第04話 眠り姫
ヴェイン王国の使節団は、思惑通り受け入れ準備をしていたジアス教に属する人間全ての度肝を抜く事に成功していた。
それは「結婚式」で「絶対不敗」をある程度理解していると思っていた、教皇をはじめとした重鎮達も例外ではない。
「絶対不敗」の力、勇者と聖女、八大竜王、ヴェインという大国の国力。
それら全てを加味して緻密に練り上げられていたであろう、晩餐会を経て翌日に開催される予定になっている「公会議」における駆け引きの準備は、全て水泡に帰した。
駆け引きそのものが無意味化したといってもいいだろう。
とんでもない規模の「空中都市」と九つの浮遊島、それに付き従うかのごとき八大竜王と共にカナン丘陵上空に現れた「絶対不敗」率いるヴェインの使節団は、出迎えに出ていた教皇の前に即座に「転移」で移動した。
世界の「魔法遣い」を統べているはずの教皇庁側がなんの動きも取れずにいる中、まず教皇を含む重鎮達を「空中都市」――一番巨大な浮遊島へ迎え入れ、あろうことかその後その場に存在した約一万の「歓迎隊」全ても迎え入れて見せた。
事も無げに。
「空中都市」に備え付けられた巨大な「転移」用魔法陣がそれを可能にした。
そして使節団の公式な代表者――今はまだヴェイン王国第二王女であるサラ――が、なんでも無いことのように今ジアス教の関係者全てを迎え入れたこの「空中都市」が、ヴェイン王国からジアス教教皇庁への「贈り物」だと教皇へ伝えたのだ。
引渡しの書類一式と、制御用の「魔石」が組み込まれた杖――教皇紋章のあしらわれた豪華なものだ――をその場で譲渡し、一連の操作の説明まで行った。
本来であれば不敬とも言われかねないその行為も、操作杖によって己の意志どおりに動く「空中都市」に子供のようにはしゃぐ教皇と、目を白黒させる重鎮達に指摘する余裕も、つもりも無かった。
もっとも「不敬だ」と咎めたところで、では誰が罰するのだという話になる。
これだけのものを、ぽんと「贈り物」に出来てしまえる相手に対して。
「空中都市」そのものがトロイの木馬であると疑う事も無意味な事だ。
例えばこの「空中都市」を兵器として運用され、攻め込まれていたらどうか。
ジアス教には、正しく為す術が無い。
八大竜王が殺到するだけで、小一時間もあれば殲滅されることは疑い得ないだろう。
事実、ヴェインの使節団が現れた際、ジアス教が誇る「十三使徒」をはじめとした数百名の「魔法遣い」は何一つ対応する事ができなかったのだ。
何か仕掛けられていたとしても、在り難く受け取るしかない。
まさか「要りません」と返す訳にもいくまいし。
――これでジアス教の全ての人間が、立場を理解してくれればいいのだが。
長い間「偉い」立場に慣れすぎたジアス教の重鎮達が、彼我の力の差を考えずに振舞ってしまうことが、少々恐ろしい教皇である。
――まああのカザン大司教が、「絶対不敗」殿に関わって以降はまるで別人のようだし心配は要らぬか。
権威主義の権化のようであったカザン大司教は、今や憑き物が落ちたかのように穏やかな一老聖職者となってしまっている。
カザン大司教ですらそうなのだから、心配は杞憂といっていいだろう。
ヴェイン王国が、いや「絶対不敗」がその気になれば、世界最大の宗教であろうが、歴史ある大国であろうが消し飛ばされる。
それが例えなどではなく、まさにそのままの事実である事を教皇は知りはしない。
だが思う。
――そうでないことを感謝するべきなのだ。
「結婚式」の際に充分理解していたつもりだったが、まだまだ甘かったと自戒するするしかない。
教皇としてはまだ年若い第266代教皇アルベルトゥスは、宝物のように制御杖を抱えながら考える。
これはいよいよ、今夜の「晩餐会」で何とかしなければならないと。
もはや駆け引きだの何だのを弄すべき相手ではないのだ、「絶対不敗」は。
ジアス教が信奉する「神の力」が、「絶対不敗」に宿っている。
教義の上では「最高位聖職者」である己――「教皇」の上に位置する「勇者と聖女」すらも従っているのだ。
そうであればジアス教は、ただただその存在に従う事こそが正しい。
――「絶対不敗」殿との絶対的な繋がりが必要だ。
教義の上では単純でも、現実を生きる自分たちはそうも行かない。
「力」はあらゆるものに兌換され、その恩恵を受けて人々は現実を生きるのだ。
「絶対不敗」に宿る力はその持ち主の尾を踏まぬことは当然として、できるだけ上手く運用しなければならない。
そういう意味では大国ヴェインの王であり、今や「絶対不敗」の義父であるアルトリウス三世は信用に足る人物だと教皇は見ている。
ある程度の利益優先は主張しても、独占しようなどという馬鹿なことを考える俗物では無いだろう。
いや主張せずとも、今後世界の中心はヴェイン王国にならざるを得ない。
「絶対不敗」が居る、そこが世界の中心となるのだ。
第一夫人も、来年には生まれる第二夫人もヴェインの王族とあっては、もはやひっくり返せる余地など無い。
国益など黙っていてもいくらでも生まれるだろう。
逆にヴェインに利益が集中し過ぎないよう、アルトリウス三世が心を砕く必要さえ出てくるかもしれない。
――「絶対不敗」殿が提唱したという「王権神授」を軸に、政教分離を我々ジアス教が先導する形になってもよいから、「世界会議」とでも言うべきものを成立させる必要があるかも知れぬ。
「絶対不敗」が存在する事を前提とした世界の廻し方を構築する必要があると、教皇は強く感じていた。
それは間違いなくアルトリウス三世も同様で、手っ取り早くその結論へと至らせるために「空中都市」などと言う途方も無いものを「贈り物」としてきたのだろう。
ヴェイン以外の各国と比べれば、結婚式を取り仕切った自分自身を含めて、聖女であるアリアや勇者の不興を買って「絶対不敗」にフォローをしてもらっていたクルト・コッホ枢機卿がいる分有利ではある。
何よりも「絶対不敗の一番弟子」としてセトが居る。
――だが足りない。子を生せる女性での繋がりが必須だ。
幸いにして聖女であるアリアが居るし、セトの妹である「眠り姫」も居る。
セトから「十三使徒」の序列戦と、その結果次第での第一席と第二席の婚約白紙化が申請されている。
第二席には悪いと思いつつも、教皇にとっては願ったりだった。
使節団のホスト役を任せていたその第二席と、補佐役を命じられている「十三使徒」の面々も、大人しくホスト役に徹している。
己の実力に自信を持っている「十三使徒」達であるからこそ、圧倒的な力を見せられれば素直に従う姿勢を見せもするのだろう。
敵であればその限りでは無いのであろうが、「絶対不敗」は「人類」の味方だ。
少なくとも今のところは。
思うところが無いはずの無い第二席であっても、詰まらぬ矜持や嫉視ではなく、正しく「絶対不敗」をみているのだろう。
第三席との決着はまた別の話であるにしても、第二席が本当に第三席と「眠り姫」の兄妹を大切に思っている事は、近しい人間であれば誰でも知っている。
「眠り姫」の目を覚まさせる為、第三席と共にできることは全てやっているという事も。
教皇が知る限り、聡い少年であった第三席が即断で「絶対不敗」への弟子入りを決めてしまった理由。
今でこそ「英断」と持て囃されているが、当初は非難の対象となることを第三席が理解できていなかったとは思えない。
「眠り姫」の保護をしている教皇庁との軋轢を本来の第三席は望まない。
それを盾にしたことこそ無いが、その可能性を第三席が考えていない訳が無いのだ。
――つまり「絶対不敗」殿に、「眠り姫」を起こせる可能性を見出しているという訳だ。
それしかありえない。
だからこその「序列戦と白紙化」の申請だろうし、今回の使節団のはずだ。
それも教皇にとっては願ったりである。
「眠り姫」でありながら「十三使徒」の第一席でもあり続けるティスの力は惜しいといえば惜しいが、「絶対不敗」との確固たる繋がりが得られるのであれば高い買い物では無い。
デモンストレーションとして八大竜王が交互に浴びせる息吹を弾く魔法障壁を展開させているうちに、本来であればカナン丘陵から数時間かかる距離がある教皇庁まで、ほんの十数分で到着してしまった。
教皇庁から依頼の出ていた、「魔物領域」の開放は後日に回された。
これだけのものを贈られた後に、「魔物領域」の解放までしてもらう訳にはいかないとの判断が働いた結果である。
「ついでにやってしまったほうが楽だよな?」
「師匠はそういう引かれることを、しれっと言うのやめて」
傍からもきちんと師弟に見える、「絶対不敗」と第三席の会話は、多くのものが聞こえない振りをした。
少なくとも万の単位で魔物が生息する「魔物領域」を、ついでで開放されてはたまったものではない。
「よろしいでしょうか、教皇猊下」
教皇庁到着と同時に、第三席が教皇の前で膝を折り、頭を垂れる。
「よい。申してみよ」
今や己の配下である「十三使徒」の一人としてよりも、「絶対不敗の一番弟子」としての立場が強いセトに傅かれるのは落ち着かないが、きちんと立ててくれるのは正直ありがたい。
師匠である「絶対不敗」がそうなのだから、弟子がそれに倣うのは当たり前なのかもしれないが、この師弟が力に溺れるタイプではなくて本当に良かったと思う教皇である。
「到着して早々で申し訳ないのですが、私と我が師匠とその仲間に、妹と逢う許可を頂きたく」
「それは無論かまわぬ。だが兄たるそなたは当然の事として……師匠殿はともかく、他の方々も逢う事はかまわぬのか? いや教皇庁としては何の問題もないが、そなたは……」
教皇が知る限り、第三席が「眠り姫」に逢う事を許すのは、数名の世話役である専属侍女を除けば、教皇である自分と数名の枢機卿、それ以外は第二席だけだったはずだ。
力を貸してもらうつもりであろう「絶対不敗」はともかくとして、いかに「姫巫女」や「第二王女」とその筆頭侍女とはいえ、第三席が「眠り姫」に逢う事を認めるのは少々意外に感じる。
「師匠の仲間は、私の仲間なのです教皇猊下。ですから何の問題もありません」
ちょっと照れたような、今までみた事のない表情で第三席が答える。
嬉しそうにも、ちょっと自慢げにも見える、「十三使徒の第三席」ではない、少年セトとしての表情に見える。
「……そうか。では許す。久しぶりに逢ってくるとよい」
――そうか、いい出逢いであったのだな。
利害関係ももちろんあるのだろう。
それも相手が「絶対不敗」であれば、自分が相手に与えられるものと、相手が自分に与えてくれるものには大きな差が生まれてしまうはずだ。
それでもあんな顔が出来るような、ちゃんと「仲間」同士である事を教皇は嬉しく感じだ。
権謀術数の只中を生きる場所としている己としては、我ながららしくない事だと思いながらも。
「ありがとうございます。……行こう、師匠、みんな」
少年セトが信頼するみんな。
今やこの世界の中心人物といっても過言ではない「絶対不敗」が、街で教皇である自分に笑顔を向けてくれる、普通の青年と何も変わらない様子で会釈して、セトに手を引っ張られてゆく。
この世界を護る三聖女の一人であり、大国ヴェインの第一王王女でもあったクリスティナが教皇に正式なジアス式の挨拶をして、最愛の夫の後ろをくすくす笑いながらついてゆく。
公的にはこの使節団の代表である第二王女サラと、その筆頭侍女であるセシルがヴェイン式の挨拶をして、三人の後に続く。
絵になる仲間達だ、と教皇は思う。
後世で間違いなく英雄譚、あるいは神話の一幕として語られる場に自分はいるのかもしれないなとも。
願わくばあの仲間達に、「眠り姫」が加わってくれればいい。
可能であれば、ジアス教に尽くしてくれている聖女アリアも。
ジアス教が重荷を背負わせてしまっている、なぜか今回の使節団からは外れている「勇者と聖女」も。
人の身には過ぎた力を持ち、同時にその責任も背負わされている者達ほど、「絶対不敗」の仲間に入れてもらったほうが幸せになれるのかも知れない。
自分たちのような、今現在「世界の指導者」と目されている立場にいる者達は、その邪魔をしないことを心がけておけば良いのかもな、と思う。
「……頼みますよ、「絶対不敗」殿」
ホスト役として教皇の脇に立つ、第二席が思わずというように言葉を零す。
第二席もセトと同じように、「絶対不敗」が「眠り姫」の目を覚まさせてくれる事を期待している。
――神に祈る事が仕事の私が、神ならぬ「魔法遣い」殿に祈るのは間違いかも知れぬが……
「頼みます、「絶対不敗」殿」
教皇も第二席と同じように、声に出してつぶやいた。
それがきこえた第二席が、驚いたようにこちらをみている。
――ふむ、やはりらしくないかね?
だが、自分もできればあの仲のよかった兄妹がもう一度一緒に笑っているところがみたい。
頭がよく、よく気が回るせいで「十三使徒」としての責務以上を抱え込んで自分を助けてくれている第二席が、心の底から笑っているところをもう一度みたい。
――嫁探しは一からやり直しになるがな。
それはジアス教をあげて協力してやればよい。
いやそれは余計なお世話か。
どうあれ、圧倒的な力を持った存在がこの世界に現れたのであれば、その結果は全て幸福な結末へ向かえばよいと教皇は思う。
そのために自分が出来ることはやろうとも。
――姫巫女の次は、大きすぎる力を持ってしまった兄妹と、その兄貴役を助けてやってくれ。
「転移」で跳ぶ、「絶対不敗と仲間達」を見送りながら、教皇は生まれて初めて、神以外の存在に祈りを捧げた。
「この世界の魔法遣いは男前しか居ないのか? 居ないってのか? 例外は俺だけか? あぁ?」
第二席を見た、ツカサの感想である。
教皇庁の最奥、セトの妹が眠り続ける部屋へ続く廊下を歩きながら、ツカサが毒を吐いている。
教皇や第二席から警戒されつつも大きな期待を寄せられている「絶対不敗の魔法遣い」は、精神的に既に敗北を喫していた。
主に見た目の問題で。
「ツカサ様はかっこいいですよ」
「ええ、失礼ながら第二席様とは比べものになりません」
客観性の欠片も無い、恋する女性の主観でのみ語るサラとセシルの二人が、より深くツカサにダメージを加えてゆく。
そのことを知っているセトは黙して語らない。
「これからは「男前」の基準がツカサ様になっていくと思いますよ?」
力あるものが美醜の基準さえも決める。
クリスティナの言いようはある意味正しいが、本質的に何のフォローにもなっていないどころかある意味一刀両断しているとも言える。
クリスティナの主観がツカサをどう思っているかなど今更確認するまでも無いが、現時点の客観的な基準でみれば「ツカサが例外」と認めているようなものだ。
まあ蓼食う虫も好き好きというし、好きな女性に好かれているくせに顔の美醜を気にするツカサが小さいといえる。
「まあ自分以外が美男美女ばかりだと気が滅入るのは仕方がありません。我が主のフォローを宜しくお願いします」
ツカサの左肩に載るタマが追い討ちをかけ、おそらく能力管轄担当に義眼表示でフォローされたのであろう、ツカサががっくりと膝をつく。
女性陣は時にフォローこそが最もダメージを与える事を知るべきだと、一応今は男陣営であるセトは無言のままに思う。
もうすぐ妹が眠る部屋だ。
自分の存在に反応して、十重二十重にかけられた封印結界は自動的に解放される。
今歩んでいる廊下とて、あらゆる結界がしかけられており、許可されたものと一緒でなければ一歩も進む事など出来ないようになっている。
――まあ師匠とクリスティナ様には関係ないだろうけどね。
この二人は必要とあれば、セトやシリスが幾重にもかけた結界などまるで無いもののように突破するだろう。
実際ツカサは「姫巫女」の神殿にかけられた結界を意識すらせずに全て割り砕いて、嬉々として愛するクリスティナが全裸で待つ「泉の間」へ毎回跳んでいた。
言ってしまえば殺されるために。
――どう考えても変態の二人だよね。
だけど憧れもする。
時に悩んだり苦しんだりはしていたけれど、師匠が諦めそうになっていた記憶はセトには無い。
自分やサラ、セシルが揃ってお風呂で説教した時を除いて、師匠はいつもふざけたことを言いながら真剣にクリスティナの解放に挑んでいた。
だから初めて自分の妹に逢うに際して、共に何度も繰り返した仲間達がいつも通りであるというのは心強い。
みんなわざとそうしてくれている。
それくらいは理解できているセトである。
「落ち込んでるところ悪いけど着いたよ、師匠」
大きな扉の前で歩を止めて振り返る。
「おう。俺にできる事なら何でもやるぞ。それはクリスティーナにしても、サラにしても、セシルさんにしても同じだ。――まずは妹さんに逢わせてくれ」
セトは一番欲しい言葉を一番欲しいタイミングでくれる師匠が好きだ。
ずっと「一番弟子」で居たいと思うくらいに。
でももう、いつまでも妹の時間を奪い続けるわけにも行かないとも思う。
既に四年間も妹は「眠り姫」のままだ。
妹の時間も眠り続けている身体も――心も返さなければならない。
その結果今のセトがどうなったとしても。
「うん逢ってやって、師匠。クリスティナさん。サラ。セシルさん。僕の自慢の妹に。もう四年も寝たきりだけど、みんなに負けないくらい綺麗でいい娘なんだ」
自分で言っていて照れはするけれど嘘を言っているわけではない。
最後の結界が解除され大きな扉が開く。
その部屋は白一色で家具も何もなく。
その中央に光に包まれた、セトに良く似た綺麗な女の子――ティスの身体が浮かんでいた。
次話 第一席の異能
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