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いずれ不敗の魔法遣い ~アカシックレコード・オーバーライト~  作者: Sin Guilty
残章 こぼれ話編

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余話 聖女アリアの憂鬱

 教皇庁本部、その地下深くにある「聖女」の聖域。


 その自室で一人、「聖女」であるアリアはため息をついている。


 もはや「聖女」として課されていた制限は何もなく、この場にいる必要も無い。

 この数ヶ月で跡形も無くなった。

 だが、ではどこに行けばいいのかといわれれば思いつく場所も無いので、アリアは変わらずこの空間で暮らしている。 


 ジアス教会教皇庁に属する「聖女」であるアリア・アリスマリアはここの所ずっと憂鬱である。


 物心ついた頃から続けている必要な修行や勉学、こなすべき式典などの日々必要な事は、変わらず完璧にこなしている。


 アリアは自分の「なすべきこと」を十全にこなしていると落ち着く。

 逆に言えばそう感じれないと落ち着かない、というよりも憂鬱になる。

 自分の立ち位置が()()()()している状態はアリアが最も嫌うところなのだ。


 今までと変わらず「聖女」としてなすべきこと、要求される事には完璧を持って応えていてもアリアが憂鬱になる理由。


 それは「聖女」の立ち位置そのものがつい数ヶ月前までの確固としたものから、アリアが最も忌避する「ふわふわしたもの」になってしまったからだ。


 アリアは「聖女」として在るべき己を厳格に定め、幼いころからそれを続けている。

 己の能力が及ばず想い描いた理想に届かない事は多々あったが、それでも手を抜いたことは一度たりともない。


 誰にばれなかったとしても、神様は見ている。

 神様がよそ見してくれていたとしても、自分だけは自分が手を抜いたことを知っている。


 それがアリアは怖かった。


 「聖女」として人の命のかかった場に出ていくことが己の責務だ。

 そこでは信じられないような巨大な魔物(モンスター)や、数えきれないほどの魔物(モンスター)から人々を守る事を課せられる。


 己は人々の「盾」なのだ。


 絶対に失ってはならない人々を、矛たる「姫巫女」や「十三使徒」、各国の軍や冒険者ギルドが脅威を排除するまで絶対に守りぬくことが己の責務。


 アリアはどんな魔物(モンスター)の攻撃であろうが防ぎきって見せる自信はあるし、それが現在確認されている魔物(モンスター)の最上位種である八大竜王であっても揺るぎはしない。

 「大いなる災厄」と対峙し、「勇者」様のみならず世界(ラ・ヴァルカナン)の人々を守る自分がそれくらい出来なくてどうするのか。

 

 だからこそ「聖女」としてやらねばならないことには一切手を抜いたりしなかった。

 「聖女」の義務を遂行する場で信じられるものは、神から与えられた聖女の力とそれを教義からはずれることなく磨きぬいてきた自分自身だけだ。


 そんな時に、手を抜いたことが一度でもあれば()()を信じることが出来ない。

 神から与えられた「聖女」の力は絶対でも、それを扱う自分に瑕疵があった()()で「聖女の盾」が砕かれ、己の目の前で守るべき人々、守れた()()の人々が魔物(モンスター)に蹂躙されるのは絶対に嫌だった。

 

 ずっと幼い頃、初めて「聖女」として魔物(モンスター)と対峙した時、強くそう思ったのだ。

 以来アリアは「聖女」として「正しい暮らし」を送ってきた。


 いつか逢う「勇者」様を待ち、ともに「大いなる災厄」に立ち向かう為に。

 

 そういう点でアリアは、性格的にはツカサと逢うまでのクリスティナ――「姫巫女」と非常によく似た真面目な性格だといえる。


 そんな覚悟の下に暮らしてきた十数年と、その前提である「勇者と三聖女」の伝説が、根幹から崩壊する出来事が起こった事が、アリアの憂鬱の遠因である。


 ある日唐突に「勇者」が現れた事実が教皇庁に報告された。


 報告者はヴェイン王国を中心とした大教区を任されている、カザン大司教。

 報告書には「十三使徒」の第三席である「使徒(アポストルス)セト」の署名もされていた。


 ジアス教内で言えば、大物過ぎる二人である。


 間違いないというレベルでの確認が取れていなければ、公的文書での報告など上げず、内々で「可能性あり」という根回しをいくらでも出来る二人なのだ。

 それがそういったものを全てすっ飛ばして公的文書に直筆署名入りで報告を上げてきた。


 当然、教皇庁は上から下まで大騒ぎとなった。


 「聖女」という立場上、その報告書をアリアも見ている。

 その報告書が全て事実であった事を、我が身を持って確認した今思い出しても、まだ信じることが出来ないというか、本当に初見のときは大物二人が揃っておかしくなったのだと確信したくらいだった。


 大袈裟な表現が一切なく淡々と事実のみを書き連ねられていたことが、何事も詩的に書くことがいいと思っている教会の偉い人たちとは違っているなと思ったことを覚えている。

 今思えば、圧倒的な真実の前には余計な装飾など不要だと思ったのであろう事がよくわかる。

 淡々とした事実の羅列であっても、どうにも信じがたいことであったのだ。


 掻い摘んで言えば、その報告書には以下の事が記されていた。


 「勇者」様は「ジャン・ヴァレスタ」という冒険者として覚醒されていた。

 「勇者」様はジアス教が発見できていなかった「魔の聖女」をすでに連れておられた。

 三人目の「聖女」の名は「ネイ」という少女である。

 その二人の行使する「力」が、間違いなく「勇者様と聖女様」である事を、少なくともカザン大司教と使徒(アポストルス)セトは疑っていない。

 「姫巫女」――「剣の聖女」であるクリスティナ・アーヴ・ヴェインもジャン殿が勇者様であること、ネイ様が「聖女」様である事を認めている。

 可能な限り速やかに、教皇庁による確認と列聖を求める。


 ここまででも俄かには信じがたいが、基本的にジアス教にとって慶事である。

 

 アリアも待ち望んだ「勇者」様がとうとう世界(ラ・ヴァルカナン)に姿を現してくださった事と、発見できていなかった最後の「聖女」が揃った事に興奮を抑え切れなかった。

 これでやっと、伝承に伝えられる「勇者と三聖女」が揃い、いつ「大いなる災厄」が来ても対処できる状況になったのだ。

 物心ついてからの己の人生全てを「聖女」である事に費やしてきたアリアが、「報われた」と感じるのも当然の事だといえるだろう。


 だがそのあとの報告が、ジアス教の教義を絶対とする者達からしてみれば、有体に言って「カザン大司教は気が狂った」としか思えないものだったのである。


 「勇者」様と発見された「最後の聖女」様は、ある方の従者となっている。


 この報告で、全てのジアス教関係者は頭にクエスチョンマークが浮かんだはずだ。

 声に出して「は?」といった者も少なく無いだろう。

 アリアも「聖女」としては相応しくないが、「は?」と声に出た口だ。


 そんな疑問はお構い無しで、「狂気の報告書」は続く。


 その()()()()は「ヤガミ・ツカサ」様という。

 「古の魔法遣い」であるツカサ様のお力は、「勇者様と聖女様」を凌ぐものである。

 

 アリアはこの報告書を初めて見たとき、ここで報告者は気が狂っていると確信した。


 ありえないからだ。


 勇者と聖女の力を上回る存在などありえるはずが無い。    

 そんな者が存在すれば、それは「大いなる災厄」以上の脅威となる。

 世界(ラ・ヴァルカナン)が持つ最大の力ですら及ばないような存在が許されるのであれば、アリアが今まで捧げてきたアリアの人生は一体なんだったのかと反射的に憤った。

   

 だが「ヤガミ・ツカサ」という人物について、報告書が妙に丁寧に書かれていることが薄気味悪かったことも覚えている。

 報告書であってさえ、「ヤガミ・ツカサ」の不興を買うわけには行かないとでもいわんばかりに。


 「ヤガミ・ツカサ」様は、ジアス教の禁忌に触れた咎で「神前裁判」にかけられる事になった。

 「姫巫女クリスティナ」様との「神前決闘」である。


 ここを読んだ時はさもありなんとアリアは思った。

 報告書にあるような状況を、「姫巫女」であるクリスティナが捨て置くはずが無い。

 不敬として「神前裁判」をすることは妥当だ。


 まさかアリアもその「神前裁判」が、ツカサがクリスティナの裸をみた為に行われたとは当時夢にも思わなかった。


 その二人の「結婚式」の際、初めて行われた「三聖女会談」という名の女子会で、そのことをクリスティナから告げられた時、アリアは眩暈がしたことを覚えている。


 なぜ嬉しそうに己の裸をみられたことを語るのか。

 夫になるからそれでいいのか。


 ……いいのか?


 さておき。


 今ではもう良く理解しているが、それに続く報告にもアリアは声を出した。

 「はあああああ???」という、はしたないものであった事は忘れたい事実だ。


 「姫巫女クリスティナ」様、手も足も出ずに完敗。


 それはまあ驚愕には値するが予測のつくことでもあった。

 「勇者と聖女」の力を上回っていると先に報告されているのだ。

 攻撃に特化した「姫巫女」であってもなんともならなかったという事なのだろう。

   

 「姫巫女クリスティナ」様、ツカサ様に求婚。

 ツカサ様が了承したため、結婚が成立。

 なんとしてもこの結婚式はジアス教主導で行う必要があると愚考する次第である。


 続くこの報告は、愚考とかそういうレベルのモノではなかった。

 何がどうなればそうなるのか、全く理解できなかった。


 確かにジアス教の教義の最も根っこにあるのは、「強いものが一番正しい」であることは間違いない。

 だからこそどのような軍事力であれ、希少な「魔法遣い」達であれ届かない力を持っている「聖女」が崇め奉られ、それを統べるとされる「勇者」に全教会を上げて仕える事を教義としているのだ。


 それを超える力を示されれば、それに恭順するのがジアス教の在り方である。

 力ある者にまつろうことは、ジアス教にとって悪徳では無い。


 でもあんまりだと思った。

 クリスティナも自分と同じく、己の人生の全てを「姫巫女」であることに捧げてきた人物だと聞いている。

 自分と比べても劣るところなど全く無く、理想の「姫巫女」なのだと。


 そんな人物が、自分を負かしたからといっていきなり求婚するとは信じられないし、信じたくない。

 自分たち「聖女」は、身も心も「勇者」様に捧げて、「大いなる災厄」に対峙する存在ではなかったのか。


 報告書では他にも、ツカサの従者である「勇者」も「魔の聖女」もその結婚に賛同している事。

 ヴェイン王国も全面的に承認している事。

 こともあろうに「十三使徒・第三席」の「使徒(アポストルス)セト」がツカサに弟子入りした事も伝えられていた。


 教皇庁が大騒ぎになるには充分な報告書であったのだ。

 その報告が全て事実であったことが確認された今になって思うが、アリアはあの報告書はジアス教が、いやこの世界(ラ・ヴァルカナン)が終わるまで伝説として残る代物だとわかる。


 筆者であるカザン大司教の字が震えていたのは、報告書を書こうとした時点でそのことを確信していたからだろう。

 だからこそ過剰な装飾を一切廃し、事実だけを丁寧に書き連ねたのだ。


 英断だったとアリアは思う。


 この報告書の裏を取るためにあらゆる手段が取られたが、その全てがそれを真実だという答えしか返してこなかった。


 ありえないと喚き散らしていても、現実がそうであるならばそれにそった動きをとるしかないのは個人であろうが組織であろうが変わるところは無い。

 ジアス教という、国家さえも超えた大組織であっても、いやあるが故に取るべき行動をとることは最優先とされた。


 結果としてツカサとクリスティナの結婚式はジアス教主導、場所はヴェイン王国で執り行われた。


 教皇自らが結婚式を取り仕切り、アズウェル大陸のみならず文字通り世界(ラ・ヴァルカナン)中の国家、組織の重鎮達が、その結婚式へは参列した。


 その調整のため、準備期間が長くなった事にツカサが苛立ちを見せているとの報告が上がった時、ジアス教の実務部隊は震え上がったという。

 実際のツカサは奥さんとなるクリスティナと、世界(ラ・ヴァルカナン)のそこらじゅうを観て回るのに夢中で、そんな事実は無かったというのはその奥方から直接女子会で聞いているから間違いは無い。


 大国間の牽制の応酬から、そういった噂も生まれたものだろう。

 逆に言えばそんなくだらない噂ですら教会や大国に影響を及ぼす存在なのだ、今や「絶対不敗の魔法遣い」と呼称されるようになっている、クリスティナの旦那で、勇者の主であるツカサは。


 事の真実を確かめてやるとばかりに自身も参列したアリアだったが、ヴェイン王国へ到着してからは自分の口は開きっぱなしだったのではないかと危惧している。

 自分が信じていたあらゆる常識が、その場で全て砕かれたといってもいいのだ。


 それは「聖女」の自分だけではなく、ジアス教のお偉方や、各国の首脳達、世界(ラ・ヴァルカナン)中に根を張る冒険者ギルドのトップ達も同じであっただろうとは思う。


 どこの誰が、結婚式の祝辞を述べに世界(ラ・ヴァルカナン)で最も恐ろしい魔獣と称されている「八大竜王」が揃って現れるなど予想できようか。

 しかも「八大竜王」は全てツカサと盟約を結んでおり、人から手を出さない限り人の敵になることは無いという事を明言した。

 その証拠に、冒険者ギルド本部で、八大依頼(クエスト)――または「いずれ開く八の扉オルタ・オクト・ポルタ」――と呼ばれる、事実上達成(クリア)を諦められている八つの「遂行不能依頼(イラティナビレイル)」の筆頭、「ナザレ浮遊峡谷の黒竜討伐」の目的である「ナザレ浮遊峡谷」を人に明け渡すと黒竜は宣言した。


 ツカサとクリスティナの結婚祝いだと。


 「ナザレ浮遊峡谷」から取れる鉱石が生み出す利益は計り知れない。

 中でも浮遊峡谷の名が示すとおり、峡谷に無数に浮いている浮島から採取可能な「浮遊石」にいくらの値が付くのか想像も出来ない。

 それはヴェインの第一王女と結婚するツカサのものである。

 最も利益を享受するのは当然のことながらヴェイン王国となるだろう。


 というかはっきりいえばヴェインと敵対した国は終わりだ。

 それはジアス教会であっても例外では無い。


 「八大竜王」は、ヴェイン王国王都ファランダイン上空にツカサが用意するといった「浮遊島」をその住処とすると宣言した。

 これはヴェイン王国が、ツカサの意思が必要とはいえ「八大竜王」に守護され、必要とあれば攻撃戦力として「八大竜王」を行使できるという事を意味する。


 ツカサ本人も然ることながら、ある日王都の上空に城みたいな「八大竜王」が現れれば終わりである。

 アリアが「八大竜王」の攻撃を防ぐだけの力を持っていたとしても意味はない。


 八箇所同時に襲われれば、アリア一人ではどうしようもないからだ。

 結婚式に現れたときのように、「八大竜王」が魔法の「転移(テレポート)」のような空間を瞬時に移動する術を持っていることは、皆の知るところとなっていた。 

  

 その事実を、威厳に満ちた念話で参列者達に仄めかす竜王たちは「祝いの席で無粋な事言うな」というツカサの一言で黙っていた。

 アリアの目には、「八大竜王」達はツカサにものすごく懐いているように見えた。

 城壁を薙ぎ倒すことも可能な、巨大な尾を振ってこそはいなかったが。

 ツカサに注意された後あからさまにしゅんとしていて、空に浮かぶ巨大な城の如き巨躯にも関わらず、アリアにはどこか可愛く見えたのだ。

 

 ツカサとクリスティナの結婚式のあの日、世界(ラ・ヴァルカナン)の常識は、ルールは一切合切変わったのだ。

 

 「聖女」は全ての制限を解かれた上で、今までの扱いは変わらないことを教皇自らが宣言した。

 間違いなくツカサがそう望んだからだろう。


 もうアリアは世界(ラ・ヴァルカナン)の平和に責任を持つことは無く、「勇者」に絶対服従する必要も無い。


 当の勇者本人に「申し訳ないッス」といわれた時には膝から下の力が抜けた。


 見た目だけは想像していた「勇者」様そのものであったジャンという青年は、ツカサに対してはアリアの目からみても絶対服従で、生えているはずの無い尻尾が幻視できるくらいだった。


 「三聖女会談」――余人を交えず、「聖女」だけでの会談という名の女子会でもいろいろとくらった。

 クリスティナはいうまでも無いが、ネイというまだ十歳にもなっていない少女は、勇者様であるジャンに首っ丈で、相思相愛であるという。

 「三聖女」と呼ばれてはいるものの、「姫巫女」と「魔女」はもはや恋に生きる女の子で、「盾の聖女」であるアリアだけがぽつねんと置き去りにされているように感じた。


 そんな怒涛の数ヶ月間だったのである。

 ため息も出ようというものだ。


 そして数日後には、そのツカサ様ご一行様が、アリアのいるこのジアス教教皇庁へ訪れるという。

 何が目的かはアリアには聞かされていないが、今教皇庁はその受け入れ準備で再び大騒ぎである。

 枢機卿の何人かはプレッシャーで寝込んでいるとも聞く。


 さもありなん。

 

 アリアにもその際にやるべき事が提示されている。

 気は乗らないが、まだジアス教が自分に「聖女」としての期待をかけてくれているのであればそれには応えようとは思っている。


「アリア今いい?」


 扉の外から、自分とよく似た声がする。

 これもツカサが世界(ラ・ヴァルカナン)の常識をひっくり返すまではありえなかったことだ。

 「聖女」の聖域に、選ばれた修道女以外が足を踏み入れるなど。


「かまいませんわ。別に何をするでもなくため息ばかり付いていたところですの」


 自分の答えも、今までであればありえないと思うと少しおかしい。

 「聖女」としての在り方を変える気は無い自分でもこうなのだ。

 世間はものすごい勢いで変わって行っているのかもしれない。


 だけど年に一度くらいしか会話できなかった家族と、こうして普通に話せるようになったことについてはツカサに感謝してもいいなと思うアリアである。


「じゃあお邪魔するね」


 そういって部屋へ入ってきたのはアリアの双子の姉である、ブリトニー・アリスマリアである。

 一卵性双生児だけあってその美貌は瓜二つであるが、「聖女」として厳しい暮らしを続けてきたアリアの凛としたような美しさとはまた違った、柔らかな空気を纏った美しさを持っている。


 生まれてすぐ列聖されたアリアの双子の姉として、家族ごとジアス教の高位を与えられ、大事に育てられてきた深層の令嬢といっていいだろう。


「なにかものすごい衣装ですのね、お姉さま」


 その深層の令嬢が着るには、いささか相応しくない衣装にブリトニーは身を包んでいる。

 衣装をみて、思わずアリアが感想を口にする。

 聖職者の着る衣装であることは一目でわかるが、本来であればありえないほど扇情的なデザインである。

 肌こそ出してはいないが、身体のライン、とくに胸周りが露骨に強調された衣装だ。


 街の娼館では「そういったシチュエーション」を好むお客様向けにそういったものが存在するが、二人には知る術など無い。

 そういうものが発見されれば教会はそれを取り上げ、禁止し、罰しているにも関わらずその総本山がそのような衣装を用意するとは何事だといわれかねない代物である。


「私もそう思うのだけれど、今度の晩餐会にはこれを着る様にってお父様が……」


 ――やはりお姉さまにもそういう指示が出ていたか。

 

 アリアは頭を抱えたくなった。

 要は「ツカサ陥落用シフト」の一員に、自分の双子の姉も入っているという事だ。


 本当に教皇はなりふり構っている場合では無いと判断しているという事だ。

 ヴェイン王国が姉妹で行ったのであれば、ジアス教もそれに倣おうとでもいうのか。


 向こうが年の差なら、こっちは双子か。

 どうでもいいか。


「お姉さま、心配なさらないで。私もそのメンバーの一員に入っていますから」


「やっぱり「聖女」の貴女でもそうなの?」


 ため息交じりで応えたアリアの言葉に、ブリトニーは驚きの表情を見せる。

 「聖女」である自分とは違って、ブリトニーにはそこまで詳しく「ツカサ」の情報が入っている訳ではない。

 これから数日間で、誰が教師役をするのかは知らないがみっちりと教え込まれることだろう。


 どういう相手で、どうするべきなのか。


 それは「聖女」であるアリアであっても例外ではないのだ。

 いやもうこうなったら「聖女」であるが故といったほうがいいのかもしれない。


 今の時点でツカサに名と顔を覚えられているというのは間違いなく優位点(アドバンテージ)なのだ。


「どちらかといえば「聖女」であるからこそといえるかもしれませんわ。お姉さまは巻き込まれた……とはいっても年頃の美しいと賞されている女性達にはみな声が掛かっているのでしょう?」


「え、ええ。それで貴女なら何か知らないかしらと思って、お話を聞きにきたのだけれど……」


 如何に家族とはいえ、ここでアリアが語れることは多くない。

 その晩餐会には当然自分も出るし、教皇以下、教皇庁のトップも全て出る正式な晩餐会ですから心配ありませんと、姉であるブリトニーを宥めて送り返すことしか出来なかった。


 アリアの本当の憂鬱の理由は、教皇直々になされた指示である。

 

 「聖女」として今までの人生を捧げてきたアリアに、まさか教皇本人から「勇者はもうどうでもいいから、可能であれば「ツカサ様」に気に入られるように。ただし露骨にしすぎて不興を買うことは絶対に避けるように」などという、「聖女」を高級娼婦か何かと勘違いしているんじゃないかという注文をつけられるとは思わなかった。


 いやあれは注文などという生易しいモノではない。


 言葉こそ飾っていたが、なんとしても「ツカサ様」に女として気に入られろという、教皇勅書こそ発されてはいないが紛れも無い勅令だとアリアは理解している。


 アリアは、あんな相思相愛を絵に描いたような男女間に割り込むような手練手管を持っているわけではない。

 真面目ゆえに、本来「勇者」様のために教え込まれた「淑女(レディ)」教育は完全に頭に入ってはいるが、当然のことながら実践経験など皆無である。


 敬虔なる「聖女」であっても、アリアもまた年頃の女の子であることは間違いが無い。

 その感覚が告げている。


 クリスティナ様と、セシルさんと「ツカサ様」から呼ばれていたサラ王女殿下の筆頭侍女は、間違いなく「女」だ。

 今の自分ではまず太刀打ちできない。

 クリスティナ様の妹姫であるサラ王女殿下も、「ツカサ様」をみる目はすでに「女」のそれだと思う。


 「義務」が原動力の自分などでは鼻で笑われるのだという事を、アリアはツカサとクリスティナの結婚式に出席してからは思い知っている。


 だがそれが必要だというのであればやれるだけのことはやろうと思ってもいる。

 どうせツカサを取り巻く各国の思惑は同じなのだ。


 戦ってどうにもなら無い相手には、取り入るしか手段は無い。

 

 力ある存在が一夫多妻となることはこの世界(ラ・ヴァルカナン)の貴族社会においては当然のことだ。

 正妃の座はもはやどうしようもないとして、ツカサと婚姻関係を結ぶことは各国にとって至上目標と化している事は疑う余地もない。


 だがツカサの不興を買っては元も子もないので、みな慎重に行動しているだけだ。


 幸いにしてツカサはまだ若く、第二夫人としてクリスティナの妹姫がほぼ内定しているとはいえ、まだ席はいくらでもあると各国はみている。

 ツカサが新婚の今、軽挙妄動して虎の尻尾を踏む事を避けているのはある意味英断だろう。


 だが世界最大の宗教であるジアス教としては、呑気なことも言ってはいられない。


 各国がツカサとの婚姻関係を元に力をつければ、ジアス教の権威は有名無実化することは疑い得ない。

 いや名すらもなくなることも考えられる。

 神に等しき力を持った存在が現れた以上、「神無き宗教」に価値などなくなるのだ。

 そうなる前に、ツカサが最低限ジアス教も尊重せざるを得ない状況を構築する必要がある。


 神を敬い、崇めてきたジアス教をツカサが尊重すれば、民衆はそれに倣う。


 一番手っ取り早いのは、この際女だというのはアリアであっても理解は出来る。

 不本意ではあるが。


 歴史に残るであろう「狂気の報告書」には、ツカサが「王権神授」というものを口にしていたことも報告されている。

 教皇庁としては捨て置けない発言ではあるだろう。


 最初は「勝手な事を」、「十三使徒の権威をなんと心得ているのか」と非難されていた「使徒(アポストルス)セト」も、今ではジアス教の最大の「切り札」と目されている。


 なんといっても「絶対不敗の魔法遣い」の「一番弟子」なのだ。

 そのことをツカサ自身が認め、公的な場でも何度も口にしている。

 それだけで各国は、この大きく変わった勢力図の中でも、ジアス教を軽く扱う訳には行かない。


 即時の弟子入りを決めたことは「使徒(アポストルス)セト」のファインプレイといっていいだろう。

 傍から見ていても、その関係は名ばかりのものではなく、ツカサの信頼を得ていることが明白だ。


 一方で、教皇をはじめ、教皇庁のトップの連中はセトが女であったならと歯軋りする思いではあるだろう。

 もしくは教皇庁で寝たきりになっている「十三使徒」の第一席である、セトの妹であればと。

 男同士であってもそういうことが珍しいことでは無いこの時代において、今現在ツカサとのラインがセトのおかげで築けているという点は重要だが、残念ながらセトが相手では子供を望めない。


 個人としてではなく組織としてのタイムスケールでみた場合、重要なのは今や絶対者となったツカサとの間の子供が、組織内にどれだけ確保できるかも重要なのだ。

 今はまだ年若いが、いずれツカサも歳を取り、後継者を考える時が来る。

 そのときに子供が優先になるのは、どんな人間であっても当然の事であるのは組織として長い時を生きている教会や国家は良く知っている。


 だからこそ、露骨であってもツカサとの婚姻関係の構築を急ぐのだ。


 まさかツカサとクリスティナが永遠を生きる存在になっていることを知る由も無い立場では、そう考えるのが当たり前とも言える。 


 今回、ツカサの方から教皇庁へ出向いてくれるという好機を得た。

 「聖女」であろうがなんであろうが、手持ちの美女を揃えて待ち構えるのは、ジアス教としては当然の事なのだ。


 殿方は宗教的に清らかな乙女を本能的に好むものだと、アリアが受けた「淑女(レディ)」教育でも言っていた。

 それを聞いていた当時「淑女(レディ)」とは一体? と思ったことは内緒だ。

 

 ――まあツカサ様も殿方である以上は、美女に囲まれて悪い気はしないでしょう。


 そう思いはするが、今は逆効果なんじゃないかとも思うアリアである。


 なんといっても新妻は、幼い頃から絶世の美女といわれ続けてきた自分でも「勝てない」と素直に思えるクリスティナであり、しかもクリスティナ本人がベタぼれの状態なのだ。

 その妹姫であるサラも当然他を寄せ付けない美少女であるし、セシルさんと呼ばれていた「筆頭侍女」はただ美女であるというだけでなく、ツカサの信頼を得ているように思える。


 ツカサがよく知りもしない見た目だけの女達が群がっても、鬱陶しがられるだけじゃないかなーというのがアリアの率直な気持ちだ。

 

 アリア個人としてのツカサの評価はけして低いモノではない。

 我ながら偉そうだとは思うが、正直なところでもある。


 あれだけ圧倒的な力を持っておきながら、基本丁寧な態度を崩さないし、ヴェインだけを盲目的に優遇するつもりも無いようにアリアには見えた。

 ツカサなりにバランスを上手くとろうとしているように見える。


 ――まあそれもクリスティナ様へ矛先が向けば関係なくなるんでしょうけれど。


 ツカサがクリスティナを何よりも優先していることはアリアにも理解できている。

 正直羨ましいとも思った。


 結婚式に参列した際、間違いなく初対面にも関わらず挨拶の時に、知り合いをみるような目でみられたのがアリアの印象に残っている。 


 その視線は「聖女」に阿る様ないやらしい視線や、盲目的に崇め奉るようなものではなかった。

 もちろん美人をみて反応したというような、下賎なものでもない。


 それはそうだ。


 相手は「勇者様のモノ」とされていた「聖女」の一人、「姫巫女クリスティナ」を自分の奥さんにするどころか、「勇者」本人の意志で、従者として従わせている人物なのだ。


 「勇者」はツカサに真摯に仕える事こそが唯一絶対の正義だといわんばかりの頑なさである。


 結婚式の際、冗談めかして「そこまでツカサ様を立てなくとも」と口にした枢機卿の一人が、当の本人から射殺すような視線で睨まれている。

 ツカサ本人が「もっと言ってやってください」と発言したにも関わらずだ。


 その枢機卿は後に辞意を伝えたが、教皇自らに止められている。

 ツカサ、勇者供に面識を持ち、おそらくは名を覚えられている存在をおいそれと切り捨てることは利にならないと判断されたのだ。

 ツカサ本人に嫌われたのであればまだしも、そうではないのであればなおさらである。


 ジアス教において、「勇者」とは「神に最も愛された人間」とされている。

 その人物がそうまでする相手となれば、ジアス教としては「現人神」とでもみなすしかない。


 ツカサとはもはやそんな立ち位置にいるのだ。

 相手が「ジアス教の聖女」とはいえ下手に出る必要など全く無い。


 だけど初対面の男性に「久しぶり。元気してた?」というような気楽な視線を投げかけられたのは初めてだった。


 反射的に「馴れ馴れしい!」という意志を込めて表面上は笑顔で視線を受けたら、嬉しそうに笑われた。

 いつも左肩に載せている「タマ」と呼ばれている黒くて小さな魔獣――今はもう聖獣と呼ばれているが――も、思わずという感じで笑っていたように思う。


 ――本当になんなのかしら、あの人。


 アリアにしてみれば、ツカサはどちらかといえば余計なことをしてくれた人という認識である。

 自分が寄って立っていた基盤を全て、ひっくり返してしまった人。


 だけどそんな相手に、自分は色仕掛けをしなければならないらしい。

 せっかく結婚式で仲良くなったクリスティナにも、嫌われてしまう行為だろう。


 ――憂鬱ですわ。


 そう思う自分が、言うほどいらいらしていない事にアリアはまだ気付いていない。


 そしてもう忘れつつあるが、長年の「聖女」としての暮らしで無感動になりつつあった自分が、ほぼ一年前から今みたいな自分に戻っていたという事実も。


 それにツカサが大きく関わっていた事を、()()アリアは知る由も無い。


 アリアとツカサの関係は、これから構築されていくものだから。  

余話三話目です。

仲間はずれっぽかったアリアさんは、「十三使徒」編では結構絡む予定です。


年内投稿予定の余話は


「娘婿が「絶対不敗」の場合」

「絶対不敗の一番弟子」


となります。

「十三使徒編」はできれば来月中に投稿開始できるように準備中です。


読んでいただければうれしいです。

今後ともよろしくお願いします。

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