第03話 恭順の日
国としては小国である、聖シーズ中央王国。
海に接した領土を持たない、森林と湖が多く存在する美しく平和な国である。
小国でありながらもその国内にジアス教の教皇庁が存在することで、「世界で一番安全な国」と称されている。
事実、過去幾度も発生している人同士の争い――「戦争」に巻き込まれた事実は、建国以降一度もその歴史に記されていない
世界中で信仰されている最大宗教に喧嘩を売るような国家は、歴史上も存在しなかったのだ。
――今までは、な。
戦争という形ではないだけで、今ジアス教は初めて喧嘩を売られているとシリスは感じている。
年の頃は二十代半ば、灰色の髪と瞳を持つ、理知的で落ち着いた青年である。
その目にかけられている銀縁の眼鏡がそのイメージを強化しているのだろう。
ジアス教が誇る最強魔法遣い集団、「十三使徒」の第二席。
第一席が眠りから目覚めないため、第二席が事実上「十三使徒」のトップを務めている。
ヴェイン王国からの外交使節団を待つために指定された場所である、ここカナン丘陵には現在教皇庁のほぼ全勢力が動員されている。
教皇庁にこれだけ重要人物が不在なのはシリスが知る限り初めてだ。
大国とはいえ一国家の使節団を待つために教皇本人が「待ち合わせ場所」まで出向き、共に教皇庁入りするなど聞いた事もない。
世界中を騒がせた「結婚式」に出席した教皇をはじめとしたジアス教の重鎮達は、この前代未聞の特別扱いをさも当然といった態度を崩さない。
情報でしかツカサを知らぬシリスにはどうにもそれが腹立たしい。
歴史あるジアス教の教皇ともあろうものが、いかに強大な力を持つとはいえ一魔法遣いに傅くかのような態度であることが、正直気にくわない。
――どうせハッタリ効かして、「転移」ででも現れるつもりなのだろうけれど……
世界中の魔法遣いをほぼ一手に取りまとめているジアス教とはいえ、その絶対数の少なさから「魔法」を目の当たりにする機会は少ない。
聖術とされる「癒し」の類は目にすることが多くても、「転移」や「浮遊」、「飛翔」などと言った、いわゆる如何にも「魔法」然としたレベルの物を使いこなせるのは「十三使徒」を除けば数名しかいない。
攻撃系の「魔法」に至っては、ジアス教の教義が妄りに使用することを固く禁じているので、「魔法遣い」本人が使える機会に喜びを感じるくらいなのだ。
ジアス教の中枢である教皇庁に勤める者達であっても、発動する「魔法」を目にする機会は本当に少ないのが現実なのだ。
そんな連中の前で、「浮遊」で空中に浮かびながら「転移」で現れれば、充分にハッタリになる。
「絶対不敗」とやらは、魔力量は圧倒的だったセトが自ら弟子入りしたくらいだ。
複数人を同時に「転移」させるくらいの魔力は知れたものなのだろう。
それだって十分眉唾物の話ではあるのだが。
敬虔なジアス教信徒でもあるシリスにとって、「祈り」を経ずに「魔力」が回復するなど俄かには信じがたい。
「魔法」とは人々の危機に際してのみ使われるべき、神から借りている力なのだ。
人が楽をするために、便利な暮らしをするために神が力を貸してくれるなどとは信じられない。
――その奇跡は、あの娘にのみ赦されたものだ。
今この瞬間、ヴェイン王国においては土木工事に有効活用され、あまつさえその様子を花火大会の如くイベントとして利用しているとは夢にも思えないシリスである。
――まあいい。
教皇が「可能な限りの歓待を」と勅令を出したおかげで、この地には第一席と第三席を除いた「十三使徒」全員が揃っている。
教皇庁付の「魔法遣い」総勢384人も、そのすべてがここで「絶対不敗」とやらがどの程度のものか見極めてやろうと待ち構えている。
――一般人には通じても、「本物の魔法遣い」たる我々にはハッタリは通じない。
シリスにとって幸いなことに、「魔法遣い」同士の方がはなしやすかろうという事で今回ヴェインの使節団のホスト役はシリスが指名されている。
補佐には「十三使徒」第四席から第十三席まで全員を当てている。
日頃は何かと足の引っ張り合いの絶えない「十三使徒」も、「絶対不敗」には興味津々のようで素直に協力してくれている。
どうやってあの気難しいセトを手懐け、八大竜王に気に入られたのかは知らないが、「絶対不敗」がどれほどのものか見てやろう。
シリスをはじめとした「十三使徒」達の本心はそんなところだ。
とうとう現れた「勇者」本人が「絶対不敗」を自分の主人と見做しているという話は聞いている。
八大竜王と盟約を結び、事実上「人類」の味方につけたという話しも事実確認が取れている。
だからと言って「一般人」達の様に、シリス等「十三使徒」は恐れ入ったりはしない。
結局「伝説」などというものはその程度なのだ。
聖女たちの実力は知っているが、八大竜王は所詮自分達が今まで討ち果たしてきた「魔獣」の親玉に過ぎず、「勇者」は聖女を御する役どころであって、戦闘能力はさほど無いのだろう。
倒したと言われる「姫巫女」は「絶対不敗」に惚れて結婚までしている。
尋常な勝負であったと信じろと言うほうが無理だ。
「絶対不敗」が稀代の「魔法遣い」であることは確かだろう。
あるいは一対一では自分たち「十三使徒」の誰も適わないのかも知れない。
それは「第三席」であるセトを下し、弟子にしている事からもそう思っておいたほうが無難だ。
だがしかし。
ただ「強大な力」を持っただけの個人が、ジアス教という数千年の歴史を誇る組織に勝るとは思えない。
どれほどの個の力を持った存在であっても、社会から逸脱しては生きてなどいけるはずもない。
極端な話、卑怯だなんだといわれても今此処に集っている「十三使徒」の全員と、384名の本物の「魔法遣い」が一斉に攻撃を仕掛ければ、「絶対不敗」の「通名」が大袈裟なものであったと証明できると思っているのだ。
「シーリースー。もうそろそろ時間なんじゃないのぉ?」
「十三使徒」でティス以外に存在する二人の女性、その一方であるファウラが間延びした、だがどこか艶を感じさせる声で聞いてくる。
抜群のプロポーションを誇る亜人の美女である。
建前はともかく、実際は人間至上主義が横行しているジアス教において、亜人の身でありながら「十三使徒」に数えられているからには「魔法」の実力は折り紙つきで、第七席を務めている。
銀髪に赤い瞳、艶やかな褐色の肌。
どう見ても二十代半ばの色っぽい美人にしか見えないが、長命種の亜人のため本当の年齢はわからない。
歳を尋ねた男はその笑顔で殺されるといわれている。
「そうだなファウラ。時間通りに、「転移」で現れるだろうと見ている。おそらく「浮遊」も併用していると思っておいたほうがいい。――みんな準備はいいね?」
「即目の前にワシらも跳んで、機先を制するんじゃろ。その程度造作も無い。目の前に現れよるんじゃろうから、見て跳べばよいわ」
シリスの言葉に、第四席である白髪白髭のヴァサリス老が答える。
セトとティス、シリスが「十三使徒」に列されるまでは第一席に付いていた老練の「魔法遣い」である。
「わたしゃ気がすすまないねえ。セトぼうやが懐いてるっていうんだから本物じゃあないのかい? 聖女様を嫁にするなんざ半端もんに出来るとも思えないしね。この歳になって虎の尾を踏む馬鹿な事にゃなりたく無いもんなんだけどねぇ」
女性の「十三使徒」最後の一人、どこからどう見ても年経た「魔女」そのものである、第五席のリリスリアが嫌そうに口にする。
「十三使徒」の長であるシリスの指示には従うが、言葉通り気乗りがしないのだろう。
長く生きているだけあって、勘のようなものが働いてでもいるものか。
「リリスリア様、何も我々は失礼な事をしようとしているわけではありません。現れた使節団を即座にお迎えし、対応するだけの事。よしんば「絶対不敗」が本物であるのであれば、なおの事そんな程度で腹を立てたりはしますまい」
すまし顔でシリスが答える。
「やだねえ、若い子は理屈っぽくて。理論武装さえ出来ていれば大丈夫なんて、圧倒的な力の前には無意味ってことわかってるのかね。チェス盤ひっくり返す、ひっくり返せる相手に、チェックメイトなんて戯言でしかないよ。そんなにセトのぼうやをとられた事が腹にすえかねてるのかい?」
「……そういうことではありません」
シリスの顔から表情が抜ける。
「十三使徒」の中で年若くして第一席から第三席を占めたシリスと兄妹は、確かに仲が良かった。
事実、シリスとティスは今現在もジアス教から正式な「婚約者」とされている。
今回その件に対して、第三席から白紙撤回要請が出されているのは、「十三使徒」のみなが知るところではある。
「おやおや、こっちの尻尾を先に踏んじまったかね」
「やめておけ、リリスリア。……時間だぞ」
肩をすくめる第五席を、第四席がたしなめる。
その言葉通り、ヴェイン王国が指定した「待ち合わせ時間」丁度になっている。
即座に「転移」を起動できるように、魔力を展開する「十三使徒」達。
第五席もため息を一つつくと、素直に指示に従って魔力展開を始める。
――その瞬間。
目の前の広大なカナン丘陵の上空に、「十三使徒」達をして誰も見たことも無いほど巨大な「魔法陣」が現出する。
「な……」
「十三使徒」の長であるシリスでさえ絶句するほどのそれに、他の人間が無反応でいられるわけも無い。
だがその驚愕が反応として現れるのを待たずに、事態は進行する。
最も巨大な魔法陣の下に、九つの魔法陣が並んで現れる。
最大のものと比べてこそ小さく映るそれらすらも、「十三使徒」達が己が最大の「禁呪」行使時に展開する魔法陣の数百倍はある代物だ。
優秀な「魔法遣い」であるゆえ、それが見た目だけの張りぼてではなく膨大な魔力が込められた「本物」である事が否応なく理解出来てしまう。
それら巨大な魔法陣全てか高いトーンの澄んだ音と共に砕け散ると同時、漆黒の洞の如き「大規模転移」が開き、そこから巨大な「空中都市」と浮遊島九つが、音もなくゆっくりとカナン丘陵の上空に進み出てくる。
空中に浮かぶ十を数える巨大な人工物――「空中都市」と浮遊島群の為に、この場にいる誰もの距離感がおかしくなっている。
見たことも無いスケールのものを、見慣れた景色に浮かべられると現実感が消失する。
振り切れた驚愕ゆえに言葉も無い一同の前に、今度は八つの「大規模転移」が新たに開き、そこから浮遊島と比べれば小さいとはいえ、空に浮かぶ城のような巨躯を誇る「八大竜王」が現れる。
きらめく陽光を受けて、浮遊島群から流れ落ちる滝が無数の虹を作り、その中をゆっくりと竜王達が飛ぶ。
それらを従えて、これだけは予測どおり「転移」で教皇のところへ使節団――「絶対不敗」は現れているようだ。
出鼻をくじく、などといっていた「十三使徒」は全員、声もなく最初の位置から動けずにいる。
「こいつはおどろいたね。話半分どころか、聞いてた話のほうがよっぽどかわいらしいじゃないかね。ヴァサリスの爺様、「絶対不敗」に喧嘩吹っかけてみるかね?」
「……やめておく」
「それが無難さね。度肝を抜いてくれたおかげで、尻尾を踏まなくて済んだんだ。良かったじゃないかね」
「まったくだ」
いらぬ見栄を張るでもなく、第四席が深いため息をつく。
ここにいる「十三使徒」はみな本物の「魔法遣い」だ。
「魔法」を使えるというだけではなく、魔物や時には魔獣との実戦も越えてきた、戦いを識る者達なのだ。
だからこそ理解する。
今目の前で展開されている事がどれほど規格外なことであるのか。
自分達が束になってかかっても、どうにもなら無い存在がいるのだという事を。
「そりゃセト君が弟子入りする訳だよねー。私も晩餐会の一員に入れてもらおうかなあ」
この後予定されている歓迎の晩餐会に美女が集められ、「絶対不敗」の気を惹くように画策されている事を第七席は知っている。
バカバカしいと思っていたが、今の一連を目の当たりにすれば、教皇勅命で聖女たるアリアがそのメンバーに入れられている事も理解出来てしまう。
それに女としてではなくても、一「魔法遣い」として興味がある。
「リリスリアちゃん、一緒に参加しない?」
「馬鹿お言いで無いよ、こんなしわくちゃが参加していて、ご機嫌損ねたらどう責任取るんだい。あたしゃセトの坊やにお願いして、「魔法談義」の場でも設けてもらうさね」
「それいいねー」
「十三使徒」とはいえ、女性陣は逞しいものである。
今の話には乗りたい「十三使徒」も多いだろう。
その中でシリスは呆然としていた。
つい先刻までの、自分の思い上がりが恥ずかしくはある。
だがそれ以上にシリスは歓喜していた。
セトが即弟子入りし、懐くのも理解できた。
これほどの「魔法遣い」なら、何とかしてくれるかもしれない。
つまらぬ嫉妬や、対抗心を吹き飛ばす、圧倒的な力。
その力がもたらしてくれるかも知れない希望に、すぐにでもすがりたいと思うシリスである。
はやくセトに逢いたい。
逢って話がしたい。
そう素直にシリスは思った。
ジアス教は強者に恭順するをよしとする。
今日はそれが、教皇庁に所属する全ての者に証明された日となった。
次話 眠り姫
1/9投稿予定です。
やっとセトとティスのお話に入れます。
読んでもらえたら嬉しいです。




