閑話 50周目 THE END 【side クリスティナ―知らない記憶】
目の前に現れた彼をみた瞬間、クリスティナは自分の心拍数が一気に跳ね上がるのを自覚する。
自分のことを間違いなく知っているその表情。
すでに展開されている膨大な魔力と、挑もうとする者の瞳が己を見据えている。
だがその視線に、憎しみの色は感じられない。
こんなことは今までで初めてだ。
間違いなく初めてのはずなのに、同時になぜか懐かしい気もする。
――不思議な感覚。
まともに会話した事も無い、自分の妹姫であるサラが「神託夢」という能力を持っているのは聞いている。
だが自分が今まで生きてきて、そういう「力」を発揮したことは一度も無い。
自分の「力」は、攻撃に特化されている。
未だ現れぬ「勇者」様以外はどうにもなら無いような魔物が発生した時、それを出来るだけ犠牲が少ないうちに処分することが自分の使命。
それでいいと思っている。
その力を失わないための努力もしてきている自信はある。
だから今、自分の内にある感覚がなんなのかが理解できない。
上手く説明できない。
「姫巫女」として振舞うのはもうずいぶん得意になったし、最近では演技をしているという感覚さえなくなっていた。
強大な魔物を倒すときに緊張はするが、今のこの感覚とは全く違う。
妹の「神託夢」とは違うのだろうが、二日前から急に自分は「不安」に襲われていた。
「姫巫女」として暮らす日々の中では、もうずっと無かった感覚だ。
原因に心当たりがまるで無く、ただ漠然とした「不安」を抱えて過ごしていたのだ。
そして今、あらゆる結界が張られているはずの「神域」に、事も無げに「転移」してきた黒髪黒眼、左目だけが銀色の瞳の彼をみた瞬間、なぜか「不安」の根源が彼だと理解できた。
理解出来てしまった。
知らない記憶なのに、彼が「怖い」と。
自分ではどうにも出来ない存在だと、身体が理解してしまっている。
いつか現れると聞かされていた、「勇者」様では無いという事もわかる。
「勇者」様であれば、もっと手順を踏んで、大々的な儀式の上で対面することになるだろうから。
クリスティナは、今自分が恐怖の表情を浮かべていることがわかる。
誰もが「美しい」といってくれる自分の顔が、表情を浮かべていると自覚できたのは、いつが最後だっただろう。
たとえそれが「恐怖」に歪む醜いものであっても、ちょっとみたいなと思ってしまった。
不思議なことが起こった。
自分が恐怖の表情で見つめている彼が、妙な表情を浮かべたのだ。
クリスティナが「なぜそんな顔をしているのかわからない」という疑問の表情。
それになぜかちょっと慌てているような……
それをみて、クリスティナは自分が一糸纏わぬ姿であることを思い出す。
禊用の神具を両手に持ってはいるが、それは己の裸体を隠すのに何の役にも立ちはしない。
――「勇者」様にお会いした時、恥じらいが無くてはなりません。
そのための態度や、反応の仕方は教わって理解している。
赤面して隠すのが効果的だそうだ。よくわからないがそうなのだろう。
――「勇者」様以外の方と話してはなりません。肌を見せてもなりません。間違いがあった場合は神罰を与え、穢れを祓わねばなりません。
それはつまり、「勇者」様以外が自分の肌をみた場合、「姫巫女」の力を使って殺せという意味だ。
そうしなければ、みんなを護る「聖女」の権能を失ってしまうかもしれないから。
数年ぶりに芽生えた感情である「恐怖」と、それらの「条件付け」が混ざり合い、クリスティナは混乱した。
「――やぁあぁああ!!!」
両手に持っていた神具を、何も考えずに彼に向かって投げつける。
べちこーん×2。
「姫巫女」の目からみて、魔力を全力で展開させ臨戦態勢としか思えない彼は、不思議なことにそれを避けることをせず、顔面に直撃することを受け入れた。
自分でも出したことの無いと確信できる声を出して、両腕で裸体を隠してしゃがみこむ。
子供の頃でも、こんな声を出した記憶はついぞ無い。
自分は聞き分けがよく、お淑やかで理想的な「姫巫女」をずっと演じてきたのだから。
理由はわからないが、顔が熱い。
体中の血液が頬に集中しているような気がする。
「み、見ましたね。私の裸をみましたね?」
我ながら、だったらどうなんだと思いつつ彼を問い詰める。
自分が一生懸命作り上げてきた「姫巫女」の器としての自分ではない。
もうずっと殺し続けてきて、自分でももうなくなってしまったと思っていた「クリスティナ」が言葉を発している。
それがわかる。
今の自分は、本当に久しぶりにクリスティナ・アーヴ・ヴェインだ。
それがうれしくもあり、怖くもある。
クリスティナの態度を受けて、今でも替わらずに圧倒的な「恐怖」を感じさせる彼が、普通の男の子のように慌てている。
私が普通の男の子なんて知っているはずも無いのに、という自嘲的な思考が浮かぶ。
でも、まだずっと子供の頃、仲のいい修道女達と想像していた「勇者」様は、そんな反応をしてくれる予定だったように思う。
「クリスティナ」が期待し、夢見た「勇者」様との初邂逅。
いきなり裸をみられる想像などしていなかったような気もするが、幼いクリスティナが夢見たのは、大きすぎる責任を背負った「勇者」と「姫巫女」の義務的な出逢いではなく、世界を救おうとする「男の子」と、それを手伝える「女の子」の無邪気な出逢いだったはずだ。
「ご、ごめん」
今まで自分が相対したあらゆる魔物をも凌駕する魔力を展開させていながら、慌てふためいた顔で彼が謝罪の言葉を口にする。
「許しません、死になさい!」
「は、話を……」
場違いな空気、場違いな会話。
「聞きません!」
何が場に相応しいのかもわかりはしないけれど。
自分が今、何をどう感じているのかすらわからない。
わかっているのは、今目の前にいる彼を殺さなければならないという事。
「姫巫女」の力を失うわけには行かない。
そんなことになったら、もう誰も護れなくなる。
自分が魔物を倒すまでに「取り返しのつかないことになった」人たちが、世界中に広がることになる。
それだけはダメだ。
そうならないように、自分は自分の人生を「姫巫女」であることに捧げてきたのだから。
そう思い至ったら、頭の芯がスっと冷えた。
今発した言葉までは「クリスティナ」のものだったと思う。
だが今から彼を殺すのは、「姫巫女」としての意志だ。
彼が「勇者」様だったらよかったのに。
――今、自分がまた大事なものを手放したような気がする。
でも間違っていないはずだ。
間違っていない。
私は「姫巫女」であり続けなければいけないのだから。
ただの「クリスティナ」なんて、誰も望んじゃいないんだから。
「ちっくしょう、初めて変化あったのにまたダメか!」
彼が不思議な言葉を残して視界から消える。
初めて? また?
――考えちゃダメ。
彼は速い。
自分ではその動きを捉えきれない。
死角から攻撃されれば、倒されるかもしれない。
倒される訳には行かない。
「花嵐、燈して燃えよ宵闇の花篝!」
クリスティナの「呪」と同時に、無数の刀剣が空中に現れる。
全周をフォロー可能な、攻防一体の「技」である。
今までどんなに強力な魔物に対してさえも使ったことなど無い、最強の「技」
高速機動をしていようが、その殺傷圏内に入った時点でどうしようもないはずだ。
彼が「聖女」の力を全て無効化する「勇者」様でも無い限り。
案の定、その殺傷圏に彼が侵入した瞬間、自分の「姫巫女」の力は容赦なく彼の命を燃やし尽くして狩り取る。
「聖女」――「姫巫女」の権能である「炎」に、なす術もなく焼き尽くされる彼を、醒めた目でクリスティナは見つめている。
己の死に直面しながら、彼の目に諦観も絶望も無いことに少し驚く。
これで終わってしまうのに。
死んだら全てお仕舞いなのに。
――なぜ彼はあんな目をしていられるのだろう。
「新技引っ張り出したぞ、次はみてろよ……」
最後まで彼が何を言っているのかわからない。
己の力で、灰になって燃え尽きた、元彼であったものをじっと見つめている。
なぜか泣きそうになった。
だけど涙はこぼれない。
また自分は間違えた。
なぜかそういう確信がある。
そしてまた、世界の終わりが始まるのだ。
自分ではどうしようもない、世界の終わり。
知らない記憶なのに、そう確信できる。
あと何度繰り返せば、彼は私を凌駕してくれるのだろう。
ただのクリスティナに戻った自分は、彼に何を言うのだろう。
「――もう、待っていられませんわ」
自分が何を口走っているのかもわからない。
だけどもう絶対に二度と忘れるものかと、固く心に誓う。
何を?
彼と出逢ったことを。
焼け焦げた彼の遺体が光に変わり、世界を埋め尽くし始める。
ああ、やっぱり。
またこうなるのね。
そう思うクリスティナの瞳に、彼の遺体があった場所に佇み、こちらをじっと見つめる漆黒の小動物が映る。
「――面白い」
言葉を話す魔物を、魔獣という。
神と相反する存在に仕える、悪魔の使徒。
それが興味深げな瞳でクリスティナを見つめ、訳のわからないことを口にする。
クリスティナ自身も含め、全てが光に還っていく中、その小動物だけは唯一存在を続けていた。
眩い光の中、ただぽつんと、黒く、ただ黒く。
人ではなく小動物なのに、その顔が「笑っている」事がなぜか理解できる。
クリスティナは怖かった。
これから世界が終わることよりも、なぜかその微笑の方がずっと、ずっと怖かった。
その存在に魅入られたようになったまま。
クリスティナの意識は光に呑まれて、再び途絶えた。
今話で2周目が終了です。
次話 「記録」
11/16 23:00頃投稿予定です。
完結済短編「異世界娼館の支配人」も出来ましたらよろしくお願いします。
http://ncode.syosetu.com/n4448cy/
同じく完結済中篇「三位一体!?」も出来ましたらよろしくお願いします。
http://ncode.syosetu.com/n7110ck/