第06話 セトとティス
セトは今から十二年前、ジアス教に所属する「魔法遣い」の父と母の長男としてこの世に生を受けた。
その二年後に、長女としてティスが生まれている。
教皇庁の存在する聖シーズ王国、その治外法権宗教都市「イェルカルラ」に家を構える事が可能な、経済的には充分以上に恵まれた家庭であった。
この世界において「魔法遣い」は貴重な戦力である。
その上「魔法」は神の奇跡を借りていると看做されている事で「魔法遣い」の社会的な地位は高く、それに見合った収入も保証されている。
その分魔物による問題が発生した際には、命をかけねばならないが。
だがセトとティスの両親は「聖女」が複数人降誕し、いずれ現れるはずの勇者を待ちながら「大いなる災厄」と対峙しなければならない時代に、「魔法遣い」として在れる自分達に誇りを持っていた。
両親共に「十三使徒」に名を連ねるには至らぬまでも、ジアス教が束ねる魔法遣いの中では「十三使徒」に次ぐ戦力である「魔法兵団」に所属していた。
その中でも重要な「戦力」と看做されていた、優秀な「魔法遣い」
それがセトとティスの両親である。
父は治癒系と防御結界系を得意とし、魔法兵団では「守りの要」として信頼を集めていた神聖術の遣い手。
母は攻撃系魔法だけであれば「十三使徒」にも並ぶと言われた、炎系魔法の遣い手。
若かりし頃から、二人セットで「聖なる焔」の「通名」を持っていたとセトは聞いている。
セトと同時にティスが一足飛びに「十三使徒」入りするまでは、史上最年少で「魔法兵団」に抜擢された現在の第二席であるシリスの師匠が二人の母であり、その縁で幼少時から兄妹はシリスと歳の離れた兄妹のようにして育った。
だがセトが五歳、ティスが三歳の時に、二人に悲劇が降りかかる。
優しく、優秀な魔法遣いであった両親が揃って命を落としたのだ。
「姫巫女」――クリスティナの初陣である、ヴェイン王国近郊に湧出した巨大魔物の討伐。
その困難な戦いに「十三使徒」と共に出陣し、多くの「魔法遣い」達の命を救った事と引き換えに、自分たちは幼い兄妹を残して還らぬ人となった。
それはまだ幼い兄妹にとって悲劇であったことは間違いないが、そこから悲惨な暮らしに陥った訳ではない。
両親は世界を護るために戦って命を落としたため、ジアス教はもちろん、護られた当事国であったヴェイン王国からも生活には全く困らないくらいの保証金が出された。
後に「十三使徒」となったセトの任地がヴェイン王国であったことは、その縁とは無関係では無い。
セトは両親が護った王国を、己の手でも護る事を望んだのだ。
その結果、「絶対不敗」と出逢う事ができたのは、あるいは両親の導きであったのかもしれない。
元々「魔導兵団」での人望も厚く、兄妹の両親が命を落とした戦場で命を救われた「魔法遣い」も多かったことから、二人の後ろ盾になろうという者はいくらでも居いた。
何よりも、その頃には齢十八の若さにして末席とはいえ「十三使徒」の一員となったシリスが兄妹の後見人となり、両親を失った悲しみと寂しさはあっても、生活に困るようなことは一切無かった。
両親が居ないことを除けば、充分な教育を受け、何不自由ない暮らしを継続する事ができた。
セトにとって少々残念であったのは、自分に尊敬する両親や頼りになる兄貴分であるシリスのような「魔法遣い」としての才能が無かった事くらいである。
無償でジアス教が配布している「魔法指南書」に頼る必要はなく、ほぼ全ての世界中の「魔法遣い」を管理しているジアス教の教皇庁にあっては、その才能の有無を調べるのは容易い。
もとより優秀な「魔法遣い」を両親に持つセトとティスはその才能を継いでいる事を当然の如く期待され、セトは両親を失った時点で「魔力の有無」や、伝承される儀式による「魔法」の習得を試された。
残念ながらセトの場合、伝承儀式で「魔法」を習得することは出来るのだが、「魔力」を全く持っていなかった。
最初から無いものは鍛えようも無い。
どんな「魔法術式」でもあっという間に習得できるにも関わらず、魔力を持たないために発動させる事ができない。
その時点で「魔法の天才」と看做されていたシリスを上回る習得速度や、「禁呪」ですら問題としないその才能は惜しまれたが、発動できなければ意味が無い。
「魔石」による発動も試されたが、元々「己の魔力」を持たないセトに「魔石」の魔力を注いだところでそれは霧散するだけで意味は無かった。
もちろんそれはセトにとって、残念なことではあった。
だがなにも絶望するような事でもない。
元々「魔法遣い」の能力は一代限りのものがほとんどで、親子二代が続いて「魔法遣い」である事のほうが稀だ。
各国王家のような「特殊な血筋」は例外として、基本的に「魔法遣い」の力は血に連なるものでは無い。
故にセトが必要以上に落胆する事も、またされることもなかったのだ。
幸いにしてセトは「魔法習得」の際にも見せたように、一般的な意味においての「天才」であり、ジアス教は「魔法遣い」ではなくとも優秀な人材は必要としている。
将来の「枢機卿」、あるいは「教皇」を目標として聖職者としての勉強を積むことに、セトはとくに不満を持っていなかった。
二年後に行われる「試験」で、妹に「魔法遣い」としての才能があって欲しいような気もするし、自分と同じように無いほうが平和に暮らせるのではという、少し複雑な思いがあっただけだ。
男の自分ならばともかく女の子のティスには無いほうがいいよね、というのがセトに「魔力」が無いことを我が事のように残念がってくれたシリスとの結論ではあった。
「魔法遣い」は誇りある仕事であり両親の意志を継ぎたくもあるが、その両親がその責務に殉じて命を落としたように、危険な仕事である事もまた事実であったから。
セトの魔法の才能が歪なものであり、「魔法遣い」にはなれない事を知った後も、シリスの態度は何も変わらなかった。
「魔法遣い」の才能を偉大な両親から継がなかった事に、心無い言葉を投げかけるものは少数ながらいた。
それは救いがたいことに、「魔法遣い」と言う己を「選ばれた者」と自ら任ずる者達にこそ多かったのだ。
口にして言った事は無いけれど、このときシリスの態度が全く変わらなかったことを、今でもセトは心から感謝している。
もしそれが無ければ、自分はもう少し歪んでいたかもしれないと思うから。
だがそれから間もなく、二年後の「試験」を待たずして妹は兄と、ある意味鏡写しのように歪んだ「魔法遣い」の才能を持っていることが判明する。
それは「魔眼」というユニークスキルを持つシリスが、ティスに膨大な魔力が宿り始めている事を、ティスが四歳の時点で把握したからだ。
だが妹は兄と違って、どのような儀式を経ようが「魔法」を覚える事が一切出来なかった。
兄は「魔法」は習得できるが、それを発動させるための「魔力」を持たず。
妹は膨大な「魔力」を持っていても、それを行使するための「魔法」を習得できない。
当然この時点に「絶対不敗」はまだ存在せず、故にどのような形であっても人間同士での「魔力」のやり取りは不可能だという事は、「魔法遣い」としての常識であった。
二人の力を合わせることが出来れば。
あるいはどちらかにその才能が集中していれば。
「稀代の魔法遣い」が誕生していたかもしれない可能性に、臍を噛んでみたところで如何ともし難い。
――はずだった。
だが世に伝う一切の魔法を習得できないティスが魔力が宿ると同時に使えるようになっていたある異能。
ユニーク魔法とでもいうべき存在が、当時の「魔法の常識」を根底から覆す事になる。
『おにーちゃん! おなかすいたからはやくかえってきてね!』
はじめて妹のその声が、家とは遠く離れた神学校で脳内に響いた時、セトはあまりの驚愕に椅子からひっくり返った。
その頃すでに「教皇庁の神童」と呼ばれ、その整った容姿と六歳という歳に似つかわしくない落ち着きを得ていたセトが派手にひっくり転んだ事で、学友達はおろか教師達も大いに動揺した。
彼らにとってみれば、授業中に突然セトがひっくり返ったとしか見えなかったとあれば当然だ。
何か悪い病気かもと心配されても仕方が無い。
だが聡いセトはその学友達や教師の様子で、そのとき自分の脳内に響いた声が、自分にしか聞こえていない事を把握し、自分も脳内で返事をした。
『もしかしてティスか?』
『そうだよおにーちゃん。おなかすいたー』
なんでもないことのように、己の選択した思考だけを任意の相手に飛ばし、その相手が自分に向けた思考だけを読み取るその異能に、セトは最初に声が脳内に響いた時以上に驚愕した。
体調を気にする教師や学友達に適当な理由を述べて新学校を早退し、その足で当時のセトが最も頼りにしていたシリスのところへかっとんでいった。
その頃既に「十三使徒」として活躍し、個人の執務室も与えられていたシリスは、幸いその時己の執務室に居てくれた。
常のセトであれば考えられない、ノックもせずに扉を明けて入ってくるセト。
それを流石に窘めようと読んでいた書籍から視線をあげた時、まだセトが何も言っていないにも関わらずシリスもまた驚愕する事になった。
「シリス兄さん、信じられないかもしれないけど聞いてください。今僕の頭にティスの声が……」
セトも充分に驚いていたのだが、自分以上に沈着冷静、常に落ち着いた表情を崩さないシリス。
その頼りになる兄貴分が、初めて見せる掛け値なしの驚愕の表情にセトの言葉がとまる。
「……シリス兄さん?」
驚愕を押し殺すように読んでいた本を閉じ、ゆっくりと立ち上がって常にかけている眼鏡を外す。
――たしか眼鏡って、シリス兄さんの「魔眼」を抑えるための魔道具だったはずじゃ……
困惑するセトの目の前で、裸眼でもう一度セトも見つめた後、自身を落ち着けるように深呼吸をする。
「――何が起こったんだい、セト。僕の「魔眼」には、今の君はティスと変わらないくらいの「魔力」を宿しているようにしか見えない。眼鏡越しでもそれとわかるくらいのね。昨日食事していたときはそんなことは無かった。何が起こっているんだ一体」
セトに本来「魔力」が無いこともあるが、よしんば「魔力」の器があったところでこれだけの魔力が一晩で充填されることなどありえない。
少なくとも、今までの常識であれば。
「多分、僕が今報告しようとした事に関係があると思います。――今、僕の頭の中にはティスが居るんです」
『ティス?』
『はーい?』
念のために話しかけてみたら、即座に返事があった。
間違いなく今も居る。
シリスはセトが何を言っているかがわからなかっただろうが、セトも自分が何を言っているのか正しくは理解できては居なかった。
ただ、そういう表現しか出来なかったのだ。
ツカサとは違い、「念話」や「精神感応」と言う概念を知るわけでもない。
電話による遠距離で声を伝える手段さえ無い世界で、脳内に響く声を表現するにはそう言うしかなかったのだ。
「……じゃあ、ティスの身体は今どうなってるんだ?」
最もな疑問をシリスから受けて、セトの思考が一瞬止まる。
想定外の状況過ぎて、いろんなことに考えが回っていない。
「家に……」
そう思った瞬間、無意識に五歳のころ散々覚えた無数の魔法の一つ――ジアス教に属する多くの「魔法遣い」の中でも使いこなせる者がほとんど存在しない「転移」を起動して、反射的に思い浮かべた自分の家に跳んだ。
コマ落としのように目に映る景色が切り替わり、目の前にびっくりしたような表情でティスが立っていた。
間違いなく自分の住む家、そのリビングだった。
「お、おかえりなさい、おにーちゃん」
「……ただいま」
今度は脳内ではなく、困惑しながらも普通に声に出して話しかける妹に、呆然と答えるセト。
これが「魔法遣い」を諦めていたセトが、初めて「魔法」を行使した時となった。
「あ、シリスおにーちゃん、いらっしゃいませ!」
セトに一瞬だけ遅れて同じく「転移」で追ってきたシリスが、消しきれない驚愕を浮かべたまま兄妹に話しかける。
「お邪魔しますティス。……セト、状況を説明してくれるかい?」
「僕だって、良くわかってないけどね」
「?」
無邪気に首を傾げ、おなかがすいたと騒ぎ始めるティスを宥めながらセトとシリスは検証を始めた。
その結果わかったことは以下の通り。
ティスはセトに対してのみ非接触で意思疎通が可能であり、その状況下では二人の「魔力」は完全に共有されているという事。
だがその状況下においても、ティスはその意思疎通の異能以外の「魔法」は一切使えないこと。
それが可能な距離は、少なくとも「ヤァルラ」全域程度は問題ないという事。
兄妹は、二人で一人の「稀代の魔法遣い」であったのだ。
だがティスの異能はそれに留まらない力を持っていた。
兄以外であっても、体の一部が接触していればいわば「念話」での意思疎通が可能な事。
だがこれはそれのみではさして意味を成さない。
内緒話に便利だと言う程度だ。
だが魔力が己の容量以下になっている「魔法遣い」――この場合シリスが、ティスに触れられている間、「魔力充填」の大原則であったはずの「祈り」も「魔石」も介さずに「魔力」が充填されていくことが解ったのだ。
それは非接触でのセトも同じ事であった。
そして何よりも重大な事。
それは供給元であるティスの魔力がまるで減少しない事だ。
シリスの魔眼を持ってはじめて理解できる、世界に溢れる波長の合わない筈のあらゆる魔力を吸収し、それを対象の魔力波長に変えて供給している。
これまで数百年、あるいは数千年かけて積み上げられてきたジアス教の「魔法理論」が、根底から崩れた瞬間であった。
シリスの魔眼を持ってしなくては、この時何が起こっているのかを正確に把握するのにもっと時間を要したことは疑い得ない。
だが魔力の流れを追えるシリスの「魔眼」が存在した事で、兄妹の、とくに妹の異能は大筋が解明された。
俄かには信じがたい、だが厳然たるこの事実が、この時点からほとんど時を置かずにセトとティスを「十三使徒」の一員となさしめる事になる。
そこから二年間は、「十三使徒」の一員として忙しくはあるが平和な日々が続く事になった。
ティスが「眠り姫」となる事件が起こるまでは。
次話 異能の暴走
1/12 23:00頃投稿予定です。
次話で今のセトとティスの状況を詳らかにできると思います。
読んでくださると嬉しいです。




