第55話 101周目 【不敗の魔法遣い】
「やめて、その子には何もしないで……」
俺の前に立ちふさがったネイと呼ばれる少女の行いを見て、ジアス教の正装に身を包んだアリアと呼ばれていた「聖女」が初めて感情らしい感情を見せる。
「お姉さん……」
自分を庇おうとするアリアの言葉に、ネイも反応する。
「その子」「お姉さん」というお互いの呼び方からしても、二人はそう近しい存在という訳ではないのだろう。
勇者のふるまいから見ても、長く一緒にいたのはネイの方で、アリアは「姫巫女」の危機に対応するために、初めてここへ呼んだのかもしれない。
目立ちたくないみたいなことを確か言っていたし、教皇庁が擁する聖女の下に現れれば、それは大掛かりに「勇者降臨」を騒がれて、身動き取れない立場になるのは想像に難くない。
「姫巫女」であるクリスティーナのところへも今まで現れていなかったことから考えても、そう間違った判断ではないだろう。
勇者に聞いても「虫の知らせ」とか「神のお告げ」とかしかわからないのであろうが、「姫巫女が敗れるかもしれない」事実を「勇者」に知らせ得る存在は気にかかるところだ。
俺の「死に戻り」の影響で、サラの「神託夢」さえ何も報せない状況で、どうやってそれを知り得たのか。
まだ完全に力を使いこなせてはいないが、そうなればおのずとわかるだろうけれど。
全てを終わらせ、またはじめることが出来る俺の力に抗する事が可能な存在がいるのはまず間違いないだろう。
「創造主」と対になる存在があるのかもしれないしな。
しかし記憶こそ戻らないとはいえ、まさか自分が「創造主一派」の首魁だったとは。
今の俺に至る話もなかなかに興味深いところではある。
「……」
ちらりと左肩に視線を送るが、タマは沈黙を守っている。
こうなると全てを仕組んだのはタマで間違いないだろうし、その思惑は後で聞けばいい。
今の俺が聞けば、基本的に素直に答えるだろう。
まあ今はそれはいい。
「……私達「聖女」は「勇者」様には逆らえません。まるで歯が立たないあなたに戦いを挑んだことは謝ります。ですから赦し――」
俺の一瞥を受けて、都合のいいことをいい始めていたアリアが言葉を呑み込む。
確かに聖女は勇者に従う義務があり、それを叩き込まれて育ってきているのももう俺は知っている。
だけど「勇者」を止めるでもなく、俺の頭をすっ飛ばしとておいてその言い草はなんだ。
俺が自分の力に覚醒していなければ、俺の頭をすっ飛ばし、泣くクリスティーナを無表情で見ていただけの人間が、力で負けたらそんなことを言うのか。
反射的にそう思った俺の右腕を、クリスティーナがきゅっと引く。
俺の顔を見上げ、何か言いたげでありながら、口唇をかんで我慢している。
――そうだ。
理不尽に抵抗しうる力を持った立場の者が、正論を言うのは容易い。
実際俺は、今俺が感じたことを間違いだとは思っていない。
だけど今俺が反射的に怒りを感じた同じ言葉を、クリスティーナが言っていた可能性だってあるのだ。
俺がサラと出逢わず他の国に流れて、結果として勇者と敵対した時にはその傍らには無表情なクリスティーナがいてもまったく持って不思議じゃない。
いやそれが当然なのだ。
それが本来在るべき「聖女」――「姫巫女」というものなのだから。
クリスティナ・アーヴ・ヴェインに戻る前、「姫巫女」としての義務を遂行する人形のようになっていたクリスティーナは俺と初めて逢った時、躊躇うことなく無表情に俺の首を切り飛ばした。
初めて変化が訪れるまでの繰り返しでは、無慈悲な「姫巫女」として、何の疑問を持つことも無く行動していた。
その初めての変化をもたらしたものは、恐怖だ。
今なら理解できる。
俺を殺すと必ず発動する「滅日」を幾たびも経験した事から魂に恐怖が刻み込まれ、そこから「姫巫女」が崩れて、初めてクリスティナ・アーヴ・ヴェインという一人の女の子が顔を出したのだ。
そのはじめて浮かべたクリスティナとしての表情に、俺があっけに取られてから全ては変わり始めた。
今のアリアとネイは、あの時のクリスティーナと同じなんだ。
惚れた女なら赦して、そうじゃない相手は弾劾する。
それがそんなに間違っているとも思わない。
人間なんてそんなものだ。
好きな相手にされたことなら笑って赦せても、赤の他人にされたらそうとは限らない。
「ただしイケメンに限る」などという殺傷力の高い言葉もあったな、そういえば。
ましてや今回されたことは「殺される」という、本来であれば取り返しのつかないことなのだ。
……それを50回ばかりやられた時点で惚れるって言う、俺がいっても説得力には欠けるが。
それでも「聖女」が置かれ、育ってきた環境を知っている以上は、強いられた相手にまで「強者の正論」をぶつけるのは傲慢だ……と思う。
勇者に従い、敗れたからには供に運命を供にするべきだとは思っていない。
彼女らは、俺と出逢わなかったクリスティーナなのだ。
「この子には何もしないよ。もちろん君にもね。――だからといってなんでもお願いを聞いてあげるつもりも無いけれど」
俺の言葉に一番ほっとしたのはクリスティーナなのかもしれない。
腕の中で強張っていた身体から、力が抜けるのが伝わる。
クリスティーナもおそらく、俺と似たような事を思っていたのだろう。
アリアも安堵の表情を浮かべている。
そうだ、彼女は傍若無人に振舞う勇者に諫言をして、殴られていた。
初期の「姫巫女」を知る俺だけが、それがどれだけ彼女にとって大変な事かは理解してあげなくちゃいけなかった。
だけど俺の言葉に安堵するどころか一層身体を強張らせ、否定するように首を振るネイ。
無感情に「姫巫女」の義務にしたがっているわけではないという事は、「上書きの光」を前にして震えていることからも明白だ。
何が彼女にそんな無私献身の行動を取らせているのか。
「お、女は助けて俺は殺すのかよぉ!? た、助けてくれよ、俺はがっ」
やかましいから「麻痺」をかけて黙らせる。
もうお前に聞くことは無い。
ちょっと黙ってろ。
「君は「聖女」の義務としてそうしてるのか?」
俺の問いかけに、ネイはふるふると首を左右に振る。
こんな小さい少女が、震える身体を無理やり「恐怖の対象」の前に立たせているのは、彼女自身の強靭な意志だという事だ。
「……勇者は、君には優しかった?」
この問いにも、ネイはふるふると同じように首を振る。
それはそうだろう。
着せられている服も、ずっと無表情に暗い顔も、大事にやさしく扱われている女の子にはとても見えない。
ネイにだけ勇者が特別な、もしくは本当の顔を見せていた可能性もこれで消えた。
「――酷い事、いっぱいされました。もう私はお兄さんの腕の中にいるお姉さんとか、私を庇ってくれたお姉さんのように綺麗な娘じゃありません」
ずっと無表情だった顔を、泣き笑いのようにしてネイが口を開く。
――やはりそうか。
そうじゃなければさっきの「勇者」の言葉は出てこない。
そういう事をした経験があるからこそ、クリスティーナとアリアもそうしてしまえばいう事を聞くようになると思っていたのだろう。
サラと変わらないくらいの年頃だろう、ネイと呼ばれたこの少女は。
それなのに――
だったらなおの事、なんでそうまでして庇おうとするんだ。
解放されてほっとするのが普通じゃないのか。
「はじめは優しかったんです。だけど私の「聖女」の力でどんな魔物でも倒せるようになって、いっぱいお金が手に入って、おかしくなっていっちゃった……」
寂しそうな、泣き笑いのような表情でネイが続ける。
力に溺れる。
それは俺にとっても他人事じゃない問題だ。
今回の一件で覚醒した巨大すぎる力に、俺が溺れないという保障はどこにも無い。
いつか今の勇者のような振る舞いを、他の誰かに無自覚にしてしまう可能性はゼロではない。
いや今この瞬間だって、圧倒的な力で感情の赴くまま過剰に断罪しているのかもしれない。
「だけど、それが今君が勇者を庇う理由にはならないだろう?」
出逢った頃は優しかったからといって、今酷い事をされている相手を庇う理由にはならない。
想いの形はいろいろあることは知っている。
俺とクリスティーナだって、傍から見ていれば相当に歪なものだろう。
だからといって俺達の想いが間違っているといわれる筋合いは無い。
俺とクリスティーナに似たものが、勇者とネイの間にはあるんだろうか。
「そうですね……」
力なく微笑むネイ。
どこか羨ましそうに俺の腕の中のクリスティーナを見つめているのは気のせいでは無いだろう。
「でも、勇者様は私を救って下さったんです。命ではなく、魂を。だから私はどんなことをされても平気だし、勇者様の後に私が死ぬことは無いんです。――お兄さんが勇者様をどうしても赦せないのなら、私には止める手段がありません。だったらせめて、私を先に殺してください」
そう言って、全てを消し去る「上書きの光」へ、自分から一歩踏み出す。
「言っただろう、君は殺さない。だけど勇者が君の魂を救ったってどういうことだ。説明してくれ」
俺が話を聞くという事は、その内容次第で勇者の助命が叶うかも知れない。
そう思ったのであろうネイは、たどたどしくも熱意を込めて、己が勇者に全てを捧げている理由を語りだす。
俺が好んだ物語なんかではよくある、ありふれた話だった。
聖女として探し出されておらず、「聖女認定」されないまま辺境の食べていくには困らない村でネイは育っていた。
自分に「魔法」の力があることは自分はもちろん、村の人々も知っていて、大事にされていたらしい。
弱い魔物であれば問題なく狩れ、怪我や病気を治せる「聖女」の力は、村の宝として幼い頃から大事にされていた。
その力を失うことを恐れて、協会へ「聖女認定」の申請は行っていなかったのだろう、その村は。
だがその村は約一年前、不運に見舞われる。
近くの峡谷に凶暴な魔物が大量発生し、村を大挙して襲ったのだ。
そんなものに対抗できるのはネイの「聖女」としての力しかなかった。
だが「聖女」としての教育も受けておらず、なぜか使えるという程度だった「魔法」を、津波の如く村へ押し寄せる魔物に対して使おうとしたとき、おそらくは「聖女」を守ろうとした「魔法」が暴走をする。
そのときネイの心を支配した、「恐怖」が引き金だったのだろう。
守るべき村も巻き込んで、全てを薙ぎ払おうとしていたネイの「魔法」を、突然現れた「勇者」が制御し、その力で押し寄せる魔物も始末してくれたのだ。
「勇者様のおかげで、私は大好きな村のみんなを殺さずに済みました。だから勇者様が変わってしまっても、私に酷いことをしても私は平気。だって村のみんなは今も笑って暮らしているもの」
そういって力なく笑う。
「私の魔法が暴走した時の、あの魔物よりももっと怖いモノを見るような目を私は忘れません。そんなことが二度と起こらないように、「勇者」様は私を所有してくれた。だから私は勇者様をどんなことがあっても護ります。護りきれなくても、護って死にます」
――そういう、ことか。
どんなに自分に酷いことをされても、そのときに「勇者」が来てくれなくて、大好きな村の人たちを自らの力で皆殺しにしてしまう事よりもずっといい。
それに同じような暴走が二度と起きないように「勇者」が制御してくれるのであれば、自分は二度とバケモノをみるような目で人にみられる事は無い。
だから尽くす。
何を犠牲にしてでも。
「君の力は俺がもう制御できる。それでもか?」
「はい」
即答だ。
意志は揺らがないようだ。
己の力の暴走という恐怖を取り除いても、恩義には報いるのか。
その意志は揺らがないのか。
そうか。
「だけど私と「勇者」様も、お兄さんとお姉さんみたいになれたらよかったな……もう遅いですけど」
そういって一筋涙をこぼす。
俺は優しかった頃の勇者なんか知らない。
ネイを絶望の淵から、結果として救い上げた勇者も知らない。
だけどネイは、ネイなりにそんな「勇者」を好きだったんだろう。
それが殺されるとなれば、供に死のうと思うくらいに。
そうか。
天を仰ぐ。
――だからどうした。
ぼとん。
ネイの背後で、重いものが落ちる音がする。
その音が聞こえたネイが、恐る恐るといった風に振り返る。
その目には首を落とされた、元「勇者」であった死体が、ゆっくりと後ろへ倒れていく姿が映っているだろう。
さっきの俺とクリスティーナと、同じような位置関係だ。
ただし「勇者」は復活したりはしない。
「あ……あああ……ああああああああああああ!!!」
意味を成さない絶叫が、ネイの口から止まることなく溢れ始める。
「絶望」というものを声にしたら、きっとこんな声だ。
やったのはもちろん俺だ。
一人の少女を絶望から救った過去があった。
その少女はそれを恩義に思い、我が身を捨ててでも「勇者」に報いようとしていた。
だが死ね。
そんなことで俺にやったことは消えたりしない。
そんなことでクリスティーナを泣かし、その身を汚そうとした罪は消えたりしない。
死だけがその罪を贖える。
だから死ぬがいい。
死んで己の罪を魂に刻み付けろ。
絶対に触れてはいけないものに自分が触れたことを思い知れ。
その報いとして何の尊厳も無く虫けらのように死ね。
愚かな己の人生で救い得た、だが自分で踏みにじった少女の絶叫を鎮魂歌に死ぬがいい。
俺が、八神司が「絶対不敗の魔法遣い」として、今これをみたすべての者の魂に刻み込まれる為に。
クリスティーナや俺の大事なものに手を出した存在が、一切の慈悲なく殺されることを全ての者に心の底から思い知らせる踏み台として、今「勇者」は死んだ。
確実に俺が殺した。
俺の頭を吹き飛ばし、クリスティーナを泣かせ、言ってはならない暴言を巻き散らかしたこの周の「勇者」には落とし前をつけた。
――だから。
「相変わらずといいますか、甘いのは変わりませんねぇ」
タマうるさい。
「ごめん、クリスティーナ」
「何を謝るのです、ツカサ様。永遠を覚悟した私達です、一年くらいなんだというのですか」
全てわかっているという表情で、クリスティーナが俺に抱きついてくる。
何も言わなくても通じているのを喜ぶべきか、既に尻に敷かれる下地が完成していると嘆くべきか。
「ほんとにごめん。これが最後の「やり直し」にするから」
そういう俺にクリスティーナは微笑み、タマは左肩で盛大にため息をついた。
次話 101周目【アカシックレコード・オーバーライト】
12/9投稿予定です。
今回の展開は読者の皆さんにはばれてただろうなと思いつつ……
あと3話で「姫巫女」編完結です。
もうしばらくお付き合いいただけると嬉しいです。




