第53話 101周目 【勇者降臨】
「この俺様を完全に無視して盛り上がってんじゃねえよ、魔獣風情が! 俺は三聖女の力を自由に出来る勇者様だぞ。大体テメーの主とやらは首から上がなくなって、もう死んでるじゃねえか。ははは、やったの俺だけどな! まあいい、テメーはむかついたから切り刻んでやる」
盛大に無視されていた「勇者」が、嗜虐的な光を眼に宿し、空中から地上へ降り立つ。
「こ、来ないでください!」
タマとの会話で我に返ったクリスティナが、タマに近づこうとする勇者を拒絶する。
声が震えているのは、「姫巫女」故にわかっているからか。
「聖女」が「勇者」にはけして逆らえないことを。
「あっれぇ、「姫巫女」ちゃんのピンチに駆けつけた俺様に対してずいぶんな事言うじゃないか。「聖女」は「勇者」に傅くのがジアス教の教義じゃなかったっけ?」
下卑た表情で「勇者」がへらへらと笑う。
それを聞いてクリスティナの奥歯が恐怖でカチカチと鳴る。
幼い頃から嫌と言うほど繰り返し聞かされていた、事実であるからだ。
「「姫巫女」ちゃんは背教者なのぉ?」
「背教者」という言葉にも、反射的に体が竦む。
「かくあるべし」と長年叩き込まれ、つい最近まで自分自身でもそれが当然だと信じていた事実は、簡単に体を硬直させる。
聖女は勇者様のために居る。
勇者様の仰ることにはけして逆らってはいけない。
それが神の定めたこの世界を護る為の理である。
己の全てを捧げて、勇者様にお仕えするのが「聖女」――「姫巫女」の義務である。
それを破れば「姫巫女」の力は失われ、世界は魔物たちに蹂躙される暗黒の時代を迎えるだろう。
いつか現れる勇者様には誠心誠意お仕えし、その望みを全てかなえなければならない。
そのために淑女教育も受けているし、それは「夜」の相手についても含まれていた。
教えられていたときは、そんなものかと思っていた程度だった。
それが「姫巫女」としてやるべきことだというのであれば、「勇者」様が現れれば教えらた通りにすればいいと思っていた。
淑女教育を受ける頃には、幼い頃に「勇者」様との純粋な邂逅を夢見たクリスティナ・アーヴ・ヴェインという女の子はもうどこにも居なくなっていて、「姫巫女」の力の入れ物でしかなくなっていたから。
だけど今は。
あれだけツカサが手を出してくれないかなあと思っていたことを、今目の前に居る「勇者」様にされると思うと、想像しただけで鳥肌が立つ。
絶対に嫌だった。
そんなことになったら、ツカサの前で二度と笑顔になれないと思う。
勇者の見た目は非の打ち所が無い美形である。
ツカサの頭を一撃で吹っ飛ばせたところからしても、世界の護人としては充分な力も持っているのだろう。
「姫巫女」としては何の不満も無い相手といってもいいだろう。
だけど無理だ。
絶対に無理。
「よ、寄らないでください!」
「誰に向かって言ってんだ! 聖女が勇者に口ごたえしてんじゃねえよ!」
クリスティナの拒絶の言葉に、あっさりと激高する勇者。
「聖女」が「勇者」のいう事に絶対服従であることをよく理解していて、それを当然だと思っている者の態度である。
そうなさしめたのは、背後に付き従う二人の「聖女」か。
忠実なはずの者にされた、口ごたえに耐える度量がまるで無い。
だが「教育」という名のものとに刷り込まれた「絶対的な教え」に反応して、クリスティナの体が再び竦む。
それはそうだろう。
つい数日前まで、それを唯一絶対の真実として生きてきていたのだから。
だけど今のクリスティナは数日前とは別人である。
何度も繰り返したこの数日間を通して、「姫巫女」はとっくにクリスティナ・アーヴ・ヴェインに戻ってしまっている。
いいや、いまの自分は「クリスティーナ」だ、とクリスティナは思う。
ツカサに「姫巫女」から、一人の女の子であるクリスティナ・アーヴ・ヴェインに戻してもらったのだ。
そこから二人で、ツカサに恋する「クリスティーナ」になったのだ。
そしてついさっき、そのツカサが自分はもう「姫巫女」で居る必要が無いことを証明してくれた。
なのに自分がこんな初対面の、いけ好かない男に怯んでいる場合ではない。
「私はもう「姫巫女」ではありません! ツカサ様の伴侶となるクリスティーナです! ツカサ様以外の殿方に従うつもりはありません!」
禁忌とされた勇者への口ごたえを、模範的な「姫巫女」であり続けてきた自分がする。
ツカサと出逢わなければ、考えることすらなかったような状況だ。
――震えちゃダメ。
――怖がっちゃダメ。
――だって私はツカサ様の伴侶になるんだから。ツカサ様だけの女なんだから。
目尻からあふれる涙は止められなくても。
震える体を止められなくても。
それでも意志だけは屈するわけには行かない。
ツカサとともに、永遠の繰り返しをすら「幸せ」と思えた自分の気持ちは嘘じゃない。
たとえ「姫巫女」の力が一切「勇者」に通用しないことがわかっていても。
力ずくで来られたら抵抗の手段が無くても。
絶対に、恐れてご機嫌を伺うような愛想笑いなんか浮かべない。
仕方の無いことだと、無表情で受け入れたりなんてしない。
絶対の意志を込めた視線で、「勇者」を睨み付ける。
そのクリスティナの表情を見た「勇者」の背後の二人が、どこか羨ましそうな表情を浮かべる。
二人はツカサに会う前のクリスティナのように、基本無表情だ。
そうすることが当然だとして、「勇者」に付き従っている。
ツカサに逢えないままだったら、自分もあっち側でそうしていたんだと思うと、クリスティナは心底ぞっとした。
そして今一瞬だけ浮かんだ、二人の羨ましそうな表情に意識が向かう。
――ツカサ様が出逢うのが、私じゃなくてあの二人のどちらかだったなら、そうなっていても不思議じゃないのね。
「このクソ女、調子にのりやがって……痛い目見ないとわかんねーのかな、女ってのは」
絶対従順なはずの相手に逆らわれたことで、完全に逆上している。
声を荒げるのではなく、低く静かになったことが怒りの強さを表している。
「勇者様。やりすぎるのは――」
「俺に指図してんじゃねえよ、人形女が!」
元の無表情に戻ったジアス教の正装に身を包んだ美女が諫言をしようとするが、言い切る前に頬を殴られて地に倒れ付す。
何が起こっているか理解できていない観客席からも、驚きの声が上がる。
観客はほぼ全て貴顕で揃っているため、ジアス教の教皇庁に属しているはずの「聖女」の顔を知っている者が居るせいかもしれない。
セトもその一人だ。
何が起こっているのは理解はしきれてはいないけれど、師匠と師匠の惚れている女性を護るために、闘技場へ飛び込んできている。
サラもそれに続こうとしている。
「ったく、「大いなる災厄」が出るまでは教会だの国家だのに縛られたくないから、教皇庁とヴェイン王国の聖女は放置してたけど図に乗りやがって。まあこのあと二人纏めて俺の女にしちまえば言う事聞くようになるだろうよ」
地面に倒れ伏した、ジアス教の正装に身を包んだ「聖女」に唾を吐きかけながら、勇者が毒づく。
「ジアス教の人形聖女と違って、ヴェイン王国の「姫巫女」ちゃんは感情ゆたかみたいだからな。そっちのほうが楽しみだ」
美しく整った顔が浮かべる下卑た表情というものはここまで醜悪なものか。
だがその言葉を聴いて、クリスティナは押さえようも無く震え上がった。
嫌だ。
絶対に嫌だ。
もしも嫌悪感と拒絶感を力に変換できるなら、この世界を滅ぼしてしまえるくらいにクリスティナは拒絶する。
だが勇者にとっては、その拒絶こそが愉悦となるのだろう。
「まあこんなちっせえ魔獣ぶち殺すくらい、お前の力で充分だろ。――ネイ!」
沈黙を護ってじっと勇者の傍若無人な振る舞いを見つめるタマに向かって、改めて嗜虐的な表情を向ける勇者。
勇者にネイと呼ばれた質素な服に身を包んだ少女が、ツカサでも出した事が無いような巨大な魔方陣を展開する。
この少女がつかさどる「三聖女」の役どころは「魔法」
クリスティナの攻撃に特化された「技」による「攻撃」
今地に倒れ伏している聖女の担うであろう、聖術による「防御」
その双方をフォローし得る、万能系の「魔法」を使うのがネイと呼ばれる聖女である。
どうやら「勇者」は、このネイだけを己の僕として、「大いなる災厄」が現れるまでは好き勝手に生活していたようだ。
魔物を狩り、金に替えて好き放題生きるには過ぎた力だ。
小知恵は働くのだろう。
目立たぬように暮らす程度のことは出来ていたようだ。
その間に救いようの無いほど、己の力に――己のものだと錯覚してしまった力に溺れてはいるようだが。
「勇者と三聖女」の仕組みが、「姫巫女」の脱落を警告したものか。
この場に勇者が現れた理由はそんなところだろう。
八大竜王すらものともしない「姫巫女」の力を目の当たりにして、それすら支配する自分には「教会」も「巨大国家」も恐れるに足りずと判断したのか。
故にこそ、この尊厳を蹂躙するがごとき態度での登場と相成ったわけだ。
「はあ……わかりやすく屑ですね。我が主ももうちょっとこんな風になれれば楽なんでしょうけれど」
勇者の態度にはもちろん、聖女が展開する巨大な魔方陣をもまるで警戒する様子を見せずにタマがため息をつく。
「余裕じゃねえか、ちび魔獣。虚勢で無いことを証明してもらおうか」
「やれるものならやってみろと、何回言わせる気ですか。若いのに耳が遠いんですか貴様。まあ力に溺れて、その力をくれる聖女に屑そのものの態度を取っている「勇者様」にはお似合いですか。人のいう事に耳を貸さない。カッコイイですねぇ」
ツカサをへこませる毒舌は、勇者相手にも衰えを知らない。
誇示した力を笑い飛ばされ、その上反論の余地も無い言葉を浴びせられて、勇者の顔から表情が抜け落ちる。
「死ね」
いっそ静かな声でされた宣言に合わせ、タマとその背後に倒れ伏すツカサの体に向かって巨大な魔方陣から、無数の雷撃が発射される。
タマの如き小躯であれば、焼け焦げて炭になり、崩れ果てそうな規模の攻撃だ。
怒りに顔を白くしている勇者は、タマとその主とやらが跡形も無く消え去ることを疑ってもいない。
それがタマの背後に立ち上り始めていた光の粒子に触れると、嘘みたいに消失する。
それは無数に発されていた雷撃を逆に伝い、巨大な魔法陣そのものを消し飛ばす。
「っな?」
あまりにも想定外な事態に、勇者の表情から余裕が無くなる。
常に無表情であったネイと呼ばれた美少女の顔にも、倒れ伏している美女の顔にも驚きがある。
「寝ぼけてるんですか、我が主。おかげで田舎世界の勇者風情が絶好調イケイケに振舞うのを眺めるという苦行を強いられたじゃないですか。さっさと目を覚ましてください」
そういうものの、光の粒子はふわふわと漂うだけで、それ以外の変化を見せない。
「全く……クリスティナ王女殿下の部屋で我慢の徹夜とかしてるから目覚めが悪くなる」
ため息と共にちらりと同じく驚きの表情を浮かべるクリスティナに目をやり、大音声でタマが口上を述べ始める。
「我が主! 我が飼い主! あなたの惚れた女がポッと出の勇者とか言う馬の骨に泣かされているのに寝ている場合ですか! この調子にのった馬鹿は女に平気で手を上げた。この場に飛び込んでくるセト少年もサラ王女殿下も、貴方が寝ぼけていれば同じ事をされますよ。何よりこの馬鹿は貴方の女に手を出すと口にした。惚れた女が他の男に好きにされるのを黙っているならもう、男なんか止めてしまいなさい!」
タマの口上にあわせるように、光の粒子の動きが活発になる。
「もう自分が何者であったのか、わかっているのでしょう」
タマは笑っている。
主の帰還を寿ぐ、忠実なる従者の喜びだ。
「己の意志を通すため、持っている力は誰に憚ることなく行使すればいい!」
タマの叫びは、タマの祈りは止まらない。
「チェス盤をひっくり返せ! 駒を砕いて微塵にしろ! したり顔でチェックメイトとほざく相手を拳で打ち据えろ! それこそが絶対の力。それこそが世界を支配する唯一絶対の理! ルールなんてものは、力がつくり、力にひれ伏すものだ!」
狂ったようにタマが声を上げる。
これは主の再臨を祝う言葉か。
「狂ったか魔獣! すでに死んだ主とやらに何を期待する!」
言葉とは裏腹に、動揺した勇者の表情は慌てている。
「は? 何を言っている、たかが一世界の「勇者」風情が。まさかさっきので我が飼い主を殺せたとでも思っているのか。本気で? おめでたい。おめでたいぞ田舎世界の勇者様。いや田舎とは言うまい、我が主の伴侶が生まれた世界だ、私は敬意を払う」
さっきの勇者など比べ物にならないくらい、タマがハイテンションだ。
クリスティナもちょっと引いている。
傍からみていれば、タマこそが悪の権化にしか見えないだろう。
「この世界の勇者に過ぎぬ者が、誰に背いたのかを思い知るがいい。世界を終わらせてまた始めるもの。神すら含めて世界を生み出すもの。それこそが我が主、創――」
「ようタマ。ノリノリのところ悪いがちょっと押さえてくれ。ある意味ストライクなんだが、ノリがよすぎてちょっと気恥ずかしい」
光の粒子がいつの間にかツカサの形を取り、小さい体の総毛を逆立たせて絶好調のタマを拾い上げ、定位置である左肩に載せる。
「すまん、おかげで目が覚めた」
「おはようございます、我が主。しかしあなたは昔からノリが悪い。祝うべき復活です、ちょっとくらいはしゃがせてくれてもいいでしょう」
猫の癖に口を尖らせて文句を言う。
「すまんが、前の記憶とか戻ってないぞ? 俺は八神司のままだ。ただ「力」を使いこなせるようになっただけだぞ?」
「わかっていますよ。だけど貴方は貴方だ。記憶なんてなくたって私にはそれがわかる。まったくもってかわっていない。こう言う大事な時に、己の力を行使できる貴方であれば、記憶のあるなしはわりとどうでもいいですよ。今の貴方との付き合いも悪くないですしね」
「……そういうもんか」
頭をかきながら、クリスティナのところへ向かうツカサ。
「ごめんな、びっくりさせたか?」
やさしく問いかけるツカサの声に、クリスティナは無言でぶんぶんと首を振る。
嘘だ、めちゃくちゃびっくりしたし、すごく怖かった。
もう離れないとばかりに、右腕に強くしがみ付く。
――この人じゃないと、もう嫌です。
言葉無くしがみ付くクリスティナの艶やかな金髪を数度撫でて、言葉無く立ち尽くす「勇者」にツカサは向き直る。
「さてこの世界の勇者様。事と次第によっては事情を話してクリスティナを奪う赦しを得てもよかったが、先制攻撃でこっちの頭すっ飛ばしてくれたんだ、もうそういう段階じゃないよな」
落ち着いた声で、黒の瞳と銀の義眼が、美しく整った勇者の顔をひたと見つめる。
「て、てめえ何者なんだ……「大いなる災厄」なのか?」
唾を飲み込みながら、勇者が問いかける。
聖女の一人を奪い、勇者と聖女の攻撃を苦も無く無効化する。
それが「大いなる災厄」であれば、世界は成す術も無かろうに何を言っているんだとタマが笑う。
「そんなたいそうなもんじゃないよ。クリスティーナに惚れて勇者から聖女の一人を奪う、まあ略奪者って所じゃないか?」
その言葉に、ツカサの腕の中のクリスティナが輝くような笑顔を見せる。
「今泣いたカラスがもう笑った」の見本のようだ。
好きな人の前では、誰もが子供みたいなものなのかもしれない。
「答えになってねえよ!」
「まともに答えるつもりも無いからな。まあお前はとりあえずぶっ飛ばすよ勇者様。お前の代わりはもう俺が出来るし、他の聖女の扱いもちょっと酷い。俺の力の確認のついでに報いを受けろ。まあもう受けてるんだけどな」
その言葉と同時に、ツカサの左目の義眼と左手のグローブが魔力の光を吹き上げる。
本来であれば、「姫巫女」一人にあれだけ苦戦していたツカサが、勇者と聖女二人を相手に回して勝利するのは難しいはずだ。
「何を言っていやがる、このバケモノ……」
だがツカサに勝敗の行方を憂う表情はなく、左肩に載るタマは今までになく誇らしげにふんぞり返っている。
それをみてクリスティナが少し笑う。
――タマさん、本当にうれしそう。
さっきまでの殺伐とした空気はすでになく。
駆けつけつつあるセトの前で、勇者の蹂躙が始まろうとしていた。
「……よくもクリスティーナを泣かせたな」
ぼそりと漏れたツカサの声に、よりいっそうクリスティナはツカサの腕に強くしがみ付く。
好きな人にやきもちを焼いてもらえることが、こんなにぞくぞくすることだとは知らなかった。
そしてこれが終われば、自分は晴れてツカサの彼女、恋人になれるのだ。
自分でも不思議だが、クリスティナももう、ツカサが勇者に勝利することをまるで疑ってはいなかった。
好きな人の活躍を楽しみにしている、ただの一人の女の子。
そうある自分がうれしくて、もう勇者なんかどうでもいいからツカサに抱きついてしまいたくなる。
――がまん。邪魔しちゃダメ。
その分今夜は何の遠慮もしないことを、クリスティナはツカサの腕の中で静かに決意した。
次話 101周目【勇者蹂躙】
12/7投稿予定です。
いろいろご指摘いただきまして、サブタイトルを変更し、当初のサブタイトルであった【勇者蹂躙】を次話のサブタイトルとします。
タマに煽られたくらいでしたもんね、勇者。
次話できっちり蹂躙します。




