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カテリナ、報酬を奪う

 岬をぐるりとまわる、湖岸沿いの隘路を進むにつれ、日は落ち、辺りはすっかり暗闇に覆われた。ここは荷馬車が一台、ようやく通れるような道だから、当然のことながら、カッセン将軍の部隊は立ち往生した。下手に動けば、足を踏み外して湖に転落しかねない。徒歩ならまだしも、先行するのは荷馬車で、カテリナたちは馬上にある。

「ねえ、旦那さん」カテリナは前にいるはずのザシャーリに呼びかけた。「まさか、ここで夜を明かすわけじゃないわよね?」

「じきに月が出ます」暗闇から声が返ってくる。「私としては、松明でもなんでも焚いて、さっさと明るくしたいところなんですが」

「馬鹿を言うな」カッセン将軍の声。「湖から、弓で狙い撃ちにされるぞ」

 ここはイ国領内で、カッセン将軍は敵対するフ国の軍人なのだ。敵地にあれば、慎重になるのも当然だった。身を隠すことも困難な場所で、釘付けとなっていれば、なおさらだ。

「と言うわけで、月が出るまで休憩です」

 暗闇のなか、何もせずじっとしているのは、なかなかの苦行だった。もちろん、『呼び屋』と言う職業柄、待つことには慣れている。依頼主の素性を探ったり、仕掛けの準備のために、路地や空き家や、時には他人の家の屋根裏などで、数時間、あるいは数日を過ごすこともあった。しかし今は、一刻も早く、烏とマリコの無事を確認したい。

 じりじりと時間が過ぎ、山の端にようやく月が顔を覗かせた。無論、その明かりはわずかだから、相変わらず足元は暗い。それでも、どうにか道と、そうではない場所の区別はつく。

 カテリナは、ふと湖面に目を向ける。カッセン大佐が恐れた、射手を載せる小舟のようなものは見当たらない。さざ波を立てる湖面は、月明かりを映し揺らめくばかりだ。

 行進はのろのろ進み、カテリナが広い地面にたどり着いた頃には、もう真夜中を過ぎていた。そこでは山越えをして先着した歩兵たちが、丸太を組んだ柵をまばらに並べ、どうにか拠点らしいものを作り上げていた。

「明かりがあると、ほっとしますね」ザシャーリが、野営地内に焚かれる篝火を見て、小さくため息を漏らす。

「なんだって、そんなに暗闇を怖がるの?」彼と鞍を分けるテレンシャが問う。

「子供の頃、洞窟に閉じ込められたことがあるんです。思い出すと本当につらいので、詳しい話は勘弁してください」

 荷馬車隊が、蟻の行列のように連なり、野営地の外側で整列した。すぐさま周囲に篝火台が設置され、歩兵たちが自分らの装備を求め、集まって来る。その様子は軍隊と言うより、夜市を思わせる。

「あれで、自分の装備がどこにあるか、わかるものかね」野営地内へ馬を進ませながら、カッセン将軍は疑わしげに言う。

「ジルが、各荷馬車に女性の名前を付け、積まれている荷に番号を振ったんです」ザシャーリが言った。「それを覚えておきさえすれば、それぞれ自分の装備を受け取れるという寸法です」

「うまい手だ」カッセン将軍は、感心した様子で頷いた。

「あたしの名前もあるのかしら」カテリナは興味を引かれてたずねる。

「もちろん」ザシャーリは頷く。「テレンシャもいましたよ」

「へえ」赤毛の少女は、荷台に乗って積み荷を物色する兵士たちを見渡し、にやりと笑う。「自分の上に乗られてるみたいで、ぞくぞくする」

 ごめん、テレンシャ。それは、まったく理解できないわ――と、カテリナは胸の内で謝った。

 荷馬車隊の指揮を終えた、ジルとワンが馬で駆け寄って来る。

「ちょっと、お偉いさん方」と、ジル。「この先に村があるみたいだけど、今夜の宿はそっちに取ったらどうかな?」

「それは、おすすめしないわね」カテリナはすぐさま言った。

 幼いころに見た件の村は、ひどく貧しく、腐った魚の臭いにあふれていた。偏屈で、不満を口にする割に怠惰な人たちの住まう場所が、たかだか十数年で、ましになっているとは思えない。

「やっと、しっかりした屋根の下で眠れると思ったのに」ジルはしょんぼりと言った。

「明日になればエランヴィルに着くわ。それまで辛抱して」カテリナはくすりと笑って言う。都会人のジルにとって、この旅はいささか過酷に感じてしまうのだろう。かく言うカテリナも、そろそろ薄い布切れではなく、プライバシーを守れる厚い壁に囲まれたいと思い始めている。

「だったら俺が、せめて文化的な食事を作ってやろう。うまい料理は良質な睡眠と同じくらい、精神に安らぎを与えるもんだ」ワンは言って、カッセン将軍に目を向けた。「あんたらの野戦食に、文句があるわけじゃないぞ」

「わかってるとも」将軍は寛大なところを見せた。「もちろん、俺の席も用意してくれるんだろうな?」

「指揮官が一人だけ、美味しいものを食べてると知ったら、他の兵士はどう思うでしょうね」ザシャーリが言う。

「そりゃあ」カッセン将軍は、にやりと笑った。「出世すれば、俺のように美味いものにありつけると知って、みんな奮起するだろう。上に立つものは、常に麾下(きか)の手本となる行動をとらねばならんのだ」

 ほどなくダヴィードとフツも合流し、一同はそろって遅い夕食を摂った。材料は部隊の補給品なのに、それは普段の糧食とは比べ物にならないほど、みなの目と舌を十二分に楽しませるものだった。

 食事を終えると、カテリナはテレンシャを連れて、早々に女性用の天幕へ引っ込んだ。さすがに、二夜続けての徹夜は避けたかった。無理をしてニキビなどに悩まされては、たまったものではない。

 とは言え、翌朝の起床は、やはり大きな試練だった。出来ることなら朝食をすっぽかし、日が高くなるまで横になっていたいところではあるが、テレンシャは容赦なくカテリナから毛布を引っ剥がした。この可愛らしい赤毛の殺し屋は、カテリナのことを「姉さま」などと呼んで慕っているが、時々、本当に残酷になるのだ。

 天幕を出ると、朝日に目をしばたかせながら、カッセン将軍がやって来る。武装はしておらず、町民のように簡素な恰好をした彼も、カテリナと同じく寝不足のようだった。「おはよう」のあいさつ代わりに、カテリナへ贈る世辞にも、いささか切れがない。

 彼より少し遅れて現れたザシャーリは、いつも通り、穏やかな笑顔を浮かべている。テレンシャによれば、戦場にいる彼は、熟睡したことがないと言うから、おそらく寝不足にも慣れているのだろう。

 次いで、ダヴィードとフツ。しゃんと背筋を伸ばす騎士は、一つの鋼も身に着けていないのに、さながら歩く砦と言った雰囲気を身にまとっている。対して彼と肩を並べるサムライは、ゆらりゆらりと雲のように掴みどころがない。かようにして、まったくタイプの違う二人の戦士だが、歩きながら冗談を交わし合っているところを見ると、彼らの間には、なにがしかの友情が結ばれているように思えた。

 最後に、この集まりの中で、もっとも奇妙な取り合わせの二人がやって来る。ジルとワンだ。かたや実業家、こなた宮廷料理人。年齢もずいぶん離れている二人に、共通点などまるでないように思えるが、よくよく考えてみれば、彼らは軍人でもなければ、カテリナたちのような裏社会の住人でもない。堅気の者同士、なにか通ずるものがあるのだろう。

 ともかく、いつもの面々がそろい、会議室兼食堂として張られた天幕で、朝食が始まる。

「今日の予定は?」湯気を立てるベーコンの塊を、ナイフで切り分けながら、カッセン将軍が誰とはなしにたずねる。

 てっきり、ザシャーリが答えるものと思い込んでいたカテリナは、その本人がこちらに目を向けていることに気付いて、小さく咳払いした。「ええと、そうね」

 このところ、ずっと戦争ばかりだったから、この旅を率いているのが自分であることを、いささか失念していた。

 カテリナは、カッセン将軍に目を向けた。「ここから、もう少し南へ行けば、街道を外れる枝道がございます。それをたどり、川をさかのぼれば、エランヴィルへの登山口です。ただ、前にも申し上げました通り、山道は険しく、これほどの部隊が登りきるのに、どれほど掛かるか、私には見当が付きかねます」

「わかっているとも」カッセン将軍は頷いた。「しかし、ありがたいことに、イ国の軍隊は我々を追い立てることをあきらめてくれた。もう、彼らの追撃を心配する必要はない」将軍はザシャーリに目を向けた。「そうだな?」

「だからと言って、長居はしない方がいいでしょうね。閣下が、ここを拠点化して、王都を窺っていると思われかねません」

「冗談じゃない」将軍はしかめっ面をして言ってから、はっと息を飲んだ。「馬はどうする?」

「何とか、登れないことはないと思いますが、人間を登らせる以上に苦労すると思います」カテリナは正直に言った。「ひとまず麓に置いて、後で運び上げればよいでしょう」

「我々が山を登ってる間に、盗まれたりしないかな?」ジルが懸念を口にする。

「それは大丈夫」カテリナは請け合った。「エランヴィルの人たちが、援軍の部隊を送ってくれてるはずだもの。彼らに世話を頼めばいいわ」

「烏とマリコが、無事に逃げ果せていれば、ですが」ダヴィードが、憂慮を込めて言う。

「その仮定は、あまり考えたくないわね」と、カテリナ。なるべく軽い調子で言うが、内心はそれこそが、最大の懸念だった。

「当然だ」カッセン将軍は同意した。「さもなければ、俺たちがやったことは、ぜんぶ無意味になる」

「まあ、イ国軍が、我々を放って退いた時点で、二人は無事だと考えていいでしょう」ザシャーリ。「もし、イゾーテ王が目的を果たしていたのなら、部隊が退くことを、彼が許すはずもありませんからね。少なくとも、自分がマリコを連れて王都へ戻るまでは?」

 カッセン将軍は頷いた。「朝食を片付けたら、さっさと出発するとしよう。エランヴィルの連中を、余計に歩かせるのはしのびないからな」

 しかし、その気遣いは無駄になった。部隊が出発の準備を整える前に、伝令の兵士が現れて言う。

「閣下」兵士はカッセン将軍に向かい、敬礼を一つ置いて言った。「エランヴィルからの使いと申す者が、面会を求めております」

「是非お連れしろ。丁重にな」

 ほどなく、伝令の兵士は、浅黒い肌の中年男を連れてきた。男は、完璧な敬礼を決めてから言った。「ドゥーガルドと申します、閣下」

 カテリナの記憶の堰が、不意に切れ落ちた。「ドゥーガルドおじさん?」

 以前のエランヴィル訪問で、幼いカテリナに、なにくれとなく世話を焼いてくれた男だった。すでに当時から、兄というには、いささか年が離れていたから、カテリナは彼をそう呼んでいる。

「カテリナか?」ドゥーガルドは、ぱっと笑みを浮かべた。「見違えるくらい、美人になったな」

「前は美人じゃなかったってわけ?」カテリナは唇を尖らせた。

「いや、失敬」ドゥーガルドはくすくす笑った。「君は、いつだって美人だ」

「それについては、まったく異論はない」カッセン将軍は、熱心に同意しながら、ドゥーガルドに右手を差し出した。「カルロス・カッセンだ。援軍に感謝する」

 ドゥーガルドは握手を返してから苦笑を浮かべた。「しかし、我々が倒すべき敵の姿は、見当たらないようですね?」

「そこでにやにや笑ってる軍師が、余計なおせっかいを働いたせいだ。苦情なら彼に直接言ってくれ」

麾下(きか)の不始末について、責任を負うのも指揮官の仕事のはずですが?」ザシャーリもドゥーガルドに歩み寄り、右手を差し出す。「ザシャーリです」

「お名前はうかがっております、閣下」ドゥーガルドは握手を返して言った。

「烏から?」

「最初に耳にしたのは、どこかの戦場です。エランヴィルの者は、多くが傭兵を生業にしていますので」

 ザシャーリが他の仲間を紹介し、それが終わると男たちは、立ち話のまま情報交換を始めた。しばしば、女はおしゃべり好きだと言われるが、カテリナにしてみれば、会議ばかりやっている男性の方が、そう評されるべきではないかと思うところである。

「すると」ザシャーリから一通りの説明を受けたドゥーガルドは、眉間に皺を寄せて口を開いた。「来るかどうかもわからない我々が、本当に来るように思わせて、六千の軍勢を追っ払ったと言うわけですか?」

「それは、ちょっと違います。あなた方が来なければ、私たちは全滅していました。正確に言えば、あなた方が援軍に来られる条件が調わなければ、となります」ザシャーリは、にこにこと笑みながら言う。

「その、条件とは?」

「マリコがエランヴィルへたどり着くことです。誰であろうと、彼女のお願いを無視するのが難しいことは、よくわかっていましたからね」

「確かに」ドゥーガルドは苦笑で応じた。しかし、彼はすぐに笑みを消して続けた。「次に陛下が、ここを訪れたときは、本腰を入れてエランヴィルの攻略に取り掛かることになりますね」

「はい」ザシャーリは頷く。「その前に、降伏勧告があるはずです」

「マリコを寄越せ、さもなくば?」

「その通り」

 ドゥーガルドは束の間考え込み、小さく首を振った。「もちろん、マリコがそれを望んでいない以上、我々は受けて立つしかありません」

「俺たちも手を貸すぞ」カッセン将軍は請け合った。

「フ国の援助には、大いに期待しています」ドゥーガルドは頷いて言った。「しかし、問題は、この戦争の終わりが見えないことです」

 マリコと言う、互いに譲れないものを奪い合う戦となれば、当然だった。おそらくイゾーテ王は、エランヴィルが音を上げるまで攻撃を続けるだろう。そして、いくらフ国の助けがあったとしても、ちっぽけな村が、それに抗い続けられるはずもない。しかし王は、どうしてエランヴィルの存在を、知ることが出来たのだろう。

「終わらせ方なら、わかってるわ」カテリナは口を挟んだ。「王を殺すの」

 そもそも、この旅を始めた目的が、それなのだ。

「どうやって?」ドゥーガルドは、いささか戸惑った様子でたずねた。

 カテリナは肩をすくめた。「後で考えるわ」

「それは、ちょっと無責任じゃないか?」ドゥーガルドは抗議した。

「ここで日が暮れるまで議論を重ねるより、ずっとましよ。あの山道を登るのが、どんなに大変か、あたしはよく知ってるの。だとしたら、さっさと始めた方がいいわ」

 男たちは顔を見合わせた。

「一本取られたな」カッセン将軍が、にやりと笑って言った。「ザシャーリは、俺たちがもたもたしていると、イ国に対して妙な印象を与えるだろうと言っていたんだ。彼女の決定に従うのが賢明だろう」

 ドゥーガルドは頷き、カテリナに目を向けた。「君は知らないと思うが、実は近道があるんだ。あの山道を通るよりも、ずっと早い」

「楽ができるんなら、なんでも大歓迎よ」

 ドゥーガルドの案内で、カッセン将軍の部隊は、山の麓に待機していたエランヴィルの部隊と合流し、「近道」とやらを進み始めた。なるほど、幼い頃に歩いた道よりも、確かに歩きやすい。が、ザシャーリにとっては、そうでもない様子だった。

「大丈夫、旦那さん?」カテリナは振り返って問うた。

「ちっとも大丈夫ではありません」

 ザシャーリの笑顔は相変わらずだったが、声から覇気がすっかり失われていた。あまつさえ彼は、情けないことにテレンシャに手を引かれている。

「本当に洞窟が苦手なのね」カテリナは苦笑を噛み殺して言った。

 そう。ドゥーガルドの言う近道は、洞窟だった。エランヴィルがある山には、このような洞窟が網の目のように張り巡らされているらしく、村の人たちは、それを天然の隧道として利用していたのだ。もちろん、足元は岩を削って平らに均されているし、天井が脆い場所などは支柱を入れて落盤を防いでいる。急勾配には階段が設えてあって、手綱を引いてなら馬を歩かせることもできた。加えて、あちこちに松明が掛けられ、じゅうぶんな照明も確保されている。しかし、それでもザシャーリにとっては、ひどく堪え難い状況に思えるらしい。

「ねえ」カテリナは、先を歩くドゥーガルドに声を掛けた。「こんな洞窟、いつ見つけたの。少なくとも、前にあたしが来た時にはなかったわよね?」

 子供だったカテリナにとって、険しい山道を父について歩くのは、相当に大変だった。この道を知っていれば、ずいぶんと楽ができたに違いない。

「見つけたのは二年前だ」浅黒い肌の男は答えた。

「それにしては、ずいぶん手が入ってるように見えるけど」

「エランヴィルが、元は男爵領だってことは知っているな?」

「ええ。名前までは知らないけど」

 以前、エランヴィルに滞在した時は、村の細かな来歴を、耳にする機会はなかった。

「エルノー男爵だ。どうやら、このトンネルは、最後の領主から何代か前に作られたものらしい。俺たちは、古びた部分を手直しして使ってるんだ」

「ちょっといいかな」ジルが、ザシャーリを追い越して来るなり言った。「ひょっとして、フ国側にも同じようなトンネルがあったりするのかい?」

 ドゥーガルドは頷く。「将軍閣下の部隊には、それを通ってフ国へ帰ってもらう」

「そうやって、あっさり教えてくれたところを見ると、秘密にしてるってわけじゃあないんだね」

「内緒にしても、なんの得もないからな」

「ほう?」

「イ国とフ国の戦に一段落がついて、俺たちは傭兵稼業で食っていけなくなったんだ。ところが、うちで造る武器の類が、工芸品として都会で人気が出て、今では村の重要な収入源になっている。それらの品を買い付ける商人が通るのに、件のトンネルが活躍してるってわけだ」

「つまり、エランヴィルとしては、そこを通る商人が増えてくれる方が、断然ありがたいってことだね」

「そう言うことだ」ドゥーガルドは頷く。「トンネルが見つかる前は、険しい峠道を越えるしかなかったからな。あんたも知っての通り、商人ってやつは、あまり危険な道を通りたがらない」

「そうでもないよ」ジルは、ふふと笑う。「危険も商売に必要な代価さ。もちろん、仕入れ値は低い方が好ましいから、安全な道があれば、そっちを選ぶけどね」

「ははあ」カテリナはぴんと来た。「あなたが、あたしたちの旅についてくるって言いだしたのは、それが目的だったのね?」

「私の一番の関心事は、マリコちゃんが、どれだけ快適に過ごせるかだよ。旅費をケチって、彼女がお腹を空かせたり、野宿を強いられたりするのは、ちょっと忍びないからね。もちろん、商機があると睨んでたのは否定しないけど」

 商人と言う生き物は、まったく抜け目がない。

「エランヴィルの武器って、そんなに儲かるの?」

 ジルは頷く。「最初は目利きの貴族が、好んで収集してたんだけど、彼と同じものを持てば、自分も見る目があるように見せかけられると思いついた連中が、やたらと買い漁るようになってね。でも、フ国に拠点を置く一部の商人が、エランヴィルとの取引を独占している状態だから、供給がまったく追い付いていない」

 当然、希少な物は値も吊り上がる。

「もちろん、その業者は、エランヴィルの人たちから、価値のあるものを安く買い叩いて、利益をむさぼってるってわけね」

 カテリナが鼻を鳴らしていうと、ドゥーガルドは苦笑いを浮かべて首を振った。

「彼らは、そこまで悪徳というわけじゃない。原料になる鉄や燃料を、相場より安く譲ってくれているからな。ただ、いくらかの競争があってもいいとは思うんだ」

「私が入れば、その状況を正せるんじゃないかな」と、ジル。

「大いに期待しているよ。村に着いたら、鍛冶組の長を案内しよう」

「だからって、こっちのトンネルのことを、みんなに吹聴して回るのはやめてよね」カテリナは注文を付けた。「もしイゾーテ王に知られたら、エランヴィルにイ国の兵士が雪崩れ込んで来ることになるわよ」

「その心配はない」ドゥーガルドは請け合った。「招かれざる客を追い返す仕掛けが、いたるところにあるんだ。例えば、道幅が狭くなっている場所には、一インチの鉄板を落として行き止まりにする仕掛けがあるし、分かれ道では松明の位置を変えるだけで道をまどわせて、袋小路や一〇〇フィートの落とし穴へ誘導することもできるようになっている」

「それも、エルノー男爵が?」

 ドゥーガルドは肩をすくめた。「たぶんな」

「それでも、この通路のことは秘密にするべきよ」

「なぜだ?」と、ドゥーガルド。

 もちろん、理由はある。カテリナとて、何も意固地になって言い張っているわけではない。

「今この状況で、エランヴィルに接触を図ろうとするイ国の商人のほとんどは、密偵が偽装していると考えられるからよ」

「なんだって?」ドゥーガルドは、片方の眉を吊り上げた。

「真っ当な商人のふりをして、敵国の世情を探るのは、密偵の常套手段なの。それに、何かを盗もうと思ったら、まず、どこから忍び込めるのかを調べるのが当たり前でしょ?」

「宝を隠したければ、地図を遺すな」ジルは、したり顔で言ってから、口をへの字に曲げて、小さく首を振った。「うーん……ろくに韻も踏めてないし、これは、あまりうまい言い回しじゃなかったなあ」

「詩才に恵まれていない俺にとっては、ややこしい言い回しじゃない方がありがたい」ドゥーガルドは言って、苦笑を浮かべる。「ともかく、村への入り口を、王の密偵たちに教える義理はないと言うことでいいんだな?」

「その通り」ジルは頷く。「で、実際のところ、このトンネルの秘密は、まだ守られてるんだよね?」

 ドゥーガルドは肩をすくめる。「生憎と、イ国の市場には伝がなくてな。こっち側の道は、ほとんど使うことがないんだ。秘密にする以前に、今まで誰も、知りたがろうとしなかった」

「それなら私が、有効に使うまでだよ。イ国でも、エランヴィルの工芸品に対する潜在的な需要は大きいと睨んでるんだ。戦争はしていても、王族や貴族同士の付き合いが断たれるわけじゃないし、文化ってやつは伝染病みたいに、国境を越えて流行するものだからね」

「是非、そう願いたいね。ただ、そのためには、今まで以上に鍛冶場を回す算段がいる。このままでは燃料も鉄も、人も足りない」

「わかっているとも」

 ジルとドゥーガルドは、商売の話を始め、カテリナは行く足を緩め、二人から距離を置いた。

 自分に関わりのない話なら、黙って聞き耳を立てるのが正解である。さもなければ、有益な情報を聞き逃すことになる。

 それにしても――と、カテリナは行く手へ目をやる。

 道の先は、ほとんど見通せなかった。松明の明かりは、それほど遠くには及ばないし、なにより半天然のトンネルは、やたらと曲がりくねっている。わかるのは、ひたすら登っていると言うことくらい。

 終わりが見えない道とは、まったく気が滅入るものだ。ザシャーリならずとも、息が詰まる。

 それは、今の状況と似ている。

 どうにかエランヴィルに逃げ込む事はできたが、これで終わりではない。あの規格外の化け物であるイゾーテ王を、どうやって葬り去るか。その道筋は、全くつかめていないのだ。

 カテリナの、最強の駒であるテレンシャが落とせなかった時点で、もはや手詰まりに近いのだが、かと言って投了するつもりはない。

 幸いなことに、マリコの周囲には、優秀な人材が多く集まっている。問題は、いずれも強力すぎて、手駒とするのは難しいから、盤面が複雑になることだ。言うなれば、将棋盤の四方に、それぞれ棋士がついているような状態だ。

 カッセン将軍は、常に自身の故国を片側に乗せた天秤を提げているし、ザシャーリは、誤解があったとは言え、味方である王妃をあっさりと犠牲にした。まあ、カテリナも、事と次第によってはザシャーリを殺すつもりでいたのだから、とやかく言えたものでもないのだが。

 ともかく三方の棋士は、マリコと言う共通の玉を抱えている。一枚岩ではないにせよ、彼女をイゾーテ王から守ると言う目的においては同じなのだ。限られた手を、一つ一つ、正しいタイミングで指してゆくしかない。

「出口だ」

 先を行くドゥーガルドが言った。まるで、その言葉を解したかのように、カテリナの馬がそわそわしだす。もちろん、そんなはずはなく、彼女の落ち着きを奪った本当の理由は、今やカテリナにも明らかに感じ取れる、木々と腐葉土の匂いだった。次いで、唐突に、白っぽい光で照らされた、洞窟の壁面が目に入る。

 馬に急かされてトンネルの出口を抜けると、そこは森の中にぽつんと拓けた扇型の広場だった。足元を見れば、いくらか茶色い落ち葉が積もっているものの、その下はしっかりとした石畳だ。斜面にぽかりと開いたトンネルの入口を背にして、一〇〇フィートほど進めば、その先は、崖のようにすとんと断ち切れている。端に立って下を覗き込むと、ツタに覆われた壁面は自然石を積んだ石垣だった。二〇フィートほど下には密集する木々の梢があり、正確な高さは知れない。

「カテリナ、こっちだ」

 ドゥーガルドが呼ぶ。踵を返して向かうと、青ざめた顔のザシャーリが、よろよろと出てくるのが見えた。笑顔の軍師は、自分の手を引いていたテレンシャに何事かを言ってから、彼女に引かれていた手を離し、大きく深呼吸をして、しゃきりと背筋を伸ばす。

「もう大丈夫?」カテリナはたずねる。

「ええ。太陽が見えれば、元気百倍です」ザシャーリは、空を見上げ、ふと眉間に皺を寄せる。「まだ、正午を少し回ったくらいですね」

「山道を歩いていたら、半日は掛かったから、ずいぶん時間の節約になったわ」

「もし降りることがあれば、私はそっちを選びます。洞窟の中では、一週間ほど歩いていたような気がしていましたから」

「先を急ぐぞ」ドゥーガルドが口を挟む。「村までは、まだ少しある」

 浅黒い肌の男は、自分の馬を引くジルと並んで、トンネルの左脇から伸びる石段を、さっさと昇り始める。トンネルからは、次々と人が出て来ているから、もたもたしていれば大渋滞に巻き込まれかねない。カテリナは足を早め、ドゥーガルドの背中を追い掛けた。


 実際、村の端に到着したのは、つづら折りの石段を一時間ほど登り詰めてからだった。何度か休憩をはさみはしたが、さすがにへとへとだ。しかし、ここからは平らで広い道が伸びているから、馬を使っても問題は無さそうだ。方角からして、村の東側にある森との境界のようだが、中心部までは、あとどれほどあるだろう。

 鐙に足を掛けようとしたところで、カテリナは道端に苔むした四角い石柱があることに気付く。不意に記憶がよみがえり、幼いころに村の子供たちと、ここまで探検に来たことを思い出す。

 当時、ここはまだ、森の中だった。木々と下生えの中を通る木の根が飛び出した細い道を抜け、この古ぼけた道標を発見し、はて、これは何だろうと首を捻ったのも束の間、他の仲間が赤い実をつけるベリーの繁みを見つけて、その存在をすっかり忘れ去ってしまっていたのだ。

 今は、あのベリーの繁みや木々は、すっかり伐り払われ、平らな草地と立派な道路に姿を変えてしまった。失われた子供時代の情景を思い、ほんの少しだけ感傷を覚えるが、これ以上、歩かなくてもよいと言う安堵を打ち消すほどではない。

 ほどなく、カテリナたちは村の中心へとたどり着いた。

 寺院の前に、いくつかの人影がある。

 優しい笑顔でこちらを見つめる禿頭の老爺は、十年前と、さほど変わりのないゼル様。肩に黒猫を乗せた中年の紳士。そして、彼と何やら言葉を交わす黒髪の少年は、紛れもなく烏だ。が、なぜか彼の背中と胸には女の子が張り付いている。背中に追われているのはマリコだ。胸元に抱き着いているのは、砂色の髪をした、マリコと同じ年頃の少女。烏を挟んでにらみ合う二人の女の子の間には、目に見えない火花が飛び交っているように見える。さらに、烏の右手には黒髪の男の子が、反対側の左手には赤毛の女の子がそれぞれ手を繋いでいる。まったく状況がわからないが、マリコと砂色の髪の少女が、互いに譲り合えないものを奪い合おうとしているのは間違いなかった。

 カテリナは馬の脚を早め、ドゥーガルドとジルを追い越し、寺院の前に集う人たちのそばまでやって来ると、鞍から飛び降りるなり、ゼルにお辞儀をする。

「ご無沙汰して申し訳ございません、ゼル様」

「いえ、元気そうでなによりです」

 カテリナが、さらに挨拶を重ねようと口を開き掛けると、ゼルは首を振って目線で烏を示した。カテリナは、そそくさと村の長にもう一度お辞儀をしてから、烏に目を向ける。

「カテリナさん」烏は、張り付いた子供たちを地面に下ろしてから、生真面目な顔を雇い主に向ける。「俺と、マリコの仕事は終わりました」

「ええ、おかげで助かったわ。問題はなかった?」

「はい。ただ、いくつか報告があります」

「そう。でも、それは後にしましょう。今は、報酬の話が先よ」

「報酬?」烏は戸惑った様子で繰り返す。「もう、先払いでもらってますよ」

「あなたのじゃないわ」

 カテリナは言うなり、烏の顔を両手でしっかりと挟んでから、やにわに唇を重ねた。ぎょっと見開かれた真っ黒い烏の瞳を確認してから、唇の端をほんの少し曲げて、瞼を閉じる。

「あー、ずるい!」

 三つの声が上がった。足元のマリコと、おそらく砂色の髪の女の子。もう一つは、少し遅れてやってきたテレンシャの声だ。

 唇を離したカテリナは、口元を袖で拭ってから、ふくれっ面の少女たちを見渡し、にっと笑って見せる。

「私だって、ずいぶん頑張ったんだから、これくらいはもらったってかまわないでしょ。それに、あなたたちみたいな強敵相手に、遠慮なんてしてられないわ」

「大人げないですよ」烏が真っ赤な顔で抗議する。

「あら、違うわよ」

 カテリナはくすりと笑い、首を振る。

「だって、大人はずるい生き物なんだもの」

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