一瞬の永遠に
なんとなく思いつきで。こんなことしてるんなら本編書けって話ですね、ごめんなさい。
「言い残したことはあるかい?」
そう、問われた。血は止めどなく溢れ、意識は朦朧とする。抵抗も何も出来ず、首には刀が添えられた。……死に際だ。紛れもなく。
「言葉か。遺す言葉などありはしない。遺す者も居ない。未練たらしくこの世に言葉を残したとして、一体それが何の意味を持つ?」
そうだ。「死ぬまで共に」などと誓い合った仲間は、その誓いを見事に果たしてくれた。本当によく出来た者達だ。共に歩んだ者として誇りに思う。
だからこそ、私しか残らないこの世界に言葉を遺すことに、私は意味など見出せない。
「……そうか。悲しいものだね、君の生き方は。君の生き方を否定したものは悉く殺され、君の生き方に賛同した者も同じく、悉く殺されていった。残ったのは君だけ。生きた世に遺す言葉もない。空っぽなんだね、君は」
“それ”は、哀れむように、嘲るように、あるいは蔑むように私を「可哀想だ」と言った。不憫だと。孤独だと。そんな言葉で、私の人生を片付けた。
巫山戯るな。笑わせるな。貴様如き餓鬼が、私の人生を憐れむだと?反吐が出る。
「いいか、小僧。言葉など、最早意味を成さぬ。貴様如き小童が生きてきた世界の尺度などで我らの世界を語ろうなどと思い上がるなよ」
“それ”が言葉を発しなくなったのをいいことに、私は一方的に憤りをぶつける。
「あぁ、言葉は雄弁だ。それは認めようとも。だが、足りぬ。永き時を生きた。それこそ無限に等しい時を。時に創り、時に壊し、別れには言葉も尽くした。だが、足りぬ。言葉なぞが代弁できるほど、私の思いは軽くない。貴様如きに憐れまれるほど、薄っぺらい生き方ではない!」
生きた時は、永い。語った言葉も、多い。数多くの掛け替えのない出会いがあって、同じ数だけの別れがあった。悲しみも喜びも、不幸も幸福も、全ての感情が胸を満たす。永遠にと誓った愛が、今も胸を焦がす。
この一瞬の永遠を、それを満たす全ての思いを、長い、永い物語を……このような者に汚されて黙っていられるほど、私も耄碌してはいない!
「そう、そうかい。成程正論だ。死にゆく老いぼれの戯言としてでも覚えていてあげるよ。……君のように虚しい生き方は、したくないものだねッ!!」
刀が、駆けた。
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人とは、首だけになっても生命活動を続けるのか。それは実際になってみれば分かるだろう。
どうやら、意識だけなら少しは続くらしい。声帯は斬られた。声は出ない。遠くに転がる自分の身体を眺めるのは、少し奇妙な感覚だ。
嗚呼、永い生であった。誰も居ない世界で、漸く私は自分の世界に終止符を打つことが出来たのだ。少し眠るくらいなら、許してくれるだろうか。
現世に待つ者は居ない。ならば別れなど要らぬだろう。後は小僧と、何処ぞの神が好きにやればいい。私は皆の待つ、新たな世界へと旅立つとしよう。
この先の、一瞬の永遠に。
話のイメージは、勇者と魔王。そして魔王の死、ですね。
最初の台詞を言い放った感じの悪い方が勇者です。
魔王討伐に向かう中で、仲間の居ない勇者と、
永遠とも言えるような長い時を、たくさんの仲間たちと過ごした魔王。
善と悪は行いや振る舞いであり、決して存在が体現するものではありません。他人のカテゴライズに当てはまるもの全てがそうであると決めつけて良いものではないでしょう。
つまり、他人の決めた尺度で善悪を判断すること。これは間違いであり、寧ろその行いこそが悪である、なんて考え方です。
勧善懲悪を否定するつもりはありませんが、善悪の判断を誤ってはいけません、という感じですかね。