第08話 1周目 【たわいない約束】
空気が重い。
サラ王女のおそらくは計算された無邪気な発言のせいで、場は妙な緊張感に包まれている。
緋色の悪魔はもはやプレッシャーを発する余裕もなく、縋る様な視線を俺に向けている。
ああ、いたたまれない。
心配しなくてもおかしなことは言いませんよ。
何がいたたまれないって王様やカイン近衛騎士団長の様子が、当初とはずいぶん違う事だ。
圧倒的な攻撃力だけではなく、魔法陣による防御や転移、しまいには「魔法」とは違うと認識されていた「癒し」――「神聖術」まで駆使して瀕死の八人を救った上で平然としている魔法遣い。
俺という存在に、国家の重鎮という立場から価値を見出し、興味を持っているのは疑う余地もない。
教会に喧嘩を売ることになったとしても、俺という本物の「魔法遣い」を囲い込むことによる「国益」を計算しているのだろう。
珠による事前情報通り、まともに魔法を行使できる「魔法遣い」が今のこの世界に存在しないのであれば、俺一人で戦争の形が変わりかねない。
いや間違いなく変わると言っていいだろう。
実際のところ、ただの兵士が何人束になってもおそらく俺の脅威にはなり得ない。
今の攻撃力と魔力量、装備の前には兵の多寡など無関係だ。
それこそ一人対軍隊であっても、一方的に蹂躙してしまえる。
盾だの鎧だので防げる代物ではないのだ、魔法というものは。
王様が「使役状態」の魔物に襲われていたことからも、ヴェイン王国が「平和」な状態だとはとても思えない。
――そういえば魔物が「使役状態」だったことをまだ伝えていないが、まあいいか。
――ここで不安を煽ることもない、彼らがどこか安心できる拠点についてから伝えればいい。
まあそんな状況下で、俺という戦力を確保したいと考えるのは無理なからぬ事と言える。
そんな状態で冗談半分に「五年後にお嫁さんに……」などと口走るのはリスクが高すぎる。
まかりならんと激怒されるのならまだしも、極論言質を取ったとされる可能性もなくはない。
おそらく俺を使って教会の欺瞞を暴く心積もりであろうサラ王女本人が、進んでその方向へ誘導する恐れすらある。
少なくともサラ王女が教会とその教義に一石を投じようとしているのは、わざわざ俺と王国の「魔法遣い」をぶつけようとしていることからもあきらかだ。
ここは慎重な言動が要求――
「……ツカサ様は年が離れたお嫁さんって、どう思いますか?」
はいきました、サラ王女自身による爆弾投下。
この非の打ちどころがない美少女が、俺の中でだんだん腹黒キャラとして確立されつつあるなあ。
本人は至って真面目に自分の目的を果たすための最適解を選んでいるだけなのだろうけど。
もう少し年を重ねて、虚実織り交ぜた駆け引きをするようになったら、俺なんて掌の上でくるくる踊らされるような気がする。
今だってその疑いは充分にあるというのに。
――ああ、セシルさんがムンクの叫びのようになっている。
いや大きく上に離れていなければ、嫌って事はないんですけれども。
しかもあなたみたいな美少女であれば、何年か待つくらい苦にもならないのですが本来は。
とはいえ。
「お互いが好き合っているのであれば、歳の差などは気になりませんね。ですが残念ながら、魔法をもってしても相手の心はわかりませんので、私一人がそう思っていても仕方ありませんし。――そうですね、願いを聞き届け下さるというのであれば、もう少し砕けたもの言いをすることをお許し願えませんか? 実はこういった喋り方に慣れておりませんので、ボロを出しながらも維持するのが少々辛くなってきているのです」
ここは躱すしかない。
かなり苦しいが躱しきるしかない。
願いも108あるテンプレの一つ、王族にタメ口の許可をもらうってあたりが無難だろう。
正直、らしくないしゃべりにつかれているのも本音ではあるのだ。
まあ許可されたからと言って本当にタメ口をきく気はないが、フランクに話せるという許可があるだけでずいぶん気楽にはなる。
「……ほんとうにそんなことでいいのです? サラは本当に何でも聞くのですよ?」
ぴょこんと触れるくらいに距離を詰めて下から覗き込むようにするサラ王女。
首を少しだけ右に傾げ、艶やかな金髪が右側に流れる姿が可愛らしい。
これは破壊力あるな。
真剣な表情の美少女が上目使いで至近距離ときた。
俺にロリコンの気があればイチコロというか、なくてもこれは相当やばい。
うっかり正直に欲望を告げてしまいそうになる。
それでもいいような気もしないでもないが、ここは初志貫徹。
「ええ、お許しいただけるのであれば」
喉を鳴らすことを何とかこらえ、自分では何でもない表情のつもりで答える。
隠せている気がまるでしないが。
俺の「お願い」にセシルさんは胸をなでおろしているご様子。
目が合うと涙目で頭を下げられた。
本当に俺がとんでもないお願いをする可能性を捨てきれていなかったんだな。
確かに少しやばかったのは認めるが。
王様も複雑そうではあるものの、ほっとした表情だ。
王様としてはともかく、お父様としてはやっぱりほっとするのね。
「……わかりました」
「たすかったよ、サラ王女。結構無理してたんだ実は」
そう言って笑いかける。
本気ではなかろうが、口をとがらせてぷいとされた。
矜持を傷つけてしまっただろうか。
「せめてサラと呼んでいただきたいです、ツカサ様。――構いませんよね? お父様」
そっぽを向いてすねた表情を維持したまま、サラ王女が言う。
「ああ。サラだけでなく余を含むみなにも気楽に話してくれてかまわんよ。もとよりツカサ様は世俗の権威に捉われぬ「魔法遣い」である。遠慮は無用だ。サラの礼とは別に、王都へ戻ったら是非何か具体的な礼をさせてくれ。王たるものが命を救われて何も報いるものが無いというわけにもいかぬゆえ、ツカサ殿にはそのあたり汲んでくださればありがたい」
よし、これで王族にタメ口をきくというお約束もクリア。
王族救出に続いていい感じ。
ロリヒロイン展開も悪くないんだが、そっちはややフラグを外したか。
王都で「サラ」などと呼びかけようものなら、別のフラグが立つんだろうな。
――主に絡まれる系の。
サラ王女の美しさを目の当たりにしていると、そのお姉さんの存在は無視できない。
着替えを覗くという定番イベントを起こすなら、是非お姉さんの方へお願いしたいものだ。
不埒なことを考えたせいか、サラ王女がジト目で俺を見ている気がする。
しかしなるほど王という立場にあっては、御礼はいいよと言われたからはいそーですかというわけにはいかないのか。
この一件で最も功績のある俺が、最初になんらかの恩賞を受けなければ、身命を賭して王と王女を守った近衛騎士たちにも恩賞を出しにくくなるだろうしな。
よく考えれば無一文な事でもあるし、金銭的な恩賞であればもらって困る事でもない。
くれるというものは貰っておけばいいか。
「そのあたりはお任せします」
「いたみいる」
これで困難なお礼ミッションはクリアと見ていいだろう。
王都で酒などと言ってしまったが、酔っ払ってバカやるわけにもいかないのでその辺は気を付けなければいけないな。
そういう思考をふっ飛ばすのが、酒の恐ろしい所だと義父は言っていたが。
「……自信なくしちゃうな。やっぱりつるぺたでは殿方を籠絡する事は出来ないのかしら? 少しはあるんだけれど。せめてセシルと同じ年齢だったらなあ……サラはクリスティナ姉さまの妹なんだから、育てば胸も育つと思うのよ?」
自らの胸に手を当てつつ、ぼそっとサラ王女が恐ろしい言葉を口にする。
幸い王様とカイン近衛騎士団長たちには聞こえていなかったようだが、聞こえてしまったセシルさんが目を白黒させている。
「心の声が漏れ出しているよ、サラ。」
思わず俺が突っ込むと、さすがに聞こえると思っていなかったのか、素で顔を真っ赤にするサラ王女。
あるいは王女の立場で、普通の男に呼びすてにされることに照れたのかもしれない。
普通そんな相手はいないだろうしな。
「魔法遣い様って耳もいいんですね。――聞かれちゃったから正直に聞いちゃいますけど、本当にツカサ様、まったくそういう事考えませんでした? これっぽっちも?」
思わず漏れたひとり言を聞かれたからには、開き直って聞きたい事を聞いてきたのだろう。
やはり九歳とはいえ淑女は大変だ。
自分なりに籠絡にかかって躱されたとなれば、「女」としての沽券にかかわるのか。
「いや考えたよ。顔に出さないようにするのが大変だった、というか顔に出てただろ? これでも自制心総動員して無難な落としどころにしたつもりなんだけど」
しょうがないから、おどけた調子で正直に答える。
ちゃんとあなたのアプローチは効果的でありましたとも。
「サラは歳の離れた旦那様って、素敵だと思いますよ?」
自分の「女としての魅力」が全く効果がなかったわけではないと告げられて、少しは機嫌を直してくれたようだ。
今にもいーってしそうな表情ながら、同じようにおどけた調子で嫌味を言ってくる。
「それはいいことを聞いたな。できれば結婚できる歳になった時に、もう一度聞かせてくれるとうれしいかな」
あと七年くらいか。
二十三歳と十六歳ならそんなにおかしくもないのかな。
まあその頃には俺なんて相手にされなくなっている可能性は高い、というかほぼ確定だが。
サラ王女が十六歳になれば、それこそ命がけで口説きにかかるやんごとない立場の男どもがダース単位で並ぶだろう。
王族として政戦両略の一手として使われるとしてもその聡明さと美しさは大きな武器だし、どうやらヴェイン王国は大国っぽいので国内の有力貴族たちが競って婿候補として立候補するはずだ。
ただの「魔法遣い」がそれらと比べられることはまああるまい。
思えばさっきの会話が、最初で最後のチャンスだったのかもしれないな。
それでもいかに絶世の美少女とはいえ、会って半日も経っていない九歳の女の子に「俺の嫁さんになってくれますか?」とはとても言えないが。
「本当ですね!? お父様もお聞ききになられましたよね!?」
あれ?
サラ王女が妙に喰いついた。
本当に七年間も待とうっていうのかな。
別に伴侶になってくれなくても、美少女の思惑にのるくらいはやりますが。
「う、うむ、確かに聞いた」
王様も少々慌てながらも承認の構え。
七年もの猶予があれば、お父様としてよりも国王としての判断が優先されるものなのか。
七年なんてあっという間ですよ、お父様にとっては。
ヴェイン王国が大国であり王家の力が強大であれば、他国との政略や国内有力貴族との姻戚を結ぶよりも、純粋な「戦力」としての「魔法遣い」を確保するという選択肢もあるのかもしれないな。
父親から見れば、他家に嫁がせることには変わりないんだろうし。
自分の命を救ってくれた相手であれば、自分を納得させやすいのかもしれない。
「わかりましたツカサ様。私は来年十歳の誕生日まで女を磨いて参ります。ツカサ様の仰る通り、結婚できる身になってからきちんとこちらからお願いいたしますわ。私をお嫁さんにどうですか? って。その時はきっと、ツカサ様に「お願いいたします」と言わせてみせます」
フンス、フンスと鼻息も荒く意気込むサラ王女。
駆け引きは止めにして、直球で来ることにしたようだ。
その言葉を聞いたセシルさんがびっくりしている。
――誰よりもびっくりしているのは俺だが。
なんですって? 来年ですって?
「お、おう……」
……あああ、やっちまった。
十六歳って日本の法律じゃねえか。
ここは異世界。いーせーかーい!
日本どころか地球ですらない、「ラ・ヴァルカナン」です。
日本の常識が通用するはずないじゃないか。
なんだ、ヴェイン王国、というかこのあたりの国で結婚可能な年齢って十歳なの? それでその、結婚して跡継ぎつくりに入ったりしちゃうの?
王族怖い。
――ああ、迂闊だった。
「そうと決まればさっそく最寄りの拠点へ向かいましょう。カイン様、ここからならオルミーヌ砦が一番近いかしら?」
言質を取ったとばかりに、話を実務的なものに切り替えるサラ王女。
まあ確かにここへ留まっていても仕方がない。
「そうですね、オルミーヌ砦であれば、馬車と二人乗りの馬であっても日没までには到着できるでしょう」
どうやら最寄りの拠点はオルミーヌという砦らしい。
そこまでたどり着けば一息つけることも確かだ。
完治しているとはいえ一度致命傷を受けたことに違いはないし、俺が「癒し」をかけるまで想像を絶する激痛に晒されていたのだ。
雷龍のブレスを受けた近衛騎士たちは、身体よりも心を休める必要があるだろう。
「しかしもったいないですな。雷龍の成体がほぼ完全な形で八体もあれば、各種素材で軍備がかなり増強できますし、ただ商人へ売り払うだけでも相当な金額がつきそうなものですが。このレベルの魔物がほぼ完全な形で市場に出ることなど、私の知る限り覚えがありませんし」
移動の準備に入りつつ、カイン近衛騎士団長が雷龍の骸に切なげな視線を投げかける。
精鋭である近衛騎士ですら手も足も出ない魔物となれば、商品価値は高いのだろう。
それなりの軍勢を整え、犠牲も覚悟してまで狩るものではないにしても、だからと言って魔物の素材に価値が無いわけではない。
いや逆に事実上、偶然か必要に迫られた討伐時にしか手に入らない素材として、高値維持されるのは納得できる。
「とはいえ運ぶ手段もなかろう。夜になれば他の魔物の餌になろうし、諦めるしかあるまいよ。そもそもあの雷龍どもはツカサ殿が仕留めたものゆえ、我らのものですらない」
誰一人命を落とすことなく、雷龍の襲撃を乗り切れたのだ。
それ以上求めては贅沢に過ぎよう、と王様がカイン近衛騎士団長を説得する。
それでも王様の口調にも惜しそうな響きは滲んでいる。
「それはもちろん、そうなのですが……」
とはいえ軍に身を置く立場としは、その増強の素材をみすみす捨てることが惜しくてたまらないというのもよくわかる話だ。
しかもおそらく今は準戦時と言っていい状況なのだろうし。
戦が日常のはす向かいくらいに存在する状況では、貴重な軍備となる素材は金では測れない価値があるのかもしれない。
可能なのであれば、俺に相応の対価を支払ってでも確保したい代物なのだろう。
「ああ、必要でしたら運びましょうか?」
という事であれば俺が運べばいい。
得た能力の中には「アイテムボックス」もあるし、良い実験の機会だ。
一体5メートルくらいある雷龍がどれだけ格納できるものかは知らないが、無理なら最悪力技、浮遊魔法で運ぶという手もある。
「魔法遣いはそんなこともできるですか、ツカサ様?!」
サラ王女の瞳が輝く。
あ、これでアイテムボックスに入らなかったらちょっと恥ずかしいな。
がんばれ俺の能力。
「まあ、正確には魔法ではないのですが、こんな風に――」
視線を雷龍の死体へと向ける。
能力管制担当が俺の思考に反応して、俺の能力の一つである「アイテムボックス」を起動する。
義眼が反応し、「格納対象物」のカーソルが全ての雷龍の死体に重なって表示されると同時に、
『格納致します。(ok?)』
のメッセージが現れる。
どうやらこの程度の容積は余裕で格納可能なようだ。
5メートル程度の雷龍全部収納可能なのか。
すごいな。
声に出さずに思考で答えるのにまだ慣れないが了承する。
その瞬間、結構離れたところに散らばっている雷龍の巨躯が同時にすべて消滅した。
おお、便利だなこれ。
義眼が捉えた対象を、そのまま「アイテムボックス」へ収納してくれるのな。
「き、消えましたよ?」
サラ王女をはじめ、みんなが目をむいている。
「アイテムボックス」を知っている俺でも驚いたんだ、知らなければ何事かと思うのは無理もない
「で、こう言う感じで」
次は馬車の真横に視線を移動させ、思考で取り出しを試みる。
それだけで『取り出し予定位置』と表示されていた場所に、全ての雷龍の死体が現れる。
「……もはや何でもありなのですね、魔法遣い様って」
感嘆するというより、どちらかと言えば呆れたようすでサラ王女が呟く。
正直同感です、この世界本来の魔法遣いからも甚だしく逸脱している気はするが。
というかこれ、使い方次第で相当な力になるよな。
もし生物にも使えるんであれば、これだけである意味無敵の能力だ。
一軍を丸ごと、忽然と消滅させる事すら可能になる。
「あの、王、言いにくいのですがツカサ様への御礼ってどうなさるおつもりですか……雷龍八体完全な形で買い取るだけで相当な金額になりますが……」
「王都に着くまでに皆で考えるか……」
ああ、聞かなかったことにしようかな。
俺に対する褒賞と雷龍全部の買い取り価格となれば、大国の王家でも大変な金額になるのか。
しかし初級魔法の一撃で仕留められる程度の魔物がその価格となれば、ちょっと奥地へ行って狩りでもすれば生活するのに困ることはなさそうだな。
柵がややこしくなれば、魔物狩人として生きていくのも悪くなさそうだ。
「えーと、とりあえず急ぎましょう。皆さんお疲れでしょうし、はやく拠点に着くにこしたことはないでしょう。ああ、私は皆さんについていく形で「飛翔」を使いますのお気になさらず」
もうここはとりあえず移動を開始してしまおう。
いろいろやらかしている気もするが、最悪の事態には陥ってはいない。
はず。
「ああ、浮くだけでなく移動もできるのですか、あれ。本物の「魔法遣い」様ってのは、規格外の存在なんですな……」
さっき呆れたような声を出したサラ王女に続いて、カイン近衛騎士団長も疲れたような声を出す。
彼らはもう、俺のすることに驚くことを放棄したようだ。
こういうものらしい、と受け入れた方が楽だと判断したのだろう。
「あの、あの、サラも一緒に……その……ツカサ様が重くないのでしたら、ですけど……」
どれだけ聡く、大人びていてもそこはやはり九歳の子供である。
「空を飛べる」となれば興味を持たずにはいられないのだろう。
意外なことに、セシルさんも隠しきれずに反応していた。
まあ王族だとか貴族だからと言って、普通体験できることでもないしな。
飛竜とかはいないのだろうか。
あとで誘えば、セシルさんものってくるかな?
サラ王女は転移の時にからかったことを気にしているのか、たかだか九歳の身体の重さを気にしている。
彼女らにとってみれば、魔力消費に関わることはやはり大事なのだ。
冗談だとわかってはいても、どうしても気にしてしまうのだろう。
娘が再び男に抱き着くことを希望しているお父様をちらりと見るが、しかたなかろうと目で言われた。
娘の父親って大変だなあ。
ところで俺の事を百戦錬磨の魔法遣いだと彼らは思っているだろうが、俺だって飛んだのはついさっきが初めてだ。
それを知っていれば一緒に飛びたいなどとは言いださないであろうが、それを説明するわけにもいかない。
慎重にやるしかない。
万が一の時は能力管制担当がなんとかしてくれるだろう。
珠猫も居るしな。
「いっただろ、サラくらいなら問題ないよ。来るか?」
フランクに話せるようになったのはいいが、こっちも俺本来のキャラからは遠い気がする。
やはり能力を得て、異世界での経験を重ねると大きく変わっていくもんだな。
「――はい!」
俺の問いかけに満面の笑みで答え、もはや自分の位置だと言わんばかりに俺の胸に飛び込んでくるサラ王女。
珠猫が迷惑そうに一声「にあ」となく。
視界の端で王様が、空を仰いでため息をついている。
ごめんなさい、お父様。
先行する馬車の後方、高度50メートルくらいを移動している。
はじめはやはり恐怖を感じたのだろう、俺にしがみついて視線を外に向けていなかったサラ王女も慣れてきている。
今は夕焼けに染まりつつある平原の風景を、その綺麗な蒼の瞳に映している。
内心ドキドキしながらも、やっと俺も空中機動に慣れてきた。
周囲に結界が張られているようで、その中は一定の状態に維持されているにも拘らず、移動で発生する風は体感する事が出来る。
慣れればこれはかなり楽しい。
「不思議な人です、ツカサ様は」
綺麗、すごい、とひとしきり騒いだ後は、しばらく俺の胸で静かになっていたサラ王女がぽつりとつぶやく。
「そうかな?」
とりあえず相槌を打つが、内心そりゃそうだろうなと思う。
「正直に言っても怒りませんか?」
俺の腕の中から、上目づかいに見上げてくる。
「そう聞かれたら怒るとは言いにくいな」
この俺のキャラときたら。
英雄物の主人公気取りか。
まあ茜色に染まりつつある草原の上空、絶世と言っていい美少女を腕に抱いて空を移動している状況だ。
ちょっとくらい入っても仕方が無かろう。
「ごめんなさい。でもツカサ様ほどの力をお持ちなら、今までも思うが儘に振る舞う事が出来たと思うのです。国家が相手でも、教会が相手でも、魔物が相手でも。ツカサ様と戦って、勝てる相手が想像できません。それなのにツカサ様はそんな感じが全くありません。偉そうな言い方で恐縮ですけど、すごく謙虚に思えます。そんな必要が無いにもかかわらず」
「なるほど」
ふむ、俺は謙虚な魔法遣いだからな。
謙虚だから「すごいですね」と尊敬されて誉められた時はそれほどでもないと言う時もある。
冗談はさておき。
それはそうだろう。
昨日まで「明日は休みだぜひゃっほう」と騒いでいたなんの力も持たなかった高校生だとは思うまい。
自分の能力に多少有頂天になっても、傲慢に振る舞うには経験値が足りない。
だけどサラ王女の言葉はある意味金言だ。
意識して自分を律していなければ、あっという間に能力に頼り切っているくせに自分を無謬であるかの様に振る舞う、度し難い人間に仕上がってしまう気がする。
それはそれで楽しいような気もするけど、出来るならば避けたい。
今でもすでに危ない気もするけど。
「それにヴェイン王国は一応この大陸における大国で、各国各地の情報にも通じています。なのにツカサ様の情報は今日の今日まで、誰も知りませんでした。サラ自身、前回見た「神託夢」を信じきれなかったくらいなのです」
「……」
そりゃそうだ、昨日まで俺はこの世界には居なかったんだから。
どれだけ優秀な諜報機関でも、俺の存在を捉えることは不可能だろう。
逆に言えば俺がこの世界に現れる前に俺を捕捉したサラ王女の異能、「神託夢」が異常ともいえる。
「不思議な方……」
ひとり言のようにつぶやき、俺の胸にこてんと小さな頭を預けてくる。
美少女にこんなことをされた経験がある訳もない俺には、相当心拍数が上がる状況だ。
にも拘わらず、すごく心細そうなサラ王女の表情に、庇護欲をものすごく刺激される。
教会の教義を疑っていることも含めて、何がサラ王女をこんなに不安げにさせているんだろう。
それを取り除くためなら、俺の能力を使う事に躊躇いはなくなっていることに驚く。
目立ったら困るわー、ってのもやってみようと思っていたのに。
「まあれだ。人間だれでも秘密の一つや二つあるってことさ。少なくともタメ口きくこと許してくれた王女様の敵に回ることはしないよ」
おかげでいよいよ俺のキャラからは懸け離れた台詞を言う羽目になる。
俺ってこんなことさらっと言える人間じゃなかったよなあ。
「タメ口ってなんですか?」
「こうやって気楽に話すこと」
知らない言葉を耳にして、もう一度俺の目を見上げて訪ねてくるサラ王女。
俺はすこし笑って答える。
「うふふ、本当に不思議な方。ツカサ様はサラの味方でいてくださるのですね?」
俺の答えが気に入ったのか、ついさっきまでの弱々しい雰囲気は霧散して、聡明で気丈、ちょっとだけ腹黒いサラ王女本来の様子に戻る。
どっちが本来なのかは、本当はわからないけれど。
「その証明として、何かリクエストはありますか我が王女?」
調子に乗って、芝居がかった答えを返す。
なあに大丈夫、大丈夫、聞いているのはサラ王女だけだ。
日本の数少ない友人達に聞かれたら、記憶操作装置を開発に乗り出すレベルだが。
でもなんでだか俺は、このたわいない約束を守りたいと思った。
「もっと速く、もっと高く飛んで!」
「仰せのままに」
やっと慣れてきた空中機動を駆使して、一気に高度と速度を上げる。
さすがに少し怖いのか、俺にしがみつく手の力が強くなる。
急に高度を上げた俺達を見て、地上の近衛騎士たちが指差して笑っている。
命の恩人とはいえ、主君の王女を連れて飛ぶという蛮行を笑ってみていてくれるとは、ずいぶん信頼されたものだ。
馬車を一気に飛び越して、オルミーヌの砦へと一気に飛ぶ。
「あははははは! すごいすごい!! 馬車よりもずっとはやい!!!」
やめなさい。