閑話 80周目 THE END 【side クリスティナ―ずっと一緒にいたい人】
クリスティナは今、生まれてから一番ドキドキしている。
自分の部屋に、男の人がいるからだ。
しかもこんな遅い時間に。
クリスティナは自分のベッドに腰掛けて、椅子の上で窮屈そうに眠ってしまったツカサを愛おしそうに見つめている。
ベッドで一緒に寝ませんか? といくら誘っても、頑なにそれを拒んだツカサのその時の表情を思い出して、幸せそうにクリスティナはくすくす笑う。
クリスティナにとって、当然ツカサはただ男の人だという訳ではない。
自分を一人の女の子として好きだと言ってくれて、自分を「姫巫女」の立場から解放してくれようと、今も文字通り死にもの狂いで頑張ってくれている男の人。
そしてなによりも、自分の好きな人。
「ヤガミ・ツカサ」という不思議な響きの名前を持つ、今はもう自分にとって、ずっと一緒にいたい人。
そのために必要な事であれば、どんなことだってできるとクリスティナは思っている。
ツカサが待てと言うのなら、何万回だって待ってみせる。
ツカサが見たいというのなら、裸で待つことだってなんでもない。
抱きたいともし言われれば、「姫巫女」の力を失おうとも応えることに躊躇はない。
恥ずかしさを消しきれはしないけれど……
「姫巫女」として生きるしかないと思い込んで、実際そうなってしまっていた自分を、クリスティナ・アーヴ・ヴェインという一人の女の子に戻してくれたのがツカサだ。
ツカサは自分が「姫巫女」よりも確実に強くなり、本来「姫巫女」、いや「勇者と聖女」が担うはずだった役を果たせるようになることで、クリスティナを「姫巫女」から解放出来ると思っている。
だが、クリスティナにとっては「ツカサがそう望んでくれた」時点でもう何もかも捨ててもいいくらい嬉しかった。
いやそれ以前に1回目の出会いの際、問答無用で殺してしまった自分を忌み嫌うことなく、何回も、何十回も諦めずに繰り返してくれたからこそ、今自分はツカサを好きだと思えるクリスティナ・アーヴ・ヴェインに戻る事が出来たのだ。
クリスティナにとっては、もう自分は解放されているのも同じだった。
あれだけ自分を縛っていた「姫巫女」の義務よりも優先すべきものが出来た時点で、ツカサは自分を解放してくれたのだと思っている。
だけどそのツカサが望むなら、ツカサのしたいようにして欲しいのも事実だ。
初めて知ったが、自分は好きな相手には、尽くされるよりも尽くしたいタイプらしい。
今までの所、不本意ながら自分はしてもらう一方で、ツカサに何も返せていないとクリスティナは思っている。
少しでもはやくただの彼と彼女になって、今までしてくれた分を何倍にもして返したいと思うクリスティナである。
――こういうの、重い女と思われるのかしら?
それはそれで不安も伴うもののようだが。
ツカサにとっては実はまあそんなこともないのだが、ここで重要なのはクリスティナの主観だろう。
さっきの会話で「待ってろ」と言われた時は嬉しくて、尻尾があったら振っていたと思う位に、クリスティナはツカサにまいってしまっている。
永遠の繰り返しの果てに、ツカサが折れて自分を見捨てたとしても、恨む気持ちはない。
だってツカサと出逢わなければ、いや出逢ったとしても一度で諦めてしまわれていたら、自分はこんな気持ちを知ることなく「姫巫女」として生涯を終えていただろうから。
今こんな気持ちで居られるだけで、返しきれないほどのものを自分はツカサから与えてもらっている。
たとえ「勇者」と出逢っても、自分が今のような気持ちになれたとは到底クリスティナには思えない。
タマ編集による「ツカサの奮闘記ダイジェスト」を夢で見るまでは、どの周のクリスティナも1周目のクリスティナとほとんど変わりはない。
その夢が鍵になり、その夢通りにツカサが現れて初めて、今までの周の自分を取り戻すように、一気にクリスティナ・アーヴ・ヴェインに戻るのだ。
だが再構築された、二日前の世界からの自分は、やはりツカサと出逢う前の自分とは全然違うとも思っている。
夢で見る幾度も繰り返す自分が、全て本当に自分だと自然に確信できるし、今ここにいる自分が再構築されて次周の自分にバトンを渡すとしても、その自分へと今の自分がちゃんとつながっていると信じられる。
ツカサと逢ってから今までの自分はずっと繋がっているし、これからも繋がっていくと無理なくすとんと心に落ち着く。
人の心は、魂は、「記憶」だけで出来ているのではないのだと確信できる。
だってさっき会ったばかりの人に、こんな気持ちにはなれないと思うから。
「その想いすらも、造られたものだとは疑わないのかい?」
「あれ、タマさん。世界が終る時以外でもお話しできるんですか?」
闇と同化したようなタマが、突然話しかけてもクリスティナは動じない。
セトは未だに「魔獣」と認識しているタマには及び腰だが。
ここらあたりはさすが「姫巫女」というべきなのかもしれない。
「タマさん、しー。ツカサ様は寝てしまわれましたから、起こしちゃだめです」
「ここの所、張りつめていましたからね。貴女から一番欲しい言葉をもらえてほっとしたのでしょう」
タマの言葉に、クリスティナは嬉しくなる。
タマは最初怖かったが、自分のというよりもツカサの絶対の味方だという自信がある。
この見たこともない黒くて小さい生き物は、ツカサの為になる事ならなんだってするだろう。
つまりは今の自分と立場は同じで、恐れる必要はない。
そもそも今の自分に至れる「夢」を見せてくれているのはこのタマなのだ。
感謝こそすれ怖れる理由はない。
得体が知れないという事はまぎれもない事実だが。
「で、先ほどの答えは如何に?」
義理堅く声をちゃんとひそめて、タマが再び訊きなおす。
「その前提って、タマさんが見せてくれる夢で、都合よく私の心が操られているという事ですよね?」
「そうなるね」
部屋の片隅の闇と同化した中から、二つの金の猫眼が嘘を許さぬとばかりに見つめている。
――タマさんと私、瞳の色がお揃いですね。獣眼ってかわいい。
以前のクリスティナであれば恐怖に震えていたかもしれない状況で、くだらないことを考える余裕すらあるクリスティナである。
ツカサの眠りを妨げないように、二人? して声を潜めて会話していることも、友達同士の内緒話みたいで面白い。
クリスティナにはもちろんそんな経験はないのだが。
まあそれは「姫巫女」ではなく、第一王女として育っていたとしても変わらなかったであろうが。
サラと姉妹の秘密を共有することくらいはありえたかもしれないが。
「夢見る度に考えるんですよ、実はその事」
「まあそうだろうね。「姫巫女」の力は強大だ。それを利用するためにこんな搦め手を使ってくることもあって然るべきだろう」
真面目くさってタマも答える。
「……もしそうだとしても、関係ないかなって思っています」
「そうなのかい?」
少し意外そうなタマの声に、クリスティナはくすくす笑って言葉を繋ぐ。
「だってしょうがないじゃないですか、夢を見て幸せな気持ちになって、それでも疑っていましたけど……」
「けど?」
猫なのに、まるで人のように首を傾げるタマ。
猫をよく知らないクリスティナには、その仕草は可愛いものとして映るようだ。
ツカサが起きていればまた違った反応を示すことだろう。
「実際にツカサ様に逢ってしまったら、そんなのどうでもよくなっちゃうんですもの!」
どんな堅物の男でも、一発で骨抜きにされそうな笑顔を浮かべながらクリスティナが答える。
正直なところ、タマはこの問答を仕掛けたことを少々後悔し始めていた。
何が悲しくて惚気話を、自分から水を向けて聞かねばならぬのかというやつだ。
「切っ掛けがもしも騙されていたのだとしても、今ツカサ様を好きな私の気持ちは私のものです。心と体と、私全部でそれがわかるの。だからそんなのはもうどうでもいいのです」
「さすがだね。ツカサを惚れさせろと言ったのはほかでもない私だけれど、惚れたあまりにツカサが精神のバランスを失うところまで一瞬で掻っ攫うとは恐れ入ったよ。美人は怖いね」
思わずため息をつくタマである。
だがタマにとって思惑通りであることも事実だ。
それは素直に喜ばしい事態だと言えるだろう。
「あら、ありがとうございます。ですけれど私の方がツカサ様に心を奪われているのですよ?」
「それもまあ、よく解るよ」
だがまだあと一つ、何かが足りない。
タマはそう判断している。
お互いがお互いを嘘偽りなく好きになり、信じ、永遠の繰り返しさえ二人で耐える覚悟を持っている。
実際に耐えられるかどうかはまた別問題だが、その気持ちに嘘も偽りもないのはタマにもわかっている。
――何が足りない?
全ての拘束を轢き千切る契機。
それはいったいなんだ。
――まあ焦ることはありませんか。今のところ順調すぎるくらい順調な訳ですし。
「ねえタマさん?」
「なんだい?」
自身の考えに耽り、黙ってしまったタマにクリスティナが話しかける。
クリスティナにとって、タマは「ツカサ大好き隊」の同志みたいな扱いなのかもしれない。
「私は「姫巫女」として、世界中のみんなの為に頑張ってきたのです」
「そうだね。初めて出逢った時の貴女は、一部の隙もないほど「姫巫女」だったよ」
タマをもってしても、その頃の「姫巫女」はぞっとする。
心などなく、最大効率で「禁忌を犯した者」に神罰執行する美しい死神。
「ツカサ様のおかげで、クリスティナに戻れたのです」
それが今ではとびっきり美しいことを除けば、街中で年頃の女の子が浮かべる表情となんら変わらぬものを浮かべながら、そうさせているツカサの事を、夢見るように語ると来た。
――女ってのは怖いものだ。
――ツカサ、あなたは三次元の女は解らんとか言ってましたけど、サラ王女と言い、セシル女史と言い、このクリスティナ王女と言い、実はかなり得意なんじゃないですか?
要らぬ疑惑を思い浮かべるタマである。
まあこれだけの美女揃いに好意ですまないものを向けられていれば、そう疑いたくなるのも仕方がないことだともいえる。
ツカサに言わせれば「死に戻りの異能」と「能力」のおかげだよ! とでも叫ぶのだろうが、タマは力の価値はそれそのものではなく、それを何に使うかだと思っている。
タマにしてみれば、惚れられるべくしてツカサは惚れられているのだ。
真正だが。
「でもそのみんなには実像が無いの。誰一人私と親しい人なんていない。子供の頃親しくした人は、みんな居なくなってしまった。私が私を犠牲にしてでも守りたいと思っていたみんなって、誰なのかしら」
「……」
言わんとすることはよく解る。
「今の私にとっては、世界中のみんなよりもツカサ様が大事。大切。大好き。無責任だとか、裏切り者だとか、何を言われてもいいの。ツカサ様さえずっと一緒にいてくださるんなら、他の全てが敵でも私は構わない」
らしくもなく、タマの背筋がぞっとする。
ツカサに向ける恋する乙女の表情だけでは解らないが、クリスティナ・アーヴ・ヴェインの本質は何も変わっていない。
それはそうだ。
「姫巫女」がクリスティナ・アーヴ・ヴェインになった訳ではない。
クリスティナ・アーヴ・ヴェインが「姫巫女」になったのだ。
あの美しい死神の骨子は、間違いなくこの恋する乙女であったのだ。
「でもツカサ様は、そんな私を望んでいない」
今はその全ての想いを向けられる対象が、「姫巫女としての義務」から、「ツカサ」に完全に移行しただけだ。
――まあツカサは望むところなのでしょうが……ちょっと怖いですね。
「だから私は、ツカサ様の望まれることなら何でもします。何でもよ? 反対にツカサ様の望まれないことは、自身の命を絶ってでもしないと決めています。だからタマさんが私を利用する時は、ツカサ様が望む方向でうまくしてね?」
「……心しておこう」
女は怖い、とタマは心の底から思った。
男としての執着も、ツカサを見ていれば凄まじいものがあるのは事実だ。
やり直せるとはいえ、本当に死の激痛に何度も耐えうるくらいには。
だがタマにとってはいま目の前で幸せそうに微笑むクリスティナの方に、ツカサを凌駕する狂気を感じる。
性別を持たないタマだが、何かの目的を達するために性別を得るのであれば、女性となった方が強くなれるのでは、とふと思った。
――いずれはそれもいいかもしれない。
今はまだ、その時ではないけれど。
ベッドで寝ることをかたくなに拒んだツカサは、今自分が座って居る椅子の上で妙な格好で眠っている。
今までは、この世界に今の時間は存在していなかった。
これまでの周回であれば、すでにツカサと「姫巫女」との決闘が決着し、世界は光に還り、再びツカサがこの世界に降り立った瞬間へと再構築されているからだ。
夢で見た自分が、その「世界の終わり」を何度見ても恐怖していることをクリスティナは知っている。
最初にツカサが諦観を蹴っ飛ばしてくれた時は、穏やかに終わりを迎えていた。
でもだんだんツカサが苦しそうにしていくのにつれて、自分も辛くなって行っていたのだ。
次こそはもう、ツカサが来てくれないのではないかという寂しさのせいで。
だけどもう、今回からは怖くない。
次もきっと会えるツカサを夢見て、光に還って行ける。
お互いを信じると、そう決めたから。
そしてその話し合いの中で、あることをツカサにお願いしたからこそ、今の時間は存在している。
今まで人知れず「泉の間」で繰り返していた、「姫巫女」を越えるための戦いを、「神前裁判」という形でやってもらう事。
そうすれば、ツカサがセトに勝利した時と同じく、ツカサが「姫巫女」に勝利した瞬間にジアス教とそれを国教とする国家群は、ツカサが神の意に沿っていることを認めざるを得なくなる。
もちろんヴェイン王国もその例外ではない。
その瞬間から、世界中の誰に文句を言われることなく、自分はツカサの伴侶となれるのだ。
ツカサを晒し者にするようで気が引ける部分もあったのだが、念願かなう瞬間を、誰にも文句の言い様が無い形にしておきたいという想いが勝った。
それにそうすれば、今までと違って「今夜」という二人で居られる時間が得られる。
それもクリスティナにとっては重要な事だった。
頑ななツカサは、自分に何をしてくるわけでもないどころか、ここしばらくの心労がたたって寝てしまうありさまだが、一晩中ツカサの寝顔を見られると言うだけでもクリスティナにとっては望外のご褒美だ。
「それは、いいな。いつか必ずそうなると信じているって感じがする」
と笑ってツカサは同意してくれた。
「ですが、国民からはひどい扱いになると思いますよ? 神前裁判をする理由として、禁域に侵入したという禁忌破りの咎を架せられることになりますから……」
あまりにもあっけらかんと同意するので、心配になってクリスティナは聞いてみたが、
「禁域に無断侵入したどころじゃないからなあ、一回目から……」
などというので、二人して改めて盛大に赤面する羽目になった。
「決闘」の場を「神前裁判」とすることは二人の決定事項となった。
おかげで今の時間が確保できている。
次周があるとしたら、次周以降の私はこの私に感謝するべきだわ、とクリスティナは一人で笑う。
その後の話し合いで、要らない嘘をつく必要はないだろうから、ありのままを伝えようと二人で決めた。
その上で自分がツカサに心惹かれていることを表明すればいい。
それを隠すつもりはもう、クリスティナには欠片もない。
「お、俺は実力で勝つまではその辺ぼかすからな? 両想いの二人が教義に縛られて「神前裁判」なんて悲劇の主人公を演じるなんて嫌だからな? 勝った瞬間に求婚するけど、それまではやれやれ系のふりするからな?」
などとツカサがいきなり挙動不審になったのが、クリスティナには愛おしい。
殿方はいろいろと譲れないところがあるのだと理解する。
何気なく求婚の言質も取ったので良しとする。
――でも「やれやれ系」って何かしら?
言葉や態度をどうしようが、ツカサが自分をどう想ってくれているかをクリスティナはもう疑わない。
一番欲しかった言葉を今回くれたし、その言葉を裏打ちする行動はもう、十分すぎるほど見せつけてくれている。
あとは「姫巫女」を倒してくれることを待つだけだ。
明日、部屋からツカサ様と一緒に私が現れたら、修道女たちはどんな顔するかしら?
それを想像するだけでクリスティナは楽しかった。
不埒者に恋焦がれる「姫巫女」なんて、どんなお伽噺でも聞いた事が無い。
もしも実際にあったとしても、そんなお話を後世に残すことを、教会が許すはずもないけれど。
ちゃんと進みだした世界の未来で、ツカサと自分の出会いがどう描かれるのかを見てみたいな、とクリスティナは思った。
「次こそ見てろよおおおおおおおお!」
公衆の面前で、やはり「姫巫女」の力の前に燃えてゆくツカサを見て、クリスティナは答える。
「はい、待っています!」
自分もツカサも大概だと思う。
殺した者が、殺された者に。
殺されたものが、殺した者に。
嘘偽りなく互いに恋しているのだ。
ツカサを「姫巫女」の力で殺してしまう事を楽しんでいる訳ではない。
もちろんそんなことは、出来る事ならばしたくない。
だけど手加減してツカサが納得してくれるとも思えない。
だから全力を出す。
実のところ、ツカサが思っているほどクリスティナに余裕がある訳ではないのだ。
この世界の一部である以上、けして超える事が出来ない筈の理を、ツカサは確実に超えつつある。
タマがそう明言したように、ツカサがクリスティナを好きになれば、好きになるほど。
その事実がクリスティナに、疼くような、曰く言い難い快感を与えていることも確かだ。
他の誰にも理解されなくてもいいと、クリスティナは思っている。
私たちは殺し合いながら、恋してゆく。
本気で想いあっている。
気狂いの恋だと、笑いたくば笑え。
私たちは幸せなのです。
もしこれが永遠に繰り返されたとしても、その永遠を笑って過ごしてみせる。
今の会話が聞こえた人たちは、どう思うのかしら?
そう思いながら、幸せそうにクリスティナも光に還ってゆく。
いつか来る、悲願達成の時を夢見ながら。
次話 101周目【101回目の決闘・決着】
12/4投稿予定です。
今話にて「幾重逢瀬編」は終了です。
次話より最終章へ突入します。
もう少しお付き合い願えれば嬉しいです。
完結済短編「異世界娼館の支配人」も出来ましたらよろしくお願いします。
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同じく完結済中篇「三位一体!?」も出来ましたらよろしくお願いします。
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