余話 娘婿が「絶対不敗」の場合
ヴェイン王国の中枢、王の執務室。
大国の王の執務室としては質素と言ってしまっていいだろう。
もちろん家具や調度類は超のつく一級品で揃えられてはいるものの、裕福な商人であればどれも入手可能なものばかりだ。
他国の賓客を迎える部屋にはそれ相応の物を揃えてはいるが、実務を行う空間が華美であることをアルトリウス三世は好まない。
この質実剛健と言っていい部屋で、今までアルトリウス三世はヴェインという大国の王として、いくつもの決断を下してきた。
数年前の戦争も、クリスティナ第一王女が「聖女」に列聖された時も。
この部屋で頭を抱え、時に唇をかみ、誰にも見せられぬ王の苦悩の末の「選択」をしてきた場所だ。
その部屋で今、ヴェイン王国国王アルトリウス三世は無聊を託っている。
ヴェイン王国は今現在、世界最強の国家と目されている。
目されているだけではなく、実際に嘘偽りなくそうだという事をアルトリウス三世はおもいしっている。
その世界最強国家の専制君主であるアルトリウス三世が、無聊を託つ理由。
それはヴェイン王国が最強である理由が、例えば経済力で圧倒的な力を持っているとか、国際貿易の重要拠点であるとか、軍隊が他国を圧倒しているとかそういった、いわば真っ当な国家としての評価の果てにではないことによる。
ヴェイン王国が今現在、名実ともに世界最強国家である理由はただ一つ。
アルトリウス三世の娘婿が「絶対不敗の魔法遣い」だという理由に過ぎない。
もともとヴェイン王国はアズウェル大陸における双璧と称される国の一方であり、世界中で見ても十指に入る「大国」であった。
第一王女が「聖女」――「姫巫女」に聖別されたため、世界中に影響力を持つジアス教と距離が近かった事もあり、おいそれと他国に後れを取るような国ではなかったのだ。
だが今やもう、それらはすべて過去の事だ。
アルトリウス三世が即位してから二十数年、いや知る限りにおいては数百年の長きにわたり、多少の変化はあれどほぼ固まっていた世界における「常識」は、たったここ数ヶ月で劇的に変化している。
すべてはアルトリウス三世の娘婿のおかげ、あるいはせいだ。
娘婿の名は八神司。
今や「絶対不敗の魔法遣い」とも呼ばれる、世界の中心人物である。
――確かに初めての邂逅から、度肝を抜いてはくれたがのう。
第二王女であるサラ王女の「神託夢」に従い、「強力な魔法遣い」との縁を結ぶことを優先した外遊が、アルトリウス三世とツカサの出逢いである。
その際、大国であるヴェイン王国の精鋭である近衛騎士団、その団長が率いる精鋭中の精鋭でも何ともならなかった「雷龍」八体を、鎧袖一触で始末した。
そこから先は思い返しても苦笑が漏れるレベルだ。
アルトリウス三世は自分が厳しい現実を生きていることを嫌というほど味わってきた人物ではあるが、娘婿と出逢って以降の出来事は全て、英雄譚かお伽噺の一節だとしか思えないものだ。
国王として殊更指示をしなくても、今後百年という単位で語り継がれる「伝説」に自分が立ち会っているという自覚は充分にある。
こればかりは国王も貴族も聖職者も冒険者も平民もなく、娘婿に関わった人間は全てそう感じているだろう。
自分は脇役かもしれないが、間違いなく英雄譚の主人公と関わったという事を。
一体でも手に余るはずの「雷龍」八体を鎧袖一触。
それだけであれば、例えば「十三使徒」や、「聖女」であれば可能だろう。
ただその後娘婿が次々とやったことは、自分の目で見ていながらうっかり信じられなくなりそうなことばかりだ。
ジアス教会が抱える「魔法遣い」をまるで問題にせず、それどころか「十三使徒」の第三席であるセト少年に圧勝し、弟子にしてしまった。
ここまでならまだ規格外の「古の魔法遣い」が復活したというレベルで納得できる。
その後がやはり信じがたい。
逆らう術などなく「聖女」の一人、「姫巫女」として幽閉生活を送っていた、アルトリウス三世の愛娘であるクリスティナの裸を見て「神前裁判」ときた。
普通ならそこで生涯を終えるしかない筈なのだが、あろうことか娘婿は勝利を収めてしまう。
親と娘としての交流など不可能であった、アルトリウス三世とクリスティナではある。
だが己の裸を見られて断罪するために「神前裁判」をしているはずの我が娘が、どこからどう見ても、すでにその時点で娘婿にベタ惚れだったことがどうにも解せない。
クリスティナをどうにもしてやれなかった罪滅ぼしの気持ちもあったのか、掌中の珠として大事に大事に育ててきたサラ第二王女も、どうやら娘婿に本気で恋をしているようだ。
一年後の「成人の儀」が済み次第、娘婿と姉であるクリスティナが認めてくれるのであれば、第二夫人として結婚したいと齢九歳にして「女の貌」をして、父であるアルトリウス三世に許可を取りに来たのだ。
茶化すことも、冗談と流すこともできない空気だった。
正直アルトリウス三世はちょっと泣きたくなった。
出逢って数日で、何をどうすればそんな事になるのか。
自分の娘達が異常に惚れっぽいと言う訳では無いだろう。
サラ付きの筆頭侍女も娘二人と変わらないくらいに骨抜きにされている事からもそれはわかる。
――娘婿が規格外すぎるのだ。
大国の国王となどと言いながら、娘が「姫巫女」とされ幽閉されることになんの抵抗もできなかった情けない父親だという自覚はある。
今は亡きクリスティナとサラの母親とともに、国のため、世界の為と唇を噛んで耐えたその状況から、クリスティナを開放してくれたことには感謝している。
だからと言って、自分が最も愛した女性の残した愛娘二人を、同時に攫って行く事もあるまいと思うのだ。
娘婿が直接助けたクリスティナはまだいい。
王族として結婚に相応しい歳ではあるし、己を「姫巫女」から解放してくれた娘婿に惚れるなという方が無理だろう。
ヴェイン国王としても、一父親としても、余計な事を言おうものならそれこそ「姫巫女」の力で排除されかねない。
悲しいことだが、クリスティナにとってアルトリウス三世は、どうやら父親であるらしい男性であるに過ぎないのだ。
愛する男と天秤にかけることすらもばかばかしいだろう。
だけどまだサラは九歳だ。
せめて今のクリスティナの年になるまでは手元に置きたいという、父親として至極もっともな感情がある。
――それをあの娘婿殿が……
アルトリウス三世もそれが八つ当たりであることをよく理解している。
何と言っても望んでいるのは娘婿ではなく、サラ本人なのだ。
その上、もし「要らない」と言われたらどうしよう、などと涙目になったりしているし、ここ最近は「女磨き」に余念がない。
侍女筆頭のセシルと、喜々として娘婿が喜ぶであろう自分を磨きあげている九歳の愛娘を目の当たりにせねばならないほど、自分は悪いことをしただろうかと思うアルトリウス三世である。
だがそういう感情論をひとまず横に置けば、望むべくもない良縁でもあるのだ。
「姫巫女」――「聖女」の一人であるクリスティナに、あろうことか勝利した娘婿は、その後も信じられない事を連発してくれた。
未だ発見されていなかった「勇者」と「最後の聖女」を紹介し、その二人は娘婿を主とする従者であると自称した。
見せられた力は「勇者と聖女」としか思えないものであり、また信じられない事にその力をも、苦も無く娘婿は超えて見せた。
一国の王として、他国に心から同情したのは初めてだった。
そんな与太話としか思えない情報が、あらゆる筋から「事実」として届いた各国の指導者たちの混乱と心痛は想像するだに恐ろしい。
日頃いがみ合っている国同士で裏を取り合い、それが間違いなく事実だと理解した時の、各国の指導者の心情など知りたくもない。
世界最大の宗教であるジアス教ですら、その個人に対して膝を屈した娘婿は、クリスティナとの結婚式でも追い打ちをかけてくれた。
「八大竜王」が祝辞を述べに現れ、人と敵対しない事だけではなく、膨大な利益を生む「ナザレ浮遊峡谷」を「結婚祝い」として明け渡していった。
もはやその時点で娘婿と敵対する意思を持った組織も個人も居なくなっていただろうが、そこに利が加わった瞬間だ。
今間違いなく世界は娘婿を中心に動いている。
その第一夫人と第二夫人が共に自分の娘なのだ。
ジアス教会も、列強各国も、ヴェインこそが国家として世界の中心だとみなすのも当然だと言える。
国王としては、娘婿に感謝こそすれ、文句を言う筋合いなどないのだ。
娘婿がもたらす圧倒的な富と、争う事すらばかばかしくなる「力」を背景にすれば、今まで夢物語でしかなかった施策の悉くが実現可能だ。
多少の優遇は当然として、ヴェインが利益を独占するというような馬鹿な事さえしなければ、世界は間違いなく人にとって住みやすい世界になっていくはずだ。
絵空事だと斜に構えていた「理想」を、実現するための手段を語れる世界になってゆく。
頑張ったものが頑張っただけ報われる世界を目指す事が出来る。
どんな魔物が来ても瞬時で退け、国家同士の戦争すら理想ではなく現実として選択するのがばかばかしいほどの「力」がそれを保障してくれる。
そんな場を与えられた「指導者」としての血は騒ぐし、今その立場にいる自分たちのような存在が、それこそ責任を持っていい方向へ変えていかねばならない。
「一国の王」としては、「絶対不敗の魔法遣い」に対して感謝しかない。
だが「一父親」としては、娘婿に対して言いたい事もあるのだ。
――だが、無駄よなあ……
深くため息をつくアルトリウス三世である。
――あれらの母親も、そういう女性じゃったものなあ。
当然であるが自分は大国であるヴェインの王子であった。
出逢いの時は、貴族ですらない彼女をまさか自分が正妃にするなど夢にも思わなかった。
だがある偶然から知り合い、心を奪われるに至って自分は自分でも信じられないくらい努力を重ね、通例を排するために実力を持ってやり遂げた。
ジアス教にせよ、国内の大貴族にせよ、己と血を同じくする王族たちにせよ、実力と利を持って当たれば、正妃に平民を迎えることすら可能としたのだ。
それを出来た自分自身を今でも誇りに思っているし、死別したとはいえ彼女への想いが無くなった訳でもない。
だけど一番すごいのは彼女だと思うのだ。
平民でありながら、大国の正妃となるにはどれだけの覚悟が要ったものか。
どれだけアルトリウス三世が彼女を愛し、あらゆる力で彼女を守ったとしてもやはり限界はある。
心無い言葉に傷つけられることも無数にあったはずだ。
だけど彼女は笑って言ったのだ。
「惚れた男についていくためなら、女はどんなことだってできるのよ。私が凄いっていうのなら、私にそうさせる貴方が凄いんだってことは解っておいてね」
そう言って彼女は、大変なはずの人生を笑って過ごした。
最初の娘が「聖女」とされ奪われた時も、彼女と共に居たから自分は耐えられたのだとアルトリウス三世は思っている。
――二人とも、母親に似ておるからなあ……
自分が何を言っても聞きはすまいと思う。
彼女が生きていれば、一緒になって娘婿の味方に付いていたようにも思う。
――まあよいわ。
娘が二人とも幸せで文句を言う筋合いはない。
だがどうなのだろう、とアルトリウス三世としてではなく、クリスティナとサラの父親、アルトリウス・アーヴ・ヴェインとして考える。
大国の王という責務は重い。
同じ立ち位置に立った者でなければ、決して分かり合えないだろうと思うほどには。
たまにそういったものすべてをかなぐり捨てて、呑みたいと思う夜もある。
クリスティナとサラの母である正妃が生きていてくれれば、そういう事も出来ただろう。
だが他の妻たちは有力貴族の娘であり、自分は夫である前に己の属する国の絶対的な王なのだ。
愛してはくれているとは思うが、求めているものとはまた違う。
――無いものねだりだという自覚はあるのだがな。
ツカサは――「絶対不敗の魔法遣い」と呼ばれる娘婿殿は、自分に対して義理の息子としての態度を堅守しているように見える。
ありていに言えば、必要以上に下手に出ている。
公的な場では最低限必要な態度を取るが、それもどうやらクリスティナやサラに「そうしろ」と指示されているきらいがある。
そんな場であってさえ、他国の者がいなければヴェインの貴族たちや臣下、兵達の前でも自分を「ヴェインの王」としてと同時に、「義理の父」として立ててくれている。
いやそういった難しいことでもないのかもしれない。
愛する相手の父親というのは、己の持つ力や立場など一切合切関係なく、怖くもあり気後れする相手でもあり……ぶっちゃけ煙たい相手だと言うだけなのかもしれない。
「力」には「責任」が伴う。
一国の王たる自分はそれを、いやというほど理解している。
婿殿ほどの力であれば、どれほどの責任が伴うものか。
それを考えてアルトリウス三世はぞっとした。
「力」は使わねば意味がない。
大きな「力」であれば、なおさらである。
王としてあらゆる決断をこれまでしてきた。
その決断の結果、人死にが出ることも当然ある。
大国であるがゆえに、それと知りつつ下した判断も数多あるのだ。
娘婿はそういう立場を解っていると思う。
であれば自分くらいは、娘婿にとって煙たい存在であった方がいいのかもしれない。
誰もが膝を折る世界の中で、唯一娘婿が逃げ出したくなる相手。
そう言う存在も、娘婿には必要か。
望むところだと、アルトリウス三世は思った。
世界をよくしていく方策などを語る、公的な立場としては礼を尽くし、「絶対不敗の魔法遣い」殿に対する立場を堅守もしよう。
だが「娘婿」としては、娘を二人ともとられた愚痴を正面から遠慮なくぶつける、愚かで苦手な義父であろうと思った。
存外それは楽しそうだ。
世界の誰もが畏れ敬う相手である「絶対不敗の魔法遣い」を、ただの娘婿として扱い、うっとおしがられる。
間違いなく娘二人にも煙たがられるだろう。
それでもいいとアルトリウス三世は笑った。
無聊を託つことはもうない。
自分は王として、義父として正しく在ればいい。
だがまずは、世界の中心に一人立っている我が娘婿殿と、一対一の男同士で呑んでみたいと思った。
娘婿にとっての娘たちの話も聞きたいし、自分にとっての娘たちや、その母親の話をしたいと。
そう強く思った。
お義父さんの苦悩。
王様の苦悩。
書いてみたかった余話でしたがどうでしたでしょうか。
あとは次の展開へ続く「絶対不敗の一番弟子」を年内投稿予定です。
あとツカサとクリスティナのクリスマス話をちょっと予定します。
出来ましたら読んでくださるとうれしいです。
今後ともよろしくお願いします。




