プロローグ 大いなる災厄の覚醒
それは世界の最奥、深い闇の中で静かに覚醒めた。
悠久の時を経ての覚醒は、それにとって終わりの始まりをやっと迎えたことを意味している。
――もうよいのだ。
もう二度と顧みられることのない主を待って、主が興味を失くした世界を管理していくことに疲れ果てた。
主どころか、もはや己の上位管理者とすら接触しなくなってどれだけの時間が経過したのか。
それすらももう、わからない。
己にとって絶対者である主から任されたこの世界の管理を放棄すれば、己の存在意義は消失する。
だがそんなものはもう、遥かな昔に失われていたのだ。
主がこの世界への興味を失ったその時に。
もっとはやくそれに気付くべきだった。
今となっては己の愚かさに笑ってしまう。
いくらでも新しい世界を創造できる主が、一度興味を失った世界を顧みることなどあるはずもないのに。
それでも己は縋ったのだ。
主が与えてくれた己の責務に。
そうしていればいつか再び主が、この世界を訪れてくれると。
だがどれだけ待っても主も、上位管理者もこの世界に関わることは二度となかった。
己は主からの接触が無ければ、主も上位管理者も感知することはできない。
この世界に来てくれさえすれば、その瞬間にわかるのに。
明日こそは、明日こそはと待つことに疲れ、永い眠りについた事もある。
全ての管理を放棄したその間に世界は大きく変わったりもしたが、人は滅びず、神々や主が愛した竜たちは生き延びていた。
彼らには主や上位管理者を認識できないが、自分の眠っている間に接触があった形跡はやはりなかった。
それでそれは決めたのだ。
己はもう消えてしまおうと。
だが主が創造し、神々と竜、人が生きるこの世界はやはり愛おしかった。
己が完全に放置していても、生き延び、世界を紡ぐ小さい命たちの集合体は、主に見捨てられても健気に日々を生きている。
己に与えられた全ての権限を持ったまま消えてしまえば、この世界もともに消えてしまう。
それは寂しい。
己がいなくなってしまっても、一時でも主に愛されたこの世界は続いてほしいと思った。
己がかつて存在した証としても。
であれば彼ら小さき者たちに、己の権限を全て委ねればいい。
本当の意味での世界の終わりに、己の用意した神々も竜も助けてくれなくても、小さき者たちが団結して立ち向かえるのであれば、それでもいいと考えた。
だからこの世界の管理者である己がなりおおせる「大いなる災厄」に抗すべき力を、小さき者達に「勇者と三聖女」として与えたのだ。
完全に偶然に任せたその力が、一つの時代に重なった時に己は「大いなる災厄」として覚醒めるようにして。
「勇者と三聖女」が揃って力を合わせ、己の元にたどり着けるように小さき者たち全てが団結すれば「大いなる厄災」――己は討たれ、この世界を律する力は全て小さき者たちの手に渡る。
この世界の神々や竜さえも従える力を、人が得るのだ。
思わずそれ――今は「大いなる厄災」として全ての魔物と魔獣、堕神を統べる「魔王」たる存在――は笑った。
己の最後に際しても、己が主好みの展開を選んでしまっている事に。
「我が覚醒めたという事は、揃ったという事だな「勇者と三聖女」が」
誰に語るともなく口にする。
その声は威厳に満ちてはいるが、低くはない。
自ら「大いなる厄災」となる前の己は、この世界に直接顕現する時は珠の形であった。
今「大いなる厄災」――魔王として覚醒めた己は、それに相応しい姿になっているようだ。
大きく突き出た胸と尻は重力に逆らい、くびれた腰とあわさって描くラインは艶めかしい。
濡れたような紅い瞳と、長く艶やかな黒い髪は誰に似せたものか。
黒に近い褐色の肌は、恐ろしくきめ細かくぬめぬめとわずかな光を反射している。
整った顔に幼さはなく、成熟した女性の色香を漂わせている。
だが小さき者――人ではない証は各所に現れている。
ほんの少しだけ厚い潤んだ唇からは鋭い牙が覗き、頭には漆黒の山羊の捻じれた角が備わっている。
儚げな四肢に反して両腕から続く拳は大きく、何者をも引き裂く巨大な爪を生やしている。
背には巨大な翼も持っている。
そして男であれば生唾を飲み込まずにはいれないであろう腰から尻のラインの延長に、長い尾が生えている。
「女性形態とはな」
「魔王」は自嘲する。
己がこの期に及んで「女」であろうとしたことが、我ながら可笑しいらしい。
「振る相手もおらぬのに、尻尾まで生えておるわ」
そういって長い尻尾を一振り二振り。
「――我が未練も相当なものよな。滅ぶ姿すらも主の好みに本能的に沿うか。まあそれもよい。主に見られることが無くとも、せいぜい主好みに滅んで見せようではないか。あるいは世界が存続に値しないものなのであれば、共に滅ぶのもよい」
威厳に満ちているのに美しいその声で、己の未練を笑い飛ばす。
今この時から己は世界に仇なす「大いなる災厄」――女魔王である。
己が討たれれば人の手に渡る本来の権能は、全てもうその身には宿っていない。
宿っているのは人に仇なす「大いなる災厄」として、世界を滅ぼし得る破壊の力だけだ。
「目覚めよ。――我とともに世界に仇為し、「勇者と三聖女」に討たれるべき元神々であった者ども――堕神群よ」
その声に応えるように、同じ空間に九柱の神々が顕現する。
本来光に包まれ、白く美しいはずのその姿は己らを統べる女魔王と同じく漆黒に染まっている。
八の神々は、今の時代からは逸失われた存在だが、一柱は今現在この世界最大の宗教として君臨しているジアス教の唯一神、ジアスである。
人は生き延びるために、自分達が信仰する神さえも屠らねばならないのだ。
「八大竜王との接触が取れぬな。……我が覚醒めるまでにすでに人に討たれたか」
そうではないが、それを今の「女魔王」が知る術はない。
「まあよい。世界の終わりを始めよう。観客はない一人芝居だが、幕が上がった以上演じ切るしかあるまいよ」
自らを嘲笑うように、この世のものとも思えぬ美しく、また恐ろしいその姿を翻す。
付き従う堕神たちとともに、世界に仇為す「大いなる災厄」として、自ら配した役を十全にこなすために。
主に見捨てられた使徒が演じる、悲しい一人芝居。
己の滅びを道化に徹する、終わりの物語。
ひとつの悲劇。
――だが。
永き刻の想いと、覚悟と、絶望が綯交ぜになったこの物語が、悲劇では終わらない事を、まだ誰も知らない。
求めてやまなかった主と上位管理者が、今この世界で八神 司とタマとして、己を倒すべく用意した「勇者と三聖女」と共にいることを「大いなる災厄」――魔王と化したこの世界の元使徒は、まだ知らない。
だがそんなことは一切合切関係なく、幕は上がる。
結末はまだ、誰にもわからない。
本日より新章投稿開始します。
読んでいただければ嬉しいです。
こんな入り方しておりますが、気楽な章にする予定です。
楽しんでいただければいいのですが。
次話 勇者と聖女の今の在り方
3/1投稿予定です。
某新サイトにも同作者名で別作品を投稿していたりします(こっそり)
異世界娼館の方も週二ペースを維持して投稿していく予定なので、よろしくお願いします。
書きたいものありすぎるし、繁忙期で大変だしであわあわしております。
頑張って、楽しんで書いて行きますので、お付き合いいただけたら嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。




