余話 自覚無き勇者のやりなおし
「この峠を越えれば、「神託夢」でみた「ルザフ村」か……」
旅装に身を包み、大きな荷物を持った青年が峠を見上げてため息をつく。
青年の名はジャン・ヴァレスタ。
ここから遥か南方、ヴェイン王国とファルズ連邦が二大強国として君臨するアズウェル大陸では中堅国家であるルヤム皇国の冒険者ギルドに所属する、シルバー級冒険者である。
固定パーティーには所属してはいないが、シルバー級同士で日々パーティーを組み、装備を更新しながらたまの贅沢を出来る程度の暮らしを維持できている。
ルヤム皇国には比較的難易度の低い迷宮が幾つかあり、そこの低階層でなんとか魔物を狩るだけでも、冒険者が食べていくには充分な稼ぎになる。
ジャンもそういった、「ありふれた冒険者」の一人だ。
にも関わらずジャンは「通名」持ちである。
普通はシルバー級で「通名」を持つことはまずありえない。
最低でもゴールド級まで到達しなければまずつけられることはないし、だからこそ「こっぱずかしい!」などと言いつつ、冒険者達にとって一つの目標でもあるのだ。
実際、周りに認められなければ「通名」が定着することはなく、自称してみたところで空しいだけだ。
冒険者ギルドが認定している訳でも無いからこそ、実際に呼ばれる「通名」には価値がある。
その「通名」が、その冒険者を判りやすく表現する指標となっているからだ。
その点ではジャンの「通名」は過不足なくジャンというシルバー級冒険者を表しているといえる。
曰く、「勇者面」
ジャンの容姿は、他に抜きんでて優れている。
緩やかな癖のついた、輝くような豪奢な金髪。
碧色の瞳は切れ長で強い意志を感じさせる。
長身だが線が細いわけではなく、だからと言って筋肉ダルマという訳でもない。
細く引き締まったその体躯は、鍛え上げられた鍛造の剣を感じさせる。
声は落ち着いていて、それでいてどこか甘く、その整った顔とマッチしている。
戦場で危機に陥った時に現れれば、誰もがそれだけで「助かった」と安心してしまう、まさに誰もが思い浮かべる「勇者」を、ほぼそのまま具現化したような容貌の持ち主がジャンである。
だが実力は至って普通。
それは冒険者稼業を、まあそれなりに真面目に三年続けていてもシルバー級に留まっていることからも明白である。
これは別に冒険者として、無能に分類される訳ではない。
三年経ってもブロンズ級を抜けられない者はいくらでもいるし、三年でゴールドにたどり着くような冒険者は、少なくとも冒険者ギルド内では名の知られた存在になるレベルだ。
――至って普通。
それがジャン・ヴァレスタという冒険者の妥当な評価であり、それがあまりにも「勇者然」とした見た目と乖離している為、いつからか誰もがジャンを「勇者面」と呼ぶようになった。
それはほんの少しの侮蔑と、多くの親しみを込めた「通名」なのだ。
だが、そう呼ばれる本人にとってはたまったものではない。
なまじ容姿が「勇者然」としているために、新人や初対面の人間はジャンに一目置く。
それだけにその「通名」が知られた時の「笑い」が、深く静かにジャンを傷つけていた。
ジャンを笑う彼らは、別に深刻にジャンを侮蔑しているつもりはない。
『なんだよ、敬語使っちまったじゃねえか』
『知らずにいたら恐れ多くてパーティーには誘えなかったわよ』
『いやでもピンチの時にジャンに「立て!」って言われりゃ反射的に立っちまうぞ?』
笑い含みでかけられるこれらの言葉は、基本的に親しみを込めたものだ。
シルバー級として過不足ない実力を持ち、鍛錬も欠かさず、装備の手入れなどにも手を抜かないジャンを、ルヤム皇国の冒険者ギルドの連中はきちんと頼りになる「仲間」として認識している。
だけどその手の言葉を言われるたびに、ジャンはどうしようもなく傷ついてきた。
言ってくる彼らに深刻な悪意がある訳ではないことくらい理解できているから、基本的には自分も笑って流す。
自分で冗談にしたりさえする。
それでも初対面の時に自分を見る尊敬と憧れの視線が、親しみとからかいの視線に変わる際に僅かに漏れだす「失望」の光が、どうしようもなくジャンを傷つけるのだ。
「実力も伴わないのに、何言っているんだって話だけどな」
思わず独り言が出る。
自分が無いものねだりをしていることはジャン自身よく解ってはいる。
いっそ容姿が凡庸であれば、こんなことで悩まずに済むのにと思ったことはある。
だが同時に自分この悩みが、取るに足りないものだという自覚もあった。
世の中にはもっと深刻なコンプレックスに悩まされている人間などいくらでもいる。
それに比べれば、「容姿が実力と乖離している」などという悩みは、殴りたくなるような甘っちょろいものだろう。
異性にすこぶる受けがいい、有り体に言えば非常に「もてる」という時点で、ジャンの悩みを真面目に聞いてくれる同性など居なくなる。
――ああそう、ふざけんな。
酒に酔った勢いで悩みを吐露した際の反応は、多少の誤差こそあれ要約すればみなそうだった。
ジャン自身もまあ、納得のいく反応でもある。
だけど――
そういった、恵まれた立場でありながら、それでも心に刺さった棘のようなものが積み重なっていたからこそ、今回自分はこんな馬鹿な事をしているんだとジャンは思っている。
自分がこんな北の辺境に、一人でいる理由はたった一度見た夢。
自分では「神託夢」だと信じているが、誰かに話せば腹を抱えて笑われるだろうという自信もある。
だがそんな夢に従って、自分はこの三年間で貯めたなけなしの金をすべて使って装備を新調し、旅支度を整えてこんな北の果てまでやってきているのだ。
目的地は目の前の峠を越えたところに存在する寒村「ルザフ村」
夢で見たその村が実在することを「冒険者ギルド」で確認し、その後夢で見たいくつかの事象が伝承と符合することがわかった瞬間に、ジャンは一切の躊躇いなく自分の持ちうる全てを賭けて、その村へ向かうことを決定した。
固定ではないもののよく組む連中からは、かなり真剣に引き止められた。
――何をトチ狂ったことをしようとしているんだ。
――ここでコツコツ稼げばいいじゃないか。
彼らにはジャンが一山当てるために、無謀な賭けに出ている様にしか見えなかったのだろう。
そうでなければ仮にも冒険者が、全財産をはたいて誰も聞いた事の無いような村へ行くと言い出すなど考えられない。
ジャンが親しくしている冒険者が同じことを言い出せば、自分も止めるだろうとは思う。
中には「俺も噛ませろよ」と言ってくる物好きもいたが、丁重にお断りした。
――だって行くしかないじゃないか、あんな夢を見てしまったら。
その夢は「ルザフ村」が魔物の大群に襲われるものだった。
シルバー級冒険者であるジャンから見ても、絶望的な数の魔物がまるで津波のように押し寄せる様子を鮮明に覚えている。
普通であれば近づこうとも思わない。
もしもその場所が、日頃自分たちが拠点としている迷宮近くの街だったとしたら、冒険者ギルドに一応報告してから速攻で逃げ出すのは間違いない。
だけどその「ルザフ村」には、なぜかもはや伝説の存在となっている「魔法遣い」の少女がいて、村人たちはその少女の魔法に一縷の望みをかけている。
少女も怖れながらも、その期待に応えようとしていた。
当然ジャンは生まれてこの方、「魔法」が発動するところを見たことなどない。
だがそんなジャンでも「これはやばい」と本能的に理解できるほどの「大魔法」が巨大な魔法陣と供に発動し、少女が守ろうとした村ごと魔物を薙ぎ払おうとする。
それは確かに「魔法」だった。
夢を見た後、半信半疑で夢で見た少女がそう呼んでいた「ルザフ村」が実在する村かどうかをまず調べた。
それが実在すると知った瞬間、血の温度が上昇するような思いを経験しながら、田舎の小さな「冒険者ギルド」にある限りの「魔法」の伝承を読み漁った。
周りの連中に「魔法なんざ調べたからって使えるようになるもんでもねえぞ?」と自分でもよく解っていることを言われながら、迷宮に潜るパーティーすら組まずに必死で調べた。
「冒険者」になる様な人間は、子供の頃に一度は「自分が魔法遣いかも」という妄想と憧れに憑りつかれた経験がある。
ジャンももちろんその例に漏れない。
ジアス教会が無料で配布している「魔法指南書」を目を皿のようにして読み、それに従って自分に「魔法」の才能があることを夢見る。
そして自分にそんな才能が欠片もない事実を突きつけられ、「魔法遣い」なんてお伽噺さ、と嘯くようになるまでが定番だ。
世間でジアス教会が抱える「魔法遣い」達を馬鹿にされがちなのは、そういった経験に基づく「嫉視」も確実に影響しているだろう。
それでも人々は、特に「冒険者」達は「魔法」に強い憧れを抱く。
稀に噂で聞く「魔法遣い」の冒険者の話などは、皆口では「ガセだろ?」と笑いつつ、一度はそんな相手とパーティーを組んでみたいと憧れるものだ。
だがジャンが夢で見た「魔法」らしきものは、子供の頃諳んじられるほどに読みこんだ「魔法指南書」に書かれていたものとは、まるで違った。
だからこそ必死で調べた。
その結果、自分が夢でみたような大規模なものはなかったが、「魔法陣」やその発動の様子は、調べれば調べるほど、自分が夢で見たそれが間違いなく「魔法」であることを裏付けてくれた。
その時点でジャンは、全てを賭けて「ルザフ村」へ行く事を決めたのだ。
もはやどうしようもなく暴走する「大魔法」と、泣き叫ぶ少女。
自分たちで頼っておきながら、村を救うためにこそ無理をして「魔法」を暴走させた少女を、魔物を見る目と同じ目で見る村人たち。
その絶望的な状況を救うのが、あろうことか夢を見ているジャン本人だったのだ。
自分の姿を客観的に見るのは鏡の前位だが、その夢では自分自身も登場人物の一人として第三者視点で見る事が出来た。
青ざめた顔で、それでも暴走して泣き叫ぶ少女の元に走る自分自身の見た目は、まさに英雄譚で語られる「勇者」そのもののように見えて少し笑えた。
これで実力が伴っていればよかったのだけど、と。
だがそこから夢が見せたものは、ジャンがかくあれかしと思い続けてきた「勇者」そのもののような展開だったのだ。
おそらくは魔力で宙に浮く少女を強引に抱き寄せ、暴走する「大魔法」をどうやってかは今の自分ではわからないが、完全に己の制御下におく。
無差別に全てを焼き払おうとしていた「大魔法」を、村を巻き込まない形で津波のように押し寄せる魔物の大群へ向かって解き放ち、その一撃で持って全てを始末してのける。
「大魔法」を発動させたのは少女だが、その力を支配し、制御してのけたのは間違いなく自分だった。
そして泣きじゃくる少女に抱き着かれ、村人共々に心の底から感謝される。
まさに「世に勇者が顕現する一幕」としてふさわしいものだった。
ジャンだって「勇者と三聖女」の伝説は知っている。
どの時代でもある程度は知られているものだろうが、ジャンたちの世代はまた別格と言っていい。
ジアス教の教皇庁と、ヴェイン王国王家に列聖された「聖女」が二人、間違いなく存在しているからだ。
同じ時代に聖女が複数降誕する時は、「大いなる厄災」が世界を襲う予兆である。
だがその「大いなる厄災」を払う為、「勇者と三聖女」が揃う時代でもある。
自分たちが子供の頃に二人の「聖女」が列聖されて以来、自分たちの世代は常にその伝説を身近なものとしてきた。
男の子であれば自分が「勇者」であることを妄想し、女の子であれば自分が三人目の「聖女」として列聖されることに憧れるのは、何も知らない子供たちにとっては至極当然のことだった。
そんな時代だからこそ、見た目だけは誰が見ても「勇者然」としたジャンに、「勇者面」という「通名」が付いたのだともいえる。
だけどもしも本当に自分が「勇者」だったら。
いろいろと裏付けを取りはしたものの、つまるところたった一度だけ見た、取るに足らない自分にとって都合のいい「夢」を「神託夢」と信じ、ジャンは全てを賭けたのだ。
己が「勇者」であり、夢で見た少女が未だ発見されていない三人目の「聖女」
「聖女」の危機に際して、未だ目覚めていなかった「勇者」である自分は「神託夢」に従って、「聖女」を救うための旅に出る。
「我ながら馬鹿なことしているって自覚はあるんだけどな」
そうひとり言を口にして抜剣し、峠に足を踏み入れる。
ここからは一応は整備された街道ではない。
死角も多く、定期的に魔物を討伐されてもいない峠道だ。
複数の魔物が出てくればその場でほぼ詰みだし、まずないとは信じたいが、龍級なんかと出くわせば自分など瞬殺される。
ジャンは自分が強くないことをよく知っている。
単独でこれだけの距離を旅する事すら、自殺行為と言っていい大それたことなのだ。
我ながらここまでよく、致命的な怪我を負わずに来れたものだと思う。
シルバー級冒険者が単独で狩れる魔物など高が知れている。
魔物どころか、強めの獣であっても数次第では命を落とす。
冒険者などと言ったところで、所詮ちょっと鍛えたただの人だ。
極少数存在する「技」を使いこなす存在や、伝説の「魔法遣い」とは比べるべくもない。
装備とて街の武器屋で手に入るものを、せいぜい丁寧にメンテナンスしている程度。
伝説や噂話で聞く神器級の武器とまでは言わないものの、教会による魔力付与された魔法武器でも装備していればまた違うのだろうが、少なくともジャンはそんな豪華な装備をした「冒険者」を見たことがない。
最初からそんなものが用意できる人間はそもそも冒険者などにはならないし、冒険者でそんな装備を揃えられるまで稼いだ人間は、田舎の冒険者ギルドに所属したままではいない。
「力にしても、装備にしてもないない尽くしで、無いものねだりはいつもの事ときたもんだ、っと」
単独で魔物の領域へ踏み込むのは、その危険度をよく知るものにほどより緊張を強いる。
ひとり言でもしゃべっていなければ、その緊張に耐えられないのかもしれない。
だが一方でジャンは、そんな自分がここまでの距離を、曲がりなりにもほぼ無傷で踏破出来たことこそ、己の見た夢が「神託夢」であることの根拠だとも思って、自信を深めてもいた。
あの「夢」が本当であるのなら、自分は無事に「ルザフ村」に辿り着かなければならない。
自分が賭けに勝っているのであれば、無事に到着できるはずだ。
万が一――いや実際五が一くらいな気はしているが――途中で命を落としでもしたらそれこそ笑いものだが、「ルザフ村」になんとかたどり着いても、何も起こらずただの寒村であれば、それはそれで大間抜けだ。
自分は全財産をはたいて、命を危険に晒して、何ら得るものの無い寒村へ訪れた酔狂者と成り果てる。
元の街へ帰るための路銀も手段もありはしない。
冷静に考えれば、やはり自分は今狂気の沙汰を実行しているんだなと実感する。
それでもジャンは、まあ良かった。
それは当然、己の見た夢が真に「神託夢」であり、「勇者」として冒険譚の幕が上がるのがベストではある。
それを望んで、今自分が持つ、なけなしを全てつぎ込んだことは否定しない。
自分を「勇者面」と呼んだ連中を見返してやりたいという想いもあるし、世界を救う勇者として生きることに対する憧れや、それに伴う贅沢な暮らしや「三聖女」に傅かれることに対する欲も当然ある。
事実、年端もいかないとはいえ夢で見た少女は見たこともないほど綺麗だった。
だけど。
夢で見た、その少女があげる絶叫と、村人たちの視線にさらされた時に見せた絶望の表情。
それが頭から離れない。
もしも自分が見た夢が真に「神託夢」でありながら、自分が行かなかった場合どうなるか。
彼女はあの絶望の叫びをあげた後、村人たちの魔物を見るような目に晒されたまま、己の守ろうとした村ごと魔物を薙ぎ払う事になる。
その後の絶望はいかばかりか。
「勇者」っぽいのに実力は「勇者」には程遠い。
その事実に苦笑いめいた落胆をされるだけでも、自分はこれまで傷付いて来た。
大きすぎる力を暴走させて、己の守りたかった相手ごと消し飛ばしてしまう事に比べて、なんと脆弱で情けない悩みであることか。
欲はある。
そうであったらいいなという期待もしている。
それでもジャンは、それだけでここまで馬鹿な事が出来る人間では本来ない。
己の見た夢が本当に「神託夢」であっても、ただの妄想であったとしても。
己が「ルザフ村」へ行きさえすれば、彼女の最悪の事態だけは存在しえない。
だったら行ってみるか。
それこそがジャン自身も自覚しきれていない、こんな馬鹿な可能性に己の全てを賭けた原動力であるのだ。
「嘘だろ、おい……」
そんなジャンの前に、あらゆる思惑を嘲笑うかのように、シルバー級冒険者ではどうにもできない魔物が音もなく現れる。
「氷龍」
属性龍の一種であり、ゴールド級冒険者が束になってかかって、犠牲も出してなんとか倒せるかもしれない相手。
それも一体であった場合だ。
それが四体、ジャンの頭上にホバリングしている。
詰みだ。
ここまで何とか無事にやってこれたが、これはどうしようもない。
自分は取るに足りない夢を信じて辺境の村へ赴く途中で、手におえない魔物に襲われて人知れず死ぬ愚か者だ。
絶対に避けえない死を前に、涙と震えが止まらない中、ジャンは一つだけ救いを得ていた。
――俺がここで死ぬってこた、あれはほんとにただの夢だ。あの悲劇だけは起こらない。
なんだって自分があの少女にそこまで拘るかはジャン自身にもわからない。
――自分はロリコンの気はないし――見た目のおかげで、異性関係にだけは苦労したことが無い……遊びの関係を越えられたことはないけれど――夢で見た理想の少女に入れ上げるほど純でもないんだがな。
自分が死に際して、涙を流し涎をたらし、がくがくと震えながらもそんなことを考えられたことに、ほんの少しだけジャンは救われた気がした。
その瞬間。
大陸中に名を知られる冒険者であっても、1対4であれば死を覚悟するしかない筈の「氷龍」が、一斉に炎に焼かれて地上へと墜ちる。
行きすぎた過剰攻撃の為か、死に際しての絶叫すら上げる間もなくその巨体で地面を揺らす。
あまりの事に震えさえ止まり、口を開けて佇むしかできないジャンの前に、漆黒の男が突然現れる。
コマ落としのように現れたその男は、髪も服も目もただただ黒く、肌の色以外は左目だけが銀色だ。
左肩に見たこともない、黒い小さな獣を乗せている。
「何を遊んでいる、「勇者」 お前はこの先の「ルザフ村」へ急いでいるのではないのか?」
思ったよりも若い声での問いかけに、ジャンは応える事が出来ない。
怖い。
ただただ怖い。
つい今しがた、絶望を具現化したような「氷龍」に囲まれた時よりもなお怖い。
なぜかは解らない。
だが初対面のはずの目の前の男の黒ずくめと、全てを見抜くかのような銀眼が何よりも怖い。
魂が目の前の男を、自分にとって死神にも等しい存在だと認識している。
銀眼に射すくめられるように、声さえも出せない。
「なんだ? 遊んでいたわけでもないのか。――「聖女」に逢うまでの「勇者」はここまで無力なのか? それでも行くのか?」
怖い。
話す声すらも怖い。
だが目の前の「恐怖の具現」は、自分が「勇者」であり、夢で見た少女が「聖女」であることを肯定している。
だったら。
だったら自分は恐怖に震え、竦んでいる場合ではない。
自分が行かなければ、少女の悲劇は現実のものとなる。
それだけはさせない。
何としてでも。
「あ、あんたはお、俺が「勇者」だっていうのか?」
歯の根が合わないほど震えている己の口を、無理やり動かして問いかける。
「まだ自覚もないのか」
少し意外そうに目の前の男が答える。
現れた瞬間から睨みつけるようだった黒と銀の視線が心なしか弱くなる。
男にとっては、ジャンが「勇者」であるのは当たり前のことのようだった。
「だ、だったら助けてくれ。あんたものすごく強いんだろう? 俺が無事に「ルザフ村」まで着けるようにしてくれ。返せるものなんて何も持ってないけど、出来る限りの礼はする。俺が本当に「勇者」だってんなら、あんたの手下になったっていい。だから俺を……」
勇気を振り絞って、震える声で一気に懇願する。
この男がその気になれば、自分などその瞬間死ぬことを身体が理解している。
だけど懇願するくらいならできる。
今できることを、出来る限りするだけだとジャンは開き直る。
「そうまでして「聖女」の力を得たいか、「勇者」」
底冷えのする声で黒い男が問うてくる。
自分がその一言で震えあがるのがわかる。
だがどれだけこの男が怖かろうが、その理由が何であろうが、どのみちさっきこの男が現れてくれなければ自分は「氷龍」の餌になっていたことは間違いない。
四体で奪い合って、五体バラバラになっていただろう。
それに比べれば、言葉が通じる相手であるだけ万倍もマシだ。
もうやけくそだ。
反射的に黙りそうになる自分を無理やり奮い立たせてジャンは叫ぶ。
「そりゃそれもある! 当たり前だろ力は欲しいさ!」
そうだ。
それを求めて、こんなところまで全てをつぎ込んでやってきたのだ。
力を求めて何が悪い。
あんたみたいな力があれば思いのままにふるまう事も、救いたい相手を救う事も思いのままだろうさ。
だけど力が無ければ下向いて黙るしかないんだ。
力が手に入る可能性があるなら、そりゃ全てを賭けもするさ。
「だけどあんたが言うように俺が「勇者」で、あの子が「聖女」だっていうなら、俺が見た夢は明日現実になっちまう。その時に俺があの場にいなければ、あの子は自分の守りたかったものを自分で焼き払っちまうんだよ!」
だけどそればっかりじゃない。
いやもうこうなったら力は諦めたっていい。
だからせめて、そんな悲劇だけは未然に止めたい。
自分が守ろうとした村人にあんな目で見られるだけで、もう十分に悲劇なんだ。
俺がそれを止められるっていうんなら、それだけは何とかしたい。
自分で御しきれる力で充分に食っていく事が出来ていながら、無いものねだりをしていた「勇者面」が、みんなのために振るおうとした大きすぎる力を御しきれない本物の「聖女」を助けられるならそれで十分だ。
それが叶うなら、そこで終わったっていい。
「それだけは止めたいんだ。あんたがそれを止めてやれるってんならそれでもいい。俺は「勇者」じゃなくてもいい。あんたほどの力があれば、俺が見た魔物の群れも、あの子の暴走もなんとでもできるだろ? 頼むよ……」
最後は大声ではなく、呟くような声になってしまったがジャンは言い切った。
もう目の前の男に頼るしか、「氷龍」が生息するような峠を抜ける手段はない。
自分じゃなくても彼女を救えるなら、もうそれだっていいんだ。
「意外だな」
言うべきことを言い尽くして、力なく黙り込むジャンの前でしばらく沈黙していた男がぽつりと漏らす。
その声は、ジャンが聞いても本当に意外そうな響きを持っていた。
――もしかしてこの男、俺が見た目通り「勇者」の力を持って颯爽と「聖女」を助けに行くとでも思っていたのかな……
もしそうだとしたら、相も変わらず期待に沿えなくて申し訳ないとジャンは思う。
本当に、この見た目に相応しい力があれば、俺ももっとカッコよくあの子を助けに行くんだけどな。
それがまさかの突然現れた力を持つ男に頼ると来た。
情けなくて涙が出るが、意地を張って助けられないよりはずっといい。
俺が「勇者」じゃなくてもいい。
「氷龍」を苦も無く排除するこの男なら、きっちり助けてくれるはずだ。
なんならあの子の魔力が暴走する前に片を付けてくれるかもしれない。
そうだ、何も俺の夢の通りにする必要なんてない。
それよりうまく助けられるんであれば、その方がずっといい。
「――いいだろう」
男が言葉を繋げる。
「お前が無事「ルザフ村」まで着けるようにしてやる。お前が見た夢の時点までに十分時間があるようにもしてやろう。その上でお前がどう行動するのかを見せてもらう」
この圧倒的な力を持った目の前の男が、そんな回りくどい方法を取る理由がジャンにはわからない。
わからないが、協力してくれるというのであれば文句のあろうはずもない。
「あ、ありがとう、あんた! 本当にありがとう! できれば名前を教えてくれないか? 俺はジャン。ジャン・ヴァレスタ。シルバー級冒険者だ。「勇者面」なんていうみっともない「通名」持ちだ。――あんたは?」
自分でもよく解らないが、目の前の男が意外そうにしはじめてから、現れた時の血も凍るような恐怖はかなりマシになっている。
細胞一つ一つが目の前の男を恐れているような感覚は抜けないが、なんとか話すことくらいはできる。
たったこれだけの会話で、自分というよりは目の前の男が自分に向ける気配とでも呼ぶべきものが変わったからだろう。
ジャンは心から感心していた。
本当に力を持つ者は、その意志の在り方ひとつで他者にこれだけの威圧を加える事が出来るのだという事実を、身を持って体験したからだ。
やはり持てるものなら力は持ちたいと思った。
何のためにそれを使うかは、目の前の男に教えてもらえるような気もした。
「……司。八神司だ」
何故か言いにくそうに自分の名を告げる男。
「ツカサさんか。俺の事はジャンと呼んでくれ。この件が済んだら出来る限りの礼はする。というか今の時点で命の恩人だもんな、ツカサさん。本当にありがとう」
「……」
なぜかツカサと名乗った男は大層居心地が悪そうだ。
なんか俺悪いことしたかな? とジャンはなやむ。
「……まあ、いい。とりあえず「ルザフ村」へ行っておけ。俺はそこでのお前の行動を見せてもらう」
そう言うと左手をこちらに向ける。
何か答えようとした瞬間、ジャンはその場から消え、「ルザフ村」の入り口に強制転移される。
「……おいタマ」
「……なんでしょう」
ツカサが左肩のタマに問いかける。
「なんだあれ? なにあれ? あの好青年が何だって一年後あんな屑になってるの? 力ってそんな怖いの? 俺もああなる可能性あるってこと?」
「落ち着いてください」
力を得る前の「勇者」のあまりの好青年っぷりに、ツカサが混乱している。
ツカサにしてみれば「聖女」の力を利用するためにネイの村に行こうとしているのであれば、ここで「勇者」を殺すことも視野に入っていたのだ。
結果的にネイを救い、ネイの心のよりどころになったからと言って、その動機が一年後の「勇者」から見られるような腐ったものであればそれもやむなしだと。
それがあれだと、混乱するのも仕方がないかとタマは思う。
強大な力は、確かにそれほどに人を歪めるのだ。
ネイが言っていた言葉は、嘘偽りのない事実だったことになる。
この時点での「勇者」は、少々無謀で間抜けだが間違いなく善意で行動している。
さてどうしたものか。
ネイとネイの村を救うのはツカサでも可能だ。
姿を見せるまでもなく、異常繁殖した魔物を狩りつくせばそれで済む。
あとは村の人たちには見つからないように、「白の獣」と「黒の獣」一対を置いておけば今後も問題ない。
「聖女」なんて言う立場に巻き込まれることなく、村で幸せに暮らすのもありだ。
村人に言いたい事が無いわけでもなかったが、絶望に晒された時の人間の反応を偉そうに言えるほど、ツカサもお偉いわけではない。
平和に暮らしていける環境を用意できるのであれば、それもいいと思っていたのだ。
「どうしますか、我が主」
「どうもこうも、今この時点で「勇者」に出来ることはないだろ。「勇者」に言った通りこの後の行動を見せてもらうさ。俺の左目は「勇者」をもう見ている。何かあればいつでも目の前に現れる事が出来るし、あのまま力に溺れない「勇者」でいられるなら、ネイにとってもそれが一番だろうしな」
「まあそうなりますか」
それしかないだろ、とツカサは唇を尖らせる。
だが隠しようもなく嬉しそうでもある。
最初から屑でなくて、ほっとしているのだろう。
我が主らしいことだ、とタマは一人笑う。
それにあのジャン・ヴァレスタという気のいい青年が、「勇者と聖女」の力にたった一年溺れただけで、あの屑でしかなかった「勇者」に成り果てる。
その事実はツカサの心胆を十分寒からしめただろう。
自戒の意識を強く持つことは悪いことではない。
ジャン・ヴァレスタも、ツカサが傍に居ればあの「勇者」に堕すこともないだろう。
「姫巫女」をクリスティナ・アーヴ・ヴェインに戻すためには50回かかったが、ジャン・ヴァレスタを「屑の勇者」にしない為には一回で十分なようだ。
それがツカサとクリスティナが救いたいと思った、聖女たちにとってもいいことであればいう事はない。
「ほら我が主、我々も移動しますよ。あの「勇者」ちょっと抜けていますから、我々がフォローしないと何ポカするかわかりませんし」
「あ、ああそうだな」
自分たちも移動しようとして、ふとツカサが動きを止める。
なぜか右斜め上を見ながら、質問をして来る。
「俺も、タマや能力管制担当から見ればあんなもんだった?」
「……否定はしません」
♪~ (・ε・)
頼りになる二人の返答にがっくりと膝を付き、ツカサは自分も「ルザフ村」へと「転移」した。
全五話予定の余話その1です。
今週中にもう一つ投稿予定です。
※年内に余話は全て投稿予定です。




