余話 LOOP THE END 【sideクリスティナ―続く日々】
朝の柔らかな光が、カーテン越しにベッド脇の窓から射し込んでいる。
完全新築の新居、若夫婦の寝室だ。
愛する夫よりも先に目を覚ましたクリスティナ・ヤガミが、よく寝ている夫を起こさないようにそっと豪奢なベットから抜け出した。
夫が望むので、ベッドでのクリスティナは常に全裸である。
誰が見ている訳でも無いがそのことに赤面し、絹の部屋着に慌てて身を包む。
夜と朝を共にするようになってから結構経つにも関わらず、クリスティナはまだまだ恥ずかしさが抜けない。
それは夫も同じようで、毎晩初夜のような空気になるのはさすがに最近いかがなものかとは思っている。
その後のコトについては、お互い成長を遂げているとは思うのだが。
昨夜のことを思い出して、クリスティナの顔が朱に染まる。
まだまだ初々しい事である。
クリスティナは夫の好きな「ワショク」という朝食を作るために、足音を忍ばせてキッチンへと向かう。
「毎日毎日健気な事だね」
「おはようございます、タマさん」
キッチンの横に設えられた「タマ小屋」から、あくびをしつつ無数の尻尾を生やした黒猫が出てくる。
本来この世界では言語を解する魔物は「魔獣」として忌み嫌われているが、一連の騒動から逆らう者とてなくなったツカサの左肩に常に載っていることから、今やタマは「聖獣」という笑える呼び方をされるに至っている。
ツカサとクリスティナの各大国とジアス教会を挙げた盛大な結婚式に、八大竜王が揃って現れた上に祝辞を述べたことも大きいだろう。
今や人語を解する魔物は、人の世の味方という認識に急速に変わりつつある。
ここ数ヶ月で、この世界の常識は大きく変化して行っているのだ。
その中心にいるのは、間違いなくクリスティナの夫だ。
クリスティナはその事が心の底から誇らしい。
名実ともに人妻になったにもかかわらず、自分から「姫巫女」の力が失われていないことも、夫の意志によるものだと知っているクリスティナは、もはや夫を崇拝していると言っても過言ではない。
「今日向かうのでしたか?」
「はい。夫がいつまでもセト君との約束を果たさないままにはできないと言うので」
タマが聞いたのは、今日これからツカサとその一派、つまり正妻たるクリスティナと、来年には第二夫人と言われているサラ王女殿下、その筆頭侍女でありツカサの側女と目されているセシル女史、そして「十三使徒」の第三席でありながらツカサの一番弟子となっているセトが、ジアス教の教皇庁へ向かう事だ。
セトの妹の問題と、「聖女」の一人であるアリアに逢いに行くためだ。
「新婚早々忙しいことだ、我が主も。誰が咎める訳でもなし、一年くらいはのんびりすればいいものを」
「夫らしいと思いますれど」
にこにことクリスティナは笑っている。
ツカサのやりたい事、すなわちクリスティナのやりたい事なのだろう。
タマは大きくため息をつく。
「本当に健気な事だ」
「無理をしている訳ではないんですよ?」
本当に嬉しそうに、ツカサの為の朝食を用意しながらクリスティナが答える。
「そうだろうね。一つ聞いてもいいかい?」
「――答えられることでしたら?」
クリスティナもまた、タマがツカサとの最初を覗き見ていたことを根に持っている。
勢いこう言った質問には身構える癖がついてしまっている。
全員集合を果たした後の、ツカサのタマへの折檻は身の毛もよだつほどで、常に冷静に構えているタマが「ごめんなさい」を三桁単位で絶叫し、最後の方は猫のギニャーという声だけが木霊していた。
「いやもう二度としない。主と貴女の寝室には近寄るつもりもない。反省している」
クリスティナの態度から、その時の惨劇を思い出したものか、タマはその小躯をプルプルと震わせ、毛皮に覆われた猫であるにもかかわらず汗をかいている。
その様子にクリスティナがぷっとふきだす。
「その様子じゃほんとうに二度としなさそうですね。それで聞きたい事とはなんでしょう?」
「今は幸せだろう。見ていてもわかる。だけど我が主という人外の力を持つ存在を伴侶にしたことを、後悔していないかい?」
タマは真面目な表情だ。
今が嘘偽りなく幸せそうだからこそ、要らぬ事と知りつつ聞かざるを得なかったのだろう。
「している訳ないじゃないですか。それにこれからもしません」
慣れた手つきで「ミソシル」をつくりながら、クリスティナは答える。
以前にも一度似たようなことをタマに言われたことを、クリスティナは覚えている。
「永遠を甘く見ている」
確かにそうかもしれない。
たかだか十数年しか生きていない自分と夫が、永遠を誓うなんてタマから見れば心配で気が気じゃないのかもしれない。
夫と共にいるという事は、冗談ではなくそうなるという事なのだから。
だけどクリスティナはまるで恐れていなかった。
「ねえタマさん」
いつも思っていたことを、この際だからとタマに告げようとクリスティナは決意する。
「初対面である妹のサラに頼まれて、見も知らぬその姉を「姫巫女」から解放するために、夫は何十回もの死を乗り越えてくれた優しい人です」
「確かに初期についてはそうだね。貴女に惚れてからは真正だと言うだけだが、少なくとも初めのうちはそういう毒にも薬にもならない「やさしさ」とやらで動いていたと言ってもいい。「意地」ってやつもあったのは確かでしょうが」
タマが肯定する。
ツカサというのはそういう人間だ。
日本に居た頃から、ただの同級生であった祝 凜という少女を救うためだけに何十回も死に戻りを出来るくらいに。
「ふふふ、それもありますね」
夫の意地については、クリスティナはよく聞かされている。
何やら譲れぬものがあることも今ではなんとなく理解している。
「だけどその優しい人が、自分がものすごい力を持っていて、共に居るには大変で、しかも簡単に死ぬこともできない事を理解した上で、私を求めてくれたんです。それも「姫巫女」としての私ではなく、夫がクリスティーナと呼ぶ、一人の女の子として」
火にかけていた鍋がことこといい出したのを、手際よく処理してゆくクリスティナ。
料理などほとんどしたことが無かったにもかかわらず、「夫の為」という理由でものすごい速度で習得して行っている。
今では材料をツカサが無理やり作り出している、異世界の料理ですらもお手のものだ。
「――嬉しかった。夫の為なら何でもできると思ったの。どれだけ大変であったとしても、私は夫と二人で頑張って行けるの。顔の見えないみんなの為じゃなく、私自身と夫のためにならなんだって越えて見せる」
「確かに貴方は我が主の為に、あらゆる便宜をはかっていますね。力だけでは届かない部分に、「姫巫女」として、ヴェイン王国の第一王女として」
タマの返答に、笑顔で「そんなことは妻として当然のことです」と答えるクリスティナ。
そんな風に夫の力が及びきらないところをフォローできることが嬉しいのだと。
実際ツカサが新婚とはいえ毎日のんびり暮らせているのは、根幹に己の圧倒的な力があるとはいえ、クリスティナ、サラ、セトが各方面との調整を献身的にしてくれているからでもある。
当然ツカサもそれには気が付いていて、自分の力で出来得る限りのフォローもしている。
クリスティナにしてみれば、そういった共同作業もうれしいものなのだろう。
「それより私はずっとタマさんが最初に夢を見せてくれてた時、思ったことが有ります」
「それは?」
夫の事を語るときは、常に夢見る少女の様であるクリスティナに、俄かに今までにはなかった艶が生まれる。
夫の前で嘘偽りなく見せる無垢なクリスティーナも本物であれば、今タマに答える妖艶と言っていいいクリスティナ・アーヴ・ヴェインもまた本物なのだ。
「夫が逃げてくれればいいって。私なんかにその貴重な時間をかけてくれなくていいって。それでも私は一度見せてもらった夢だけで、「姫巫女」としての人生を生きていけるって。そんな私の言葉を夫は否定してくれた。私はあの瞬間に本当にクリスティーナになれたの」
そう言って、ツカサが好きな桜色の口紅をさした己の口唇を、少し舐める。
タマは以前にも感じた、猫ながらも背筋が寒くなる感覚を今また得ている。
「夫が私を求めてくれている時、少しだけ仄暗い喜びを感じるの。もうこの家から一歩も出したくないと思う事だってあるの。幸い夫は私の力なんかではどうにもできない人だからいいけれど、私の本音はそんなのもあるみたい」
そこまで言って、ぱっと光が射すように、元の無垢な笑顔に戻るクリスティナ。
もうさっきまでの妖艶な空気はどこにも存在しない。
「夫といればそんなこと消し飛ばされるんですけどね?」
「……みたいだね」
タマは己の主の伴侶が、その立ち位置に相応しいことを今一度確認できた気がしている。
以前にもこの圧倒的な美少女は、タマの心胆寒からしめんことに成功している。
永遠などという温い障害では、クリスティナの「想い」を錆びさせることはどうやらないようだ。
――やれやれ我が主も主なら、その伴侶も伴侶ですか。この部屋に閉じ込めておけば数千年くらいは余裕でいちゃつきながら暮らしそうで怖いですね。私も今要らぬ心配をするのは止めにしますか。時間はまだまだある事ですし。
そんなことよりも、今一瞬顔をのぞかせたクリスティナ・アーヴ・ヴェインが出てこないように尽力したほうが良いのかもしれないとタマは思う。
一方で、それはそれでツカサは喜ぶんじゃないだろうかという、救えない、しかもそう外れていない予想もしてしまうわけだが。
どちらにせよ数年は何の問題もないだろう。
タマとしては楽しく過ごす主や、その仲間たちと共に居らればそれでいい。
藪をつつく必要はまだないのだ。
今はそれでいい。
話が終わったと判断したクリスティナが、朝食の準備を整えた上で、朝風呂に入りに行く。
何かの事故でクリスティナの裸体を見ようものならまた大参事だ。
タマは君子危うきに近寄らずとばかりに、己の「タマ小屋」に戻って寝ることにする。
どうせこの後は、この家に入ってから毎朝恒例の胸焼けがしそうになる甘い一幕が展開されるのだ。
付き合うのももはやバカバカしいし、主が出かけるまでは寝ているに限る。
そう思い定めて、「タマ小屋」という名の割には豪奢な己専用の小部屋へ帰ってゆく。
朝風呂から上がって、身嗜みも整えたクリスティナが何やら気合を入れている。
タマの言う、朝の甘い一幕が始まるのだ。
その割には妙な気合が入っているが。
朝御飯の用意良し。
自分チェック開始。
お風呂も入ったし、歯も磨きました。
夫が好きな、口内が甘くなる香草も少しだけ噛みました。
夫が好きな服にも着替えたし、髪型は最近お気に入りのポニーテールにまとめ上げました。
この前のデートで買っていただいた香水も軽く吹いたし、化粧を好まない夫も好きな薄い桜色の口紅もひきました。
戦闘準備良し。
さあずっと夢だった、ここの所毎日その夢を叶えている儀式の時間だ。
「あ、あなた。朝ですよ。お、起きてください」
くっ。
今日も噛んでしまった。
いつになったら自然に、さりげなく自分の理想の通りに振る舞えるのだろう。
こんなことくらいで自分の夫が目を覚まさないことはよく知っている。
窓からの光を柔らかいものにしているカーテンを一気にざっとあける。
ツカサが用意した浮遊島にあるこの家は、日差しを遮られることが無い。
強い日差しが、むにゃむにゃ言っている夫を直撃する。
「おきてくださーい、ねぼすけさん。朝ですよー」
そう言って、上布団の端をつかんで、寝ている夫をバサバサする。
「姫巫女」ではなく、一人の女の子としてのクリスティナ・アーヴ・ヴェインが憧れていた、愛する人を起こす、朝の儀式。
何度やっても、やっている最中に幸せすぎて泣きそうになる。
それをかなえてくれた人が、まったくの無警戒で自分の前に居てくれることがたまらなく愛おしい。
「うあー……やめろー」
毎度毎度、夫は朝は弱く、情けない声を出す。
他に見たことのない、漆黒の髪がいろんな方向にはねていて、それだけで笑いそうになる。
「起きない人は、朝御飯抜きですよー」
くすくす笑いながら意地悪を言っていると、手を引かれてベッドへ引き込まれる。
これももう、毎朝の事だ。
「もうちょっと、一緒に寝とこう。そうしよう……」
寝ぼけながら両腕で後ろから抱きすくめられ、クリスティナは懲りずにドキドキする。
このまましばらく静かにしていると、いつも夫は幸せそうに再び眠りの園へ帰ってゆく。
力の抜けた両腕からそっと抜け出して、無防備な顔で眠る夫の額にくちづける。
しょうがない人。
結局夫が自分から目覚めるまで、クリスティナはこれ以上強気に起こせない。
心の底から幸せを感じながらベッドから出ようとすると、無意識なのだろう、ツカサの右手がクリスティナの腰に回ってベッドから出られなくする。
「……もう」
そんなくだらない偶然でも嬉しくなってしまう自分が、なんだか悔しくて夫の指をちょっと強めに噛んだ。
「うあっ、なんだ?!」
「しーりーまーせーんっ」
びっくりして飛び起きた夫に、綺麗な顔を歪めていーだをする。
「あー、おはよークリスティーナ。……いい匂い」
「今日はセト君の約束果たす日って言ってましたよ。そろそろ起きないとです」
「あー、そうだった。ありがとクリスティーナ。顔洗ってくるよ」
そう言ってのそのそとベッドから這い出す夫を見つめている。
クリスティナは幸せだった。
こんな日がずっと続くのだから、永遠なんてまったく怖くない。
それどころか、こんな日々が終わらないことに感謝したいくらいだった。
もう「滅日」は来ない。
夫と積み重ねていく楽しい日々は、ずっと続いてゆく。
fin
これにて「いずれ不敗の魔法遣い ~アカシックレコード・オーバーライト」はひとまず完結です。
最初のエピソード、「姫巫女編」の完結ですね。
拙い物語に、これまでお付き合いくださってありがとうございました。
自分なりのハッピーエンドが、今まで読んでくださった方々の思い描いてくれたそれとの乖離が無ければいいのですが。
少しでも楽しんでもらえたよう、祈るばかりです。
来週中に余話を少なくとも一つ投稿します。
「十三使徒編」他いくつかのエピソードは、書き溜めてから一気に投稿する予定です。
もしまだ拙作にお付き合いくださるのであれば、これ以上の喜びはありません。
その時はまたよろしくお願いいたします。
完結済短編「異世界娼館の支配人」も出来ましたらよろしくお願いします。
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同じく完結済中篇「三位一体!?」も出来ましたらよろしくお願いします。
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