並走しているが、問題はここだ」

 騎士の指先は朱で引かれた線をたどり、それが浅くVの字に曲がったところで止まった。

「宿場町の手前にあるこの場所は、北から張り出した国境と南のセバン湖にはさまれ、言わばあい路のようになっているのだ。ここに一個中隊も置けば、我々は完全に進路を閉ざされることになる」

「国境を横切ることはできないのか。見たところ、ここから北は平坦で、山や崖や川のような障害はなさそうだぞ?」と、烏。

 騎士は首を振った。「以前、この辺りの砦で任務に就いたときは、国境に沿って何マイルも馬防柵が巡らされていたのだ。陛下がそれを、気紛れに撤去するとは思えん」

 烏は小さく舌打ちした。「どこかに港でもあれば、船を盗めたんだがな」

「漁師の船着き場くらいならあるでしょうけど、この人数を乗せる船は手に入りそうにないわね」カテリナは言って、セバン湖にそそぐ川の河口付近を指さした。「でも、この宿場町には港があるみたいよ?」

「兵隊をかわして、そこへ行くために船を捜してるんですよ?」

 カテリナはくすりと笑った。「開けたい宝箱の中に、それを開けるための鍵が入ってるの。馬鹿げてるでしょ?」

「ちょっといいか?」ワンが口を挟んだ。「素人考えで聞くのは心苦しいが、国境の近くに兵隊が大勢集まったりしたら、フ国のやつらも心配して様子を見に来たりするんじゃないか?」

「もちろん、彼らはひどく神経質になるでしょうね」ザシャーリは頷いた。「私としては、前の戦争から間もないこの時期に、陛下がそのような真似をするはずはないと考えていましたが、あるいは読み違えたのかも知れません」

「おい」烏はザシャーリを睨んで言った。「本当は、こうなることがわかってたから、ここで足を止めたんじゃないのか?」

「さて?」軍師は、ふふと笑って誤魔化した。

 烏はため息をついて、立ち上がった。「偵察に行ってきた方がよさそうだな。ダヴィードの読みが正しかったとしても、うまくすれば抜け道を見付けられるかもしれない」

「お願いします」ザシャーリはうなずいた。「ダヴィードとフツも、一緒に行ってください。あなたたちなら、部隊の規模や配置と言った、私が知りたい情報を集められるでしょう」

「俺は、あまり軍隊のことに詳しくないからな」烏は肩をすくめた。「二人が来てくれると助かる」

 ダヴィードとフツはうなずき、立ち上がって部屋を出て行った。烏も後へ続こうとしたので、マリコは思わず彼の服の裾を掴んだ。

「どうした?」と、烏。マリコは首を振り、わずかにためらってから口を開いた。「がんばってね」

 烏は頷き、少女の頭にぽんと手を置いてから馬へ向かった。その背を見送りながら、マリコは首を傾げた。彼女が本当に言いたかったことは、そんな言葉ではない。かと言って、何をどう言えば自分の気持ちを伝えられるのか、さっぱりわからなかった。

 偵察隊は発ち、残った者たちは野営の準備を始めた。マリコもテレンシャを手伝いながら、薪や寝床に敷く乾いた草を集めて回り、一通りの仕事が終わったところで、カテリナから遊びに行ってもよいとのお許しが出た。テレンシャを誘うと彼女は快諾し、二人は砦にほど近い水辺へ向かった。

 セバン湖の広大さは馬上から眺めても、じゅうぶん知れていたが、湖岸に立つと、なおさらそれを思い知らされた。対岸はまったく見えず、湖水は果てしなく続いているようだった。さらに、砂利の浜には波まで寄せ返し、まるで海と変わらない。

 マリコが景色に見とれている横で、テレンシャが靴を脱ぎ、スカートを持ち上げて波打ち際まで歩いて行った。マリコもそれに倣うが、冷たい湖水に足首まで浸かってから慌てて後退(あとずさ)る。テレンシャを見ると、彼女はにやりと笑みを浮かべ、引いてゆく波を小走りに追い掛けてから、押し返してきたところで素早く飛び退いて見せた。マリコも負けじと真似をするが、波は思いのほか長く追い掛けてきて、結局冷たい水に足をくすぐられることになった。

 二人はしばらく波と戯れたあと、浜辺にしゃがみ込んで小石を拾い始めた。マリコは色とりどりの小石を、砂利の間から突き出た岩の上に並べ、その中の真っ赤な石をテレンシャに手渡した。「あげる」

「ありがとう」テレンシャは礼を言って小石を受け取り、怪訝そうに首を傾げた。

「テレンシャの石。同じ、赤だから」

 マリコが説明すると、赤毛の少女は得心した様子でうなずいた。テレンシャは、岩の上に並んだ二つの黒い石の一つを指さした。「それじゃあ、これは誰?」

「それは、烏。こっちの刀みたいなのはフツ。銀色にきらきらしてるのがダヴィードで、金色の粒が入ってるのはザシャーリとカテリナ」

「どっちが姉さま?」

「おっぱいがある方」マリコが指さした小石には、半球状の突起が二つ付いていた。

「なるほど」テレンシャはくすりと笑った。「この派手なのは?」

 テレンシャが指さした石には、緑と紫の縞模様が入っていた。

「ジルよ。すっごくおしゃれだもの」

「そうね」

 二人の少女は顔を見合わせ、くすくすと笑った。

「でも、ワンの石が見つからないの」友だちの料理人には髪が無いから、どうにもぴったりしたものが見つからないのだ。

「そうね」テレンシャは小石をいくつか拾い上げ、ためつすがめつしてから一つを差し出した。「これなんかどう?」

 マリコは小石を受け取り、手の平に転がした。それは、つるりと丸いクリーム色の小石だった。「そっくり」

「でしょう?」テレンシャは言って、艶のある黒い小石を烏の石の横に並べた。「これは、あなた」

 その小石は少しだけ傾いで、烏の小石に寄りかかっているように見えた。きょとんとしてテレンシャを見ると、彼女はにっと白い歯を見せた。「みんなの分ばっかりで、自分の分は探してなかったでしょ?」

「ありがとう、テレンシャ」マリコは嬉しくなって、テレンシャの首根っこに抱き付いた。どういたしましてと言う代わりに、テレンシャはマリコのお尻を揉みしだく。くすぐったさに驚いて声を上げ、マリコは慌ててテレンシャから身を離した。自分のお尻が、これほど敏感だとは思ってもみなかった。今度から、テレンシャのいたずらには用心した方が良いだろう。

 太陽が西に見える山の端に差し掛かったころ、野営地からいい匂いが漂って来た。腹の虫にせっつかれて砦跡へと戻ると、すでに夕食の準備はすっかり調っていた。ワンが作った料理を平らげ、食後の休憩となったところで、マリコは集めた小石に一つ一つ説明を付けて、みんなにそれを配って回った。ザシャーリは笑顔をさらにゆるめて礼を言い、カテリナは自分の胸と小石を見比べてくすくす笑った。ジルは肌身離さず持って大事にすると約束し、どこかの街で首飾りにしようかなとつぶやく。ワンは小石と自分の顔を並べ、そっくりだなと言ってにやにや笑った。みんなの喜ぶ顔を見たマリコは気を良くし、残りの石を入れたポケットに触れ、烏たちもきっと喜んでくれるに違いないと確信するのだった。そうして、たき火の炎を見つめながら、大人たちが交わす低い話声を聞くうちに段々と眠くなり、彼女はマントに包まり寝床に敷いた草の上に横たわった。ザシャーリがそれに気付いて、おやすみと言った。マリコがおやすみを返すと、他の仲間たちもおやすみを言い、マリコは何やら幸せな気分になって眠りに就いた。

「起きろ」

 寝入ってからいくらもしないうちに、マリコは揺り起こされた。目をこすりながら身体を起こし、寝ぼけた頭で誰ともなく問いかける。「いま、なんじ?」

「夜明け前だ」

 どうやら、自分で思うよりも長く寝ていたようだ。答えをくれた相手に目を向けると、たき火に照らされる烏の顔があった。彼の後ろには緊張した面持ちのカテリナと、相変わらず笑顔のザシャーリがいる。しかし、三人を除いて他の仲間の姿は見えない。そして、辺りには多くの人たちが叫ぶ声と、金属を打ち鳴らす騒音が響き渡っている。

「なにがあったの?」

 マリコがたずねると、烏は短くこう答えた。「敵だ」

 眠気は一瞬で吹き飛んだ。

「烏が連れて来たんです」ザシャーリは、わざとらしく大きなため息をついた。

「人聞きの悪いことを言うな」烏はしかめっ面をして見せた。「ダヴィードが言う待ち伏せの部隊を見付けて戻る途中、北からこっちへ向かって駆けてくる連中に気付いたんだ。俺たちが全速力で戻って警告しなけりゃ、あんたらはぐっすり眠ってるところを襲われてたかもしれないんだぞ」

「みんなは?」マリコは言って、辺りを見回した。

「ダヴィードとフツは、兵隊がこっちへ近付かないように戦ってるわ」カテリナが答えた。「ワンとジルは、弓で彼らを援護しているところよ。テレンシャは――」

「ザシャーリ、矢筒がもう一つ見つかったわ」暗闇からテレンシャが現れて言った。彼女はマリコに気付き、にこりと笑みを浮かべた。「おはよう」

 マリコもおはようを返し、首を傾げた。「どこに行ってたの?」

「武器庫よ。野営の準備中に、ジルが地下室の入口を見付けてたの。あなたが寝た後に探検してみたら、それは武器庫だったってわけ」

「私も探検したかった」マリコは言って唇を尖らせた。

「ごめんね。次におかしな地下室を見付けたら、叩き起こしてでも連れて行くわ」テレンシャは笑いながらマリコの頭を撫で、ザシャーリに目を向けた。「じっくり探せば他にも見つかるかも知れないけど、とりあえずはこれが精一杯」

「いえ、じゅうぶんです」ザシャーリはうなずいた。「ジルとワンに届けてもらっていいですか?」

 テレンシャはうなずき、外へ出て、喧噪が響いてくる方へと駆けて行った。マリコはその後を追い、壁の影からそっと向こうをうかがった。辺りは西の空に輝く月のおかげで、夜にも関わらず冴え冴えと見通すことができた。

 まず目に付いたのは、弓を構えるワンとジルだった。彼らは辺りを見渡し、ダヴィードが言うところの「お粗末」な外柵を乗り越えようとする敵兵に、次々と矢を射かけている。テレンシャが二人に駆け寄り、何事かを話し掛けて矢筒を差し出すと、ジルがうなずいてそれを受け取った。

 柵の外を見れば、月光に輝く鎧姿の騎士の姿があった。それはおそらくダヴィードで、彼は戦場を駆け回り、襲い来る何人もの兵たちを、振り回す槍で次々となぎ倒している。その様は吹き荒れる嵐で、彼はもはや自然災害の類いだった。

 一方のフツはすっかり敵兵に取り囲まれ、多勢に無勢の不利を負い、ただ立ち尽くしているように見えた。しかし敵の兵士たちは、青白く光る刃を手にした侍から二〇フィートほど離れた場所で、届きもしない槍を及び腰に突き出すばかりだった。彼らは何を怯えているのかとマリコが首を捻るが、その理由はすぐにわかった。フツは束の間敵を睥睨してから、えいと気合を発するなり助走もなしにその距離を飛び越え、一人の敵の頭を兜ごと真っ二つにした。悲鳴が上がり、フツの周囲にたちまち混乱が広がった。武器を放り出して逃げ出す者がいれば、どうにか異国の戦士を突き殺そうと闇雲に槍を振り回し、仲間の兵をなぎ倒す者もいる。その中をフツは雷のように駆け、手近な兵士の腕や足や頭と言った身体の末端部分を、容赦なく斬り飛ばして行く。

「二人とも、とんでもなく強いわね?」

 テレンシャがマリコの側に歩み寄って言った。マリコは戦場に目を釘付けにしたまま、こくりとうなずいた。

「烏は敵の数を一〇〇人以上だって言ってたけど、それくらいなら彼らだけで全滅させられるんじゃないかしら」

「いくらなんでも、それは無理です」テレンシャの希望的観測を、たき火の側のザシャーリは否定した。「彼らも人間ですから、いずれ息も上がるでしょう。それに、ダヴィードとフツがどれほど強くても、二人しかいません。向こうに多少でも頭のまわる指揮官がいれば、彼らを無視して外柵の突破を優先するよう命令するはずです」

「あいつらは、もうそれをやってるわ。ワンとジルが抑え込んでるけど、矢が尽きればそれまでよ」

 ザシャーリは辺りを見回し、寝床の枯草の上に放り出してあった地図を拾い上げると、それを広げ束の間眺めてから口を開いた。「烏。この兵たちは、間違いなく北から来たんですね?」

 烏は頷いた。「ひょっとして王様は、俺たちを三方から取り囲むつもりでいるのか?」

「それって、西と東からも兵隊が押し寄せて来るってこと?」カテリナは言って、顔をひきつらせた。

「その心配はありません」と、ザシャーリ。「もしそうであれば、烏たちはもっと早くに西の部隊と遭遇していたはずです。今、この砦を取り囲んでいる連中は、おそらく別の目的でそうしているのでしょう」

「別の目的?」カテリナは片方の眉を吊り上げた。

「彼らは逃げてきたんです」

「誰から?」

 ザシャーリが答えをくれようと口を開きかけたとき、ふと東の方角から光が射した。マリコがそちらへ目を向けると、稜線から顔を覗かせる目玉焼きの黄身にそっくりな太陽が顔を出し始めている。そして、まるでそれを合図にしたかのように、北に広がる平原の方から遠雷のような音が響いた。わずかに遅れて、戦場から聞こえていた喧騒がぴたりと止んだ。マリコが再び壁越しに戦場を見ると、兵士たちは凍りついたように立ち尽くし、どろどろと騒音が鳴り響く方角を見据えている。束の間を置いて悲鳴が上がり、一人の兵士が走り出した。それを皮切りに他の兵士たちも武器を放り出し、それぞれ散り散りになって、その場から走り去る。ダヴィードとフツだけが、ぽつんと戦場に残された。彼らはいぶかしげに顔を見合わせ、ふと北に目を向けてから、血相を変えて砦跡に駆け戻った。

「あれは何。敵の増援?」敵の返り血を浴びて、ひどい有様のフツが言った。

「いいえ、こちらの援軍です」ザシャーリは微笑み、北の地平に目をやった。

 マリコもそちらを見つめると、何かが朝日を反射して、ぎらりと光った。間もなく、それは地平を埋め尽くすように増え、こちらへ近付くにつれ、鋼をまとった騎馬であることが知れた。ふと、一騎が隊列を外れ、猛スピードでこちらへ向けて駆けてくる。ザシャーリは仲間たちに目配せすると、彼らを引き連れて砦を後にし、外柵の外で騎士の到着を待ちうけた。

「ザシャーリ、このペテン師め!」騎士は一行の前に着くなり、そう叫んで瞼甲を跳ね上げた。兜の中にあったのは虎のように恐ろしげな顔だが、無邪気に輝く鳶色の瞳と笑顔が、そのいかめしさをずいぶんと和らげている。

 不意に、マリコの頭にフードが掛けられた。すぐ側にいた烏に目を向けると、彼は人差し指を唇の前に立てた。

「閣下」ザシャーリは騎士にお辞儀をしてから、仲間たちに向き直った。「紹介します。フ国の将軍、カッセン中将閣下です」

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