閑話 51周目 THE END 【side クリスティナ―黒猫よりの福音あるいは甘言】
「……馬鹿な、ひと……」
自分がこんな声を出せる事を、この歳までクリスティナは知らなかった。
「姫巫女」であるための責任感や、それでも全てを救えないという罪悪感。
そこからもたらされる諦観という、今までの自分が常としてきたものとは全く違った感情が、胸のうちに渦巻いている。
歓喜だ。
今自分は間違いなく、生まれてから今迄で一番喜びを感じている。
嬉しい。
ただただ嬉しい。
自分以外はどうにも出来ない強力な魔物を討伐し、多くの人々から歓喜と賞賛を向けられた時もうれしくはあった。
「姫巫女」としての自分に向けられてものであっても、嬉しくない訳ではなかったのは確かだ。
だけど今感じているこれは、違う。
ぜんぜん違う。
夢でみただけ、ほんの短い間だけ会話できた彼は、「姫巫女」の自分なんか必要としていない。
きっと「女の子」としての自分を、求めてくれている。
それも自分が「姫巫女」の立場を放り出す事を慮って、自分が「姫巫女」の力を凌駕する存在になろうと奮闘してくれているのがわかった。
嬉しくない訳が無い。
しかも、彼は諦めを告げる自分にこう返してくれたのだ。
「次こそ勝つからな、クリスティーナ!」
と。
自分の諦観を蹴り飛ばして、次こそは、彼の想いを叶えてみせるとそう告げてくれたのだ。
なぜ自分の名を間延びして呼ぶのかは理解できなかったが、世界で彼だけが自分をそう呼ぶのだと思うと、逆に愛おしくも感じる。
そんな自分が居る事も、クリスティナは嬉しかった。
「姫巫女」であるだけが、自分の存在価値では無いと信じさせてくれたのは、彼だ。
やはり光に包まれ始める世界を目の当たりにしながら、もう恐怖は感じていない。
夢でみたとおり、自分が彼を殺せば世界はこうなるのだ。
光に包まれて、世界は「やり直し」を強いられる。
自分は何度も繰り返される「世界の終わり」にその度に恐怖し、絶望し、それを引き起こした原因としか考えられない「彼の死」を魂に刻んでいった。
「知らない記憶」を根拠に、彼を恐怖する。
それがクリスティナの「姫巫女」としての在り方に楔を打ち込んだのだろう。
思わず漏れ出た、もうなくなってしまったと思っていた「クリスティナ」としての感情。
それは恐怖だったけれど。
それを見逃すことなく、彼は反応してくれた。
「姫巫女」である自分が恐怖している事を目の当たりにして、彼は戸惑ったのだ。
そこからあったたわいも無い、彼との会話。
裸をみられた年頃の女の子、つまり自分。
それで慌てる男の子、つまり彼。
その二人の、取るに足りないやり取り。
もうはっきりとは覚えていないが、おそらく自分はそれでひっくり返った。
夢でしかそれを知らないことを悔しいと思うくらい。
きちんと自分の記憶として持ちたいと思えるくらい。
「自分の裸をみられて恥ずかしい」
そんな女の子であれば当たり前の感情を、初めて持ちえたのだ。
修道女達に教えられ、知識としては知っていた。
「勇者」様にお会いした時に、淑女として必要な知識は、一通り叩き込まれて育っていたから。
だけどそういうものではなく、自分の頬に全身の血が集まったかと思うような経験を初めてした。
一時間も「禊」を続けながら、彼を待ち、彼の目に自分の裸体が晒された時、クリスティナは自分が夢でみたものを真実だと確信した。
夢でみた自分と、寸分違わぬ感情が自分の内に生まれたからだ。
彼に一時間以上も「禊」を続けていたことを指摘され、顔から火が出るかと思うくらい恥ずかしかった。
そこではじめて自分が震えていることに思い当たり、「寒い」などという馬鹿なことを口走ってしまったのも恥ずかしい記憶となった。
おかげで彼の外套をかけてもらうという、忘れたくない記憶も貰えたが。
それと同時に、別の意味で怖くなった。
自分がみた夢が真実だという事は、自分は彼を何十回も殺していることになる。
50回にわたって見せられた彼の殺し方は、全て「姫巫女」である自分なら可能だ。
自分は確かに、無表情に、一切の慈悲無く彼を殺し続けてきたのだろう。
今までであればそれでもよかった。
――でもこれからは。
今回のように彼を夢にみて、出逢いなおす度にこんな気持ちのまま彼を殺すのは嫌だった。
「姫巫女」としての義務に縛られて生き続けるよりもずっと辛いと、そう思った。
全てを捨てて彼が攫ってくれるのならついていこうと決めた。
世界中の人から無責任だ、お前のせいで国が滅んだと非難される事になったとしても、女の子としての自分を求めてくれた彼が「来い」とそう言ってくれるなら、ついていこうと思ったのだ。
きっとそんなことを、彼は言わないだろうとも思っていたけれど。
やっぱり彼はそんな無責任な事は言わなくて、自分が「姫巫女」じゃなくなっても大丈夫なように自分がなってから、責任を取るよといってくれた。
嬉しかったけど、悲しくもあった。
だって「姫巫女」には勝てないだろうから。
周回を重ねるごとに、別人のように強くなる彼を夢でみても、やっぱりそう思う。
世界の護り手たる「聖女」――そのなかでも「攻」を担う「姫巫女」の力は強大で、彼のような隔絶した魔法遣いでさえも歯牙にもかけない。
伝説でしか残されていない「竜人化」や、逸失魔法と呼ばれている第五階梯魔法すら使いこなし、そればかりかそれらを応用して神速の戦闘機動を実現している彼。
それでも「姫巫女」には未だ遠く及ばない。
いや及ぶ日が来るとは思えない。
自分は待てる。
そう思った。
永遠に近い繰り返しの果てであっても、いつか彼が「姫巫女」を凌駕し、自分をただの「クリスティナ」に戻してくれる日を信じて待つことは出来ると誓える。
「姫巫女」としてだけの人生を終えるより、そっちのほうがずっと救いがある。
だけど。
彼もそうとは限らない。
自分は基本的に記憶を忘れる。
夢で今までのことを「物語」として知り、今回みたいに夢見る気持ちで彼を待ち続けることは出来るだろう。
彼を殺してしまったとしても、次こそはと期待も出来る。
だけどずっと記憶が継続している彼は?
今はいい。
今回も涙が出るほど嬉しい言葉を、クリスティナにくれた。
でもこれが100回を越えたら?
いいや1000回を越えたら?
彼の瞳から「希望」が消えうせ、「義務」として繰り返すようになるのが怖いと思った。
そんな彼を見たくないと思った。
いや今回のように夢にみて、彼が来る事を待っているのに、ずっと彼が現れない先の自分を想像してぞっとした。
今回待っている間だって、すごく不安だったのだ。
これから希望を重ねて、彼が来てくれるのが当たり前の自分になってから捨てられたら、自分はどうなるんだろう。
だから逃げたのだ。
もう今回で終わりにしましょうと、そう告げたのだ。
最初「姫巫女」の義務に逃げたのと同じように、しょうがないことだと思おうとした。
だけど彼はそれを否定してくれた。
次もまたきっと来る、次こそはきっと勝つといってくれた。
嬉しかった。
いいや今も嬉しい。
だれも助けてくれなかった子供の頃とは違う。
絶望的な状況でも、向こうから手を差し伸べてくれている彼が居る。
自分が手を伸ばさないでどうしようというのだ。
永遠に繰り返す、彼との短い逢瀬を自分の全てとしてもいい。
果てない繰り返しの果てに、諦めて捨てられるにしても、それでもいいと覚悟が決まった。
彼が諦めるまでは、自分も諦めを捨てるとそう決めた。
そんな勇気を出せるかはわからないけれど、次は自分がどれだけ感謝しているか告げれればいいとも思った。
諦めの言葉を告げるのではなく、はやく私を倒してくださいと。
ただの女の子に戻して、はやく奪ってくださいと伝えたい。
彼の「宣言」に「告白」で応えたい。
自分が殺す相手にそんなことを言うのはむちゃくちゃだとは思うが、それが彼と自分の在り方なのであれば仕方が無い。
自分も充分おかしいけれど、彼だって負けてはいないとクリスティナは思う。
自分を何度も殺した女の子を好きになるってどうなんだろう。
生まれてからこれまで、そういうものだとしか思っていなかった誰もが褒めてくれる自分の容姿を、初めてありがたいとクリスティナは思えた。
世界が終わっていっているというのに、赤面している自分も大概どうかと思うがしょうがない。
いつかきっと彼に、――いいえもう私は名前を知っている。
「ツカサ様」に責任を取ってもらおう。
多分自分ははじめて恐怖ではなく、希望を持って「世界の終わり」に望めていると思う。
夢でみるツカサ様に、もう一度逢うのが楽しみだ。
そう思いながら世界中に拡散する光に飲み込まれようとした時。
終わっていく世界が停止した。
眩い光に包まれる中、黒い、黒い、小さな生き物がこちらをじっと見つめている。
クリスティナはこれを知っている。
夢には見なかったが、確かにこの黒い生き物を知っている。
ツカサの肩に乗っていた、見たことも無い小動物。
尻尾の数は一目では数えられないくらいに多い。
そして多分……
「クリスティナ第一王女殿下。「聖女」の一人である「姫巫女」」
思ったとおり、言葉を話す。
「魔獣」なのだろうか。
神に仕える「聖女」たる己とは相反する、悪魔に仕える「使徒」
「あなたはツカサを好きかい?」
じっとこちらを見つめる、漆黒の小動物に浮かぶ二つの金の眼が怖い。
「ああ、前回も怖がらせてしまったが、恐れる必要は無い。私はツカサのペットみたいなものだ。そしてツカサの意志には基本的に逆らえない。ツカサがあなたを好いている以上、危害をくわえることは出来ないよ」
もう自分は光に包まれて、答える事も出来ないが、答えを期待しているわけでもないようだ。
一方的に話しかけてきている。
こんな状況なのに、ツカサが自分を好いているという言葉に喜んでしまう自分がもう本当にどうしようもないなとクリスティナは自嘲する。
「この世界の存在である以上、この世界の理に従って「聖女」には勝てない。それは正しい。強いとか弱いじゃない、そういう仕組みだからね」
そうだ、神の定めた理通り、「姫巫女」に勝てるものは存在しないのだ。
だからクリスティナも諦めを一度は口にした。
「だけどツカサはそれを越えられる」
その言葉に、クリスティナの思考は一瞬とまる。
ツカサを信じ、永遠の繰り返しを受け入れようとは思ってはいた。
だがツカサが本当に「姫巫女」である自分を凌駕できるとは信じれていなかった。
だからこそ、繰り返しの中の永遠を望み、それにツカサが倦むことを恐れたのではなかったか。
だが目の前の、黒い黒い使途はそうではないという。
「――あなた次第でね。どれだけ魔物を倒そうが、レベルという概念を無限に上昇させようが本来どうしようもない事をひっくり返せるのはツカサだけだ。そしてツカサにそうさせられるのは、今のところあなただけだ」
何をすればいいのだろう。
そんなことが可能なら何でもすると、心の底から思った。
だってそれは自己犠牲じゃない、自分の望みを叶える為にすることなのだから。
「今のあなたは「永遠」というものを軽く考えていると思うけれど、それでもと望むならばツカサをもっと自分に惚れさせたまえ。他の何を犠牲にしても、あなたさえ居れば後はどうでもいいとツカサが思えるくらいに。そうすればツカサはこの世界の理など、書き損じたルールの如く書き換える」
黒い小動物が、何を言っているかはわからない。
だけど嘘をついているわけでは無いだろう。
そんな必要がある状況とも思えない。
だけどツカサ様を自分に惚れさせろというのであれば望むところだ。
何をどうしたらいいのかわからないくせに、えらそうにもそう思ってしまった。
「姫巫女」として以外の自分が、結構ポンコツなのは自覚している。
「あなたにとっては、たかが百数年の自己犠牲の人生で終わっていたほうがマシだったと思うことになるかもしれないが、それでもそれを望むかい? 「姫巫女」。いやクリスティナ・アーヴ・ヴェイン」
心がそれを首肯した。
後悔先に立たず。
いい言葉だと思う。
後悔するなら、後悔できる所へたどり着いてからすればいい。
それが彼、ツカサ様とともにできるのであればそれだって悪い事じゃない。
だから自分はそれを望む。
クリスティナ・アーヴ・ヴェインは、ツカサ様の隣に立って生きることを望むとも。
「……いい答えだ。また逢おう」
そう言うと「終わる世界」は再び動き出す。
黒い黒い小動物も、今度はちゃんと光に呑まれて消えてゆく。
「ああ、そうだ。私はタマという。ツカサが名付け親だ。あなたとは長い付き合いになるだろうから、そう呼んでくれると嬉しい。ペットというものは飼い主につけてもらった名を愛するものだからね」
意外に可愛い響きの名に、クリスティナはちょっと笑った。
ツカサ様の好みとか、いろいろな情報を聞くのはタマからでいいのだろうか。
惚れさせろといわれても、自分はポンコツなので是非協力して欲しいものだ。
そんな馬鹿なことを考えながら、クリスティナは自分の意識を手放した。
次話 52周目【選択可能なあらゆる手段】
11/29 投稿予定です。
真に申し訳ありません、明日から11/28まで出張が入り毎日更新が不可能です。
投稿再開できるのは11/29からとなりますが、それまでに書き溜められた分は一気に投稿する予定です。
間隔があいてしまいますが、拙作をお見捨てなきようお願いするばかりです。
進行が遅くて申し訳ありませんが、もうそろそろ最初に目指していた着地点にはたどり着けそうです。
プロローグ後のひとやまがあって、初期プロットは完結です。
続きはいろいろ広げられるので、今どうしようか考えているところです。
落ち着いたあとの彼らの日常を書いてみたい気持ちもありますし。
拙作から毎日更新を取ったら何が残るのか作者としてははなはだ不安ですが、一週間後もまた読んでいただければ嬉しいです。
よろしくお願いします。
完結済短編「異世界娼館の支配人」も出来ましたらよろしくお願いします。
http://ncode.syosetu.com/n4448cy/
同じく完結済中篇「三位一体!?」も出来ましたらよろしくお願いします。
http://ncode.syosetu.com/n7110ck/




