第49話 80周目 【裸の付き合い】
初めて出逢った時は完全な無表情であったクリスティナが、羞恥に頬を染めている。
長い睫が震え、艶やかな桜色の口唇は何か言いたそうな動きを見せるが声にはならない。
涙で潤んだ金色の瞳は、俺を凝視している。
――顔ではないが。
頬の朱があっという間に全身に広がり、みずみずしい肌が全体的に朱に染まってゆく。
最初の頃と違い、隠すべきところを己の両手で隠そうとするようになってからの方が、その裸体の扇情度は有頂天である。
隠しきれてないのがまた……
しかし超絶美少女の赤面ってすごいな。
綺麗と可愛いとかじゃなく、なんというか男としての根源を揺さぶる何かが呼び起される感じだ。
月に向かって吼える狼はこんな感じなのかもしれない。
その手の行為に走る変態の気持ちを理解できてしまうのは問題だ。
だが起ってしまったことは消し去れない。
たとえ今この瞬間に死に戻ったとしても、無かった事にはなりはしない。
無かった事にしてはいけない。
――可能ならばしてほしいが。
今のクリスティナの表情は、己の裸を見られたせいだけじゃないからな。
この表情は「男の裸」を生れて初めて見てしまったためだ。
……。
つまり俺は間に合わなかった訳だね。
というか「禊」の状況で俺を待つのを変える気はないんだなクリスティナ。
露出狂という訳でもあるまいに、なぜ常に裸で待とうとするのか。
今の俺が言えることではないが。
クリスティナの震える両拳が口の所へ上がり、唇が空気を吸い込む。
ああ、これは叫ばれるな。
しょうがない、「姫巫女」として男と接する事をほぼ完全にシャットアウトされていた純粋培養の乙女が、何の心の準備も出来ていないまま素っ裸の男を目にしたら叫ばずにはいられまい。
湯上りでほかほかの男が、素っ裸で目の前に「転移」してきたら俺でも叫ぶ。
「やぁあぁああ」
あ、反射って怖い。
叫ばれたら思わずそれを「止めよう」と思ってしまった。
その意志に瞬時に反応して「転移」を発動する能力管制担当。
「戦闘」に入るまで最近全く警戒感のないクリスティナが、それを妨害することは無かった。
まあそれどころじゃないだろうというのはよく理解できるけど。
俺のように頼りになる能力管制担当が居てくれる訳でも無いだろうしな。
というかこんな即時反応できるなら、先刻こそ止めてほしかったぞ能力管制担当。
こんな取り返しのつかない事態になる前に。
「それはあなたが本当に止める事を望んでいないという証明になるのでは?」
タマ黙って。
「んっ――」
「転移」でクリスティナの懐へ瞬時にもぐりこんだ俺は、これも反射的に右手でクリスティナの口を塞ぐ。
「姫巫女」として戦闘体制に入っていないクリスティナはただの華奢な女の子だ。
際限なきレベルアップによって人間離れした身体能力を持つ俺に、あっさり口を塞がれ、叫び声が止まる。
近い近い近い。
直接触れている訳ではないのに、自分も素っ裸のせいかクリスティナの体温を直に感じられる。
あと右手の掌に伝わる唇の感覚が、温かくてくすぐったくてどきどきする。
驚きで見開かれたクリスティナの金の瞳が、今まで経験が無い至近距離で俺の瞳を見つめている。
驚きなのか、恐怖なのか、涙で潤んだ瞳に吸い込まれそうになるがそんな場合じゃない。
これどうみてもそれ目的で襲い掛かっている絵面にしか見えない。
「ち、ちがうんだクリスティナ、これはあの手違いというか、勢いというか」
何を言ってるんだ俺は。
いい訳になっていないどころか、支離滅裂で何を言っているのか自分でもわからない。
俺も頬のところに血が集まってきているのがわかる。
それはもう盛大に赤面していることだろう。
頼むから別のところへ集中してくれるなよ、俺の血液。
俺が慌てふためいてるのをみたせいか、クリスティナの瞳がやさしく笑う。
いや笑ってていい状況じゃないと思うんだけどこれ。
あなた素っ裸で左手にだけグローブ嵌めた変態に、至近距離で口塞がれてるんですよ?
禁忌破りサツガイマシーンだった頃のあなたなら、細切れにされたうえで焼き払われていたと思うんですけど。
ああ、でもこんな自然なクリスティナの表情をみたのは何周ぶりかな。
ここのところは俺が勝手に切羽詰っていて、それを相手するクリスティナの表情はどこかぎこちなかった。
ほんとに何のために繰り返していたんだかという話だ。
右の掌に、ぬるりとした感覚。
え? 舐めたの今? 俺の掌を? なんでそんなことするの?!
びっくりして反射的に掌を離す。
ああ、これが狙いなら、効果は抜群だ。
間抜けにもびっくりし、後ろに飛び退こうとして「禊の泉」に足が浸かっている事を失念する。
ああ、こりゃ転ぶな。
頼りの能力管制担当も、俺の身体を制御することは出来ないからどうしようもないか。
素っ裸で突撃してきて、泉で転んで頭売って死に戻りしたら黒歴史なんてもんじゃないな。
タマがクリスティナに夢で見せる部分からカットしてくれればいいけど。
まあ冗談はさておき、超絶強化された今の俺の身体能力と、「思考加速」を使えば、普通に転ぶなんてありえない。
地面に激突する直前からでも、何事も無かったようにもとの体制に戻ることすら可能だ。
って、クリスティナが転びそうな俺に手を伸ばしてくれている。
隠すべきところも隠さずに、後ろに倒れそうになっている俺を止めようとしてくれている。
体格差考えろよ、クリスティナ、それじゃ二人ともすっころぶだけで……
そんなこと考えているうちに、「思考加速」を起動しそこねる。
俺の今の身体能力で無理に体勢を立て直せば、ほぼ密着したクリスティナに影響があるかもしれない。
結果素直に後ろにぶっ倒れることを選択した。
今の俺の体は転んだくらいで怪我をするような代物でも無いし。
水音。
痛くは無いが、完全に仰向けにすっころぶ。
泉の水が、風呂の湯で温まっていた俺の身体を一瞬で冷やす。
素っ裸で仰向けにぶっ倒れてるって、とんだ変態さんだ……が……
この体の上に感じる、熱はいったいなにかな?
いやわかっている、わかっているけどわかっちゃいけない代物なんじゃないのか。
縺れ合うようにして転んだんだ、こういう体勢になるのはまあ順当だ。
泉の水で身体が急速冷却された分、密着した互いの体温が生々しく感じられる。
倒れた俺の体に重なるように、クリスティナの裸体もこっちを向いて倒れている。
至近距離過ぎて俺の目に映るのは、クリスティナの美しい顔のどアップだけだが、触れているそこここから危険な感触が脳に伝わってきている。
これ特定部位に血流が集中するの防ぐの無理ゲーじゃないですか。
「や、ごめんなさ……」
真っ赤な顔で、俺の上から離れようとするクリスティナの身体を、反射的に再び抱き寄せる。
いや今そんな風に離れたら、俺の体の上で、至近距離で見えちゃうだろ。
再び超がつくほどの至近距離で、クリスティナの金の瞳と見つめあう。
「や、これはその……」
だからといってこんな風に抱き寄せたら、密着した感触のせいで、体温が急上昇を続けているけど。
それよりも心拍数というか鼓動がえらいことになっている。
密着しているから、クリスティナの方もえらいことになっているのが直でわかってしまう。
つまり俺のことも向こうには伝わっているという事だ。
えーと、えーっと、なんなんだこの状況。
俺が裸で突撃したから引き起こされた事態ではあるけれど、想定外にもほどがあるぞ。
そんな状況下なのに、クリスティナが堪えきれないという風に笑い出した。
クリスティナの心拍数もえらいことになっているのは変わりないのに。
ここ笑うとこ?
「な、何やっているんでしょうね、私達。世界を救うのが使命である「姫巫女」と、世界をやり直せるほどの規格外の魔法遣い様なのに、裸で抱き合って、二人とも目を白黒させているなんて……」
返す言葉もございません。
もうちょっとかっこよく再起するべきシーンなんだとは思うんだけどな。
気の利いた台詞の一つや二つを言い放った上で。
それがこの有様では、笑われても仕方ない。
「ですけど……夢でみたような、お芝居しているようなツカサ様でなくて、ほっとしました。繰り返しが進むたびに夢でのツカサ様は苦しそうで、今回の私の前に現れてくださるツカサ様もそうだったら悲しいな、と思っていたら――活き活きした表情で、あの、その、は、裸、で現れるんですもの……びっくりしてしまいました」
ああ、やっぱりここ数周のクリスティナの表情は、俺のせいだったんだな。
文字通り、自爆していた訳だ俺は。
今回のこれも、別の意味で壮大な自爆ではあるが。
「ごめんクリスティナ。俺……」
「クリスティーナ、では無いのですか? 私をそう呼ぶのはツカサ様だけなのですけれど」
俺の体の上で、至近距離で見つめあいながらクリスティナがくすくすと笑う。
そう呼んで欲しいのかクリスティナ。
お前もお前で、相当替わっているな。
「いえ、呼ばれれば訂正しますけれど、夢見た私にとっては、ツカサ様に最初にそう呼ばれることがなぜか楽しみで、なぜかうれしいのです」
そう言って、俺の目をみて微笑む。
じゃあこれからはそう呼ぼう。
クリスティナが、こんなくだらないことでもうれしいなら、俺はそうしよう。
「ここ数周、勝手に俺が空回りしてたんだ、ごめん。だから一度ちゃんと話し合おうと思ったんだけど、失敗してしまった」
「どんな失敗すれば、は、裸で現れることになるのかはちょっと想像できないです」
そういってまた笑う。
ああ、まったくだ。
もうちょっと考えて行動しろよ俺。
セトとサラとセシルさんのおかげで目が覚めて、そのままここへ飛んでくるとかなあ……
三人も相当に呆れている事だろう。
今回の顛末は、クリスティナとの永遠の秘密にしなければならない。
「ですけど、お話しするのは私も賛成です。……こ、この体勢のままでお話ししますか?」
それは無理です。
ちょっと一端落ち着いて離れましょう。
それから、きちんと話をしよう。
気持ちを伝えて、気持ちを聞こう。
それで二人の想いが同じなら、空回りせずに二人で目的を目指していける。
そうであることを、クリスティナも祈ってくれていることを願う。
さて、この状況からどうやって冷静にお話しできる体勢に戻ろうか?
このまま襲い掛かっても仕方が無い状況だと思うんだ、俺は。
いや歯を喰いしばって耐えてはいるけれども。
次話 80周目【二人の想いが同じなら】
12/2投稿予定です。
話の進みが牛歩で申し訳ありません。
今のところの予定では、多少の増減こそあれ後10話前後で「姫巫女編」とでも呼ぶべき物語は終焉に至れそうです。
もう少しこの物語にお付き合いいただければうれしいです。
プロローグから繋がるラストを書きたくて始めた物語なので、もうすぐそこを書けるので楽しみです。
何卒よろしくお願いします。
完結済短編「異世界娼館の支配人」も出来ましたらよろしくお願いします。
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同じく完結済中篇「三位一体!?」も出来ましたらよろしくお願いします。
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