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ケイ、雷の秘密を語る

 追跡から戻ってきた部下は、たったの一人だった。もちろん、それはグライームにとって、最悪の事態が起こった事を意味していた。

 件の寂れた漁村の入り口で、グライームはうなじに王の視線を痛いほど感じながら、エランヴィルの入り口で見た事を語る部下の報告を受けていた。全てが終わると、彼は労いを込めて部下に頷いてみせてから、王に向かって頭を下げた。「申し訳ございません、陛下」

 首の一つも失う覚悟はできていた。しかし、いくら待ってもそれは、まだ肩の上にあった。ふと見れば、王は籠手のはまった拳を頬に当て、何事かを考えこんでいる。彼はしばらくそうやってから、グライームに目を向けた。「無論、私に追われていると知って逃げ込んだ先なのだから、エランヴィルがただの寒村であろうはずもない。しかし、我が兵を問答無用で殺したとなれば、国と事を構えても村を守りきる自信が、彼らにはあると言う事だ」

 王が言わんとするところをグライームはすぐに察した。「エイヴァーン卿がこのまま兵を進めれば、エランヴィルとフ国軍の挟撃を受けかねません」

 イゾーテ王は一つ頷くと両手の籠手を外し、腰に付けた鞘からナイフを引き抜いて、それで自身の左手首の血管を切り開いた。グライームがぎょっとして見守っていると、王は流れ出る血を右手の平に受けてから、やにわにそれをグライームの革鎧の胸当てに押し付けた。グライームはたたらを踏み、半歩ほど後退してから自分の胸元に目を落とした。巨大な血の手形が、そこにはあった。

「お前が指揮を取れ、グライーム。文句を言う者がいれば、その手形を示せ。それでも聞く耳が無い者は、殺せ」

 グライームは頷いた。王は籠手をはめなおし、グライームに背を向け、近くで道端の草を食む自分の馬に歩み寄った。鋼に覆われた巨大な馬は顔を上げ、グライームをじろりと睨みつけた。命拾いをした彼を、蔑んでいるかのような目つきだった。

「私は、ひとまず王都へ戻る。せいぜい、私の兵を減らさぬよう励む事だ」

 イゾーテ王は馬に飛び乗り、街道を南へと駆け去った。グライームは敬礼し、しばらく主君の背が小さくなるのを見つめてから、部下に目を向けた。「つまり陛下は、我々を使ってエランヴィルの意図を探ったのか。どうやら私の首は、みなが捨てた命で縫い留められたようだ」

 部下は肩をすくめた。「兵は死ぬものです」

「そうだな」グライームは同意して、自分の馬に歩み寄って手綱を取った。「しかし、お前だけでも生き残ってくれてよかった。そうでなければ、何が起こったかわからないままだった」

「陛下が、あの烏とか言う少年を甘く見るなと仰っていたので、私だけ距離を置いて様子を見るよう、みなと取り決めていたんです。実際、彼は手強い相手でしたし、結果として陛下が欲しがっていた情報を得られました」

 グライームは頷き、空を見上げた。すでに日は高く、どれほど急いでも部隊と合流できるのは夕刻以降だ。果たしてザシャーリは、どう動くか。マリコがすでに逃げのびたことを、彼が知る由はない。しかし、彼女の逃亡の成否に関わらず、フ国の部隊を見殺しにするつもりがないのであれば、ただちに反転し、寡兵である追撃部隊を突破するはずである。損失は避けられないが、少なくとも全滅と言う事態には及ぶまい――グライームは両手で頬をぴしゃりと打った。自分は軍略家ではない。その筋の専門家であるザシャーリの考えを読むなど、無駄なことをしている暇はないのだ。グライームは馬にまたがり、自分に言い聞かせるつもりでつぶやいた。

「ひとまず繋いだ命だ。ここは惜しまず使うとしよう」


   *


 混乱に乗じて敵陣に紛れ込むのは、テレンシャにとって造作もないことだった。ただ、背格好が似た少年兵を殺し、奪った鎧を身に着け、フ国軍の追撃から遁走する他の兵たちと、一緒になって走れば良いのだ。

 深夜近くになって、フ国の部隊はようやく足を止めた。イ国の側も、月明かりの下を一時間ほど行軍してから野営を始める。塩辛い食事とビールが配給され、多くの兵士たちは地面に帆布を敷いただけの寝床に五、六人で転がり、眠りに就いた。

 もちろんテレンシャは、ゆっくり寝るつもりなどない。しかし、士官たちの天幕は、方々にばらけて設えられていた。一つずつ覗いて回るのは、いささか効率が悪い上に危険を伴う。

 テレンシャは、少し離れた場所にたき火を見つけ、そちらへ向かった。火を囲むのは、カップを手にした兵士が三人。どこからくすねたのか、かたわらにはビール樽が一つ置いてある。

「あの、旦那さん方」

 テレンシャは何も知らない新兵を装い、おずおずとたずねた。兵士たちは彼女をじろじろと眺め、一人がご機嫌な様子で言う。「ちょうどいいや。こっちにきて酌をしてくれよ、かわいこちゃん」

「すみません、旦那。俺、大佐さんのところへ行けって偉い人に言われてるんです。けど、どこへ行けばいいのかわかんなくて」

 兵士たちは顔を見合わせ、途端に下卑た笑いを浮かべる。

「ほら、あっちだ」一人が指を差した。「あの一番でかい天幕に、我らがエイヴァーン・ローレン大佐がいらっしゃる」

「ありがとうございます、旦那」

「いいってことよ。まあ、お前さんとこの偉い人のためにも、せいぜいお勤めを頑張りな」

 エイヴァーンとやらの嗜好は、すでにザシャーリから聞き及んでいるが、テレンシャは無垢なふりをして礼を言ってから、教えられた天幕へと向かった。中の気配を探れば、果たせるかな男の荒い息遣いと、声変わり前の少年のあだっぽい声が聞こえてくる。

 月を眺めながら情事が終わるのを待っていると、獲物が垂れ布を押し退けて姿を現す。色白でひょろひょろした体形は、石の下に生えた豆の苗を思わせ、およそ兵士には見えない。対して、彼の前任のザシャーリも細身ではあるが、服の下に隠された身体は火かき棒のように強靭だった。本来の軍師としての姿は、どちらが正しいのだろうか。

「眠れないのかね、可愛い子(スウィーティ)?」獲物はいやらしい笑みを浮かべて言った。

 テレンシャは笑顔で頷き、歩み寄る男に向かって抱擁を求めるように両腕を伸ばした。欲望に目をぎらつかせる顔が迫り、テレンシャは自分の手の平が、彼の視界からすっかり外れたところで、左手の袖に隠してあったナイフを引き抜いた。その刃はカミソリのように鋭く研がれていたから、目的を果たすには、間近にある男の首筋を、ほんの一撫でするだけでじゅうぶんだった。

 血だまりの中に倒れ込んだ男に屈み込み、彼がすっかり息絶えた事を確かめてから、テレンシャは近くにいた馬を盗み、ただちにその場を後にした。もちろん、自陣へ戻る前に鎧は脱ぎ捨て、いつもの赤錆色の装束になった。フ国の軍隊は規律が整っており、野営地の各所には立哨がいたから、彼らの目に触れれば敵兵と間違われ、問答無用で襲われかねないからだ。テレンシャの任務については、見張りの兵たちにも通達されているはずだが、斬り殺された後では、かくかくしかじかなどと説明することもできない。

 ザシャーリの天幕へとたどり着く。垂れ幕を開けて潜り込むと、中は真っ暗だった。それでもテレンシャの目は、マントに包まって床へ転がる人影をしっかり捉えていた。足音を忍ばせてそれに歩み寄ると、背後から鞘走る音が聞こえ、テレンシャはゆっくりと両手を挙げた。「夜這いは嫌い?」

 テレンシャがたずねると、束の間を置いて声が聞こえた。「もちろん大歓迎ですが、気配を殺して忍び寄られるのは、ちょっといただけません。それより、蝋燭を点けてもらえませんか。どうにも、暗闇は苦手なんです」

 テレンシャは言われるまま、雲母の覆いがしてある蝋燭に火を灯し、天幕内はオレンジ色の光に包まれた。暗殺者の少女は振り返り、笑みを浮かべる軍師に、これで良いかと首を傾げて見せた。

「ありがとう、テレンシャ」ザシャーリは言って、一つ頷いた。「どうやら、うまく行ったようですね」

「拍子抜けするくらいにね」テレンシャは言って、床に転がるザシャーリの偽物に屈み込んだ。単に適当な衣服を細長くまとめてマントで包んだだけのものだった。こんな替え玉に騙されたと知り、少女は暗殺者の矜持をいたく傷つけられた。「いつも、こんな細工をしてるの?」

「いつもではありませんが、戦場では油断しないようにしています」

「ちゃんと寝てる?」

 ザシャーリは肩をすくめただけで、何も答えなかった。テレンシャは替え玉のマントを広げ、その上に横たわってからザシャーリを手招きした。

「来て。一緒に寝てあげる」

「いいんですか?」

「あたしが一緒なら、危ないことは起こりっこないもの」

「それは、確かにそうですね」

「でも、()()()なことは無しよ?」

 テレンシャは、いそいそとやって来るザシャーリに釘を刺した。

 ザシャーリはふふと笑った。「余計に眠れなくなりそうですね」

「子守唄を歌ってあげる」

「それは結構です。私にも守りたい威厳と言うものがあります」

 テレンシャの念押しにも関わらず、横になったザシャーリは自分の胸に少女を抱き寄せた。ひとつ抗議をくれてやろうと思ったが、男はすぐに寝息を立て始めた。ここまで無防備に身を預けられると、何やら悪い気はしない。ただ、少しばかり悪戯心も湧いてくる。

「ねえ、旦那さん?」

 テレンシャは熱っぽい息を混ぜて囁くが、ザシャーリはまったく反応しなかった。少女はにんまりと笑みを浮かべてから、思い付いたアイディアを実行に移した。


 夜明けの少し前、テレンシャは天幕をこそこそと抜け出した。客分であるザシャーリが、自分の天幕に女を連れ込んだからと言って咎められる筋合いはないが、自分たちの部隊をイ国のそれと同じにしないためにも、無用の誤解を避けるべきである。

「あら」と、声が上がる。

 目を向けるとカテリナが腕を組んで、少しばかり剣呑な顔をして立っていた。カテリナは束の間、テレンシャを睨みつけてから口を開いた。「報告もなしに、何をしていたのかしら?」

「ごめんなさい、姉さま」テレンシャは神妙にあやまった。「ずっと待ってたの?」

「そうよ」カテリナは大きなあくびをした。「ともかく、うまく行ったようね」

 テレンシャは頷いた。

「どうしてザシャーリの天幕なんかにいたの?」

「しばらく寝てないって言うから、見張りをしてあげたの」

「だから寝坊してるのね」カテリナは苦笑を浮かべた。

 ほどなく他の仲間たちも集まり、最後に完全武装のカッセン将軍が馬を引いて現れたところで、ようやくザシャーリが天幕から顔を覗かせた。

「おい。なんだか疲れた顔をしているな?」カッセン将軍は軍師の顔を見て訝しげにたずねた。

「ちょっと、寝すぎたんだと思います」ザシャーリは暗殺者の少女に疑わしげな目を向けた。テレンシャは無邪気な笑みを浮かべ、首を傾げる。

 軍師は小さく咳払いをしてから地図を広げ、その日の作戦について説明を始めた。しかし、何をすべきかはとっくに決まっており、それはもう手順の確認と言う意味合いが強かった。あれがこうなり、これがああなり。ザシャーリが語る内容はひどく複雑で、テレンシャはたちまち頭がこんがらがった。

「しかし、連中は本当に足を止めてくれるのか?」将軍はたずねた。

「そのためにテレンシャが仕事をしてくれたんです」ザシャーリは暗殺者の少女に目を向けた。

 テレンシャは頷き、潜入した敵陣の内情と仕事の様子を、みなに手早く語った。すると、兜を小脇に抱えたダヴィードが苦笑いを浮かべる。「我が古巣は、すっかりたるみきっているいるようだ」

「一人の指揮官に頼り切ってる部隊なんて、大抵がそんなものよ」フツは肩をすくめた。「それでも数が脅威であることに変わりはないわ」

 ザシャーリは頷いた。「なにより、私の後任を務めるエイヴァーン・ローレンと言う男は、この作戦において大きな障害でした」

「テレンシャの話を聞く限り、それほど手強い相手には思えないけどね?」と、ジル。

「エイヴァーンは、あまりにも無能すぎて、自分の頭でものを考えることが出来ないんです。例えばワインとパンを買って来いと命令すれば、彼は酒屋に寄ってからパン屋へ向かうでしょう。酒屋の方がずっと遠かったとしても」

「上官の命令を愚直に聞けるのは、一つの才能だ」カッセン将軍は頷く。「そんな男なら、例え部隊が全滅し、自分が殺されることになったとしても、王の命令を最後まで守り続けるだろう。もちろん、その結末を想像するだけの、頭があるかどうかは別だが」

「ともかく」と、ザシャーリは続ける。「イ国の将兵は、この戦から、できるだけたくさんの手柄を得たいと考えています。半年前にフ国をこてんぱんにして以来、ひさしぶりのまともな戦争ですから、王の歓心を得るまたとない機会を見過ごすはずはありません。王命を闇雲に守るエイヴァーンを取り除けば、彼らは間違いなく反転して我々に襲い掛かって来るでしょう。ついでに、少しばかりの命令違反については、エイヴァーンの死体に責任を押し付けることで言い訳もたちます」

「いいぞ」カッセン将軍は、籠手をはめた右の拳で左の手の平を打った。「あちらの事情はともかく、これでやっと当たり前の戦ができる」

「あまり夢中にならないでくださいよ」ザシャーリは釘を刺した。

「わかっているとも、軍師殿」

 しかし、テレンシャの目には、差して事態が変わったように映らなかった。イ国軍は相変わらず後退を続け、ザシャーリが言うように反転する気配はない。それでも軍師と将軍は、焦ったり自信を失うような素振りもなく、時に軽口を叩き合う余裕すら見せる。

 そして夕刻も近づいた頃、前方に湖へせり出す山の端が見えたところでザシャーリが言った。「頃合いです」

 カッセン将軍は頷き、号令を発した。命令が行き渡り、ダヴィードたち騎馬隊が突撃を始める。それとほとんど同時にイ国軍は反転し、足を止めて矢を放ち始めた。まばらに振る矢の雨を受け、倒れる者もあったが騎馬隊の勢いは止まなかった。イ国の兵たちは、猛禽に追われるヒヨドリの群ように隊列を乱し、ついにはその真ん中にぽかりと大穴が開いた。

「今です!」

 ザシャーリが叫ぶのと同時にカッセン将軍は矢継ぎ早にいくつもの命令を飛ばし、武器だけを携えた歩兵隊が突撃を始めた。しかし、彼らの目指す先は敵兵ではなく、正面に立ち塞がる山だ。防具を捨て身軽になった兵たちはやすやすと草原を駆け、ほぼ全員が山中に姿を消した。

「ここからが正念場です」ザシャーリは言った。

「わかっている」カッセン将軍は唸るように言って、新たな命令を発した。控えていた騎馬隊が飛び出し、敵兵を撹乱する先の部隊に加わると、ヒヨドリだったイ国兵が、今度は従順な羊となって、たちまち西の方へと一塊に押しやられた。街道がぽかりと開き、ジルとワンが率いる荷馬車隊はのろのろと――それでも精一杯の速度で前進し、岬をぐるりと巡るあい路へと入っていく。

「我々も行きましょう」ザシャーリは言うなり、馬を走らせていた。テレンシャは馬の首半分遅れて続き、少し遅れてカッセン将軍も命令をがなりながら追ってきた。

 ふと振り返ると、イ国の部隊は騎兵に追い立てられるように北へと駆けていた。そして、視界の端に黒っぽいしみのような人影を見つけたテレンシャは、半ば反射的に手を伸ばしてザシャーリの馬の手綱をひっ掴んだ。驚いた馬は暴れて騎手を振り落とし、次いで苦痛の悲鳴をあげばったりと横倒しになった。見れば、その目から長い矢柄が一本飛び出していた。カッセン将軍やカテリナたち後続の騎馬は、地面で受け身を取るザシャーリを踏みつけまいと、慌てて足を止める。

 カッセン将軍は悪態をついてから馬を飛び降りると、抜剣して軍師に駆け寄った。「射手はどこだ!」

 テレンシャは指をさした。彼女が見つけた人影は、まだそこにいた。それは皮鎧を来た兵士で、自分の存在を誇示するように、左手に持った長弓を高々と頭上に掲げている。

「馬鹿な」カッセン将軍はあ然とする。

「五〇〇ヤードはあるわよ」カテリナが言う。

 ザシャーリは身体についた土埃を払いながら立ち上がり、背筋をぴんと伸ばして射手に敬礼を送った。射手はそれを見届けると、背の高い草に身を隠し、あっと言う間もなくその姿を消し去った。

 しばらく経って、我に返ったカッセン将軍が口を開いた。「なんだったんだ、あれは?」

「猟兵です。奇襲や狙撃を得意とする連中で、イゾーテ王がそう名付けました」ザシャーリは答えた。「二の矢がなかったところを見ると、今のはただの警告でしょう」

「なんの警告だ?」

「これ以上、戦闘を続けるなら、次はないと言う警告です。おそらく彼らにも、兵を減らしたくない事情が出来たのでしょう」

「なるほど」カテリナは頷いた。「つまり烏とマリコは、無事に逃げ切れたのね?」

「はい。もはや彼女を追いかける理由のない彼らはギリグまで戻り、我々がこれ以上南下して、王都や他の都市を脅かさないよう船で先回りするはずです。あるいはエランヴィルを通って、素直に国外へ出て行ってくれることを望んでいるのかも知れません。ともかく、あの猟兵がしびれを切らしてまた射かけてくる前に、さっさと騎兵を呼び戻した方がいいでしょう」

 すぐにカッセン将軍は伝令を走らせ、ザシャーリはテレンシャの馬に歩み寄った。少女は鐙を外し、馬を失った彼のために前へ尻をずらして鞍を空けた。

 ザシャーリは鐙を踏んで馬にまたがると、すぐにその腹を踵で突き歩かせ始めた。

「あなたのおかげで命拾いしました。しかし、あんな遠くの猟兵を、よく見付けられましたね?」

「はっきり見たわけじゃない」テレンシャは正直に言った。「なんとなく、嫌な感じがしたの」

 ふと、ザシャーリが頭を撫でてくる。

「なに?」テレンシャは首をひねってたずねた。

「お礼です」

 笑顔の軍師は、いつもの笑顔で答えた。


   *


 マリコの目の前のテーブルには、たくさんのお菓子があった。隣には、それをぱくつきながら、おしゃべりを楽しむ友人たち。そして、テーブルを挟んだ向こう側には、この城の主人である魔法使いがいた。と言っても、彼はローブを着ておらず、白い髭も、曲がった木の杖も持っていない。口ひげを生やし、上等で趣味の良い身なりをした、よくある中年紳士と言った風体だ。

 でも、黒猫を肩に乗せてるのは、変わってるわね。それに、彼女はちょっと太り気味だし、あんな風にずっと乗られて重くないのかしら?

 不思議に思って見つめていると、雌猫はマリコに黄色い瞳を向けてにゃあと鳴いた。魔法使いは、読みふけっていた本からふと顔をあげ、空になったマリコのカップにお茶を注ぐ。

「ありがとう」

 マリコが礼を言うと、魔法使いはどういたしましてとでも言うように首を傾げて見せてから、再び手の中の本に目を落とした。

「あの」読書の邪魔をするのをしのびなく思いながらも、マリコは魔法使いに呼びかけた。「私、マリコです。それで、こっちのみんなは友だちのチェリとフェリとユタ」

 マリコはおしゃべりに夢中の友人たちを紹介した。

「私はケイ、猫はエヌ」魔法使いは本に目を落としたまま言った。

「ケイさん、エヌさん」

 マリコが名前を繰り返すと、猫はまんざらでもない顔をしたが、ケイは本から顔を上げ眉間にしわを寄せた。「()()は、無用だ」

「ケイ、エヌ」マリコは頷いた。「美味しいお菓子をありがとう」

 魔法使いは、それでにこりと微笑んだ。

「そうだった」ユタは口に入れかけたお菓子を置いて、居住まいを正してから頭を下げた。「今日は、急に押し掛けてごめんなさい」

 チェリとフェリも彼に倣い、無礼を詫びた。

「気にしていない」ケイは短く言って、再び本に視線を戻した。黒猫が咎めるように、にゃあと鳴いた。ケイは本を閉じ、束の間をおいて口を開いた。「むしろ、客が来てくれたことを、私もエヌも嬉しく思っている」

「良かった」ユタは安堵した様子で、ほっとため息を落とした。

「でも、どうしてみんなは、彼みたいに素敵な紳士を怖がるのかしら」チェリは言って、お菓子を一つ口に放り込んだ。彼女の魔法使いに対する評価に、甘味が多分に含まれていることは明らかだった。

「ケイに会ったことがないからだよ」ユタが指摘する。「僕だって稲妻や爆発は怖いもの」

「本当に怖いのは」フェリが言った。「理由が、わからないこと」

 マリコは頷いて同意した。どんなに奇妙な出来事も、理屈がわかってしまえば大抵は、「なあんだ」となるものだ。

「もちろん、その理由とやらは聞かせてもらえるんだろうな?」

 不意に思い掛けない声があった。その場にいたみなが、ぎょっとして目を向けると、階段がある扉に黒髪の少年が背を持たれて立っていた。ケイは表情を強張らせて立ち上がると、何もない空中からステッキを取り出し、その石突きを侵入者に向けた。エヌも威嚇するように尻尾をふくらませ、フーッと唸る。

「おい、待て」烏は慌てて両手を上げた。「俺は、その子供たちの保護者だ」

「烏って言うの」マリコは急いで言って、泥棒の少年に目を向けた。「どうして、ここだってわかったの?」

「親切な人に教えてもらったんだ。そして、足跡がこの塔に続いていた」烏はケイから目を離さずに答えた。

 ケイはステッキを下ろすが、それでも用心深く烏を睨みつけた。「どうやって、入り込んだ」

「いっぱしの泥棒なら、魔法の錠口を開ける方法くらい心得ているさ」烏は肩をすくめて答えてから、マリコに目を向けた。「ずいぶん、遠出をしたな?」

「ごめんなさい」

「いいさ。大人の目の届く場所と言う約束は破っていない」烏は顎をしゃくってケイを示した。

 マリコは目をぱちくりさせた。言われてみればその通りだ。

「けどな」と、烏。「俺やゼル様はともかく、村の連中は魔法使いってやつを、ひどく胡散臭いものだと思い込んでいるんだ。彼らに同じ言い訳は通じないだろうから、このまま戻れば大目玉をもらうことになるぞ」

 チェリとフェリとユタの三人は、不安げに顔を見合わせた。

「もちろん、この城で起こるおかしな出来事が、見かけほど危険なものじゃないとわかれば、村の連中も考えを変えるかもしれないがな」

 子供たちは天啓を得たように目を見開いた。

「僕たち、叱られないですむ?」ユタがたずねた。

「約束はできないが、期待は出来る」烏はしかつめらしい顔で頷いた。

 子供たちはケイに目を向けた。エヌがにゃあと鳴いた。ケイはため息をつき、やにわにステッキで床を突いた。途端に周囲の景色がぐにゃりと歪み、それは濁流のように流れ去って、彼らは瞬く間もなく、まったく見知らぬ場所に立っていた。

「魔法だわ!」チェリが興奮した様子で言った。

「すごいけど、目が回った」ユタがふらつき、フェリは少年の腕を掴んで支えてから、ふと周囲を見て目を見開いた。「これ、何?」

 マリコも辺りを見回して、ぽかんと口を開ける。かつては舞踏会場だったと思しい広間には、金属の線が巻かれた巨大な柱が、薄暗がりの中に何本も立ち並んでいた。キノコのような平たい傘を付けたものや、球体を乗せたものなど形も様々で、いずれも基部から黒っぽい索が伸び、得体のしれない箱に繋がれている。

「雷を、作る装置だ」ケイは言って、烏と子供たちに壁際へ下がるよう手を振って命じた。魔法使いはそれを見届けると、ステッキを振って謎の箱をこつんと叩いた。途端、それぞれの柱の先端から紫色の火花が飛び出し、周囲に激しい音を響かせた。魔法の雷はすぐに止んだが、子供たちはすっかり腰を抜かして床にへたり込んでしまった。

「たまげたな」烏が目を丸くして言った。

「誰かを、驚かせるためのものではない」と、ケイ。

「だったら、なんのために作ったんだ?」

「面白いからだ」ケイは簡潔に答えた。

「は?」

「雷と言う現象を再現するために、私はこれだけの装置を用意した。しかし、それでも作り出せるエネルギーは、一.二一ジゴワットにすら遠く及ばない。規模の違いによるものか、あるいはまったく別の機序によるものか、その差異の原因を、私はいまだ解き明かせずにいる。興味深いことだとは思わないかね?」

「ジ、ゴ?」

「そのくだりは冗談だ。気にするな」ケイは真顔で言った。

 烏は魔法使いをまじまじと見つめ、ずいぶん経ってから口を開いた。「つまり、これは全部あんたの楽しみってわけか?」

 エヌが飼い主を咎めるように、前脚で彼の頬を、ほとんど殴るようにして突いた。ケイは一つ咳払いをしてから言い直した。「雷には、植物の生育を助ける作用がある」

「おい、ちょっと待て」烏は不審もあらわに言った。

 ケイは構わず続けた。「ここは火山によって作られた土地で、ひどく痩せている。畑はあっても、おそらく他の土地ほどは収量も見込めないだろう。しかし私が発生させた雷で、その状況を幾らかでも改善できるのではないかと考え、日々実験を重ねているところだ」

「なんだ、その取って付けたような理由は?」

 ケイは肩の黒猫をちらりと見た。エヌはにゃあと鳴き、ケイはため息をついてから口を開いた。「その子らが叱られないためには、我々が善良な魔法使いであると村人に知らしめる必要がある。彼らが私の実験を有益なものであると理解できれば、おそらくそれに適うはずだ」

「確かにそうだが」烏はしかめっ面で、頭の後ろを掻いた。「だったら本当の理由を聞かずにおきたかったな」

「忘れる魔法が、必要か?」

「あー……いや、結構だ」

「ねえ」チェリがこそこそと仲間たちにたずねた。「あの人たちが、何を言ってるのかわかる?」

「ええと」マリコは考え考え口を開いた。「みんながケイを、いい魔法使いだってわかるように、何かをでっちあげようとしてるんだと思う」

「そうじゃない」烏が苦笑いを浮かべて言った。「師匠に聞いた話だと、雷が落ちた場所は周りが枯れてもそこだけ青々と草が茂ったり、普段よりも丈が伸びたりするらしいんだ。つまり、この旦那が言ってることは、まったくのでたらめってわけじゃない」

 マリコが目を向けると、ケイはこくりと頷き、エヌは片目を閉じて見せた。マリコは思わず、くすりと笑った。誰も気付いていないようだが、これはおそらく彼女がひねり出したアイディアに違いない。

「何がおかしいの?」ユタがきょとんとしてたずねてくる。エヌは前脚を上げて口元に置いた。黙っていろと言いたいようだ。

「なんでもないの」マリコは言った。

「ともかく」烏は言って、ケイに目を向けた。「城の怪現象についてはそれで言いくるめるとしても、説明の場には、あんたも一緒にいた方がいいだろう。そうすれば村の連中も、魔法使いが化け物じゃなく、普通の紳士だと一目でわかるからな」

「ケイは普通の紳士なんかじゃないわ」チェリが異論を挟み、ケイに歩み寄って彼の腕にしがみついた。「とっても素敵な紳士よ」

 ケイは目をぱちくりさせ、ありがとうとでも言うように首を傾げて見せてから、烏に目を向けた。「教えてくれ」

「何をだ?」

「なぜ、世話を焼く」

「実を言えば」烏は言って、ちらりとマリコを見てから続けた。「あんたを魔法使いと見込んで調べて欲しいことがあるんだ。だが、村人が恐れる魔法使いに頼みごとをしたとなれば、俺たちまで怪しく思われるだろう? だから、その前にあんたへの誤解は解いておきたいと考えたのさ」

「理解した」ケイは頷いた。「頼みごととは?」

「詳しくは、他の仲間と合流してから話す。まずは子供たちを寺院に連れて帰ろう。日が暮れてしまうと、ゼル様も心配するだろうからな」

「それほど、遅くはならない」ゼルは言うなり、ステッキで床を突いた。たちまち世界が歪み、それが元に戻ると目の前には驚いた顔で立ち尽くすゼルがいて、彼らは夕日が差し込む礼堂の中にいた。

「便利なもんだな」烏は苦笑いを浮かべて言った。

 ケイは頷いた。「それが、魔法と言うものだ」

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