第58話 101周目 【魂に刻んで】
「終わった世界」でクリスティーナと二人、向き合って無言である。
何やってんだ、一体俺は。
結構な時間が経過してしまっている気がする。
クリスティーナも何か言いたい事はあるんだろうけど、きっと俺の言葉を待ってくれている。
話したいことはわかっているのに、何から切り出していいかわからない。
『「気狂いピエロを見に行こうよ」のひとことがどうしてこんなにむつかしいのだろうと思った』
っていう銀色夏生の詩が頭に浮かぶ。
まさか自分がこの詩の想いに共感できる日が来るとは思わなかったな。
80周目の時にお互いの気持ちは確認できている。
それを疑っていたら、きっと「姫巫女」の力を凌駕することは出来なかった。
お互いがお互いを信じたからこそ、仕組み的には詰んでいるとさえ言える「勇者と三聖女」の仕組みを覆す事ができたのだ。
だけどそれは、俺の正体が発覚する前の約束だ。
まさか俺自身が「創造主一派の首魁」とは思っていなかった。
八神司という一人の人間が持つには大きすぎる力。
タマが言ったように、世界を好きにできる力だ。
もちろん俺は世界を楽しむつもりだし、力に溺れてそれこそさっきの「勇者」みたいになるつもりはない。
つもりはないが、それなら「勇者」だって恐らくそうだっただろう。
恐ろしいのは、力に溺れている者は、すべからくその自覚がないという事だ。
だからこそ己の力に呑まれているのだ。
だけどクリスティーナが隣にいてくれれば、そんな心配はないと信じられる。
――好きな人、尊敬できる人の前でも同じ言動が取れるなら、その言動は多分間違っていないよ。
それは育ての親であるおじさんがよく言ってくれていた言葉だ。
俺もずっとそう思ってきた。
何か発言や行動をする時、自分の尊敬する人、自分の好きな人に知られたら嫌だなと思う事は出来る限り言わないし、やらない。
当然中には例外もあって、それでもやらなくちゃいけないことはあるけれど。
だから俺はクリスティーナがずっと一緒にいてくれたら、間違わずにいられると思う。
だけど。
ずっと一緒。
それが永遠に続くと知ったら、クリスティーナはどう思うんだろう。
不安が無いとは言わないが、それでも俺はクリスティーナに一緒にいて欲しい。
ちゃんとそれは言葉にして言うべきだと思っている。
これは80周目でやり損ねた、「告白」のやり直しみたいなものだ。
今度ばかりはクリスティーナに先に言われる訳にはいかない。
俺の「告白」という思考に反応したのか、周りに無数に浮かんでいた光の粒子が渦を巻く。
何事かと思ったら、あっという間に俺とクリスティーナがいる空間が、「教室」に変わる。
たぶん夏休み。
教室の窓からは、真っ白な積乱雲と抜けるような青空。
どこか遠くに聞こえる蝉の声と部活動の声。
澄んで響く、金属バットが白球を捉える音。
かすかに届く笑いさざめく声や、吹奏楽部が練習している楽器の音。
真昼間なのに窓から差し込む夏の日差しと、影の部分のコントラストが強烈で陽のあたっていない部分が暗くすら感じる、夏の午後。
クリスティーナは窓際の一番後ろの席に座り、俺はその前の席に椅子を逆にして座っている。
――ち、陳腐な……俺の告白シーンのイメージはこんななのか。
「わあ……これ、ツカサ様が?」
俺が通っていた高校の制服に身を包んだクリスティーナが、驚きの声を上げる。
見たこともない服に身を包んでいる自分を、興味深そうに観察している。
クリスティーナにとってはもう、何が起こっても不思議ではないのだろう。
確かに世界が終わった空間で二人しているのだから、何でもありと言えばありなのか。
引かないでくれればいいけれど。
しかしクリスティーナみたいな転校生が来たら、大騒ぎなんてもんじゃないな。
それが俺の彼女ですなんて言ったら病院に連れて行かれるか、本当だとわかったら間違いなく壁じゃなくて本人を殴られる。
「ああ、ごめん。なんかこの空間、俺の意志に反応して形を変えるみたい」
本当に日本での俺の教室に、クリスティーナと二人でいるとしか思えない。
「創世」の力ってほんとにすごいんだな。
「これはツカサ様の元居た世界なんですか?」
その事は何度もクリスティーナの部屋で話している。
俺がこの世界にとっては異世界から来たこと。
その異世界での俺の事、学校や友人、ゲームの事なんかも話したな。
「ああ、うん。俺が話していた学校の、俺の教室だ」
「だったら今の私は、ツカサ様の「くらすめいと」ですね」
夢が一つ叶いました、とそう言って嬉しそうに笑う。
そういえば言っていた、ツカサ様の「クラスメイト」になれたら素敵ですね、なんていう事を。
クリスティーナの部屋で一夜を共にするようになってから、二人していろんな話をしたんだ。
「姫巫女」から解放されたら、何をしたいかという事を。
その中の一つに、確かに日本へ帰って、同じ学校へ通うというのもあった。
俺は意地でも「姫巫女」から解放するつもりでいたけれど、クリスティーナにとっては永遠に繰り返す数日の中で夢見る、他愛無い空想遊びだったのかもしれない。
「何か難しいこと考えていますか?」
くすくす笑いながら、制服姿のクリスティーナが問うてくる。
御見通しか。
クリスティーナが少し頬を赤くしながらも、その綺麗な顔を後ろ向きに座っている俺に近づけて来る。
それ自体が輝いているような、クリスティーナのサラサラの金髪が俺の頬に触れるくらいまで。
「私に遠慮なんてしないで、思ったことを言葉にしてください。――ですけど「姫巫女」じゃなくなった私に、もう一度ちゃんと選ばせるなんて言うなら泣きますよ?」
何を言われても私は応えます、といって笑顔を浮かべる。
俺はずるいな、こんな保障をクリスティーナにさせてから想いを告げようなんて。
だけど彼我の兵力差は、圧倒的な方が平和だとはよく聞く話だ。
どれだけ力を持とうとも、俺はクリスティーナの掌の上にいる方が平和なのかもしれない。
「一年後にはまた必ず「泉の間」に逢いに行く。――その時からは、その……ずっと一緒に居て欲しい」
「はい」
喉がカラカラになりながら絞り出した一言に、クリスティーナはとびっきりの笑顔であっさりと答えをくれる。
喉はカラカラなのに、なんで汗びっしょりになってるんだ俺は。
能力管制担当がいてくれないと、神器級の俺の衣類も機能しないんだろうか。
それともその調整能力以上に俺がテンパっているんだろうか。
多分後者だな。
クリスティーナがこう答えてくれることは解っていた。
それを疑ったりはしていない。
だけど――
「俺とずっと一緒に居るって事は――」
言いかけた俺の唇に、嘘みたいに綺麗な指を柔らかく当てて黙らせられる。
こんな仕草、いつの間に出来るようになってたんだ。
冷徹な「禁忌破りサツガイマシーン」か、「姫巫女」から外れたら残念美少女だったはずなのに。
何度も二人の夜を繰り返す間に、女の子としてレベルアップしていたのかな。
知識としては「姫巫女」時代の「淑女教育」があるから、使いこなされたら俺なんて相手にならない。
顔が赤いという事はまだ恥ずかしさは消しきれていないのだろう。
ほんのちょっと救われた気持ちになる。
「一緒に居る――それって、ツカサ様のお嫁さんとしてですよね?」
さすがに赤面を強くしながら、クリスティーナが聞いてくる。
反射的に頷くが、言葉が無いという訳にもいかない。
「ク、クリスティーナが、な、なってくれるなら……」
みっともない。
噛んだし、声が裏返った。
何という無様な求婚の言葉。
だけど正直なところだ、今の言葉は。
今はもう容姿にだけ魅かれている訳じゃないけれど、クリスティーナの容姿は飛び抜けているのだ。
日本に居た頃じゃ、もしクリスティーナが存在していたとしても俺の人生とは毛先ほども触れ合う事はなかっただろう。
たとえ同じ学校、同じクラスになれていたとしても。
「喜んでなりますっ! そうしたら私に怖いものなんてもう、ありません」
真っ赤にした顔に、会心の笑みを浮かべながらクリスティーナが早口でまくしたてる。
「私が今一番怖いのは、ツカサ様に嫌われる事。もう要らないよって言われる事。「姫巫女」から解放してあげたから、後は好きにしなさいって言われる事なんですよ? もしそう言われても、勝手に私がツカサ様を好きでいますけど」
照れ隠しに、えへへと笑う。
言われたこっちも、顔は多分真っ赤だろう。
「正直に言えば、永遠なんてピンときません。だって私はまだ20年も生きていないんですから」
俺が言おうとしたことは、クリスティーナにはわかりきっていたようだ。
クリスティーナの言っている事は、確かにそうだろう。
俺だって八神司としては16年しか生きていないし、それ以外の記憶なんてない。
永遠を語れるほど、まだ生きちゃいないのだ。
何年生きたら永遠を語れるんだという話だけれど。
「ですけど「姫巫女」から解放される前。ツカサ様と二人で繰り返す数日を、永遠に繰り返してもそれを「幸せだ」と思った気持ちは、決して嘘じゃありません」
真面目な表情で、至近距離から金の瞳が俺を見つめている。
涙で少し濡れていて、潤んだ瞳が妙に艶っぽい。
「今この瞬間も、ツカサ様のお嫁さんとして、これからもずっと一緒に居られることを望んでいます。心の底から。――ツカサ様も望んでくれますか?」
――当たり前だ。
そうあるために、100回も繰り返したのだ。
いやそう思ってからは50回か。
水増しは良くない。
だけどなんかクリスティーナ、花嫁と神父一人二役みたいになってないか?
俺が不甲斐ないだけか。
ちくしょう、指輪かなんか用意しとけばよかったな。
ああそれも「創世」したら消えるから意味ないか。
そう思った瞬間、教室は一瞬で教会に姿を変え、クリスティーナは純白のウェディングドレスに包まれる。
ああもう、なんだって俺の妄想はこんな陳腐なんだ。
鐘鳴るな。
だけどすごく綺麗だクリスティーナ。
再び変わった自分の衣装にびっくりしながらも、俺に抱き着いてくる。
ウェディングドレスはクリスティーナも知っているのだろう、嬉しそうだ。
「それを望んで今まで周回してきたんだ。当たり前じゃないか」
せめてはっきりと答える。
しかし悲しいくらいに俺のフロックコート姿は似合わないな。
タキシードじゃなかっただけましかもしれないけれど。
ステンドグラスから光が射して、どこからともなく花弁が舞ってるよ。
俺こんな少女漫画風好きだったかなあ……
「嬉しい……でしたら二人で、この気持ちを重ねていけばいいと思います。「永遠を誓う」なんて結婚式のお約束ですけれど、それは契約だとか義務とかじゃないと思うんです」
抱き着く腕の力を強めながら、クリスティーナが耳元で囁く。
「今この瞬間に永遠を誓えるくらいの気持ちを、二人で確認しあっているだけ。それが嬉しいから、明日も一緒に居られる。それをずっと続けていくことが、私の永遠です」
そうだな。
言葉で永遠を誓ったって意味がない。
ずっと続く毎日を、お互い大事にしていけたらそれでいい。
自分を、相手を信じられないから言葉での安心を求める。
言葉で言う事も大切だけど、それはまず気持ちが、行動があってこそのものだ。
今ここで「大丈夫か?」を確認することに意味なんかない。
ずっと一緒に居たいと思う、今の気持ちを確認できたらそれでいいんだ。
「ですから、あの……」
勝手に晴れ晴れした気持ちになっている俺の腕の中で、顔を真っ赤にしてクリスティーナがもじもじしている。
「言葉じゃなくて、こ、行為で示してください。私が欲しいって。ずっと一緒に居たいって。だって私まだ……接吻もしてもらっていません」
思わず頭が真っ白になった俺に、もう待ってられませんとばかりにクリスティーナの方から接吻をされた。
口唇を押し付けるだけの、幼い接吻。
そうすることで「姫巫女」の力を失う事を俺が怖れて、ずっと超えてこなかった一線を今、越えた。
情けないことに、またしてもクリスティーナの方からになってしまったが。
「これでもう、私は「姫巫女」じゃありません。実際はどうであっても、ツカサ様が仰っていた「ゆにこーんりろん」に従って、私はもうツカサ様以外の殿方と生涯こういう事は致しません」
そう言って俺の胸に顔を強く押し付ける。
よっぽど恥ずかしいのだろう。
俺も相当恥ずかしい。
ユニコーン理論とか、確かに寝ぼけて話したことあったなあ。
まさか覚えておられるとは。
「私を、ツカサ様のものにしてください。これから何があっても、ツカサ様が必要だと思って世界を何度やり直しても、絶対に消えないように」
強く目を閉じて、胸の中から俺の方へ顔を上げている。
さすがにここからは俺が主導するべきだ。
どこまでクリスティーナ頼りなんだという話だが、せめてここからは。
「私がツカサ様だけのものだという印を、私の魂に刻んでください」
抱きしめたクリスティーナを、都合よく現れた日本の一流ホテル風ベッドに出来るだけ優しく横たえる。
ほんと高層ホテルのペントハウスに変わった世界を見て、俺の陳腐さにため息が出る。
バブルか。
強く目を閉じているクリスティーナに、初めて俺から積極的に触れる。
震える身体を、今夜? 俺のものにする。
誰か曲止めて。
次話 最終話 ひさしぶりのはじめまして
本日23:00投稿予定です。




