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マリコ、魔法使いと出会う

「ドゥーガルドさん、聞いた通りです。早速、人を集めてください」

 烏が話し終えると、ゼルはかたわらに立つ浅黒い肌の男に指示をくれた。

「わかりました」ドゥーガルドは頷き、ちらりと烏を見て続けた。「しかし、フ国の軍隊を村へ引き入れてもよろしいのですか?」

「我々がマリコさんを匿っていることは、すでにイゾーテ王が知るところでしょう。彼はエランヴィルが、もはや箸にも棒にも掛からない田舎の村だとは考えないはずです。先のことを考えれば、フ国の将軍に恩を売っておいて損はありません」

「なるほど」ドゥーガルドは束の間考え込み、再び口を開いた。「早馬を出して、カテリナと接触出来るか試してみましょう。いざ戦いが始まって、こちらの意図と違う動きをされてもかないませんからね」

「あの山道を馬で降りるのか?」

 烏が驚いてたずねると、ドゥーガルドは首を振った。「隧道があるんだ。ほとんど自然の洞窟だが、壁や天井が崩れないように手を加えてある。大きさも、馬やロバなら余裕で通れる。フ国の兵隊たちにも、それを通ってもらうつもりだ」

「カテリナさんも、そっちの道を教えてくれていればよかったのに」烏は頭を掻いて呟いた。

「洞窟を見つけたのは二年前ですからね」ゼルが言った。「カテリナと最後に手紙のやり取りをしたのは、それよりも前になりますから、そもそも彼女が知っているはずもありません」

 するとカテリナは、マリコとザシャーリをエランヴィルへ連れて行くことを、事前に知らせていなかったのだろうか。訝しく思っていると、ゼルは首を傾げた。「なにか?」

 疑問を伝えようと口を開き掛けるが、烏は気付いた。マリコたちの姿がない。「子供たちは、どこですか?」

 ゼルとドゥーガルドも、きょろきょろと周囲を見回す。

「探してきます」

 そう言って立ち去ろうとする烏を、ゼルが引き止めた。

「あなたはここへ来たばかりで、村の地理にも疎いでしょう。彼らは私たちが捜しますので、どうぞ寺院で待っていてください」

「カテリナの援軍を手配したら、俺も一緒に捜す」ドゥーガルドが言った。「それに、帰ってきた子供たちと入れ違いになってもつまらないからな」

 二人が言うことは、もっともだった。

「お願いします」烏は素直に頭を下げた。

「礼堂の右手の扉を抜け、廊下を挟んだ向かいの部屋が客間です」と、ゼル。「生憎と、みな出払っているので、飲み物などが欲しい時は、近くの台所から勝手に持って行ってください。もし退屈でしたら探検してもらっても構いません。ただ、二階は子供たちの私室になっているので、覗かないようにしてやってください」

 烏は頷いた。

「子供の足ですから、そう遠くへ行っていないでしょう。きっと、すぐに見つかりますよ」ゼルは安心させるように言って、ドゥーガルドと一緒にその場を立ち去った。

 残された烏は言われた通り、寺院の扉を開けて中へ入った。真っ先に目に付いたのは大きなステンドグラスで、そこには燃える剣を持ち、竜の頭を右足で踏みつける翼の生えた男の像が描かれている。他にもいくつか窓があり、中は非常に明るい。辺鄙な場所にある村だが、これだけふんだんにガラスを使えると言うことは、それなりに潤っているようだ。

 おそらく、これが礼堂とやらにあたるのだろうが、ベンチの類は設えられてなかった。立ちっぱなしでお説教を聞かされるのは、なかなかに難儀だろうと考えていると、藁で編んだ丸い座布団を敷いて床に座る金髪の若い男の姿に気付く。なるほど、そうやるのかと得心しつつ、首をひねる。ゼルは「みな出払っている」と言っていたが、この男は何者だろう。訝っていると、青年が烏に気付いた様子で、ふと真っ青な目を向けて来る。

「やあ、烏」

 息を飲むほど美しい顔に微笑みを浮かべ、青年は親しげに声を掛けた。

「あんたか」烏は応じて、青年の隣に腰を降ろした。「こんなところで、何をやってるんだ?」

「君と話をしたかったんだ。ちょっと、時間が掛ったようだね?」

「これでも全速力で飛ばしてきたんだがな」烏は肩をすくめ、ようやく自分が青年の名前を忘れていることに気付いた。「悪いな。どうにも、あんたの名前が思い出せないんだ」

「ルクス・フェロだよ」青年は気を悪くする様子もなく答えた。

「ああ」烏は頷く。「そうか、そうだった」

「僕からも、ひとつ質問があるんだけど、いいかな?」

 烏は首を傾げた。

「君は、どうしてマリコの呪いに平気でいられるんだ?」

「呪い?」

「誰からも愛され、周囲の人間たちを夢中にさせる呪いさ」

 烏は目をぱちくりさせた。「それは、呪いと言えるのか?」

「僕が掛けたんだから、呪い以外の何物でもないよ」ルクスは言って、ステンドグラスを見上げた。「祝福をあげられればよかったんだけど、それは神や天使の専門で僕には畑違いだからね」

「誰からも好かれるのは、それほど悪いことだとは思えないんだがな」烏はなおも疑わしげに呟いた。

「好意の形は人それぞれなんだ。中には彼女にとって、まったくありがたくない好意を向けてくる輩もいる」

「イゾーテ王のようにか?」

「ぴったりの例だね」ルクスは頷く。「ともかく呪いは所詮、呪いでしかなくて、一見素晴らしいものに見えても、つまるところは人を不幸にするためものなんだ。でも、それは僕の本意じゃない」

「だったら、なんでそんなことをしたんだ?」

「マリコに、僕の出来る限りのことをしてあげたかったからさ」ルクスは言って、渋い顔をした。「君にも見てもらった方が早いかもしれないね」

「何をだ?」

 それには答えず、ルクスは立ち上がって扉へと向かう。この寺院の主人であるゼルは、その扉を抜けると廊下があって、向かいの部屋が客間になっていると言っていた。しかし、青年の後からそれを抜けると、()()は自分が台所の床に横たわっていることに気付いた。

 遠くで耳鳴りのような蝉の声が聞こえ、カーテンを引いた室内は薄暗く、辺りにはかすかな糞尿と腐敗物の臭いが漂っている。ひどく腹ぺこで身体に力が入らず、頭はぼうっとしているのに心臓ばかりがどきどきとやかましい。何か食べなきゃと考え、冷蔵庫も戸棚もとっくに空っぽだったと思い出す。

 隣を見れば、彼女の弟が横たわっていて、薄く開いた目がぼんやりと暗がりの中で光って見えた。まだ四歳なのに、自分より三歳も下なのに、どんなにひもじくても、泣いたりわがままの一つも言わず頑張っていた彼だが、それもたぶん、もうじき終わる。

 父親が死んでから、姉弟(きょうだい)の母親は家を空けることが多くなった。子供たちは家から出ることを禁じられ、母親は朝に一度だけ帰って来て、近所のコンビニで買った弁当をテーブルに置くと、またすぐに出て行く。

 一度だけ、どうにもお腹が空いて、コンビニへ行ってパンを買ったことがある。しかし、翌朝になって帰った母親は、そのことを知って激しく怒り、箒の柄で姉弟を何度も叩いた。言い付けを破った自分はともかく、幼い弟まで巻き添えを受けるのは耐えられず、もう決して外へは出まいと少女は誓った。

 それ以来、母親が家に帰ってくることはなくなった。もちろん、彼女が毎朝置いて行く弁当もないから、姉弟は自分たちで食事をどうにかするしかなかった。幸いにも戸棚の中には、未開封のホットケーキミックスが一袋だけあった。作り方は知っている。まだ父親が生きていた頃、家族でホットプレートを囲み、母親の手ほどきを受けながら、ホットケーキを焼いたことがあったからだ。

 ホットケーキが焼きあがると、弟は「お姉ちゃん、すごい」と言って喜んでくれた。あつあつのふわふわで、甘いホットケーキを平らげると、少女は二人だけでもなんとかやって行けそうな気がしてくるのだった。

 もちろん、そんなことなどなく、姉弟は数日で家中の食べ物を食べ尽くしてしまった。他に食べられそうなものはないかと冷蔵庫をあさり、マーガリンが意外に美味しいことを知った。マヨネーズも悪くなかったが、ケチャップは今一つだった。それもなくなると、水を飲んで飢えをしのいだ。弟が笑いながら「お姉ちゃんからおっぱいが出たらよかったのに」と言うので、試しに乳首を吸わせてみた。もちろん何も出なかったが彼は気に入った様子で、時々おっぱいをせがむようになった。それが、空腹よりも寂しさを紛らわすためだと気付いたのは、しばらく後になってからだった。

 さらに日が過ぎると、弟は台所の床に寝転がったまま動こうとしなくなった。せめて布団で寝ようと言っても、ここがいいと言って耳を貸さない。少しばかり腹が立って、もう知らないとそばを離れるが、間もなく彼が玄関の扉をじっと見ていることに気付いた。そこから帰って来る母親の姿を、少しでも早く目にしたかったのだろう。「おっぱい飲む?」とたずねると、弟が嬉しそうに笑うので、少女は添い寝して乳首を含ませた。それからは、彼女も台所の床で寝るようになった。

 また何日かたって、もう水を飲むために起き上がるのもおっくうになった。弟は話しかけても答えなくなり、おっぱいをせがむこともない。それでも薄く開いた目で、今も玄関の扉を見つめ続けている。

 きっと、これは罰なのだ。母親の言い付けを守らなかった彼女への罰。結局、自分だけが受けるべき()()()()に、また弟を巻き込んでしまった。これでは姉失格だ。

 それでも、これだけつらい思いをしたのだから、そろそろ母親も、子供たちを許してやろうと言う気になっているのではないだろうか。あるいは、彼女はもう玄関のすぐ前まで来ているかも知れない。

「お母さん」少女は扉に向かって、最後に残った一滴(ひとしずく)の元気を振り絞り、そう呼び掛けた。

「残念だけど」不意に若い男の声が言った。「君のお母さんは、ずっと遠くにいて、君たちのことをすっかり忘れてしまっているんだ」

「そうなの?」少女はたずねた。いつの間にか、彼女は黄金色の雲海の中にぽかりと浮かぶ、石畳の上に立っていた。目の前には真っ白いスーツを着た金髪の青年がいて、夏空のような瞳を伏せてから小さく首を振り、言った。「そうだよ。本当に、残念なことにね」

「そっか」少女は頷く。「おじさんは、誰?」

「おじさんは勘弁してほしいな」青年は笑って言った。

「ごめんなさい、お兄さん」

「僕はルクス・フェロ。君さえよければ、ルクスって呼んでくれても構わないよ」青年は、きれいな顔にやさしい微笑みを浮かべて言った。「何もかも失くした君に、一つ贈り物をしようと思ってやってきたんだけど、何か欲しいものはあるかい?」

「お父さんと、お母さんと、ハル」

 青年は苦笑いを浮かべた。「一つって言ったじゃないか」

「ごめんなさい」

「気にしなくていいよ。それで、他に欲しいものは?」

 少女は頷いた。「ホットケーキ」

「君って子は」ルクスは小さく首を振り、ぱちんと指を鳴らした。

 真っ白いガーデンテーブルと、二脚の椅子が唐突に現れた。そしてテーブルの上には、ふっくらと焼きあがったホットケーキが二枚乗っている。

「ひとまず、あれを食べてから、もう一度考えてごらん?」

 少女はテーブルへ駆け寄り椅子へ飛び乗って、置いてあったナイフとフォークで、真ん中に四角いバターを載せ、はちみつがたっぷり掛ったホットケーキを口に詰め込んだ。

「ミルクはいる?」向かいの椅子に座ったルクスがたずねた。少女は三度頷き、やはり唐突に現れたカップをひっつかんで、冷たく甘いミルクで喉に詰まったホットケーキを無理やり流し込む。そうして一息ついてから、ほっとため息を付いた。「美味しかった」

「なにか、いいアイディアは思い付いたかい?」青年はにこにこ微笑みながらたずねた。

 少女は頷く。「とびっきりのを思い付いたの」

「へえ?」

「家族」

 ルクスは目をぱちくりさせた。

「それなら、一つでしょ?」少女はにっと白い歯を見せた。

「確かにその通りだ」ルクスはくすくすと笑った。しかし彼は、すぐに笑うのをやめて難しい顔をした。「でも、前とそっくり同じ家族と言うのは無理だよ。君のお父さんはずっと前に亡くなっているし、お母さんが帰って来ることもない。それにハルくんは、ある人に頼まれてやることがあるから、君とは一緒にはいられないんだ」

 少女はひどくがっかりしてうなだれた。きっとうまく行くと思ったが、そう簡単ではないようだ。

「でも、君が新しい家族を作れるように手伝うことならできる」と、ルクス。

 少女は首を傾げた。「私、どこか違う家の子になるの?」

「いや、そうじゃないよ」ルクスは首を振った。「みんなが君を好きになる魔法を君に掛けるんだ。そうすれば、君は家族でも友だちでも、好きなだけたくさん作れるんじゃないかな?」

「百人くらい?」

「そうだね」ルクスはくすくす笑った。

「じゃあ、それでお願い」少女は頷いて言った。

「承りました、お姫様」

 ルクスは指先をくるくると空中で回し、少女の鼻の頭をそれで軽く突いた。特に何かが変わったようにも思えないが、青年は「はい、終わったよ」と言った。

「ありがとう、ルクスさん」

「どういたしまして」ルクスは片目を閉じて見せてから席を立ち、少女に背を向けた。彼の向かう先には壁も何もない場所に、アーチ形の扉がぽつんとあった。

「ねえ」扉のノブに手を掛けるルクスの背に、少女は呼び掛けた。「ルクスさんは、神様なの?」

 ルクスは振り向き、肩をすくめた。「もし僕がそうなら、君たちがこんな目に遭う前に何とかしているさ」

「それじゃあ、本物の神様はすごく意地悪なのね」

「僕もそう思う」ルクスは言い置いて扉を抜けた。反対側から出てきそうなものだが、どう言うわけか彼はすっかり姿を消していた。

 少女は不思議に思って椅子から飛び降り、扉を開けた。やはり、反対側が見えるだけで何もない。試しに一歩、足を踏み出すと、烏は長らく水中にでもいたかのような息苦しさを覚えて、大きく息を吐いた。辺りにはもう金色の雲海などなく、そこはステンドグラスのある礼堂の中だった。

「今のは」言葉が続かなかった。喋ろうとしても、嗚咽が込み上げてきて言葉にならなかった。

「僕が、マリコに何かをしてあげたいと思った気持ちは、わかってくれたかな?」

 烏はぼろぼろと涙をこぼしながら、一つ頷いた。今さらになって、「おひさまが見たい」と言うマリコの願いの本当の意味を知り、彼は呆然となった。

「そろそろ泣き止んでくれないか?」ルクスは眉をひそめた。「本題はこれからなんだ」

「すまん」烏は袖口で目を拭い、鼻をすすりあげた。ルクスがハンカチを差し出す。烏はありがたくそれを受け取り、音を立てて鼻をかんでからハンカチを青年に返して言った。「本題って?」

 ルクスは頷いた。「ともかく、僕がマリコに呪いをくれたのは同情心からであって、彼女を苦しめるためじゃないことはわかってもらえたと思う。でも、呪いはやはり呪いでしかないから、その悪い面から彼女を守る騎士役が必要だと考えたんだ」

「それを、俺がやれってことか?」

「話が早くて助かるよ」ルクスはにこりと微笑んだ。

「ダヴィードがいるだろ。あいつは本物の騎士だ」

 ルクスは首を振る。「彼はマリコの呪いにとらわれている。呪いに支配されながら、それに立ち向かうなんてできないよ。その点、君には呪いの力が及んでいないようだから、この役にぴったりなんだ。それにしても、本当にどうやってるんだい?」

「専門家のあんたがわからないのに、俺にわかるはずがないだろう」烏は肩をすくめた。「そもそも、どうして俺が、呪いから自由だと言い切れるんだ。確かに俺は、他の連中のようにマリコが美少女に見えることはないが、それでもマリコが好きだし、彼女を大事にしたいとも思っている。それは呪いの影響じゃないのか?」

「ねえ、烏」ルクスはくすりと笑った。「言っててちょっとは照れくさいと思わないのかい?」

 烏は顔を赤くした。好きだの大事にしたいだのと、自分は何を口走っているのだろう。

「ともかく、君が他の人たちと様子が違うことは間違いない。何より、マリコに触れても、ひどい自己嫌悪を覚えたりしないだろう?」

 烏は頷いた。「あれは、どう言った仕組みでそうなるんだ。村の子供たちは、あまり堪えていない様子だったが?」

「どうやらマリコに対して、ちょっとでも(よこしま)な気持ちがあると、例の症状が現れるようだね。彼女は呪いのせいでとびきり素晴らしい女の子に見えるから、触れることでそれを汚してしまうんじゃないかと、恐ろしくなるみたいなんだ。子供たちは自分が持つ欲求をよく理解していないから、あまり強い影響が現れないのかも知れない」

「俺も、あの子供たちと似たり寄ったりか、そもそもそんな気持ちがないってことなんだろう。子供をいやらしい目で見る趣味は持っていないからな」

「さあて」青年はくすくす笑って言った。「王宮で彼女の胸に触ったときや、森の中でビスケットを与えて指をしゃぶらせたときは、ちょっとくらいどきっとしたんじゃないか?」

 烏はしかめっ面をして見せた。ルクスに悪気はないようだが、どうにも言い方が不躾だ。

「本当は、聞かなくても全部わかってるんだろう?」

「知るのと理解するのとは違うよ」ルクスは肩をすくめた。

 ふと気になって、烏はたずねた。「テレンシャはどうなんだ?」

「彼女にも、呪いはしっかり効いているよ。ただ、接触に伴う苦痛すら、マリコ自身の特質だと割り切ってるみたいだね。あの子なら、それが好きになれば、ハリネズミだって抱きしめられるんじゃないかな。それと、カテリナにも似たところがあるようだよ」

「二人は姉妹みたいなものだからな」

「そして君は、彼女たちの兄であり弟でもある」ルクスは言って、首を傾げた。「それで?」

 もちろん、烏に否やはない。しかし、得体の知れない呪いから、どうやってマリコを守れと言うのだろう。

「具体的に、何をやればいいんだ?」烏はたずねた。

 ルクスは頷く。「マリコの信奉者たちは、彼女のためとなれば、断崖絶壁から飛び降りるくらいのことも平気でやるんだ。マリコがそれを望もうと望むまいと、まったくおかまいなしにね。だけど、あの子が本当に欲しいものは家族だ。誰だって家族が破滅する姿を見たいと思わないだろ? 可能であれば、君には仲間たちが正気を失わないように、気を配って欲しい。それが叶わなければ、せめて君だけでも、最後までマリコの家族であって欲しい」

「わかった」烏は即答した。

「さすがはマリコのお兄ちゃん。迷いがない」

「茶化すな」烏は抗議した。そして、ふと思い出す。フツに兄妹のようだと言われたときは、マリコも喜んでそう呼んでくれていたが、今はただの烏だ。忘れたのか、飽きたのか、それとも何かしらの心境の変化があったのか。

「それじゃあ用事も済んだし、僕はそろそろお暇するよ」ルクスは芝居がかった仕草でお辞儀をした。

「みんなには会っていかないのか?」

「彼らが到着するのは明後日以降になりそうだし、僕もそこまでゆっくりはできないんだ」

 ルクスは寺院の玄関に歩み寄り、両開きの大きな扉の前で、ふと足を止めた。

「そうそう」ルクスは顔だけで振り向いて言った。「マリコたちは城へ向かっているよ」

 烏はぎょっとした。「あの、北の方に見えた山城か。三、四マイルはありそうだったぞ?」

「子供は楽しいと思えば、びっくりするような距離を歩くからね。まあ、実際は北へ向かう荷馬車の後ろにこっそり便乗してたみたいだけど」

「遠くへ行くなと言ったのに」烏は言って、悪態を二、三個付け加えた。

「マリコは、ああ言ったお城を見るのが初めてだから、中を探検したいと考えたんだ。特に危険はないし、あまりきつく叱らないようにね?」

 烏は渋い顔で頷いた。

「今日は会えてよかったよ、烏。機会があれば、またどこかで」

 そう言ってルクスが扉を抜けて姿を消すと、途端に烏は背筋を粟立たせた。今のは、誰だ?

 つい先ほどまで、烏はあの青年を古い友人かなにかのように考えていた。ところが、いくら思い返しても、彼と以前に会った記憶がない。それなのにルクスの口ぶりは、烏たちの旅をつぶさに見て来たかのようだった。

 唐突に、箱庭をのぞき込むルクスの姿が思い浮かんだ。烏は素早くステンドグラスを見上げる。彼は、神なのだろうか。しかし、燃える剣を持つ男とルクス・フェロは似ても似つかない。何より彼は、自分を神ではないときっぱり否定していた。

 寺院の玄関の扉が開き、ゼルとドゥーガルドが礼堂に入って来た。老僧は、立ち尽くす烏に早足で歩み寄り、言った。「近くを探して回ったのですが、マリコさんたちの姿は見当たりませんでした」

「どうやら、思ったより遠くへ行っているようだ。もっと人を増やして捜索に当たってみる」と、ドゥーガルド。

「城だ」烏は半ば反射的に言った。

 ドゥーガルドはぎょっとした様子で、束の間烏を見つめたあとたずねた。「なんだって、そう思ったんだ?」

「マリコは、おとぎ話に出てくるような城に憧れていたんだ」

 もちろん、それは即興ででっち上げた話だ。城云々と言う話の出どころが、ルクスなる怪しい青年だなどと言っても彼らは信じないだろう。

「今から追い掛けて間に合うか?」余計なことを聞かれる前に、烏はたずねた。

「いや」ドゥーガルドは首を振った。「子供たちが姿を消してから一時間近い。真っ直ぐ向かったのなら、そろそろ着く頃だ。しかし、あんたの予想が当たっているとすれば、まずいことになる」

「どう言うことだ?」

「あの城には、半年ほど前から魔法使いが住み着いているんだ。時折、城の方で爆発音や怪しい光が現れたりするから、村人たちは彼を恐れている」

 危険はないとルクスは言っていたが、何やら剣呑な話だ。

「その魔法使いと会って話をしたやつはいないのか?」と、烏。

 ゼルが手を挙げた。「一体、どうやって村に入り込んだのかはわかりませんが、ふらりとこの寺院を訪れて、あの城に住みたいと言って来たんです。もう半世紀も放ったらかしになっている荒城だから、住居には不向きだと言ったのですが、構わないと言って、村での生活の決まりや税などについてあれこれ聞くと、私の目の前で煙のように姿を消しました。彼を魔法使いだと考えたのは、そのためです」

「どんな様子でしたか?」

「肩に黒猫を乗せていることを除けば、見た目はごく普通の紳士です。ケイと名乗っていました」

「話だけ聞いていると、そんなに物騒なやつには思えないな」烏はつぶやいた。

 ゼルは頷いた。「私も同じ意見ですが、村のみなさんは彼に違う印象を持っています」

 烏はドゥーガルドに目を向けた。

「ここは田舎だからな」浅黒い肌の男は肩をすくめた。「俺も含めて、魔法には少しばかり偏見を持っているんだ。何より、城のてっぺんから空に向かって何発も稲妻が飛ぶ様子を見れば、誰だって恐ろしく思うだろう」

 烏は腕を組み、束の間考えてから口を開いた。「俺が行く。城までは一本道のようだし、俺でも迷うことはないだろう。それに、村の人間が大挙して押しかけて、子供を返せなんて言ったら、余計な悶着が起きかねないからな」

「一人で大丈夫なのですか?」ゼルは眉をひそめた。

「俺は、カテリナのもとで働く職人なんです」

「なるほど」ゼルは頷く。「それなら、他の者がついて行っても足手まといですね。念のため、私たちはもう一度、近辺を探して見ることにしましょう」

「お願いします」烏は言って、ドゥーガルドに目を向けた。

「カテリナの方は心配するな」浅黒い肌の男は言った。「明日までに、二千ほどの弓使いが麓へ集まる手はずになっている」

「わかった」烏は頷き、寺院を後にした。


   *


 崖に刻まれた長いつづら折りの坂を登り、マリコたちは城の巨大な扉の前に立っていた。もちろん、敵の侵入を阻むために作られた重厚なそれは、子供たちがどれだけ押そうが引こうがびくともしない。

「ねえ、もう帰ろう?」ユタがびくびくと辺りを見回しながら言った。今のところ彼だけは、お城の扉をこじ開けると言う犯罪行為に加担していない。

「私は中が見たいの」チェリはきっぱりと言って、マリコに目を向けた。「あなたもでしょ?」

 マリコは頷いた。ちょっと前まで住んでいた王宮も、確かにお城と言えばお城だが、ここは胸壁を備えた立派な塔もあり、いかにも彼女が知っているお城らしい。中はどうなっているのだろうと、ひどく興味を掻き立てられる。

「でも」と、ユタ。「怖い魔法使いが住んでるんだよ。やめた方がいいよ」

「ゼル様は、悪い人に見えなかったって言ってたわ。魔法使いさんと本当に会った人の言うことより、一度も会ってないのに勝手に怖がってる人たちの言うことの方を信じるの?」

「だからって、勝手に自分の家に入ろうとしたら、悪い人じゃないとしても怒るんじゃないかな?」

 なるほど、言われてみればもっともだ。

「フェリはどう思う?」チェリは、もう一人の少女にたずねた。

 砂色の髪の少女は人差し指を頬に当て、首を傾げて束の間考えてから、何かを思いついた様子で手の平を拳でぽんと叩く。「ちゃんと、ご挨拶しなきゃ」

 彼らとしばらく過ごしてマリコが気付いたのは、この三人の友人にはそれぞれ役割があると言うことだった。チェリが発案し、ユタが問題点を挙げ、フェリが決断する。それは、全くうまい仕組みだった。さて、それではマリコは、何ができるのだろう。

「ごめんくださーい!」マリコは大声で、扉に向かって呼ばわった。

 三人の友人たちは、ぎょっと見開いた目でマリコを見つめた。

「私たち、素敵なお城を見たくて来ました。中に入ってもいいですか?」

 果たせるかな、巨大な両開きの扉が、片方だけわずかに開く。そして、その隙間から黄色い目がじろりと覗いた。ユタと、ずっと強気だったチェリの二人が、そろってひっと小さく悲鳴をあげる。

 にゃあと黄色い目の黒い毛玉が一言鳴いた。

「猫」とフェリが言った。

 黒猫は扉の向こうに引っ込んで姿を消した。扉は開いたままだった。四人は隙間に身体を押し込み、城内へ足を踏み込んだ。

 扉の向こう側は、周囲をぐるりと城壁に囲まれた中庭になっており、正面の壁にも両開きの大きな扉があった。壁の右手はやや引っ込んで短い通路状になっており、奥は城の中でもひと際高い塔の基部になっていて、そこには小ぶりの扉が設えられていた。扉の前には先ほどの黒猫がちょこんと座っており、彼女は子供たちが歩み寄ると、前脚で扉をがりがりとひっかき始めた。マリコが鉄の輪でできた取っ手を引っ張ると、扉はあっさりと開き、入ってすぐ右手には急な昇り階段が見える。黒猫が扉をくぐり、それをさっさと昇り始めたので、子供たちは慌てて後を追いかけた。

 階段は狭く、四角い塔の壁に沿って作られているようだった。ところどころ踊り場があって、その左手には扉があったが、黒猫は立ち止まらずどんどん階段を昇っていく。階段の右手の壁には等間隔に燭台が取り付けられていて、そこでは黄色っぽい蝋燭が燃えていたが、蝋燭とは思えないほど明るく、しかもその炎はまったく揺らいでいなかった。

 階段が途切れたところで、猫はようやく足を止めた。左手にある扉を再び黒猫がひっかくので、マリコがそれを押し開ける。そこは胸壁に囲まれた塔の屋上で、真ん中には丸いテーブルと、それを囲む五脚の椅子があり、その一つには趣味の良い服を着た黒髪の紳士が座って、茶色い表紙の本を読み耽っていた。

 紳士はふと顔を上げ、子供たちに目を向けた。視線がマリコの上で止まると、彼は目を見開き、その手から本が落ちた。猫が紳士に歩み寄り、彼の肩に飛び乗ってにゃあと耳元で鳴いた。紳士ははっと息を飲んで我に返り、笑みを浮かべた。手入れをされた口ひげが、ちょっとだけ持ち上がった。

「魔法使いの塔へ、ようこそ」

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