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騎士、マリコに仕える

 ちっぽけな男爵家の次男坊として生まれたダヴィードが、国軍の兵となったのは、ごく自然な成り行きだった。相続する領地はなく、武技以外にこれと言った才覚も無い彼が、無駄飯を食らう以外に生きてゆくためには、それしか道がなかったからだ。しかし、三十路を目前にした彼の地位は、未だ下士官止まり。それと言うのも上官たちの昇進リストは、要領のいい同僚や有力な貴族の子弟たちが上位を占めており、ダヴィードのような小貴族の息子などは、どれほど戦で功を上げようと、見向きもされないからだ。しかも、半年前のフ国攻め以来、戦らしい戦はなく、彼と彼が率いる部隊の任務はもっぱら国境の警備となっており、もはや手柄を立てる機会すら見込めない。

 そんな彼の人生に転機が訪れたのは、ある日の深夜だった。その時、ダヴィードと彼の部下たちは、王宮の敷地の南側に、張り付くようにして作られた駐屯地の片隅にある隊舎で、当然、寝ていた。遠地での任務を終え、昨日の夕暮れ時に戻ってきた彼らにしてみれば、それは久しぶりの休養であり、総員起床の大音声で安眠を妨害した伝令を斬り殺して再びベッドへ戻ると言うアイディアをあきらめるには、相当の努力が必要だった。ともかく、ダヴィードは父親から譲り受けた鎧兜を身にまとい、槍を手に馬上の人となって部下を引き連れ、正門横の練兵場へと向かった。そこでは同じく深夜に叩き起こされて、いささか不機嫌そうな顔をした他の兵たちも集まっている。すぐに各隊の隊長が呼びつけられ、薄くなった頭を撫でつけた髪で懸命に隠す、小太りの連隊長が命令書を手にそれを読み上げた。

「先刻、王妃殿下が陛下のお側女(そばめ)をさらい、王宮より出奔した。各隊は王都を捜索し、見つけ次第ただちにこれを捕らえよ。なお、尉官位の者は五、六名の兵を率いて各門に付き、これの封鎖の任に当たるものとする。畏くもこれは王命であり、また殿下を捕らえた隊には褒美を取らせるともある。みな、心して掛かれ」

 ダヴィードは上官に敬礼をくれてから部下たちの元へ戻り、彼らに任務の内容を告げた。しかし、すぐには出動の指示を出さず、我先にと駐屯地を飛び出して行く他の部隊をじっと見つめてから言った。「この任務は、どうにも妙だ」

 部下たちはいぶかしげに顔を見合わせた。

「端から端まで歩いて一時間は掛かる大都市で、誰かを捜そうとするなら、隊ごとに担当区域を決めて掛かるのが定石であろうに、そのような指示はまったくなかった。しかも、褒美をちらつかせて競争をあおり、部隊同士の連携を難しくしている」ダヴィードは束の間考え、ふと結論に達した。「あるいは、これは捜索などではなく、キツネ狩りなのかも知れん。おそらく我々は勢子で、門で待ち構える尉官殿のもとまで獲物を運ぶのが役目なのだ。そうとなれば、褒美とやらは期待しない方がいいだろう」

 部下たちはうなずいた。

「それでも、命令は命令だ。ひとまず先に行った連中が、どこを捜そうとしているのかを探ることにしよう。二人一組で四方に散り、一時間ほど連中の後をつけてから、王宮前の広場に集合するのだ」ダヴィードは言って、ぐるりと部下たちを見回した。「始めてくれ」

 部下たちは声を揃えておうと応え、駐屯地を飛び出して行った。ダヴィードは一人、広場へ向かい、部下を待ちながら、王都の中を駆け回る兵たちの騒音に聞き耳を立てた。大まかに見て、捜索隊は北に偏って展開しているようだった。そこは地方に所領を持つ貴族たちが、王都へ滞在する間に住まう屋敷が多くあり、王妃が知己のある貴族を頼って身を隠したり、逃走の手助けを乞いに現れる可能性を読んでのことだろう。しかし、喧噪は次第に西へと向かい、間もなく戻って来た部下たちの報告も、それを裏付けた。

 ダヴィードは捜索の範囲を、都市の東側に絞り込んだ。根拠は特にない。ただ、北から西へ向かった部隊が、それでも王妃を見付けられず南へ向かうとすれば、東側の捜索は一番最後となる。せっかくなら、誰も捜していない区域を探るべきだろう。彼は部下を散らせ、広く網を張りながら王都の東門を目指してゆっくりと馬を歩かせた。はたせるかな、門を目前にしたところで、長い口笛が一つ鳴った。ダヴィードは瞼甲を跳ね上げ、短い口笛を三度吹き鳴らす。その直後に路地から女が飛び出し、隊長の合図を聞いて集まってきたダヴィードの部下たちが、たちまち彼女を取り囲んだ。

 観念した女は持ち上げたスカートの裾を降ろし、背筋を伸ばして凛とダヴィードを正面から見据えた。東門の前に置かれたかがり火を負い、逆光となった女の顔は判然としないが、それでもダヴィードは馬を下り、手綱と槍を部下にあずけてから、女に向かって深々とお辞儀をして言った。「王妃殿下」

「私が何者かを知って、この無礼か」女は低い声で言った。

「命令を受けております故、ご容赦ください」

 女は鼻を鳴らした。「まあ、よい」

 ダヴィードは王妃に歩み寄り、腕を差し出した。間近で見る王妃は、老いていながらもなお美しかった。濃い化粧はめっきり増えたしみや皺を隠すためのものではなく、容赦のない時の流れと真っ向から戦うための鎧なのだと、ダヴィードは直感した。

 王妃は少し目を丸くして、ふと苦笑をもらしてから、淑女らしくダヴィードの腕に手を掛け、彼に導かれるまま東門へと歩んだ。石畳を踏む蹄の音が彼らの後に続き、部下たちが騎馬のままついてきていることがわかる。

 門の前には、二人の門兵の他に、五名の兵士がいた。彼らはもれなく上等な鎧を身に着けており、いずれも良家の出であると知れた。ダヴィードの場合、父が若い頃に相当な無理をして仕立てた鎧を譲り受けたおかげで立派な騎士の格好をしていられるが、本来であれば平民上がりや貧乏貴族の小倅などは、軍が支給する簡易な鎧を身に着けるものだ。

 兵たちはダヴィードと王妃の姿を目にするなり、どやどやと集まって来て彼らの前に立ちはだかった。

「軍曹」兵の一人が言った。階級章を見れば中尉とある。ダヴィードは敬礼を送るが、中尉は小さく鼻を鳴らしただけだった。なるほど、とダヴィードは察した。そして中尉の言葉は、彼が予想した通りだった。「ご苦労だったな。殿下は我々が引き受けよう。貴様の隊は兵舎へ戻りゆっくり休むがいい」

 もちろん、この作戦の意味を理解していたダヴィードは、そのつもりで王妃を伴いここへやって来たのだ。しかし、この中尉の態度は気に入らなかった。彼は大きく息を吸い込み、大音声で言った。「控えよ!」

 中尉はぎょっとして凍り付いた。

「畏くも王妃殿下の御前である」

 ダヴィードがさらに言うと、中尉は我に返り怒りの形相で吠えた。「貴様、上官に対してその口の利きようはなんだ。そもそも、いかな殿下とは言え、こやつは王の愛人をさらった罪人――」

 ダヴィードは篭手のはまった手で、中尉の顎を横様に殴りつけた。中尉は昏倒して地面に転がり、彼の取り巻きたちは色めき立って剣の柄に手を掛けた。ダヴィードの部下たちも馬上で一斉に槍を構え、場は一触即発の様相になった。しかし、ダヴィードはのんびりとした口調で、こう言った。「貴官らの隊長は、いささか気分が優れないようだ」彼は地面に転がる中尉を、ちらりと見やって続けた。「このまま彼を放っておくのは忍びない。貴官らは彼を連れ帰り、治療なり静養なりを受けさせてはいかがか」

 中尉の部下たちは顔を見合わせた。

 駄目押しでダヴィードは付け加えた。「無論、他に体調不良を起こすものが現れても構わなければ、存分に任務を果たされるがよかろう」

 彼らは(かち)の四人、対してこちらは、王妃をエスコートするダヴィードを除いても、騎馬が八人。少し考えれば、勝負にならないことはすぐにわかるはずだが、このぼんぼんどもは何をもたもたしているのだろう。あるいは、一足す一を三と答えるぼんくらぞろいなのだろうか。

 幸いなことに中尉の部下たちは、四が八より小さいことに気付いた様子だった。彼らは不安げな表情になり、自分らのボスを担いで、そそくさとその場を立ち去った。

「よいのか」王妃が愉快そうに微笑みながらたずねた。「曲がりなりにも、上官なのだろう?」

「はい」ダヴィードはうなずいた。「しかし、彼は直接の上司と言うわけではありませんし、そもそも私のような貧乏貴族の小倅は出世も見込めないので、いちいち上官の機嫌を取る必要もないのです。それに、彼が今日のことを、もっと偉い誰かに告げ口するには、顎の骨がしっかりくっつくまで待たねばならないでしょう」

「しかし、あの無礼者が言ったように、私は罪人だ。このことで、お前が不愉快な目に遭ったとしても、その時に私はお前の意気に応えてやることもできぬ」

「殿下。私は兵であると同時に、騎士なのです」ダヴィードは言った。「私があなたに礼を尽くすのは、見返りのためではございません」

 王妃はうなずき、ほほと笑った。「無粋であったな。許せ」

「いえ。しかし、実を申しますと、捕らえたのちの殿下の処遇については、まったく指示を受けておりませんから、あの中尉が爪の先ほども紳士としてのたしなみを心得ていれば、我々はこの面倒ごとを喜んで彼に押しつけ、隊舎のベッドへ駆け戻るつもりではありました」

「まったく、私は厄介者扱いか」王妃は言いながら、その顔に笑みを浮かべていた。

「滅相もない」

 二人は顔を見合わせ笑い合った。しかし、王妃はふと笑みを消して言った。「それも、じきに終わるだろう。そろそろ、お前の一番の上官が到着するころだ」

 ダヴィードはいぶかしく思い、王妃を見つめた。一番の上官とは誰のことだ。「では、ここでお待ちになるのですか?」

 王妃はうなずいた。

 ダヴィードは一つ考え、その場に王妃を置いて門の横に建つ守衛小屋へ向かい、中を見回してから床の上にぽつりと置かれた折り畳み椅子を手に取り、再び彼女の前に戻った。

「申し訳ございません」ダヴィードは謝罪しながら、折り畳み椅子を王妃の足下に置いた。「生憎と、このようなものしかございませんでした」

「よい」王妃は鷹揚に言って腰を降ろした。

「そう言えば」ダヴィードは、別の疑問を思い出してたずねた。「陛下の愛人をお連れしているとうかがいましたが?」

「ああ」王妃はうなずいた。「それは、嘘だ」

「嘘?」

「マリコをさらったのは私ではなく、別の者の仕業だ」

 その時、頭上から「開門!」と叫ぶ声が聞こえた。それは城壁の上から王都の外を見張っていた兵士の声で、二人の門兵は慌ただしく門扉に掛けられていた閂を外し、扉を外へ押し開いた。

 開かれた扉の間から現れたのは、巨大な馬に跨った王の姿だった。彼は簡易な旅装で、王冠もローブも身に着けていなかったが、王者の威容はまるで損なわれていなかったから、ダヴィードは素早く敬礼し、彼の部下たちも下馬して隊長にならった。しかし、ダヴィードは内心で首を傾げていた。王が門の外にいたのであれば、王妃を捕らえよと言う王命は、誰が発したのか。

 王は、やはり旅装の護衛を数騎引き連れ、馬のまま王妃に歩み寄った。ダヴィードはひとつお辞儀をくれてから、夫婦の会話の邪魔にならぬよう、きっかり三歩後退し直立不動の姿勢を取った。

「わざわざ、このようなところまで夫の出迎えか?」王は馬上から、じろりと王妃を見下していった。

「いいえ、愛しい人」王妃は椅子から立ち上がり、真っ向から王を睨み返した。「ただ、あなたが入れあげる小娘の首を取り損ねたので、急いで逃げ出そうとしただけですわ」

 王は息を飲み、束の間を置いてたずねた。「マリコはどこだ」

「さあて?」王妃はにやりと笑った。「生憎と私は、ザシャーリの筋書に乗せられた役者の一人にすぎませんの。彼がマリコをさらい、王都から逃れる時間を稼ぐために、こうやってあなたの足止めをするのが私の役回りだったようですわね」

 ダヴィードは、こっそり片方の眉を吊り上げた。ザシャーリと言えば、王がもっとも信頼を寄せる側近中の側近だ。戦場では軍師として王の用兵を助け、いくつもの勝利を彼にもたらしている。そのような男が、なぜ王の愛妾の誘拐など?

 王は護衛の一人に目を向けた。「急ぎ王宮へ向かい、状況を調べよ。その後に、私の鎧と剣を持って来るのだ」

 護衛はうなずき、馬の腹を蹴って王宮がある方向へ走り去った。

「あら。鋼がなくては、彼と張り合う勇気もありませんの?」王妃はあざ笑った。

「その通りだ、妻よ」王は平然と認めた。「私は蛮勇で戦場を生き抜いて来たわけではないのだ。ましてや、ザシャーリと言う男を侮る気もない」

 一瞬、王妃が嘲笑を消すのを見て、ダヴィードは違和感を覚えた。彼女は何をしようとしている?

「もちろん」王妃はにやにや笑いを取り戻して言った。「今から兵を集めて、彼を追い掛けるおつもりなのでしょうけど、それは無理と言うものですよ。あなたの兵隊たちは、ザシャーリが下した偽の命令を受けて、今も王都中を駆けずり回っているのですから。彼らを本来の任務に戻すには、きっと半日は掛かるでしょうね」

 遠くから、いまだに王妃を捜し回る兵たちの喧騒が聞こえてきた。王は舌打ちをして、残りの護衛たちに命じた。「あの乱痴気騒ぎを止めて来い」

 護衛たちはうなずき、王都の各方へ散って行った。

「まったくお笑い草ね」王妃はほほと笑い声を上げた。「あなた、ザシャーリがマリコを見る目に気付きませんでしたの? きっと彼女は今頃、どこかの納屋に連れ込まれて、あの男の腹の下でひいひい喘いでいることでしょうね。殺し損ねたのは残念ですけど、それはそれでいい気味ですわ」そう言って、王妃は高笑いを始めた。王は静かに馬を降りると、腰に下げた護身用の小さな剣を鞘から引き抜き、眉一つ動かさず、それを横なぎにした。王妃の笑い声は唐突に途切れ、その首はころりと地面に落ちた。数瞬後、王妃の身体は仰向けに倒れ、折り畳みの椅子をばらばらに壊した。

「無論、気付いていたとも」王は言って妻の首を拾い上げ、顔の前に掲げて彼女へ語りかけた。「だが、それを私に教えたのはザシャーリではなく、マリコなのだ。あの男を前にした時の、彼女の顔を見たことがあるか。あの安らかな目を? 私には、一度たりとも向けたことのない目をマリコにさせる、あれを始末するために、私はこの機会を待っていたのだ」

 王は側らに立つダヴィードに目を向けた。「名は?」

「ダヴィード・バレッタ軍曹です、陛下」ダヴィードは敬礼して答えた。

 王は剣を振って血を払い、刃を鞘に押し込んでうなずいた。「どうやら、まともに使えるのは貴様の部隊だけのようだ。手柄を立てる機会をくれてやろう」

 ダヴィードはお辞儀をし、それから真っ直ぐに王を見て言った。「では、これより我らは各門の兵にあたり、ザシャーリ閣下の足取りを掴んでまいりましょう。その間に陛下は、ひとまず追跡のお支度をなさるのがよろしいかと」

「それにはおよびませんわ」不意に声が上がった。ダヴィードが驚いて目を向けると、そこにはいつのまにか若い女が立っていた。当たり前の町娘の格好をしているが、ぞくりとするほど美しい顔立ちをしており、気配もなく現れた様子と合わせ、ダヴィードは束の間、彼女が怪異の類ではないかと疑った。

「カテリナか」王は名を呼んで、酷薄な笑みを浮かべた。「ザシャーリの動きを掴んだのだな?」

「はい、遅くなって申し訳ございません」女は謝罪を口にして殊勝に頭を下げるが、再び上げた顔には笑みが浮かんでいた。「ザシャーリ閣下が王都を出たのは四半時ほど前です。彼は北の森の間道へ向かいましたから、今から急いで追い掛ければ、すぐにもマリコ様を、お手元に取り戻すことができるでしょう」

「でかした」王は短くほめ、鐙に足を掛けた。

「陛下」ダヴィードは慌てて王を止めた。「時を無駄に出来ないことは承知の上で申し上げます」

 王はわずらわしげな目を向けてくるが、ダヴィードはひるまなかった。

「策に長け、それにも劣らぬ剣の技を持つザシャーリ閣下を追い掛けようとするのに、陛下の得物は、そのちっぽけな剣の一振りです。今は、陛下に命をいただいた護衛の方が、武具を持って戻られるのを待つべきかと存じます」

 そもそも丸腰でザシャーリと対決する危険を説いたのは、王自身だ。それをすっかり忘れて飛び出そうとするなど、彼はいささか理性を失っているのではないか。

「ちょっと、兵隊さん」カテリナが口を挟んだ。「陛下が、あのにやけ面した旦那さんに負けるって言うの?」

お嬢様(レディ)」ダヴィードは丁寧に言った。「ザシャーリ閣下が、マリコ様を我が物にしようと企んだのであれば、おそらく陛下に追跡をあきらめさせるための策を講じているはずです。それには陛下を亡き者とするのが、もっとも確実でしょう。無敵の陛下であれば、ザシャーリ閣下を捕らえることなど容易いなどと、おべんちゃらを吐くために、明らかな危険について申し上げることを差し控えるなど、私にはできかねます」

「だからって、もし閣下とマリコ様を取り逃がしたりしたら、あたしの報酬がふいになってしまうのよ?」

「もう、よい」王はいらいらと言った。「ダヴィードの言い分はもっともだ」

「でも……」

 王は手を向けてカテリナの言葉さえぎった。「報酬については案ずるな。事の成否に関わらず、全て支払うとしよう。その上で、無事にマリコを取り戻した時は、追加の報酬も用意する」

「まあ」カテリナは、ぱっと笑みを浮かべた。「それで、いかほどいただけるのかしら?」

「実は、つい先ほど正妻の席が空いたばかりなのだ」王は生首を示して無表情に言った。「王の妻ともなれば、金などいくらでも自由にできよう。違うか?」

「素敵!」カテリナは胸の前で手を合わせ、天を仰いだ。

「異論が無ければ、ザシャーリの計画について洗いざらい吐いてもらおうか」王は言った。

 カテリナは途端に用心深い目になった。

「ダヴィードが言ったように、あれがただひたすら逃げるなどと言う愚策を採るとは思えん」

 王とカテリナは束の間にらみ合った。カテリナはついと目をそらし、ため息をついてから口を開いた。「閣下の目的地はアチャムです。そこでアハル伯爵の軍と合流し、その助けを借りてフ国まで落ち延びることになっていますの」

「すると、伯爵が私の不興を買うような真似をしたのも、この計画の一端か」王がひとりごちるようにつぶやいた。

 ほどなく、蹄と車輪の音が響いてきた。ダヴィードが目を向ければ、恐ろしい勢いで一台の荷馬車が近付いてくる。荷馬車は彼らの側でつんのめるようにして止まり、護衛の兵士は御者台を飛び降りて王に駆け寄った。彼の報告によれば、マリコが住まう王宮の一角にいた護衛や使用人は皆殺しにされ、空っぽの居室の前には賊の死体が転がっていた、とのことだ。

 王は一つうなずき、ダヴィードに王妃の生首を差し出した。「ザシャーリへの土産だ。馬の用意が出来次第、鞍に括りつけろ」

 ダヴィードは首を受け取り、王の支度を手伝うよう部下たちに命じてから、王妃の顔を見てこっそりため息を落とした。それは目を丸く見開き、まるで自身に訪れた突然の死に驚いているようだった。それにしても、彼女の行動は不可解だ。ダヴィードは、わずかだが言葉を交わして、王妃が高潔で聡明な女性であることに気付いていた。そんな彼女がつまらぬ嫉妬心で夫の浮気相手を殺そうとしたり、わざと王を怒らせるような物言いをしたのは、なぜか。そして王は、どうしてこのような素晴らしい女性を、ためらいもなく殺せるのか。

 隊長が思い悩んでいる間にも、部下たちはせっせと働き続けていた。彼らは荷馬車にぞんざいに置かれた鎧を運び、王と彼の馬を鋼鉄の塊に作り変えた。仕上げにダヴィードが、鎧をまとった馬の鞍に王妃の首を括りつけると、王は台も補助も使わず一息で鞍に跨り、護衛の兵から槍を受け取って彼に命じた。「馬鹿者どもが正気を取り戻し次第、ただちに一個中隊を率いてアチャムへ向え。アハル伯爵の手勢があれば、それを叩き潰すのだ」

 護衛の兵は敬礼で王命に応じた。

「陛下」カテリナが言った。「私もご一緒させていただけます?」

「馬は?」

「すぐそこに用意してありますわ」カテリナは曖昧に通りの方を指さした。

「遅れるな」王は短く言って馬を走らせた。

 ダヴィードは後へ続き、すぐに王を追い越して通りを疾走した。ほどなく北門へたどり着いた彼は、馬を止め、大音声で門兵に呼ばわった。「開門、開門」彼はすぐに付け加えた。「陛下のお通りである!」

 門兵たちは弾かれたように門扉へ取り付き、閂を外し、それを押し開いた。追い付いた王の騎馬とダヴィードの部下たちが、扉が開き切る前にその隙間を駆け抜けた。やや遅れてカテリナの馬が門を抜け、ダヴィードは彼女を追い掛け並走した。「大丈夫ですか、レディ?」

「私は平気なんだけど」カテリナは苦笑を浮かべた。「馬がちょっとね」

 カテリナが乗る牝馬は当たり前の馬で、軍馬について行くのはなかなかに難しいだろう。ダヴィードが兜の下で眉をひそめると、カテリナは片目を閉じてみせた。「なんとか、はぐれないようにするわ」

 ダヴィードはうなずき、カテリナを置き去りにして馬を走らせ、先行する王に追い付いた。しばらく並んで走り、森へ続く間道へ入ったところで王が瞼甲の奥から言った。「こちらへ向かう轍があった。道を塞いでしまえば、馬車は動けん」

 つまり、夜が明けたばかりの薄暗い森の中を馬で突っ走り、先回りしろと言うことだ。無茶な注文ではあるが、王の命令とあれば是非もない。ダヴィードは近くにいた部下に命令し、彼は道を外れて森の中へ突っ込んで行った。その後を三騎が追い、ダヴィードは残りの部下を引き連れて自身も森へ飛び込んだ。

 案の定、ダヴィードは何度も木立にぶつかりそうになった。それでも馬車に追い付けたのは、幸運以外の何ものでもない。御者台で手綱を操るのは黒髪の少年で、荷台の側板の上からはザシャーリの顔が覗いている。女はどこだと目を凝らすが、その姿は見えない。

 ダヴィードは短い口笛と身振りで、道の反対側を疾走する部下に、馬車の前へ回り込むよう合図を送った。彼の部下は速度を上げて先行し、馬車を追い越してから道の真ん中へ飛び出すが、御者の少年は速度を緩めようとはしなかった。それを見てダヴィードは、彼が素人ではないと直感した。馬車はダヴィードの部下と衝突し、ひっくり返って御者の少年と、幼い少女を胸にかき抱くザシャーリを森の中へ放り出した。

 ダヴィードは思わず馬を止め、眉をひそめた。他に女の姿が無いのであれば、この少女こそがマリコと言うことになる。しかし、このような幼子を夜伽の相手に選ぶなど、王は何を考えているのだろう。しかも、妻の生首に向かって吐いた彼の言葉からすれば、相当にご執心の様子だ。生憎と顔は見えなかったが、二人もの男を狂わすとなれば、よほどの器量に違いない――ダヴィードがつらつらと考えている間にも、少年はマリコを背負い森の中へ駆け出していた。ダヴィードは慌てて追跡を再開した。

 見抜いたとおり、少年はただ者では無かった。彼は木々のすき間をでたらめに走るので、進路を予想して先回りを試みても、あっさりとそれは裏切られてしまう。無論、そのあとをぴたりとついて行くザシャーリも、相当なものだ。しかも、少年は丸腰ではなかった。部下の一人がどうにか彼の動きを捕らえ、行く先に回り込もうとすると、少年は右手を振って何かを投げ放った。その直後、部下は落馬し地面の上で悶絶を始めた。

 厄介な相手ではあるが、攻略の糸口は見えた。少年は闇雲に走っているようだが、それは彼の目論見を隠すためのまやかしだったのだ。少年が目指す先は、手入れが行き届かず間伐が行われていない、木々の密集した場所のようだった。もちろん、そこへ逃げ込まれては馬で追うことは不可能になる。しかし、向かう先がわかれば、後は網を張るだけで良い。ダヴィードは少年たちから大きく距離を取り、全速力で馬を走らせた。そうして半マイルほど先行したところで、くるりと馬首を戻し、部下たちを扇状に展開してから、一気に少年たちへ襲い掛かった。獲物は、たちまち取り囲まれ、ついに逃走をあきらめた。

 少年とザシャーリは互いに肩を寄せ、幼い少女を太い木立と背の間に置き、ダヴィードたちの目から彼女の姿をすっかり隠した。こうなると、二人を殺す以外にマリコを奪う手だてはない。もちろん、武装した騎兵が七騎もあれば、それは容易いことだが――

「全員倒すには、少々骨が折れそうですね」ザシャーリは、にこやかにほほ笑みながら剣の柄に手を掛け、ダヴィードたちを細めた目で見回した。ダヴィードは自分の考えを訂正した。彼はザシャーリだ。たかだか七騎では、いささか心許ない。

 ほどなく王が現れ、包囲の列に加わった。「陛下」とザシャーリはお辞儀をするが、それに対して王は、かつての妻の首を放って応えた。

「すべて、お前の差し金なのだろう。ザシャーリ?」王は兜を脱ぎ、残忍な笑みを浮かべて言った。「マリコを殺すよう我が妻をそそのかし、暗殺騒ぎに紛れマリコを奪う。その一方で誘拐の嫌疑を彼女に押し付け、自身はゆうゆうと逃げ去る、か。なかなかに面白い仕掛けではあったが、いささか詰めが甘かったようだな」

 いずれも、王妃自身が明かした事実だが、王は自力でザシャーリの策を読み解いたかのように、印象付けたい様子だった。もちろん、それは強がりやはったりではなく、未だ隠された策があった場合を想定しての、牽制なのだろう。

「どうして、これほど早く我々を見付けられたのですか」ザシャーリがたずねた。「私は、我々の行き先を誰かに漏らした覚えはありませんよ。そもそも私は、それを知らされていないんです」

「陛下に、この道を教えたのはあたしよ」背後からカテリナの声が響いた。相当に酷使されたであろう馬の息は荒く、目に見えて汗をかいている。女は馬を歩ませ、さも当然のように王の隣に轡を並べた。

「カテリナさん」と、黒髪の少年が言った。その目には深い失望の色が浮かんでいた。彼がカテリナに、信頼と好意を寄せていたのは明らかだった。

「そんなに怖い顔をしないで、烏」カテリナは、笑みを浮かべて言った。「実を言うと陛下は、ザシャーリ様があまりにもマリコ様と仲が良すぎるから、いずれ間違いをおかすんじゃないかって、とても心配していらしたの。だから、その前に手を打とうと、うちへご依頼くださったってわけ」

「王様の依頼なんだから、報酬も相当なものなんでしょうね?」烏と呼ばれた黒髪の少年は、皮肉っぽく言って鼻を鳴らした。

「もちろん」と、カテリナは地面に転がる王妃の首に目をくれた。「それに、どうしたって陛下には、新しい王妃が必要になるんだもの。お互いに、まったく損のない取引だったわ」

 烏少年は、ただあ然とするばかりだった。しかしカテリナは、そんな少年の気持ちを汲むこともなく、さらに勝手なことを言い出した。

「ねえ、烏。あなたは、あたしの小姓にしてあげてもいいわよ。陛下にはマリコ様がいるから妻をかまう暇なんてないでしょうし、そうなるとあたしは、ずいぶん寂しくなると思うの」

 さしもの烏少年も、女の言い草にあきれ果てたのか、それをきっぱりと断り、側のザシャーリにたずねた。「そもそも平民が、王の妻になんてなれるのか?」

「無理ですね」ザシャーリは否定し、ダヴィードもこっそりとうなずいた。つまるところ、正妻にすると言う話は、カテリナから情報を引き出すために吐いた、王のでまかせだったのだ。

「陛下が直々に約束してくださったのよ。うまく行けば、私を王妃にしてやるって?」

 カテリナは王に不信の目を向けるが、もちろん王が彼女を相手にすることはなかった。まんまと引っ掛けられたことを知り、激高したカテリナは「だましたのね!」と王に飛びかかった。しかし王は女の胸ぐらをつかんでから彼女を地面へ投げ捨て、槍を取って突き殺そうとした。すると、不意に烏が動き、その手から何かを投げ放った。王は鋼の籠手で少年の武器を弾き、彼をじろりとねめつけた。烏は新しい武器を構え、王の視線を真っ向から受け止めた。

 二人がにらみ合う隙に、カテリナが王の馬の腹の下を這ってくぐるのをダヴィードは見た。しかし、警告を発するよりも先に王の頭上の枝が揺れ、小さな影が彼の馬の尻に飛び乗った。それは錆色の装束を身にまとった赤毛の少女で、彼女の手にはぎらりと光る刃があった。

 危ないと叫ぶ間もなかった。そして、その必要もなかった。王は槍の石突で背後の襲撃者を打ち、少女の小さな身体は七フィートあまりも宙を飛んでから地面に落下した。王は襲撃者を仕留めようと馬首を巡らせるが、鞍が滑り彼はどうと地面に落下した。おそらく、カテリナが馬の下をくぐり抜けた時に、何か細工をしたのだろう。その彼女は烏少年とザシャーリがいる場所を目指し、弾かれたように駆け出した。

 少女が立ち直り、再び王に襲い掛かろうとするのを見て、ダヴィードは部下を走らせ彼女と王の間に割って入らせた。さらに二名の部下を掛からせ、自身は槍を放り出し、馬を降りてもう一人の部下と一緒に倒れた王を引き起こそうとした。落馬した重装の騎士が格好の的になることを、経験上よく知っていたからだ。しかし、王は腕を振ってダヴィードたちを払いのけ、自力で飛び起きるなり鞘から剣を抜き放った。ふと見れば、少女に襲い掛かった二人の部下は地面に転がっており、少女はザシャーリたちと合流して、得物を構えてこちらの様子をうかがっている。

 ダヴィードは剣を抜き放ち、生き残りの部下たちに命令を飛ばして彼らに隊列を整えさせた。彼は、これが罠であることに気付いていた。王はザシャーリを殺す口実を得るために、彼がマリコを誘拐して逃げ出すよう仕組んだつもりでいたようだが、おそらくはそれすらもザシャーリの筋書きの内で、彼は逆に王を殺そうと企んでいたのだ。もちろんカテリナは、その協力者であり、王妃もまた同様だった。

 王がもしダヴィードの忠告を聞き入れず、武装もなしに王都を飛び出していれば、彼らの策略は成功していたに違いない。王妃が無謀な挑発を行い、カテリナも王を急かしたのは、まさに彼がそうするのを期待してのことだ。

 しかし、王は生きている。もはやザシャーリの一味に出来ることは、急いでこの場を逃げ出すか、破れかぶれになって襲い掛かるかの二択だ。そしてザシャーリが剣を抜いたことで、彼らの命運は決した。

 王は剣を構えてかつての側近を睨み付けた。「素直にマリコを渡せ。そうすれば、他の者たちは見逃してやろう。そして、お前の首を刎ねる時は斧ではなく、よく研いだ剣を使ってやる」

 その時、烏少年とザシャーリの尻を押しのけて、隠されていたマリコが姿を現した。彼女の顔を見た途端、ダヴィードの頭の中で荘厳な鐘の音が響き渡った。マリコはあまりにも愛らしく、美しく、いっそ崇高でさえあり、奇跡だった。

 マリコは両手を大きく広げ、王に向かって叫んだ。「だめ!」

「引っ込んでろ、マリコ」烏少年が、慌てた様子でマリコの肩を掴んだ。彼は王と、ダヴィードたちに視線を走らせ、何かに気付いた様子で微かに目を見開いた。マリコは身体を捻って彼の手を振り払い、もう一度言った。「だめ。ザシャーリの首を切ったりしないで」

「仕方がないのだ、マリコ」王の声音は、いささか言い訳じみていた。「ザシャーリは、私からお前を盗んだ悪い男なのだ。悪人は首を刎ねなければならん」

「それは私がオヒサマを見たいってお願いしたからよ。それに」マリコは王妃の首をちらりと見た。「王妃様も悪人なんかじゃなかったわ。すごく優しかったもの」

「何を言う」王は眉間に皺を寄せた。「あの女は、お前を殺そうとしたのだぞ」

「王妃様が、そんなことするわけない」マリコは言い張った。「きっと、何かの間違いよ」

 ああ、そうか――と、ダヴィードは胸の内でつぶやいた。この幼い少女が、強大な王を前に一歩もひるまずザシャーリや王妃をかばうのは、それほどに彼らを慕い、信頼しているからだ。すなわち、それはザシャーリと王妃もまた、マリコの信頼に応えるべく彼女を懸命に愛していたからにほかならない。その彼らが王の命を奪おうとするのなら、それもおそらくはマリコへの愛のためなのだ。庇護者である王を殺す事で、マリコにどんな利があるかはわからないが、それでも王妃がその愛に殉じたのは明らかだ。その事に思い至った時、ダヴィードは自身の浅薄さに気付いた。彼はお節介な忠告を王にくれ、王妃の犠牲をふいにしてしまったのだ。敬愛すべき女性に身命を捧げるのが騎士の勤めであると言うのに、真逆の事をしてしまった自分は、それをどう償えば良いのか。

「お前がそう思っているのなら、そう言う事にしておこう」王はため息を落として言った。「しかし、あれは私とお前の楽しみを邪魔したのだ。首を刎ねる理由があるとすれば、それで十分だ。なんと言っても、昨夜はお前のために、ル国の踊り子の服を用意していたのだ。それなのに、あの女は私を騙して王宮を留守にさせおった。知っているか? ル国は大きな砂漠がある国で、恐ろしく暑いのだ。そのせいか、彼らの着る服はとても薄く――」

 異国の服の特徴について熱心に語り出した王を、マリコはうんざりした目で見つめていた。王は、そんな彼女の心持ちなど、おかまいなしの様子だ。女性を退屈させるなど、紳士にもとる行いだった。なにより語る口を聞けば、彼がマリコを人形かなにかのように考えているのは明らかだ。ダヴィードは、奇跡の少女をそのようにしか見れない王に、心底失望した。

「貴様、何を!」

 烏少年がマリコを小脇に抱えて走り出すのを見て、王が叫んだ。マリコは烏少年に抱えられながら、あかんべえをしてみせた。

「殺せ。マリコを奪い返すのだ!」王は怒声で命じるが、もはやダヴィードにそれを聞く義理はなかった。束の間を置いて何かががつんと頭にぶつかり、ダヴィードの意識はそこで途切れた。

 目を覚ますと、目の前に男の顔があった。束の間を置いて、それが王の護衛の一人であることを思い出した。

「おい、大丈夫か?」男はたずね、ナイフを取り出した。それでダヴィードは、ようやく自分が木の幹に縛られていることに気付いた。男はダヴィードを拘束するロープを手際よく切って、彼を解放した。

「かたじけない」ダヴィードは礼を言って立ち上がった。ずきずきと頭が痛んだ。辺りを見回すと、男のすぐそばに空馬が一頭いて、近くには三騎の騎馬があった。二騎は軽装の兵士だったが、一騎は初老の男で使用人のような格好をしている。使用人風の男は、抜け落ちたか剃り上げたかは不明だが、その頭には一本の毛もなく、代わりに立派な口ひげを生やしていた。奇妙な取り合わせだが、それよりも気になる事があった。ダヴィードは護衛の男にたずねた。「貴官は、アチャムへ向かったのではありませんか?」

 ダヴィードがたずねると、男は苦笑を浮かべた。「陛下が戻るまでに、兵を集められなかったのだ。しかたなく、こうしてザシャーリの追跡に駆り出されている」

 ダヴィードは、ふと思い出した。「私の部下たちはどこでしょう」

「あの辺りに」護衛は曖昧に離れた場所を指さした。「見覚えのある顔の死体が転がっていた。みな、目か喉を一突きにされている」

 ダヴィードはため息を落とした。記憶にある限り、ダヴィードの元にはまだ四人の部下がいた。彼らはそれなりに腕の立つ連中ばかりだったが、やはりあの笑顔の軍師には及ばなかったと言うことか。

「それで」と、護衛はたずねた。「お前は、マリコ様を見たのか?」

 奇跡の少女を思い出し、ダヴィードは知らず口元に笑みを浮かべ、うなずいた。

「どうだった?」護衛の男は、好奇心を隠そうともせずたずねた。

「どう、とは?」

「陛下とザシャーリが夢中になるような女だぞ。相当な美人に違いない」

「ああ」ダヴィードは首を振った。「確かに美しくはありましたが、マリコ様は子供なのです。おそらく、まだ十にも満たないでしょう」

「子供?」護衛の男は目を丸くした。「よくも毎晩、あの陛下を乗せて潰れないものだな」

 馬上にいた兵士たちは、顔を見合わせてから下卑た笑い声をあげた。

「そもそも、入るんですかね?」一人の兵士が言った。

「そっちが無理でも、穴なら他にあるだろう」もう一人が答えた。「さもなけりゃ、しゃぶらせるのさ」

「どうやって陛下を喜ばせていたのかは、本人を捕まえて聞くのが一番だろう」護衛の男は兵士たちに振り向いて言ってから、にやりと笑った。「なんなら、直接身体に聞くのも悪く無い」

 兵士は眉をひそめた。「バレたら首を刎ねられますよ?」

「相手が子供なら、少しばかり痛めつければいい。大抵は、それで余計なおしゃべりはしなくなる」護衛は鼻を鳴らして言った。「何より、お偉方を二人も夢中にさせる器なら、試さない手はないだろう?」

 ダヴィードは彼らの会話を聞きながら、地面に落ちていた自分の剣を拾いあげ、二、三度振って具合を確かめてから、何気ない調子でたずねた。「しかし、ザシャーリ閣下が素直にマリコ様を渡してくれるでしょうか。陛下すら退けた彼を、貴官らだけで抑えるのはいささか無謀に思えます」

「手は打ってある」護衛の男はダヴィードに向き直って行った。「キルメリとディザの兵を好きに使えと陛下は仰っていた。俺たちは連中の足取りを掴んで、適当なところで兵を差し向けるだけでいい」

「貴官ら以外に彼らを追う者は?」

「ない」護衛の男はきっぱりと行った。「追跡に使える足の速い馬は、それほど多くはないからな」

 ダヴィードはうなずき、やにわに剣を護衛の胸に突き立てた。男は防具らしい防具を身に着けていなかったから、その切っ先は容易に心臓を貫き背中から飛び出した。くたりとくずおれる男の身体に剣を残し、さらにダヴィードは兵士の一人に襲い掛かった。兵士は慌てて剣を引き抜こうとするが、それよりも先にダヴィードは彼を鞍から引きずりおろし、鎧通しの短剣を腰の鞘から引き抜いて、その首をかき切った。しかし、もう一人の兵士が馬首を巡らせ、ダヴィードに斬りかかってきた。ダヴィードは地面を転がって間一髪のところを逃れ、兵士から距離を取った。

「貴様、どう言うつもりだ!」兵士は吠えた。

「貴官らのような下衆を、マリコ様に近付けたくはない」ダヴィードは視界の端で、ましな武器はないかと探しつつ答えた。生憎と、目ぼしいものは見つからなかった。「それにマリコ様は、いささか王を嫌っているようでな」王に向かってあかんべえをするマリコの可愛らしい姿を思い出し、顔がゆるみそうになるのを懸命にこらえた。「敬愛する女性の望みを叶える事は、騎士の義務であろう?」

「血迷ったか」兵士はぎりっと歯を鳴らし、馬の腹を蹴ってダヴィードに突き掛った。ところが、それまで成り行きをただ見守っていた使用人風の男が動き、自分の馬を兵士とダヴィードの間に割って入らせた。兵士は慌てて手綱を引き、馬は驚いてその場でくるりと一回転した。その隙に使用人は鞍の上に立ち上がり、そこから軽業のように飛んで兵士の頭に蹴りを食らわした。兵士は背中から地面に落ち、彼の側らに着地した使用人は拳を構え、短い気合いを発し、装甲の無い喉にそれを振り降ろした。兵士は血を吐き、しばらく潰された喉を掻きむしっていたが、ほどなく息絶え動かなくなった。

「どなたかは知らぬが、助勢に感謝する」

 ダヴィードが頭を下げると、禿頭の男はこくりとうなずき、言った。「俺は、ワン。王宮の厨房を預かるものだ」

「私はダヴィードだ」名乗りながら、彼は首を傾げた。料理人が、こんなところで何をやっている?

「妃殿下から、自分の身に何かあればマリコの助けになってくれと申しつかってな」ワンは、胸から剣を生やす護衛の男をちらりと見やった。「連中を、どこか人目に付かないところで始末するつもりだったが、代わりにあんたがやってくれて手間が省けた」

 よもや、こんな場所で王妃の知己と出会うとは思いもよらなかった。ともかくも、その言い分が嘘でなければ、彼は味方と言うことになる。

「あんた、これからどうするつもりだ?」ワンはたずねた。

 ダヴィードは護衛の男に歩み寄り、剣を抜いて彼の服で刃を清めてから鞘に収めた。そして、手近な馬の手綱を取り、その背に乗って答えた。「マリコ様を追う」

「追ってどうする?」

「無論、騎士として彼女に仕える」

 きっぱりと言い切るダヴィードを、ワンは目をぱちくりさせて見つめてから、不意に愉快そうに笑い出した。「しかし、行き先もわからんのでは、それもかなわんだろう。どうだ、俺と一緒に来るか?」

 ダヴィードは息を飲んだ。「貴殿は、それを知っているのか?」

「道々話す」ワンは馬に跨り、さっさと歩き出した。

 森の間道を進みながら語るワンの話によれば、王妃とマリコはしばしば王の目を盗み、彼の厨房を借りて菓子などを作って楽しんでいたのだと言う。同じ秘密を共有する三人は、ある種の友情で結ばれ、互いに信頼を分かち合うようになった。

「しかし、昨日のことだ」と、ワン。「殿下が厨房へ駆け込んで来るなり、王宮から逃げ出すのに手を貸してくれと言い出してな。事情は詳しくは聞けなかったが、ともかく俺は、厨房の勝手口から彼女を王宮の外へと逃がす事にしたんだ。そして殿下は別れ際に、自分にもしもの事があればマリコの力になってくれと言って、彼女の行き先を俺に教えてくれたと言うわけさ」

「殿下は、どうやってそれを知ったのだ?」

「彼女はカテリナと言う『呼び屋』の女と友人だったらしい。カテリナは、ザシャーリ閣下がマリコを王宮から誘拐する手引きをしていて、その委細を殿下に教えていたんだ。ひょっとすると殿下は、ザシャーリ閣下の計画に便乗して、陛下の元からマリコを救い出すつもりでいたんじゃあないかな」

 ダヴィードは、てっきり王妃とザシャーリが手を結び、協力して暗殺計画を成そうとしているように考えていたが、どうやらそれは思い違いだったようだ。

「まあ、ともかく」ワンは続けた。「俺は殿下が処刑されたと聞いて、彼女との約束を果たそうと王宮を出た。そして、陛下があの男にザシャーリ閣下とマリコの追跡を命じているところに出くわし、やつらを適当に言いくるめて同行したってわけさ。そっちは、何か知っているか?」

 ダヴィードは見聞きした事を委細もれなくワンに話して聞かせた。ワンは黙って聞いていたが、ダヴィードが話し終わるとしかめっ面をして、熊のようにうなった。「まさか、殿下が陛下の暗殺を目論んでたとはな。しかし、マリコを彼の手から本当に解放するとなれば、それが一番確実ではある」

「貴殿が、陛下の皿に毒でも盛れば容易く片付いたのではないか?」

「いや」ワンは首を振った。「殿下は誰よりも国のことを案じていたんだ。そんなことをすれば、犯人探しで国が割れてしまうだろう。それよりは、陛下の側女にお手つきをしたザシャーリ閣下が、怒り狂った陛下を返り討ちにする方が、何もかも丸く収まる」

 ダヴィードとしては、マリコを救うためであれば、国の一つや二つがどうなろうと構わないようにも思えたが、あの王妃がそれを好しとしなかったことも理解できる。

「しかし、陛下はマリコ様にどんな不埒を働いていたのだ。妻に命を狙われるとは、よほどの……」ダヴィードは、護衛の男たちが交わしていた下品な話題を思い出し、ぎょっとした。「まさか?」

「いや」ワンはしかめっ面をした。「一度、マリコに手を握られたことがあるんだが、俺は自分にうんざりするような、ひどくみじめな気分になったんだ。殿下も、程度は軽いがまったく同じ気分になったらしい。ちょいと気になって、マリコの身の回りの世話をしていた使用人たちにもたずねたら、やっぱり同じ答えが返ってきた。もし、その魔法が誰にでも効くんであれば、陛下も彼女に手出しは出来なかったはずだ。あんな気分を味わって、()()が役に立つ状態になるとは思えんからな」

「魔法?」

「そうとしか思えん」

 ダヴィードは小さく安堵のため息を落とした。幼い少女が、王の巨躯に組み敷かれる姿など、想像したくもなかった。

「けどな」と、ワン。「窓もない部屋に女の子を半年も閉じ込めるのは、じゅうぶん不埒だと思うぞ?」

 ダヴィードは眉をひそめた。「陛下は、なぜ彼女にそんな仕打ちを?」

「さあな」ワンは肩をすくめた。「大事なものは、鍵付きの箱にしまうべきだと考えたんじゃないか?」

 確かに、マリコほど素晴らしい少女であれば、他人の目に触れさせたくないと思うかも知れない。しかし、彼女は意思のない宝石ではないのだ。

「それで」と、ダヴィードはたずねた。「我々は、どこへ向かっているのだ?」

「エランヴィルと言う、辺境の村らしい。殿下から道行きだけは聞いたが、正直どんなところかは見当も付かん」

 ダヴィードも、そんな村の名前は耳にした事もなかった。「ともかく、一刻も早く彼女に追い付き、我が剣を役立てたいものだ」

「俺もだ」ワンは熱心に同意した。「頑張れば、どこか途中の宿場で追い付けるだろう」

 二人はうなずき合い、馬の足を速めた。

 しばらく進むと森は途切れ、灌木と丈の短い草が茂る、なだらかな丘陵地帯へと出た。日はやや南中を過ぎ、全身を鋼で覆ったダヴィードは、その日差しをいささか不快に思い始めた。しかし、鎧を脱げば荷物になるばかりだから、今はこらえるしかなかった。そうして、間道は大きな街道に行き着き、夕暮れも間近に迫ったところで、二人は宿場町にたどり着いた。彼らはひとまず宿を決め、鎧と馬を預けてそこを出ると、真向かいの宿から大きな声があがった。

「こら、待て!」

 直後に、全裸の少女が水を滴らせながら、その宿の入り口から飛び出して来た。すぐ後から、女中の格好をした赤毛の少女が駆けて来て、幼い少女を捕まえ抱き上げた。

「やだ。放して、テレンシャ!」少女は叫んだ。

「だめよ、マリコ。あなた、昼間は汗だくだったじゃない」

「でも、水浴びなんていや。お湯のお風呂がいい」

「お湯を沸かしてもらったりしたら、とんでもない額を取られるの。辛抱して」

 幼い少女は身をよじって赤毛の少女の拘束を振りほどくと、追っ手を警戒して背後をちらちら見やりながら駆け出した。そのせいで、進路にダヴィードがいることに気付かず、まっすぐ彼の腹に突っ込んだ。途端、ダヴィードは、雷に打たれたような衝撃を受け、その場にがくりと膝をついた。マリコもぶつかった反動で尻もちをつくが、うずくまるダヴィードを見て、ぎょっとした様子で言った。「大丈夫、おじさん?」

 ダヴィードは微笑み、ふらふらと立ち上がってうなずいた。しかし、正直なところ、あまり大丈夫ではない。マリコにぶつかられた途端、どう言うわけか自分がひどく矮小で卑しい存在に思え、今も内臓を捩じり上げられるような自己嫌悪にさいなまれているのだ。おそらく、これがワンの言っていた魔法の威力なのだろう。

「元気そうで何よりだ、マリコ」ワンが笑って言った。

 マリコは禿頭の男を見上げ、目を丸く見開いた。「ワン?」

 ワンは笑顔でうなずいた。

「ここで、なにしているの?」と、マリコはたずねた。しかし、ワンが答えるより先に、赤毛の少女が素早くマリコを立たせ、彼女を背にかばって身構えた。「あんた、誰?」

「あのね、テレンシャ」マリコが急いで言った。「ワンは王宮のコックさんで、私と王妃様の友だちなの」

「でも、どうして王様の兵隊と一緒なの?」テレンシャは用心深くダヴィードを見やった。

 服装こそ違えど、彼女は王を殺そうとした暗殺者の少女だった。瞼甲を上げていたとは言え、兜の中の顔をよく覚えているものだとダヴィードは感心した。

「こいつは、もう兵隊を辞めたんだ」ワンが言った。「なんでも、騎士としてマリコに仕えたいらしい」

「騎士様?」マリコはテレンシャの背後から顔を覗かせ、ダヴィードをじろじろと見た。「でも、鎧は着てないんだね」

「はい」ダヴィードは幼い少女にうなずいて見せた。「鎧を着けた騎士は、時に他人を怖がらせることがあるので、宿へ置いて来ました。しかし、あなたが騎士らしくして欲しいと仰るなら、そのように致しましょう」

「ぴかぴかなの?」マリコは目を輝かせた。

「多少、古びてはいますが、まだじゅうぶんぴかぴかです」ダヴィードは微笑んで答えた。

「まあ、そう言うわけで、こいつの事なら心配いらんよ。お嬢ちゃん」ワンは笑いながら言って、ふと背後に目を向けた。「お前さんもだ、坊主」

 ダヴィードが振り返ると、少し離れた場所に黒髪の少年が立っていた。彼は手の中に持った寸鉄を、手品のように消し去ってからダヴィードたちに歩み寄り、言った。「俺たちの宿に来てくれ。自己紹介は、その時にしよう」彼は全裸の少女に目を向けた。「今はマリコをなんとかしないと。風邪を引かれでもしたら困る」

 タイミングよくマリコがくしゃみをすると、少年は小走りに彼女へ駆け寄って、手を引き歩き出した。彼はテレンシャに目を向け、たずねた。「水浴びなんて、させる必要があるのか?」

「女の子なんだから当然よ」テレンシャもマリコの手を取った。

「けど、子供なんて臭くて普通だろ?」黒髪の少年は眉をひそめて言った。

「くさい?」マリコは少年をまじまじと見つめてから、決然とした目をテレンシャに向けた。「私、冷たくてもがまんする」

「えらいわ」テレンシャはふふと笑った。

 手を繋いで宿の中へと消える三人を、ダヴィードはぽかんと見つめていた。しばらく経って、彼は言った。「ワン殿」

「なんだ?」

「職業柄、私は多くの人間を殺してきた」

「そうだろうな」

「しかし、嫉妬で殺意を覚えたのは、今日が初めてだ」

 ワンは、ダヴィードをまじまじと見てから、大声で笑い出した。彼はひとしきり笑ってから、友人の肩を何度か叩いて言った。「まあ、お前さんも騎士の端くれなら、仕えるべき姫の幸せを第一に願うべきじゃないかね?」

 ダヴィードはうなずいた。まったく、ワンの言う通りではあるが、それでも割り切れないものが胸の内に残った。よもや、自分が身命を賭して仕えようと心に決めた姫が、どこの馬の骨とも知れぬ者に恋をしていたとは!

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