閑話 1周目 THE END 【side クリスティナ―世界の終わり】
「姫巫女」――「三聖女」の一人であるクリスティナ・アーヴ・ヴェインは、無感動に自分が首を刎ねた男の死体を見つめていた。
ふと、自分が一糸纏わぬ姿であることを思い出して頬を染め、隠すべきところを両手で隠す。
こともなげに「男」の首を刎ね飛ばした神器である「懐剣」はすでに消えており、荘厳な「泉の間」に存在するのは女神と見紛う全裸の美女と、頭の無い身体と、身体の無い頭だけだ。
その状況で、非の打ちどころのない「想い人に己の裸体を晒してしまった、恥じらいの表情」を浮かべているクリスティナ。
異様な風景である。
――そうしなければならない、と教わっていたからだ。
「勇者」様にお会いした時、恥じらいが無くてはなりません。
――物心ついた頃から自分の世話をしてくれる修道女たち。
それを束ねる立場の老女から、何度も聞かされている。
決まって老女であるその立場の人も何度か入れ替わってはいるけれど、クリスティナが言われることは人が変わっても寸分たがわず同じだった。
自分は、言われたことを守らなければならない。
絶対に守らなければならない。
「勇者」様以外の方と話してはなりません。肌を見せてもなりません。間違いがあった場合は神罰を与え、汚れを祓わねばなりません。
そうしなければ、神から与えられた「姫巫女」の権能を失うかもしれない。
だからクリスティナは、「勇者」ではなかった男を、自分の最強の「技」で躊躇いなく殺した。
勇者様ではない。
勇者様であれば、「聖女」の攻撃は全て無効化されると聞いている。
「姫巫女」であるクリスティナですらも少し驚くくらいの魔力を展開していたが、そこで首と胴に泣き別れになっている人は「勇者」様ではなかった。
だから殺しても平気。
殺さなきゃダメ。
魔物を殺したことは幾度かあるが、人を殺したのは初めてだった。
なぜか手は震えているが、心には何も感じない。
感じていないと思い込んでいる。
クリスティナは、「考えること」を、もう長い間放棄していた。
物心ついてからしばらくは、そうではなかった。
両親も、同年代の友達も、本来はいる兄弟姉妹も居なかったけれど、そういうものだと無邪気に過ごしていた時期もあったのだ。
厳しいけれどきちんと行われる教育と、神の寵児たる己を崇め奉りながらもやさしくしてくれる修道女らに囲まれ、子供らしく我が侭を言ったりもしていた。
中には自分を「姫巫女」としてではなく「王女」として扱い、この地下神殿で厳しい教育と修行と祈りを強要されている状況を、嘆いてくれる人もいた。
「王女」どころか、一人の女の子として接してくれる人さえいた。
嬉しくて、すごく嬉しくて、クリスティナはその人たちにとても懐いた。
懐かれた方も、世界を救う鍵たる「聖女」の一人に信頼を寄せられることを喜び、本来教えなくてもいいことをこっそり教えたり、歳の離れた友達として振る舞う者も居た。
数多のジアス教徒から厳選された者達であってさえそうさせてしまうほどに、クリスティナが魅力的な女の子であった事もあるだろう。
だがそういう人はいなくなった。
どうして? とクリスティナが尋ねても誰も答えてはくれない。
怖れを無表情で塗りつぶした顔で、首を横に振るばかりだ。
自分が懐いた人だけではない。
自分がいう事を聞かなかった人。
わがままを言った人。
なんとなく合わないからと、冷たい対応をしていた人。
みんなみんな、いつの間にかいなくなってしまった。
物心ついた頃はこの世界で一番怖いと思っていた、修道女を取りまとめていた老女でさえも、「姫巫女様が我々のいう事を聞いてくだされば、誰もいなくなったりはしませんよ」と、常になくやさしい、でもどこか寂しそうな表情で教えてくれてから数日で居なくなった。
幼いクリスティナは怖くなった。
自分がわがままを言ったり、いう事を聞かなかったり、仲良くした人はみんな居なくなる。
そして誰も、その人がどうなったかを教えてくれない。
自分は言われたことを守らねばならない。
絶対に守らねばならない。
なぜならば、そうしなければ自分と関わった人がいなくなるから。
そうやってクリスティナは誰にも心を開かず、言われた事を素直に聞く理想の「姫巫女」となって行った。
それをより一層加速させる出来事が、九歳の時に起こる。
ヴェイン王国の辺境領域に、正規軍でも冒険者ギルドでも、「十三使徒」でさえどうにもできない魔物が発生したのだ。
その討伐勅命が、教皇庁から「姫巫女」であるクリスティナに下された。
初めての外の世界にわくわくしたり、初めての己の力の行使に不安を覚えたりの感情は、その頃はまだ残っていた。
表に出さないように努力していただけだ。
だが指定された場所へ「転移」で移動した瞬間、期待も不安も全てが恐怖に塗りつぶされた。
巨大な魔物をそれ以上人間の暮らす空間へ進ませないため、命をなげうって立ち向かう各国の正規軍や、冒険者ギルドの精鋭。
動員された教会の魔法遣い達が祈りの成果である「魔法」を尽きるまで打ち込み、「十三使途」も各々の「大魔法」を出し惜しみすることなく叩き込んでいる。
初めて見る、魔物と人の戦闘。
それは一方的な虐殺であった。
人の武器は、魔物に通用しない。
神の力と言われる「魔法」ですら、決定打にはなりえない。
とはいえ、全く傷を与えていない訳ではない。
剣や弓が通った箇所からは血を流し、魔法が直撃した部分は炭化していたりはする。
長い時間、繰り返し攻撃を続けていれば、いずれは倒せるかもしれない。
その巨大な魔物が、そこでじっとしていてくれるのであればだが。
当然そんなはずも無く。
微々たる手傷を負わせた人の集団が、小うるさそうに魔物が吐き出すブレスによって数十人単位で消し炭になる。
盾はもとより、魔法使いが展開する魔法防御陣すら割り砕いて魔物のブレスは人を焼く。
その瞬間で、数十人がいなくなっていることを理解して、クリスティナは吐きそうになった。
そんな絶望的な状況にも関わらず。
既に取り返しが付かないくらい、いなくなった人達が多いのにも関わらず。
彼らはクリスティナをみて、歓声をあげたのだ。
これで何とかなる、と。
自分達の家族の居る街へ、魔物を行かせずに済むと。
仲間は死んだ甲斐が、己らは「姫巫女様」が何とかしてくださるまで、時間稼ぎで死ぬ甲斐があると。
やめてくれと叫びたかった。
恐怖と重圧で逃げ出してしまいたかった。
立派な大人達が、無条件に自分を信じきっているのが心の底から怖かった。
かろうじて逃げ出さなかったのは、自分がどうにか出来なければ今目に映っている人たちだけではなく、彼らが護ろうとしている者達も全て、魔物に蹂躙されるという事が理解できたからだ。
それがわかったから、最速でできる事をした。
カチカチと鳴りそうになる歯を血が出るくらいに喰いしばって、物心付いた頃から気が遠くなるくらい繰り返していた訓練どおりに自分を動かした。
何がどうなったのかはよく覚えていない。
気が付けば、震える身体を幾人もの司祭に聖布で覆い隠され、怒号のような歓声に包まれて呆然としていた。
どうしようもないと思えた巨大な魔物は、自分が「姫巫女」の力で、一撃で屠ったと後に聞いた。
それからクリスティナは一層自分の心を殺し、言われることを忠実に護り、厳しい教育と訓練に不平一ついう事無く黙々と勤しんだ。
「勇者」様への媚の売り方が必要だといわれれば覚え。
淑女としての知識も必要だといわれればすべて覚えた。
現れるかどうかすらわからない「勇者」様など、実はクリスティナにとってはどうでもよかった。
クリスティナが恐れたのは、己の不備によって「神から与えられた姫巫女の権能」が失われることだった。
人々を、世界を救った己の力に溺れられたのであれば、まだ楽だったかもしれない。
だがクリスティナは、自分に宿った「魔物から人々を救える力」が、己の至らなさ、不甲斐なさで失われることを心の底から恐れたのだ。
心を殺し、言われるがまま従う、みなの期待を裏切らない理想の「姫巫女」で在る。
あるいはやさしすぎるが故に、そうせざるを得なかったのかもしれない。
狂人を装いて戯れなば 汝狂人となるべし。
そうするしかなかったクリスティナが、そうし続けることによって本当に心は死んで行った。
やるべき事、定められた事を実行するのに何の躊躇もなくなるほどに。
「姫巫女」の義務を果たす、クリスティナという一人の女の子ではなく、神の力の入れ物として完成されていった。
だから今、なんの躊躇いもなく謎の男の首を切り飛ばして殺し、教えの通りに恥らって見せるというような狂気の行動をするに至っているのだ。
そのはずだった。
もう心はとっくに死んだはずだった。
なのに手の震えが止まらない。
手だけではなく、全身に震えが広がっていっている。
今、自分が何をしたのか。
人々を護る力を失う訳にはいかないから、教えられた通りに禁忌を犯した人を殺した。
あれ?
人を護るための力を失わないために、人を殺……
考えてはいけないことのような気がしたから、思考を止めた。
そういうのは得意だ。
身体の震えを止めることは出来ないけれど、考えるのを止める事などいつもやっている事だ。
ああ、そうだ、修道女達が来て騒ぎになる前に、死体をどうにかしたほうがいい。
死体?
いや考えなくていい。
「姫巫女」の力を使えば、跡形も残らず始末できる。
そうすればいい。
そうすればいつも通り、ちゃんと「姫巫女」の自分に戻れる。
そうして、自分が頭と身体に分離させた死体に目を向けて、クリスティナは驚愕した。
驚いたのは何時以来だろう、とクリスティナはぼんやりと考える。
いやついさっき、幾重もの結界に護られているはずのここへ事も無げに転移してきた男をみた時も、確かに驚いたような気がする。
自分から声をかけてしまう位に。
ただ始末するのであれば、背後から先の一撃を入れればよかったのに、なぜかそうしなかったのは自分だ。
だが今クリスティナは、初めて「姫巫女」の力を行使したときよりも、初めて魔物と対峙した時よりも驚き、混乱し始めていた。
死体が自ら光に変化し、広がってゆく。
自分でも止めようが無いくらいの勢いで、この場のみならず、あっという間に拡散してゆく。
それと同時に、数多の命が消えていくのがわかる。
何の苦しみも、痛みも感じず、おそらくは気付くことすらなく、人も動物も微生物も、魔物すらもすごい勢いで消えていく。
死んでゆく、殺されてゆくのではない。
消えてゆくのだ。
「姫巫女」の自分にはそれがなぜかわかる。
もう既にこの地下神殿のみならず、王都の生き物は一切存在していない。
――世界が終わっていっている。
直感的にそう思う。
だけど理由はわからない。
勇者ではないさっきの男を殺したことが、その引き金なのか。
禁じられてはいるが、そんな場合ではないと思い転移を使用し、地上へ移動する。
考えてみれば己の考えで、己の行動を決めたのは本当に久しぶりだ。
駄目だと言われていることを自分がするなど、信じられなかった。
命を感じさせるものは何も無い、王都の広場に移動する。
男の死体から拡散した光の粒子が今や空をも覆い、世界が終わっていっている。
嘘みたいな光景だった。
日が落ち、満天に輝く星々が、街の灯りが消えていくように全天から失われてゆく。
中天にかかる月が、ばきばきと畳まれるようになくなった。
その次は空。
もともと巨大な硝子であったかのように細微な罅が全天に走り、地上へ降るようにして空が無くなってゆく。
次は地上。
地平線から、地面がまくれ上がるようにして光の粒子に変わって行く。
世界が失くなっていっている。
怖い。
クリスティナは心の底から恐怖していた。
己の「姫巫女」の力で護ろうとした人々は既に無く。
世界そのものが光に還ろうとしてゆく中で、力がある故に未だ形を保ち、意識もあるクリスティナが感じているのは絶対的な恐怖だ。
もはや空も地上も無く、光の粒子だけになりつつある元世界の残骸の中で、クリスティナは初めて「姫巫女」の力を自分のためだけに全開で発動させていた。
金色の結界は本来己に害なす何ものをも通さないはずだ。
半径数百メートルに広がったその絶対的な結界も、光の粒子に触れて砂糖菓子のように消えてゆく。
怖い。
怖い。
さっきの男が、「大いなる災い」だったのか。
「勇者」様と、他の二人の「聖女」と力を合わせて臨まねばならない相手を、自分が考えなしに殺してしまった為に、世界は終わってしまうのだろうか。
殺したのに?
よくわからない。
あれだけがんばって、あれだけ重ねてきた努力も全て無駄になってしまった。
自分が恐れた、自分の愚かさのせいで。
もうずっと昔に忘れていた涙が、頬を伝う。
光の粒子が、クリスティナに触れる。
「三聖女」の一人、「姫巫女」としてどんな魔物にも傷一つ負った事等無かった自分が、なす術もなく消えてゆく。
こんな終わり方、赦せない……
その思考を最後に、クリスティナも世界の一部として光の粒子に還った。
これが八神司の「死に戻り」の力の正体。
己の絶対の意志や死を引き金に、世界を一度すべて分解し任意の時点へと再構築する、創造主の如き異能。
アカシックレコードをすら上書きし、意に染まぬ展開をすべてなかったことにしてしまう。
そして己の意に沿う世界となるまで、何度でも書き換え続けることを可能とする力。
「アカシックレコード・オーバーライト」
自覚無きその力が初めて、この世界を書き換えた。
これにて一周目がやっと終了です。
ここまで来て、タイトルを微妙に変更します。
次話 2周目【世界再起動】
11/6 23:00頃投稿予定ですが、もしかしたら日曜日まで延びてしまうかもしれません。
二周目はちょっと話数かけますが、一周目ほどにはなりません。
三周目からはすぐにプロローグへいけると思います。
そうなると完結なわけですがw
2周目以降の展開も、お見捨てなくお付き合いいただければうれしいです。
完結済短編「異世界娼館の支配人」も出来ましたらよろしくお願いします。
http://ncode.syosetu.com/n4448cy/
同じく完結済中篇「三位一体!?」も出来ましたらよろしくお願いします。
http://ncode.syosetu.com/n7110ck/




