第17話 Quod Erat Demonstrandum
「僕が私でもあるからだよ!」
全てに繋がる真実を告げて、セトがシリスの視界から消える。
無詠唱で起動可能な「思考加速」と違い、詠唱が必要な各種ブースト魔法はすでに「我が魔導の書」に仕込んでおいた。
シリスの「魔眼」に察知されないために、展開した「我が魔導の書」から「思考加速」起動と同時に各種ブースト魔法も取り込み、瞬時で「魔法近接戦闘」を成立させたのだ。
人の動体視力では追いきれない超高速機動で、相手の視線を切る。
師匠と二人で完成させた、セトの「秘奥義」
だがシリスの「魔眼」は魔力の流れを見逃しはしない。
動体視力で追いきれなくてもその膨大な魔力の軌跡が、セトがどちらへ移動したのかを明確に示してくれている。
シリスは己の魔眼が示す「魔力」の軌跡に従い、すでに多重展開している魔法防御障壁をそちらへ全力で振り向ける。
セトはそのシリスの動きも切ることが可能だ。
いくら魔力の流れを追ってセトが移動した方向を察知したとしても、追い付けなければ意味をなさない。
視覚に捉われた瞬間に「開き」にされる恐るべき「姫巫女」の技、「見斬」を躱すためにこそ突き詰められた「魔法近接戦闘」の神速機動。
その変幻自在の動きは、魔力を追える程度で捉えられるものではない。
捉えられるのは通り過ぎた後の軌跡のみ。
師匠が実際に何度も「開き」にされながら完成に至った「魔法近接戦闘」を、初見で捉えきれる者がいるはずもないのだ。
シリスに通用しないことはわかっているが、セトは囮として展開させている「我が魔導の書」を全て発動させる。
今までのシリスとの戦いであれば、順次発動させてなんとか隙を突こうとするのが定石であったのだが、今回は今までとは違う。
セト従来の奥義であった「我が魔導の書」は、発動さえしてしまえば飽和攻撃で押しきれる。
だがシリスの「魔眼」は、「魔法術式」の核に「魔力」そのものをぶつけることで「魔法」の発動を阻害する事を可能にする、規格外だ。
それは「我が魔導の書」に込められたセトの「魔法」でも例外ではなく、発動の兆候を示した全ての頁が、最小限の魔力で打ち抜かれ、魔力を無駄に散らされる。
――そんな真似が出来るのは、シリスだけなんだろうけどね!
師匠に出逢うまでは、どうやってもシリスに勝つことはできないと思わされていた「技」がこれである。
だが今は、これまで自分の「奥義」であった「我が魔導の書」は囮に過ぎない。
本命は左手に宿らせている「妨害」
魔力の軌跡に従って正確にセトの位置に振り向いたシリスの動きを、「我が魔導の書」の一斉起動で一瞬だけ止める。
数百頁にも及ぶセトの「我が魔導の書」を、起動の瞬間に最小限の「魔力」ですべて打ち抜く精度は「神業」の域だが、それでも一瞬はその為に奪われる。
――正面から行っても大丈夫だったとは思うけど、ねっ!
もう一度シリスの視界から完全に消えたセトが、シリスの真後ろで急制動をかけ、今度はまっすぐにシリスの懐へと突進を敢行する。
ツカサを含めた数人を除いて、この場にいるほとんどの人間が俯瞰しているにもかかわらずセトの動きを捉えられていない。
その神速の機動に正面から相対しておきながら、一瞬の制止の後再び己の「魔眼」が示す軌跡に従ってセトの方向に正対したシリスは、正しく「魔法戦闘」の天才なのだろう。
――いくら素早く動き回ったところで、セト本人は魔法の詠唱をしていない。
つまりその動きに翻弄されて、周りに展開されている「我が魔導の書」の起動を見逃すことこそが敗因になるとシリスは判断していた。
本人の高速機動に惑わされることなく、本命である「我が魔導の書」の起動を確実に捉え、潰せばいつも通り勝ちだと。
故にシリスは面食らっていた。
魔法の起動の瞬間しか、己の「魔法崩し」は通用しない。
だからその瞬間を見切らせないために仕掛けてきたであろうセトの高速機動に惑わされず、己はセトの「我が魔導の書」を全頁崩した。
全頁の一斉起動という奇手には驚かされたが、それでも数百におよぶ頁全てを崩して見せたのだ。
――それで詰んだはずだ。
――なのにセトが己に突っ込んでくるのはなぜだ?
十二もの数が多重展開された魔法防御障壁は、小さなセトの身体が高速でぶつかる程度で抜ける代物ではもちろんない。
セトの「禁呪」である「紅焔墜下」が複数直撃しても凌ぎきれるほどの代物なのだ。
そんなことはセトも十分知っているはず。
にもかかわらず、捉えきれない速度で突進してくる理由は――
セトの神速はシリスの思考を待ちはしない。
薄いガラスが連続で砕け散るような、澄んだ高い音が連続する。
その数は十二。
「十三使徒」が発動させる「禁呪」級を複数堪えうるはずの多重魔法障壁が、冗談のように十二枚全てセトの突き出された左腕に砕かれる。
無防備になったシリスに、なんの魔法も宿らせていないセトの右腕が突き出され、鼻先でぴたりと制止させられた。
腕力とは本来無縁な魔法遣い、しかも子供の細腕でありながら、止められた拳からの拳圧がシリスの顔を数センチ下がらせる。
各種ブースト魔法で強化されたセトの「ただの右拳」は、歴戦の格闘家の一撃を凌駕する。
「これで「絶対不敗の一番弟子」が「十三使徒」最強だと証明終了出来たかな?」
セトのすかした台詞は少々面憎いが、この状況では何を言っても負け惜しみでしかない。
魔力による防御障壁を全て抜かれた魔法遣いなど、農作業などで体を鍛えている市井の人々よりも防御力においては遥かに劣る。
セトの右拳になんの「魔法」も宿っていなかったとしても、「魔法近接戦闘」で強化されたセトの「右拳」が叩き込まれれば、冗談ではなく致命傷になる。
止めてくれたことに感謝こそすれ、文句を言う筋合いのものではない。
――ないのだが。
「……悔しいですが完敗ですね。油断も気負いもなく臨んで、完全に上を行かれた事を認めましょう。――今この時からセトが「十三使徒」第二席です」
湧き上がる想い全てを捻じ伏せて、シリスは敗者の矜持を護った。
ここで負け惜しみを口にすることは、セトとティスが生まれた時からお兄ちゃん役であった自分自身が許せない。
騙されて、または隙を突かれて負けたわけではない。
正面から上を行かれた事は、負けた自分が一番理解できている。
囮もフェイントもなしで正面から来られていても、結果は変わらなかっただろう。
もうセトはお兄ちゃんに守られる存在ではない事を、自ら証明してみせたのだ。
「っしゃ! 師匠見ててくれた? 師匠の弟子が「十三使徒」トップ取ったよ!」
もっとずっと子供の頃から知っている屈託のない笑顔で、セトが師匠と呼ぶツカサの方へ向いてVサインなどをつくっている。
師匠のツカサは、特に驚いた表情でもなく右手の親指を立てて応えていた。
――この師弟にとっては、第二席に勝つ事など当然という事ですか。
いや、今はもう第三席ですね、と思いながらシリスはため息をつく。
ティスが「眠り姫」となってからは、まったく見なくなっていた素直な表情を浮かべるセトを見て、シリスはいろんな意味で自分もうすでに敗北していたのだなあと天を仰ぐ。
「しかしあの左拳はなんなのです? あれがどのような「魔法」にも有効だとしたら、「魔法遣い」が「魔法遣い」として戦ったら、セトには絶対勝てないと思うのですが」
「内緒だよ。師匠の赦しもなく答えるわけにはいかないね。……ってシリスももう仲間になるから、師匠はあっさり教えちゃうのかなあ……」
自信満々でふんぞり返ったと思ったら、それをあっさり自分の師匠が教えそうなことに思い至ってしょんぼりする。
今目の前にいるセトは、シリスがよく知るセトだった。
シリスは思わず笑ってしまった。
いやそれよりも幼い。
それだけじゃなく、シリスの良く知る別の面影も垣間見える。
「ではその件はセトの師匠殿に尋ねることにしますよ。――しかし勝負の直前、気になることを言っていましたね。いや表情も一瞬私にはティスに見えました。そっちは説明してもらえるのかな?」
シリスの言葉に、一瞬セトは黙る。
だがすぐにゆっくり息を吐いて、答えた。
「……うん。ごめんねシリス。今まで黙っていたけれど、四年前のあの時以降、僕と私はこの身体の中で一緒になっているんだ。最初こそ区別がついていたけれど、半年もたたずに今の僕になった」
勝負の最初にああ言った以上、全て説明する気だったのだろう。
その為にも勝利が必要だったのかもしれない。
シリスが今以上に責任を感じてしまわないように。
「どうして、言ってくれなかったのです」
「……ごめんね」
驚きと共に、思わず強い口調で出てしまった本音に、今のセトが悲しそうに謝る。
シリスはその表情にハッとすると、すぐに謝った。
「いえ、こちらこそすいません。……私のせいですね」
シリスは四年前のあの時、自分がどれだけ取り乱していたのかを覚えている。
その後も、本当の意味で笑わなく、いや笑えなくなっていたことも。
セトがどれだけシリスだけのせいじゃないと言ってくれても「自分の責任だ」と譲らなかった。
あの時の幼いセトとティスには、そんな状態のシリスに「異常な状態の自分達」を話す事が出来なかったのだろう。
自分たちの為というよりも、それ以上シリスに重荷を背負わせないために。
ある意味においてティスが無事だという事に喜ぶこともできただろうが、混ざってしまったセトに対しての態度は今とは違っていただろう
一緒になんとかティスを救おうとする相棒というよりも、自分が助けなければいけない対象として見てしまっただろうことは疑いえない。
今日実際に負けるまで、自分は上から目線でこの兄妹を守らねば、救わねばと確かに思っていたのだ。
「本当に……情けないですね。今日までお兄ちゃんのつもりでいましたけれど、とっくにそんな資格はなかったんですね」
「そんなことないよ。シリスがいてくれて僕はすごく助かった。ずっと小さい頃から頼りになるお兄ちゃんだったよ」
寂しげにつぶやくシリスの言葉を、セトは否定する。
ツカサがやきもちを焼く程に、セトはシリスを信用しているし、頼ってもいたのだ。
「だけど……」
「どうしても私に勝って、その上でやらなくちゃならない事が出来た?」
真剣な表情で、こくりと首肯するセト。
頭もいいし、魔法戦闘では圧倒的な事も先の戦闘で証明してみせた。
だがこのあたりはまだ十二歳の子供だ。
今度こそ本当に、シリスは天を仰いで嘆息する。
――しょうがない。
子供の頃から二人のお兄ちゃんを自らに任じてきたが、どうやらもうお役御免のようだ。
今のセトには自分よりもずっと頼りになる師匠がいるようだし。
そしてセトが今回の決意をしたのは、セトにとって「ツカサ」という存在が、師匠としてだけではないからだろう。
――まだ子供どころか結婚すらしてはいないけれど、子供を嫁に出す時はこんな気持ちになるものなのかなあ……いや今のセトは男の子ですけどね。
衝撃の事実を告げられた直後にもかかわらず、シリスは長年の憑き物が落ちたような気持ちになっていた。
自分をそうするために、幼いセトが頑張ったのだと思うとため息の一つも出ようというものだ。
「ティスを起こす手段が見つかったのですね?」
それにもセトは、無言で頷く。
混ざっているセトが下した結論は、察しが付く。
その結果がどのような結果になっても、シリスが己のせいだと思わなくて済むように、シリスに勝って見せる必要があったのだろうという事はシリスも理解する。
「危険は当然ある、と」
「……うん」
ただ寝ているものを起こすのであれば、四年間の意識の断絶はあるかもしれないが、それ以外は問題はない。
だが今の状況でティスを起こすという事は、今のセトがどうなるかは誰にもわからない。
前例もなければ、実験のしようもないことだから無理もない。
「師匠さんでもそうなのかい?」
「師匠はなんか考えてくれているみたい。だから結構安心してるかな?」
強がりではない表情で、嬉しそうに微笑むセト。
なるほどこれは重傷だ。
今の己が消えることも厭わないくらい、ちゃんと女の身で「ツカサ」の前に立ちたいという事か。
――だけどそれは、本当にティスだけの想いなのかな?
「信用しているんだね、師匠さんの事を」
「信用っていうか、師匠は基本無茶苦茶なんだよ。誰がどう見ても不可能なことを、嘘みたいに最後は何とかしてしまうんだ。僕はそれをもう知ってる。だから師匠が「なんとかしてやる」って言ったって事は、最後は本当に何とかしてしまうんだよ、あの人は……」
すごい勢いで喰いついてきた。
信用している相手に、好きな人の事を語りたいという心理なのだろう。
このまま水を向け続けていたら、いつまでも語り続けそうな雰囲気だ。
それに尋常ではない信頼だ。
もはや信仰の域に近い。
――これは「お兄ちゃん」程度じゃ太刀打ちできるわけはないですね。
「だけど万一どうにもならなくても僕はティスを起こすよ、シリス。もうそう決めているんだ。これは師匠に言われたとしても絶対に譲れない」
「そこまで好きですか、師匠さんが」
真剣な表情で言い切ったセトの顔が、シリスの返しに瞬間で真っ赤に染まる。
このあたりはまだ素直な子供だ。
「え、いや、う……」
「違うんですか?」
空とぼけた声で言いよどむセトに言葉を重ねる。
「……違わない。――意地悪だね、シリス」
真っ赤な顔で、上目づかいでシリスは睨まれる。
――この顔で迫れば師匠さんも落ちそうなものだが……奥さんがクリスティナ王女ではそう簡単ではありませんか。今のセトが「女の身」で前に立ちたいと思うのも無理ないかもしれませんね。
「師匠はその、普通なんだよ、普通。だから男の僕に言い寄られても気持ち悪いだけだろうからさ。それにティスの身体をいつまでも寝たままにもできないし、ティスの身体でならもしかしたらあの人も受け入れてくれるかもしれないし、サラとかセシルさんとかライバルは多いし、アリアさんまで参戦しそうな勢いだし……えーっと何言ってるんだろう、僕」
今の台詞はセトが言っているのやら、ティスが言っているのやら。
――まあ今の私はとやかく言える立場ではありませんか。
「ご希望通り、ティスの婚約者の座は辞退致しますよ。その上で元お兄ちゃんとして応援もします。頑張りなさい、セト」
「うん!」
嬉しそうな顔で破顔するセトを見ながら、今の言葉に込めた意味が解っているのかな、とシリスは苦笑いする。
――別にティスだけが想いを遂げる権利を持っているという訳でもないでしょうに。
まあそのあたりは二人で決めればいいことだとシリスは割り切る。
――情けない話ですが、本当に肩の荷が下りてしまっているようですね。
強くなったセトと、セトを強くした師匠さんがいて、その人が「なんとかしてやる」といったことをセトは全面的に信頼している。
その上、何ともならなかったとしてもゆずれないくらいの想いを持っている。
お兄ちゃん役も十全にこなせなかった己としては、せめて応援するくらいだ。
――本当にみっともない話ですけれど、セトとティスを頼みます、師匠さん。
その想いを込めて、観客席でセトを見守るツカサに頭を下げるシリス。
驚いた事に、即反応してツカサも頭を下げてきた。
しかしシリスの「魔眼」で見る限り、ツカサの魔力に僅かな乱れが生まれている。
「師匠さん、目がいいんだねセト」
「……師匠は耳もいいんだよ、シリス」
幼いはずのセトの顔が、今はまだ男の子のはずのセトの顔が、駆け引きを当たり前とする艶っぽさを俄かに帯びる。
「まさか……今の会話、全部聴こえていたのかな、師匠さんは」
「そうじゃないと困るよ。聞かせてたんだから」
そう言ってにっこりと無邪気に微笑むセトに、初めてシリスは本当に戦慄した。
女って怖い。
いやセトは女じゃない。
恋する存在はすごく怖い。
子供だの大人だの、一切合切関係ない。
自分は影から応援に徹しようとシリスは決めた。
もう一度ツカサの方に「魔眼」を向けると、その魔力は盛大に乱れていた。
――ご愁傷様。
まさか自分が「絶対不敗」にこんな感情を持つとは、ついさっきまでは思いもよらなかったシリスである。
これで「序列戦」はすべて終了し、残すは「模擬戦」のみ。
肩の荷を下ろしたシリスは、純粋にそれを楽しみだと思えた。
次話 不敗の証明
1/23投稿予定です。
出来れば日曜日に二話投稿したいと思っております。
もう少しお付き合いいただければ嬉しいです。




